秘め事にしようと云ったのは、土方だった。
 だが、それは彼自身のためではなかった。総司のためだったのだ。
 総司がこの恋から我に返った時、目が覚めた時、何の支障もないようにするためだった。土方との関係が公になっていなければ、いずれ所帯をもつことも出来るだろう。この愛しい若者に傷一つつけたくなかった。
 それ故、土方は総司を抱いていなかった。
 口づけや抱擁はしたが、抱くことは出来なかったのだ。昨夜のように夜を一緒にすごしたことはあるが、それも、抱きあって眠る程度だ。互いの躰にふれあった事さえなかった。
 むろん、欲情を堪えている。
 ずっと愛してきた存在が腕の中にいるのだ。抱いて、己のものにしてしまいたくなるのは、当然のことだった。
 だが、それだけはどうしても出来なかった。総司に傷一つつけない、穢さないと、己に誓ったのだ。
 体格の差から考えても、総司に大きな負担を強いることになるのは明らかだった。それに、総司もそこまでは望んでいないだろう。初心な総司のことだ、契りの方法さえ知らないかもしれない。


 土方は、真綿でくるむように、総司を愛した。
 ずっと愛してきた総司が、腕の中にいてくれるのだ。それだけでも幸せだと思わなければならなかった。
 だが、ひと月が過ぎた頃、突然、総司の態度が変わった。想いを告げてから、今までの怯えが嘘のように、無邪気で屈託のない笑顔を見せていた総司が、また元へ戻ってしまったのだ。否、元へ戻ったでは語弊があるだろう。
 総司はひどく他人行儀な態度をとるようになり、屈託のない笑顔も見せることがなくなった。いつも土方の様子を伺い、身をすくめている。
 それは土方をひどく苛立たせた。
 一時の人恋しさや衝動から我に返り、別れたいと思ったのなら、引き留めようがなかった。こんな男に愛されるなど屈辱なのだと、おかしいのだと、理解すれば、どうしようもない事なのだ。
 だが、総司は別れたいという訳でもないようだった。可愛いと囁いてやれば頬を染めるし、彼からの誘いも素直に受けてくれる。
 そのくせ、いつも彼の傍で身を固くしているのだ。


(もっとも、今別れを切り出されたら、どうなるか……俺自身、わからねぇけどな)


 自嘲するような思いで、土方は目を細めた。
 総司とつきあうようになって、もう数か月だ。この数か月はまるで夢のようだった。
 ずっと恋い焦がれていた総司を、腕に抱くことができるのだ。口づけることができるのだ。例え、仮初のものであっても、今、彼の腕の中にいてくれる、それだけで夢のように幸せだった。
 土方は溺れこむように、総司を愛し、慈しんだ。
 可愛いとは思っていた。愛しいとも思っていた。
 だが、正直な話、ここまで総司に虜にされているとは、自覚がなかったのだ。己の感情がここまで深く激しいものだと、思いもしなかった。
 愛しくて愛しくて、たまらない。
 いつでも傍に置いておきたいし、手離したくない。彼だけのものとして独占し、愛し、抱きしめていたいのだ。
 まさに、溺愛だった。
 そんな彼が今更、総司を手放すことが出来るのか?
 自信がなかった。当初はかりそめだと、今だけだと思っていたはずなのに、もしも今、総司に別れを告げられたら、おかしくなってしまいそうな気がした。到底、受け入れられないだろうとわかっていた。
 屯所で、公の場で、ふれることが許されない状況にさえ、我慢が出来なくなってきているのだ。
 だからこそ、夜、総司の部屋を訪れずにはいられない。身を重ねることは出来ずとも、その躰を抱きしめて眠ることが、せめてもの救いだった。


(完全に逆転しちまっているよな)


 土方はため息をついた。
 病ゆえに救いを求める総司を、受け入れたつもりが、今や土方の方が総司に救いを求めてしまっているのだ。愛されたいと、心から願っている。
 叶えられるはずもない願いが、胸に痛かった。












