総司は小さく息を呑んだ。
 だが、そのまま何も云えないまま、土方だけを見つめている。
 そんな総司の前で、土方は淡々とした口調で言葉をつづけた。
「躰の契りは結ぶつもりはねぇから、安心しろってことだ。おまえだって、そこまで望んじゃいねぇだろう」
「……」
「俺も、おまえが初なことはよくわかっているさ。男どころか女も知らねぇおまえに、無体な事はしねぇよ」
「無体な事……」
 小さく呟いた総司は、のろのろと俯いてしまった。きゅっと唇を噛んで、俯いている。
 それに、土方は云い方を誤ったかと眉を顰めた。


 あまりに総司が不安げに身をすくめるため、思わず云ってしまったのだ。
 むろん、本心ではなかった。
 本当は抱きたくてたまらないのだ。その華奢な躰を組み敷き、獣のように貪りつくしたいと情欲を燻らせている。
 だが、そんな事、云えるはずもなかった。
 彼の言葉どおり、女も知らない総司が、男の情欲と性愛を理解できるはずもないのだ。


「とにかく、この話は終わりだ」
 土方はつとめて声音を明るくした。
「つまらねぇ事を云っちまったな。ほら、食事をつづけよう。この後……」
「土方さん」
 不意に、総司が彼の言葉を遮った。
 それは珍しいことだった。否、初めてと云ってもよい行為だ。
 驚いて見やった土方を、総司は真っ直ぐ見つめた。なめらかな頬に、ぱっと血がのぼっている。
「土方さんは、もし私が望んだら」
「総司?」
「あなたと契りを交わすことを私が望んだら、それに応じてくれるのですか?」
「――」
 土方の目が見開かれた。
 一瞬、何を云われたか、わからなかったのだ。だが、すぐ、彼の端正な顔に、理解と驚きの表情があらわれた。
 愕然とした表情で、見つめている。
 その視線に、総司は耳朶まで熱くなるのを感じた。あらためて、何てことを口に出してしまったのかと、恥ずかしくなる。


 それでも、聞かずにはいられなかったのだ。
 土方が総司を抱いてくれることはないと、よくよくわかっていた。傍にいてくれるだけで僥倖だと、本当に思っている。
 だが、我慢できなかった。
 彼との契りを望んでいる自分に対し、無体なことなどと云われては、どうしても聞かずにいられなかったのだ。


「……俺は」
 やがて、土方が口を開いた。
 喉に絡んだような、掠れた声音だった。
 総司から視線をそらすと、静かに答えた。
「俺は……応じない」
「――」
「おまえを可愛い、大切だと思っているが、傷つけたくないんだ。契りを結ばなくても、愛している。それでいいと、おまえは思わねぇか」
「……」
 土方の言葉に、突然、総司は笑いだしたくなった。
 おかしくておかしくて、たまらなくなったのだ。


 愛しているなんて!


 嘘ばかりだった。偽りばかりの恋なのに。
 総司を憐れんだから、近藤に頼まれたから、仕方なくつきあっているだけの彼。そこに愛などあるはずもないのだ。
 なのに、ないものをあるように見せかけようとし、嘘をつく彼はなんて残酷なのか。否、本当に残酷なのは自分だ。彼をこんな自分に縛りつけ、挙句、抱いてとまで迫っている。
 彼が本当は嫌がっているのを、わかっているくせに。
「ごめんなさい」
 小さな声で、総司は謝った。
 大きな瞳で土方を見つめ、言葉をつづける。
「本当にそうしたいと思ったんじゃなくて、ただ……ふと思いついただけなのです。土方さんの云うとおりです。本当に申し訳ありませんでした」
「総司……」
 土方は安堵したようだった。総司の傍に寄ると、膝をつき、そっと抱きしめてくる。
 優しい声が耳元で囁いた。
「俺はおまえを大切に思っているんだ。決して傷つけたくない」
「はい……」
「愛している、おまえを心から愛しているよ」
 それに何も答えられないまま、総司は固く瞼を閉ざした。












 興味本位なのか。


 まず思ったのは、それだった。
 土方にすれば、そう思わざるを得なかったのだ。
 自分たちはつきあってはいるが、精神的な繋がりは薄い。好きですと云われ、自分も愛していると告げてはいるが、それも言葉だけのやり取りにすぎないのだ。
 総司が病の不安から逃れるため、縋るように土方とつきあっている以上、それはおままごとのような恋愛ごっこで十分だった。躰まで重ねる必要はまったくないのだ。
 なのに、あんな事を口にするとは、自暴自棄にでもなっているのか。


