紅葉が綺麗だった。
色鮮やかな紅葉が南禅寺の黒い門や本堂に映え、息を呑むほど美しい。
「綺麗……」
思わず小さく呟いた総司に、土方が微笑んだ。
「ここの紅葉は有名だからな。おまえもこれが見たくて来たのだろう?」
「え、あ……はい」
違ったが、今更否定するのもおかしくて、総司は頷いた。
紅葉はとても綺麗で、散策に来た甲斐があった。土方が傍にいてくれるのだから、尚更のことだ。
二人で外を歩くのは、初めてのことだった。
秘め事の恋だからか、二人の逢瀬は、屯所内の部屋か、料理屋などに限られていたのだ。
正直な話、総司は初め少し寂しかった。隠れるようにして逢う関係が、許されぬ恋だと云われているような気がしたのだ。
だが、土方の本心を知ってからは、当然のことだと思った。
傍にいてくれるだけでも、僥倖なのだ。その上、道行を望むなど烏滸がましすぎるだろう。
土方の本心を知ってから、総司は出来るだけ土方の気持ちに沿うように心がけた。仕事でも私事でも、彼の意思に従い、抗うことは一切しなかった。
ただでさえ、好きでもない、しかも同性とつきあってくれているのだ。
これ以上、彼に不快な思いをさせたくなかった。
ゆっくりと散策した後、土方は近くの茶店に誘ってくれた。緋毛氈の上に二人ならんで坐り、目の前にある紅葉を眺める。
水際立って男ぶりのいい武士と、玲瓏で愛らしい若侍だ。まるで錦絵から抜け出したような二人の姿に、近くを通る者は皆、驚いたようにふり返った。
だが、それも、総司は土方だけが見られていると思いこんでいる。
悠然と酒を口に運んでいる土方を、総司は見上げた。
「土方さん、あの……」
「何だ」
「お仕事、いいのですか? 今日は……」
「非番だ」
あっさりと答え、土方はかるく肩をすくめた。
「おまえを誘おうと思って部屋に行ってみれば、巡察だったからな。追いかけてきたんだよ」
「え、だって、さっき偶々って……」
「そんなの嘘に決まっているだろう」
悪戯っぽく笑った。
「隊士たちを解散させた時から、ずっと後をつけていたのさ。でなきゃ、あんな都合よく駆け寄れるものか」
「土方さん……」
びっくりして目を丸くする総司に、土方は喉奥で笑った。手をのばし、総司の頬を撫でてくる。
「すげぇ可愛いな。おまえは気持ちがすぐ顔に出るから、飽きねぇよ」
「そ、そうでしょうか」
意外だと思った。かなり気持ちを隠せる方だと自負していたのだ。
だが、もしそうであるのなら、総司が土方の本心を知っていることも、伝わってしまっているのだろうか。
今は大丈夫でも、この先、ばれてしまうのだろうか。
(そうなれば、何もかも終わってしまう……)
思わず、ぶるりと身震いした。
その終わりを思っただけで、指さきまで冷えていく気がしたのだ。
土方が眉を顰めた。
「おい、寒いのか」
「え、いえ」
慌てて首をふったが、土方は自分の羽織を脱ぐと、総司の肩に掛けてくれた。ふわりと彼のぬくもりに包まれる。
一瞬、それに嬉しさがこみあげたが、はっと気づいた。
「い、いいです。こんな、申し訳ないです」
「申し訳ないって……おまえは本当に俺に甘えねぇな。俺とおまえは恋人なんだろう、これぐらい当然のことだ」
「でも」
「……それとも、こんな事をされるのは嫌か」
低められた男の声に、びくりと肩が震えた。
慌てて顔をあげると、土方は目を細めるようにして総司を見つめていた。どこか探るような視線に、息を呑む。
「この道行も、おまえにとって迷惑だったか。俺となんかいても楽しくねぇだろう」
「そん…な……!」
総司は慌てて首をふった。
「迷惑だなんて、そんなこと絶対に思いません。優しくしてもらって、本当に感謝しています」
