「……おまえか」
 黒谷屋敷からの帰り、護衛にと寄越された男の姿に、土方は思わず眉を顰めた。
 それに、斉藤が肩をすくめた。
「嫌な顔をしないで下さいよ。こっちだって望んだ訳じゃない」
「なら、どうしてここにいる」
「近藤さんに頼まれましてね。あなたがまた一人で出かけたので、巡察の後、黒谷へ寄ってくれと」
「ご苦労な事だな」
「本当です」
 かるい応酬をくり返しながら、二人は黒谷屋敷を出た。門をくぐった後は、黙々と歩いてゆく。
 だが、やがて、斉藤がふと思い出したように云った。
「西本願寺では、総司の部屋……随分と離れたところになったんですね」
「部屋?」
 首をかしげてから、土方は「あぁ」と頷いた。
「近藤さんを通じて本人から願い出があったのさ。病の事もあるので、離れた部屋が欲しいと」
「成程」
 頷いてから、斉藤は云った。
「土方さんの隣室にでもなるのでは? と思っていたので、安心しましたが。それとも、訪れやすいようにですか」
「そんな関係じゃねぇよ」
「何がです」
「だから、俺たちは別れたんだ。もう何の関係もねぇ」
 淡々とした口調で答えてから、土方は懐手をし、目を細めた。


 あれから数か月がたっていた。
 北山の道で別れてから、総司とは公でも言葉をかわしていない。
 時が流れて春となり、あの時云ったように、北山の桜も満開になっている頃だろうが、二人並んで歩くことはなかった。
 春であれ、冬であれ、何の繋がりもなくなってしまったのだ。


「……へぇ」
 斉藤が笑みをうかべた。
「薄々そうじゃないかとは思っていましたが、まさか、本当とは。土方さんがよく手放しましたね」
「どうして、総司の方から別れを切り出したと思うんだ」
「土方さんから、別れようなんて云うはずがないでしょう。あなたが総司を手放すなど、到底思えませんので」
 つけつけとした云い方に、肩をすくめた。
「成程。確かに、俺の方が手放すはずがねぇな」
「いったい何が原因だったのです。どんな理由で、総司はあなたと別れたのですか」
「そんなもの、総司に聞けよ」
「聞きましたよ」
 あっさり答ええた斉藤に、土方は切れの長い目をむけた。
「聞いたのか、で、何と答えた」
「気になりますか」
「さぁな。おまえが話したければ、云えばいい」
 あくまで態度を崩さない男に苛立ちを覚えつつ、斉藤は云った。
「何も答えませんでしたよ。ただ黙って、もう終わったのですと答えただけです」
「そんな処だろうな。あいつにとって、俺との事はもう終わっている」
「なら、オレが総司を貰いますよ」
 きっぱりと云いきった斉藤に、土方は何も答えなかった。無表情の端正な横顔は何を思うのか、ひどく冷たい。
 それを眺めながら、言葉をつづけた。
「前にも云ったはずです。オレは総司に懸想していると。だから、あなたとの事が終わったのなら、オレはもう迷いません。総司を俺のものにして、きっと幸せにしてみます」
「すればいいだろう」
 土方は目を伏せ、薄く嗤った。嘲りにみちた笑みが口許にうかぶ。
「勝手にしろよ。できるものならな」
「オレでは幸せに出来ないと?」
「そんな事は云ってねぇよ。勝手にしろという事だ。何にしろ、俺には関係ねぇ」
「わかりました。勝手にさせて頂きます」
 それきり会話は途切れた。
 屯所に帰りつくと、土方は斉藤に声をかけることもなく、副長室へ戻った。
 だが、部屋へ入り、障子を締め切ったとたん、苛立ちのあまり脱いだ羽織を畳へ叩きつけてしまう。
「畜生……っ」
 いくら冷徹な副長として振る舞っていても、彼も、やはり、若い男だった。本気の恋だからか、総司の事になると冷静さを失ってしまうのだ。
 斉藤との会話の間、ずっと苛立ちを覚えていたのだ。ぬけぬけと「総司を貰う」などと云ってきた斉藤を、斬り捨ててやりたいほどだった。
「……いっそ、斬ってやればよかった」
 低い声で罵った土方は、その後、すぐ自嘲ぎみにほろ苦く笑った。


 恋の鞘あてのあげく、副長と三番隊組長が斬りあいなど、たいした醜聞沙汰に違いない。
 それも、総司を的にした争いなのだ。
 斉藤が総司を想っているのは、前々から知っていた。土方が手をひいたとなれば、すぐさま行動を起こすに違いないとわかっていたのだ。
 あの時、総司が云ったことが現となろうとしていた。
 今度こそ、総司は真実、他の男のものになるのだ。あの細い躰を他の男が抱き、愛することになるのだ。