「土方さん」
 固い声音で呼びかけられ、ふり返った。
 見れば、斉藤が佇み、鳶色の瞳でじっと見据えている。
 打ち合わせが終わった後だった。副長室へ戻ろうと歩いている最中に、背後から声をかけられたのだ。
「何だ」
「お話があります」
「仕事のことか」
「いえ、個人的なことです」
「個人的なこと? おまえが俺に?」
 訝しく思いつつ、土方は斉藤を副長室へと促した。障子を閉めてから、何事かと問いかける。
 斉藤はまっすぐ土方を見据えた。
「土方さんと総司、どういう関係なのです」
「……関係?」
 思わず眉を顰めた。突然の問いかけに、意図がつかめなかったのだ。
 土方は文机にかるく寄りかかると、淡々とした口調で答えた。
「関係も何も、ただの副長と、一番隊組長の間柄だが」
「では、それだけの関係だと云われるのですね? 総司とは何もないと」
「あぁ」
「そうですか」
 斉藤は一瞬、唇を噛んだ。それから、はっきりとした口調で云いきった。
「オレは総司に懸想しています」
「……」
 思わず目を細めた土方に、斉藤は言葉をつづけた。
「ずっと昔から、初めて逢った頃から、いつかオレのものにしたいと思いつづけてきました。でも、総司の心がオレにない事もわかっていました。だから、オレは諦めようと……」
「斉藤」
 不意に、土方は斉藤の言葉を遮った。
「いったい何が云いたい。総司への想いの告白なら、総司に云えばいいだろう。何故、俺に云う」
「あなたが総司を抱いているのを、見たからです」
「――」
 土方の目が見開かれた。唖然とした顔で、斉藤を見ている。
 だが、やがて、俯くと、さもおかしくて堪らぬというように笑い出した。
「いったい、どこでだ。茶屋か? 料亭か? 俺が総司を抱くなど、ありえるものか」
「抱くと云うと、語弊がありますね。肩を抱いて、親密そうに笑いあっているのを見たのです、この間、南禅寺で」
「……」
 かき消されるように、笑みが消えた。重い沈黙が落ちる。
 しばらく押し黙っていた土方は、やがて、目をあげた。いつもの怜悧な表情で斉藤を見返す。
「人に誤解されるような云い方をするな」
 低い凄みのある声音だった。
「おまえは俺たちを誹謗したいのか。俺が総司の肩を抱いていたから、何だというんだ。隊士同士で肩を抱いたりすることぐらい、よくある事だろうが」
「よくある事ですね。でも、オレから見ると、あなた達は普通の関係ではなかった。隊士同士で肩を抱いても、頬や髪にふれたり、ましてや……口づけたりすることはないでしょう」
「……成程」
 唇を歪めた。
「おまえ、全部見ていた訳か。俺が総司を物陰に連れこむ処も、その後のことも」
「えぇ、見ました。怯えている総司に、あなたが無理やり口づける処を」
「無理やり、ね」
 土方は喉奥で低く嗤った。


 確かに、傍から見れば無理やりだったかもしれない。
 だが、彼の腕の中で、総司は従順だったのだ。
 こんな場所でと恥じらってはいたが、それでも、口づければ夢中になって応えてきた。
 すべて合意の上だったと抗弁する気はないが、それを斉藤などに追及されるのは腹ただしい。


 土方は剣呑な色を湛えた瞳で、斉藤を見据えた。
「邪推するのは、おまえの勝手だろう。だが、それを口外するような事は許さん」
「総司との関係を、認めるわけですか」
「認めるも何も、俺がおまえにそんな義理を果たす理由もねぇだろう。おまえは勝手に総司に横恋慕して、俺にあたっているだけだ」
 侮蔑にみちた口調に、斉藤はかっとなった。だが、土方の言葉にも一理あるのだ。
 先日、二人の姿を見てから、斉藤は嫉妬と怒りに苦しんできた。だが、それも、総司の幸せを願うからこそだった。
 土方と深い関係になった総司が、幸せであるのなら、斉藤も引き下がる他はない。
 だが、土方の腕の中にいる総司は、決して幸せそうではなかった。ここ数か月、総司はいつも淋しげだった。憂い顔で長い睫毛を伏せている様は、まるで雨に打たれる花のようで、その理由が土方との関係にあるのなら、到底許せることではなかった。
「オレは」
 斉藤は己を落ち着かせつつ、云った。
「総司の幸せを願っています。あなたと念兄弟になって、幸せであるのならいい。でも、今、オレが見ている限り、到底そうは見えない」
「斉藤」
 土方は感情を押し殺した低い声音で云った。
「何度も云わせるな。俺がおまえに命じている、口外するなと」
「……」
「他のことは、勝手にすればいい。おまえが総司に横恋慕しようが、幸せを願おうが、おまえの勝手だ。だが、口外することだけは許さん」
「そんなにも秘めておきたい訳ですか。あなたの立場が悪くなるから?」
「どうとても、好きなようにとれ。俺は、おまえが口外さえしなければ、手出しはせん。だが、もしも口外したなら……」
 最後まで云わなかった。
 だが、その先にある言葉を、斉藤は察した。
 口外すれば、始末すると云っているのだ。口を封じると。
 その脅しに屈した訳ではなかった。だが、もともと、口外する気など全くなかったのだ。ただ、総司との関係を確かめたかっただけだった。
 斉藤は黙ったまま目を伏せると、立ち上がった。無言で部屋を出ていく。
 それを見送り、土方は頬杖をついた。


(まさか、斉藤に見られていたとはな)