「感謝、ね」
土方は皮肉気な口調で呟き、薄い笑みをうかべた。手をあげると、煩わしげに黒髪をかきあげる。
「念兄弟の会話とも思えねぇな。他人行儀そのものだ」
「ご、ごめんなさい」
「いちいち謝るな」
思わず声を荒げてから、怯えたように見上げる総司に、唇を噛んだ。はぁっとため息をつくと、片手で顔をおおってしまう。
「……」
総司は男の苛立つ理由がわからず、困惑した。
先ほどまで楽しかったのに、自分が間違った事を云ったため、この人を苛立たせてしまっているのだ。
いやいやつきあってくれている彼に、嫌な思いまでさせてしまう自分が、泣き出したいぐらい情けない。
男の羽織を握りしめたまま俯いていると、やがて、土方が顔をあげた。
少し躊躇ってから、低い声で呼びかけてくる。
「……総司」
「はい」
「すまん」
「え」
驚いて見上げた総司に、土方は言葉をつづけた。
「大人げない態度だったな。本当に、すまん。嫌な思いをさせちまった」
「そんな、土方さんは何もしていません。私が……莫迦なことばかり云うから」
「莫迦な事なんか、云ってねぇよ」
「でも」
総司は懸命に言葉をつづけた。
「私、誰ともつきあった事がなくて、土方さんが初めてで、だから……どうしたらいいのか、わからないのです。どうしたら、土方さんが楽しんでくれるのか、いえ、私といて楽しいはずなんてないですけど……でも、せめて、嫌な思いをされないように出来るのか、全然わからなくて、おかしな事ばかりを云ってしまうのです。私の方こそ、ごめんなさい」
「総司」
土方が困ったように笑った。手をのばすと、総司の髪や首筋にふれてくる。
「おまえは本当に可愛いな」
「え……?」
「俺の方が必死になりすぎなんだな、初心なおまえを引きずり回している気がする。これからは気をつけるよ」
「それは、あの」
総司はさぁと血の気がひく気がした。
「こうやって逢うことを、やめるという事ですか」
「まさか」
土方はくっくっと喉を鳴らした。
「そんな事をしたら、俺の方が我慢できねぇよ。ただでさえ、屯所の公の場でおまえを見るたび、堪えているのに」
「堪えている? 何を?」
「わからねぇならいいさ。とにかく、おまえにあわせるようにしよう。あまり必死になって、逃げられちまったら事だからな」
「……」
そうなのだ。
土方は、総司が隊を抜けた挙句、命を絶つことを恐れているのだ。
近藤のためにも、隊の維持のためにも、一番隊組長の自死などという醜聞沙汰は避けなければならないのだろう。だからこそ、土方は今、総司と念兄弟という偽りの関係を結んでいるのだから。
また俯いてしまった総司を、土方は暗く翳った瞳で見つめた。だが、すぐに柔らかな笑みをうかべると、そっと細い肩を抱きよせてやる。
驚いて顔をあげるところに、耳もとに囁きかけた。
「この後、おまえ……非番だろう?」
「え、……はい」
「なら、俺と一緒に過ごさねぇか」
「……っ」
男の言葉に、息を呑んだ。
公の場での他人行儀さが嘘のように、土方は総司に優しかった。
とろけそうなほど甘く愛してくれるし、口づけも抱擁も、ふんだんに与えてくれる。
愛しているという言葉も、何度ももらった。
むろん、それを本気に受け取るほど、総司は自惚れていなかった。
可哀想だと思い、つきあってくれているだけなのだと、いつも自分に云いきかせている。
「ご迷惑でなければ……」
小さな声で答えた総司に、土方は眉を顰めた。だが、すぐに気をとりなおすと、笑顔で言葉をつづけた。
「なら、決まりだな」
屯所では決して見せない、きれいな笑顔に、総司は思わず見惚れた。ぼうっとしていると、手をさし出される。
「行こうぜ」