 それを思うと、土方は狂おしいほどの焦燥を覚えずにいられなかった。
 本当は手放したくなかった。
 あの時も、追いかけ抱きしめて、おまえは俺のものだ、離さないと叫びたかったのだ。
 だが、それがどうしても出来なかった。
 総司を狂おしいほど想うだけに、大切に思っているだけに。
 土方は総司を想うあまり、手を出すことが出来なかった。結局、あんな形で交わる事になったが、それでも、総司の恐れ、嫌悪を思うと、欲情を押し殺す他なかったのだ。
 その上、総司とのことは秘め事だった。娘ではない以上、妻にすることは出来ない。だが、それ以上に、総司を公に念者として愛することが出来なかったのだ。
 秘め事ばかりだった。
 何もかも隠しあい、嘘をつき、それでも傍に居続けるような歪んだ関係が、長く続くはずもなかった。とうとう総司はその欺瞞ぶりに嫌気がさし、逃げだしてしまったのだ。
 だが、その総司は今、斉藤のものになろうとしている。
 あれほど強引な斉藤だ。きっと総司を己の念弟にしてしまうだろう。
 そして、土方ができなかった形で、愛していくに違いない。


「……総司……総司……っ」
 土方は愛しい恋人の名を呼び、両手で顔をおおった。
 嫉妬と怒りで頭がおかしくなりそうだった。いっそ気が狂ってしまった方が楽だとさえ思う。
 そうなれば、理性も建前も捨て、愛する総司だけを求めることが出来るだろうに。
「俺は……どうすればいいんだ」
 低い呻きが、男の唇からもれた。












 総司は縁側に出ると、小さくため息をついた。
 もう春だ。
 西本願寺へ移ってから、ひと月がたっていた。あの賑やかだった壬生とくらべ、ここは静かだ。離れである部屋をもらったため、尚更だろうと思うが、淋しさは否めない。
 だが、自分自身が望んだことだった。


 土方と逢うのが辛かった。
 少しでも彼から離れてしまいたかったのだ。
 むろん……今でも愛している。
 心から好きで好きでたまらない。
 だが、それでも、自分から別れを告げた以上、縋ることなど出来ず、話しかけることも出来ないのだ。ならば、彼の前から姿を出来るだけ消す他なかった。
 彼自身も安堵しているだろう。ようやくつきあいをやめる事が出来て、尚且つ、公でも滅多に逢うことがなくなった存在に。
 それとも、優しい彼のことだ。少しは心配してくれているだろうか。
 こんな身勝手な自分につきあい、愛しているなんて囁いてくれた彼。
 あまつさえ、抱いてまでくれたのだ。
 一度きりの、それも名さえ告げぬ行為だったが、それでも総司にとって大切な夜だった。
 甘い夢のような一時だったのだ……。


 ぼんやり中庭を眺めていると、斉藤がやってくるのが見えた。
 それに、小さく笑いかける。
「菓子を買ってきた。一緒に食べよう」
 そう云って、斉藤は縁側に腰をおろした。それに並ぶようにして、総司も坐る。


 最近、斉藤はこうやって総司のもとをよく訪れてくれていた。
 むろん、総司も稽古や巡察などで屯所の中で忙しく働いているが、それ以外は、どうしても部屋にこもりがちだった。
 以前のように土方が誘ってくれる事もないため、つい外出も物憂くなっている。
 そんな総司を心配して、斉藤が訪れていることを、よくわかっていた。


「斉藤さん、ありがとう」
 小さな声で云った総司に、斉藤は「え?」という顔になった。それに、言葉をつづける。
「私を心配して、こうして声をかけてくれるのでしょう? 本当に嬉しいと思っているのです」
「……礼を云われるような事じゃない」
 斉藤は照れたように顔をそむけた。その照れた様子がおかしくて、思わず笑い声をたてる。
 すると、斉藤は安堵したような表情になった。
「やっと笑った」
「え?」
「最近、全然笑わないから心配していたんだ。おまえはやっぱり笑った方がいい」
「何です、それ」
 総司はもう一度笑い、目を伏せた。


 そんなに笑っていないのだろうかと、ふと思う。
 だが、斉藤の言葉どおりかもしれなかった。
 自分は土方と別れてから、笑うことさえ忘れていたのだ。
 幸せだ、楽しい、嬉しいと思う瞬間さえなかった。
 否、その感情さえ自分の中から消えてしまった気がした。
 だが、それはごくごく当然のことだった。
 総司にとって、土方は自分の命そのものだった、生きているすべてだった。
 彼がいてくれるから、幸せなのだ。嬉しいのだ。
 なのに、その彼と別れてしまって、どこに幸せがあると云うのだろう。
 そんなもの……あるはずがなかった。