 隊士の目についてはまずいと、戸外での逢瀬は避けてきた。むろん、総司の部屋に行くことも危険な行為だが、そうでもしなければ、我慢できなかったのだ。
 だが、今後は、もう少し慎重にすべきだろう。戸外での逢瀬も避けなければならない。
 総司を醜聞の道連れにする訳にはいかないのだ。
 例え、事が暴かれても、指弾されるのは己一人で十分だった。総司だけは何があっても守らなければならないのだ。
 むろん、土方自身、矛盾に気がついてはいる。
 総司を醜聞から守るのなら、今すぐ手放せばいいのだ。なのに、今、別れを告げられれば、どうなるかわからないなど、矛盾ばかりだった。
「……」
 土方はため息をつくと、立ち上がった。彼にしては珍しい事だが、気が散ってしまい、仕事が手につかないのだ。むろん、己でもわかっている、斉藤が残していった波紋のせいだった。総司の事になると、からきし駄目になる己を自嘲しつつ、土方は副長室を出た。
 縁側を歩いていくと、総司が一番隊の者たちと一緒に立ち話をしているのに行きあった。むろん、視線一つむけない。
 傍を通りすぎていく土方に、一番隊の者たちは勿論、総司も黙礼しているのがわかったが、声をかけようとは思わなかった。あくまで、公の場では副長として振る舞う他ないのだ。
 背後で響いた甘く澄んだ声に、唇を噛んだ。












 小さな料理屋だった。
 それ程、気を遣うような店ではない。そのくせ、離れのような小部屋も用意されていた。中庭に面したその部屋は清潔で明るい。
 料理もおいしく、さっぱりとした味わいで、尚且つ綺麗な盛り付けが評判だった。
 だからこそ、土方は、幾度もの逢瀬にその店を使ったのだ。
 総司のようなもの馴れぬ若者でも、寛げるだろうと思ったためだった。
「このお店、好きです」
 幾度目かの逢瀬の時、そう云った総司に、土方は思わず口角をあげた。悪戯っぽく笑う。
「なら、おまえは店が好きで、ここに来るのか? それとも、俺に逢うために来るのか?」
「土方さん……」
 困ったように、恥ずかしそうに、目をふせる総司が可愛かった。


 今日も総司は土方の誘いに応じて、この料理屋を訪れていた。
 朝、文を忍ばせた土方に、総司はすぐさまやって来たのだ。
 その気持ちはまったくわからなかった。総司から誘われたことなど、一度もない。
 だが、そのくせ、誘えばすぐさま腕の中に飛び込んでくる総司が、誰よりも可愛かった。身をすくませたり、他人行儀な総司に、苛立ちを覚えもするが、ふとこぼれる愛らしい笑顔を見れば、やはり狂おしいほど可愛くてたまらなくなる。
 百戦錬磨であるはずの彼が、完全に翻弄されていた。どうしようもない程、恋に溺れている。
 それが危険であることは、重々承知だった。
 一時だけの恋だとわかっているはずなのに、決して手を出してはいけない存在だと決めていたはずなのに、逢うたびに、言葉をかわすたびに、虜にされてしまう。
 澄んだ甘い声、花のような笑顔、彼をみつめる大きな瞳。
 口づけると、とけてしまいそうな柔らかい唇。華奢で小柄な躰つき。
 何もかもが、愛しい……。


「おまえは可愛いな」
 そう云って頬にふれると、総司は耳朶まで赤くなった。だが、身は竦ませてしまっている。
 それに気づかぬふりをして、土方は総司を部屋の奥に坐らせた。中庭が綺麗に見える場所だ。もう紅葉は散ってしまっていたが、冬の花である山茶花が甘い香りを放っている。
「いい香りですね」
 総司がほっとしたように云った。
「山茶花って、とても甘い香りがして好きです。白や赤の色も好きだけど」
「そうだな」
 土方は頬杖をつきながら、薄く笑った。
「おまえに似合うかもな。いい香りがして綺麗なところも、よく似ている」
「わ、私は花じゃありませんよ」
「花みたいに可愛いのに?」
 くっくっと笑いながら云った土方の言葉を、総司は戯言だと受け取ったようだった。長い睫毛を伏せ、「可愛くなんか……」と呟いている。
 そこへ仲居が料理を運んできた。総司が好むあっさりした口あたりの料理ばかりだ。それに、総司は安堵したようだった。ほっとしたように箸を手にとっている。
 だが、土方が仲居に「後は自分たちでする。呼ぶまで来るな」と命じているのを見ると、たちまち身をすくませてしまった。彼の方を見た大きな瞳が不安に揺れている。
 思わず苦笑した。
「何もしやしねぇよ」
「私は、別に……」
「そんなに怖がるなよ」
 土方は目を細めた。低い声で云い捨てる。
「俺は、おまえに手を出すつもりはない」
 そう告げたとたん、総司の愛らしい顔がさっと青ざめた。