 花のように愛らしく無邪気な総司だが、一番隊組長としては驚くほどの強さ、指揮力を発揮していた。
 もともと利発な性質であり、仕事の手際も、隊士たちを統率する力も見事なものだ。
 だが、一方で、まだ二十歳そこそこの若者だった。初な処もあり、また、ふとした瞬間に脆い面もこぼれる。
 むろん、土方にとっては、そのすべてが愛しさの理由となっていた。総司の強さも、素直さも、脆さも、全部ひっくるめたうえで愛しているのだ。十年近く見守ってきたのだ。今更、総司が何をしようが、どんな無様なところを見せようが、この気持ちは変わらないという絶対の自信がある。
 だが、それでも戸惑うことは多かった。女相手ではない、しかも、九つも年下の可愛い恋人の言動にふり回されてばかりだ。


「ため息ばかりだな」
 不意に横あいから声をかけられた。
 目をあげれば、近藤が訝しげな表情でこちらを見ている。
「……あぁ」
 土方は手にしていた地図を投げ出し、煩わしげに髪をかきあげた。
「わからねぇ事ばかりだからな」
「その地図がか」
「違うさ」
「なら、総司か」
 声の沈んだ近藤に、土方は苦笑した。
「あんたも、とことん心配性だな。総司は大丈夫だ、俺がちゃんと見守っているよ」
「歳」
 懐手をした近藤は、やがて、思い切ったように訊ねた。
「本当のところ、どうなのだ」
「どう、とは」
「総司と上手くいっているのか。最近、見ていると、総司もひどく元気がないが」
「元気がないというより、緊張しっぱなしっだな。俺と一緒にいても他人行儀だし、怯えきっている」
「怯える?」
「まぁ、昔から、あいつはそうだろう。俺が声をかけても近寄っても、いつでも怯えた顔で逃げやがった。それが今も出ているのさ。まったく……何で、俺に好きだと云ったのか、さっぱりわからねぇよ」
「それは好きだからだろう」
「違うね」
 くっくっと喉を鳴らした。
「近藤さん、あんただってわかっているだろう。総司が病への不安から、俺に縋ったんだ。好きだからじゃねぇよ」
「歳、おまえには悪いとわかっている。だが、遊び慣れたおまえだからこそ、頼めるのだ。様子を見て、総司が大丈夫そうになったら、その……」
「別れろってか」
「そうだ。あまりに長くつきあわせるのは、おまえに悪い。おまえの優しさにつけこんだ気がしてな」
「……どっちがつけこんでいるか、わかったものじゃねぇよ」
 低い声で呟かれた言葉は、近藤には届かなかった。「え?」という顔で見上げる近藤に笑いかけると、土方は地図を畳み、立ち上がった。
「まぁ、何とかなるさ。あんたの云うとおり、程ほどにしておく」
「すまんな、歳」
「わかっているって」
 かるく手をあげ、土方は局長室を出た。
 だが、縁側を歩き出したとたん、その端正な顔からは笑みも消え、瞳に昏い光が湛えられた。


(程ほどにしておく、か)


 確かに、遊び慣れた土方ならば、出来ることだろう。うまく総司をあしらい、別れ話へと持っていく事ができるに違いない。
 だが、それを彼自身が望んでいなかった。総司を手放すことなど、まったく望んでいないのだ。それどころか、永遠に手放したくない。もっともっと愛して、身も心も彼のものにしてしまいたい。
 あの日、応じないと答えたが、そんなもの全部、綺麗事だった。あぁして笑いかける土方が、心の中でどんな事を思っていたか知れば、たちまち総司も悲鳴をあげて逃げ出しただろう。


 あの細くてしなやかな躰を、獣が喰らうように貪ってやりたい……。


 何度、夢の中で犯したことか。
 嫌がり泣き叫ぶ総司を犯す淫靡な夢を、幾度も見た。己の猛りで貫き、その細い躰の奥深くに熱をまき散らす瞬間の、気も狂うほどの快感美。
 しかも、土方はその夢に対して、罪悪感など一度も覚えたことがなかった。決して傷つけない、見守りつづけると決めた想いと、夢の中での凌辱は、彼にとって相反するものではなかったのだ。
 愛しているのだ。男がその相手を心から愛する以上、躰の契りを結びたいと思わぬはずがなかった。それはもう、雄の本能のようなものだった。
 むろん、現でそれを実行しようとは思わない。現で総司を傷つけるつもりなど、全くなかった。飢えきった獣のように、あの白い躰を喰らいたいと狂っていたとしても、それでも、土方は一切総司に見せなかったのだ。
 或いは恐ろしかったのかもしれない。
 不意の気まぐれ、あるいは総司の不安により、土方は総司の傍にいることが許された。今まで、どんなにふれたい、愛したいと願っても、叶えられなかったことが叶えられるようになったのだ。愛していると囁くこともできるし、抱きしめ、口づけることもできる。だが、それは一時のものだった。仮り初めの恋なのだ。
 そうである以上、土方が本気で男の情欲を剥きだしにすれば、たちまち、総司は逃げ出してしまう事はわかりきっていた。
 今の関係も何もかも、壊れてしまうだろう。もう二度と、総司の傍に近寄れなくなるに違いない。そんな恐ろしいこと、できるはずもなかった。
 この俺がと自嘲するしかないが、惚れた相手を前にして、一切手を出すこともままならないのだ。