 黙り込んでしまった総司を、斉藤は鳶色の瞳で見つめた。
 それから、いきなり口火を切った。
「この間、土方さんと話したよ」
「――」
 びくりと総司の肩が震えた。それに気づかぬふりで、言葉をつづけた。
「総司、おまえ……オレとつきあわないか?」
「え」
 総司は驚いて、顔をあげた。
「斉藤……さん?」
「オレの念弟になって欲しいんだ。もちろん、すぐに応じてくれなんて、云わないつもりだ。でも、少し……考えてみてくれないか」
「私が、斉藤さんと……?」
 ぼんやりした口調で呟いた総司は、不意に、手にしていた団子を取り落した。
「あ、あ……すみませんっ」
 慌てて拾い上げる総司は、ひどく取り乱しているようだった。それに、斉藤は手をのばした。柔らかく総司の手を掴む。
 総司が怯えたように目を見開いた。
「あ……」
「ごめん、びっくりさせてしまった」
「……」
「けど、どうしても云いたかったんだ。オレの気持ちを、おまえを大切に思っているという事を」
「私…なんかとつきあったら、斉藤さんが嫌な思いをしますよ」
「嫌な思い? 何で?」
「何でって」
 総司は困ったよにうに笑った。
「だって、私、同性ですよ。病もちだし、全然綺麗じゃないし。斉藤さんだって、いずれ所帯をもつでしょう? その時に、私なんかとつきあっていた事が知れたら、いい縁談も駄目になってしまう」
「そんな関係ないだろう。今、オレは総司と一緒にいたいんだ。先のことなんて関係ない」
「私は……先のことばかり考えてしまいます」
 淋しげな表情で、目をふせた。なめらかな頬に長い睫毛が翳りをおとし、息を呑むほど美しい。
「こんな私なんかといたら、駄目になるとか。いつまでも縛り続けるなんて間違っているとか。終わりが見えているなら、早く自分の手で終わらせてしまった方がいいとか……」
「……それ、土方さんとのことか」
 低い声で訊ねた斉藤に、はっとしたように総司は顔をあげた。だが、すぐに黙ったまま目をそらしてしまう。
 それに、斉藤は言葉をつづけた。
「おまえ、本当は土方さんに気持ちを残しているのだろう。まだ好きなのだろう」
「もう……終わったことです」
「本当に? おまえの中で、本当に終わっているのか?」
 斉藤の問いかけに、総司はきつく唇を噛みしめてしまった。瞳が潤み、今にも泣きだしてしまいそうだ。
 それに、斉藤は嘆息した。
 総司の気持ちは明らかだった。
 今も尚、土方のことが好きなのだ。恋しているのだ。
 断ち切った恋に苦しんでいるのは、総司も、土方も同じようだった。
 この状況で、付け入るように総司を己のものにするなど、斉藤には出来なかった。
 総司が幸せであってほしいのだ。
 たとえ、他の男――よりにもよって、あの憎らしい男と一緒になるとしても、それでも、自分といるより幸せだと云うのなら、仕方のないことだと思った。


(オレって人が良すぎるのかな)


 そんな事を思いながら、斉藤は目を閉じた。












 日々が過ぎていった。
 西本願寺に移り、幹部と隊士たちの境目が大きくなると、隊全体の雰囲気も次第に変わっていった。
 何もかも物事が酷く事務的になり、親密さが失われていったのだ。
 それは、幹部同士の中でも同様だった。
 壬生の屯所の頃はよく顔をあわせた近藤や、土方に、総司も滅多に逢うことがなくなっていた。よく自ら声を掛けてくれる近藤はともかく、土方などは言葉一つかわした事もない。
 たまに廊下ですれ違っても、一瞥さえあたえず立ち去ってゆく男の広い背に、総司はきつく唇を噛みしめた。
 最近、土方が祇園の馴染みの芸妓のもとへよく通っていると、噂に聞いた。
 近々、落籍するつもりらしいという話も。
 それを聞いた時、総司は胸奥を鋭い錐で刺し貫かれたような痛みを覚えた。
 こんな痛みなど覚える資格もないと思ったが、それでも、辛かった。
「莫迦みたい……」
 もう終わったことなのだ。
 少なくとも、彼の中では終わってしまったことなのだろう。
 否、始まってさえいなかったのだから。
 そんな彼が誰かと新しい恋愛に身を投じるのは、ごく当然のことだった。
 それに勝手に嫉妬して、苦しんでいる自分が莫迦みたいだと思った。別れを告げたのは自分の方なのに、彼の噂を耳にするだけで切なくてたまらなくなる。
「私も……終わらせることが出来たらいいのに」
 そうため息をついた総司は、ゆっくりと階段を降りた。
 散策の途中、小さな神社に参っていたのだ。
 下まで降り切り、屯所へ戻ろうかと思った時、遠くを一人の男が歩いていくのが見えた。
 とたん、どきりと心の臓が跳ね上がる。
「土方さん……」
 確かに、彼だった。
 すらりとした長身に濃紺の着物を着流し、刀を斜めざしにして歩いてゆく。
 端正で男の色香を感じさせるその姿に、すれ違う女たちが皆、ふり返っていた。
 だが、それに全く構うことなく、土方はどこか目的があるのか歩いていく。
「……」
 総司は思わず足早に歩きだしていた。



















次、お褥シーンがありますので、苦手な方は避けてやって下さいませね。