 土方はため息をつき、副長室へ戻った。ところが、途中、斉藤と行きあった。
 顔をあわせたとたん、せきこむように訊ねられる。
「土方さん、総司を知りませんか」
「何だ」
 思わず眉を顰めた。
 斉藤の様子に、異常なものを感じたのだ。
「何かあったのか」
「それが」
 一瞬、躊躇った。だが、斉藤は土方に相談した方がいいと判断したのだろう。口早に話し始めた。
「今日、オレも総司も非番だったので、二人で出かけたのです。寺で市がたっていて、それを冷やかしに行ったのですが、途中はぐれてしまって。慌てて探しても姿がなく、仕方なく屯所に戻ってきたのですが」
「姿がないか」
 土方は低い声で云った。
「子どもじゃねぇんだ。そのうち一人で戻ってくるだろう」
「ですが、おかしいのです」
「何が」
「一番隊は夕刻から巡察です、もう時刻も過ぎてしまっているのです。なのに、総司は帰らない。あの責任感の強い総司が巡察を無断で放り出すなど、ありえない事だと思いませんか」
「……」
 確かに、斉藤の言葉どおりだった。
 総司はとても素直で利発な若者だ。責任感も人一倍強かった。巡察を怠けるなど、ありえるはずもないのだ。
「どこの寺ではぐれた」
 その答えに、眉を顰めた。それ程距離がある訳ではない。なら、とっくの昔に帰ってきて当然だった。
「斉藤」
「はい」
「おまえ、とりあえず総司のかわりに一番隊を率いて巡察に出ろ。隊士たちには総司が体調をくずしたと云っておけ」
「わかりました」
 即座に頷き、身をひるがえした斉藤を見送ることもなく、土方は玄関へむかった。框を降り、草履へ足を突っ込むと、足早に歩き出す。
 隊士たちが驚いたようにふり返っていたが、それを気にもとめなかった。本当は駆け出したい程だった。
 何かあったことは、明らかなのだ。京に来て二年近い年月が流れている。今更、総司が道に迷うはずもなかった。あの責任感の強い総司が怠けるはずもないのだ。
 総司は非番の時、いくら云っても刀をつける事がなかった。重くて辛いからと、懐刀のみで出かけていくのだ。それではまるで娘のようではないかと、一度それとなく注意した事があるが、総司は「申し訳ありません」と目を伏せるばかりだった。
 刀もつけず、袴も履かず、淡い着物を着流した総司は、清楚な美しい少女のようだった。


(嫌な予感がする……)


 思わず走り出した土方の耳もとで、冬の風が鳴った。












 真っ暗だった。
 後ろ手に縛られているのがわかる。その上、目隠しまでされているようだった。
 総司は息をひそめた。
 斉藤と一緒に市へ出かけたのだ。だが、その市であれこれ見るうちに斉藤とはぐれてしまった。困ったなと思ったが、そのうち逢うだろうと思い、市の中を歩いた。
 その途中だったのだ。草履の鼻緒が切れてしまい、仕方なく総司は市から出た。境内の片隅で直そうと思ったのだ。


(そうだ、そこで私は……)


 明らかに娘と間違われていた。
 酔漢に絡まれ、抵抗した処を、鳩尾に拳を叩きこまれたのだ。それで意識を失ってしまい、気がつけば縛られ目隠しまでされているありさまだった。
 無様だと思った。新選組一番隊組長ともあろうものが、なんてざまなのだろう。だが、それは自分に隙があった故だという事もわかっていた。幾度も土方に注意されていたのに、両刀を持たずに出た自分が悪いのだ。
「!」
 不意に腕を掴まれた。それに、びくりとすくみ上る。
 男の酒臭い息に、鳥肌がたった。


















次、お褥シーンがありますので、苦手な方はご注意下さいね。もちろん、土沖です。痛い展開にはなりません。