優しく誘ってくれる土方に、総司は慌てて頷いた。だが、彼の手はとらぬまま立ち上がる。
それに彼が瞳を翳らせていることに気づかず、歩き出した。
「……」
前を行く細い背に、土方は鋭い瞳をむけた。
想いを告げられた時は、驚いた。
明敏な彼でも、一瞬、言葉がでなかったほどだ。
答えることさえ出来なかった。どう答えればいいのか、わからなかった。
溺れるぐらい、愛していたが故に。
宗次郎として逢った頃から、愛情をもっていた。
決して子供好きではない彼にしては珍しく、宗次郎を本当に可愛いと思ったのだ。
実際、宗次郎は可愛い子供だった。気立てもよく素直で明るく、また大きな瞳や桜んぼのような唇が愛らしい。
試衛館へ行くたび、土方は宗次郎を遠目に眺めた。可愛くてたまらないと思ったが、なかなか近寄ることはできなかった。
宗次郎自身、土方が近づくと怯えるのだ。顔を真っ赤にして俯いてしまい、何を話しかけてもまともに答えが返らない。まるで他の者に対するのとは違う態度に、土方は胸奥を貫かれたような痛みを覚えた。
怖いのかと思った。怯えているのかと。
だが、それでも、可愛い、愛しいと思う感情はとめられなかった。
それがやがて、宗次郎の成長に従い、狂おしいほどの愛への変わっていっても。
京にのぼってから、宗次郎――否、総司は、ますます綺麗になった。
京の水で磨かれたように清楚で愛らしい総司を、土方は相変わらず遠目に眺めていた。
誰よりも深く狂おしく総司を愛していたが、手をだす事など出来るはずもなかった。自分などが手を出していい存在ではないと思っていた。
総司は似合いの娘と所帯をもち、幸せになるべきだと、何度も云いきかせた。自分のような遊びまわった男の毒牙にかけるなど、絶対にあってはならない事だと、よくよくわかっていたのだ。
だが、池田屋で総司が喀血してから、事態は急変した。
総司は労咳にかかっていたのだ。それを聞いた時、土方は目の前が真っ暗になるのを感じた。
代われるものなら代わってやりたかった。己の命を削ってでも、総司に与えてやりたいと切望した。
そんなある日のことだった。
突然、総司が思いつめた表情で彼の部屋を訪れてきたかと思うと、こう切り出したのだ。
「好きです」
と。
信じられない言葉だった。総司が自分に恋してくれているなど、この熱情が報われる日がくるなと、思ってもみなかったのだ。
抱きしめたかった。俺も好きだと囁き、すぐさま愛してやりたかった。
だが、土方は躊躇った。
本当にいいのだろうかと、自問したのだ。
病を得てしまった総司が、人恋しくなり、土方に縋っただけかもしれない。
誰でも、不治の病である労咳だと告げられれば、恐ろしい、不安にもなる。人に縋りたくもなるだろう。
そんな総司の弱みにつけこむようなやり方は、卑怯だと思った。
土方は縋るような瞳で見つめてくる総司に、「少し考えさせてくれ」とだけ答えた。
それに、総司は小さく微笑み、「簡単に答えを頂けるとは思っていません」と云った。
本当は今すぐ抱きしめたかったのを必死に堪える男に気づかぬまま、部屋を出ていったのだ。
悩んだ末に、近藤に相談した。
己の想いは告げぬまま、ただ、総司につきあってくれと云われたことだけを告げたのだ。
近藤は、彼が断われば総司は命を絶つだろうと云った。それに、愕然となったが、一方で、そうかもしれないと心の奥底で思っていた。
彼に断られたから、ではない。
堪えつづけた者が、最後の最後で手をのばし、縋りついたのだ。
それを払いのけられて、平気でいられる者がいるだろうか。
総司がぬくもりを求めただけでもいい。
自分に愛情など持っていなくてもいい。
ただ、縋りつく相手として、自分を選んでくれたことは、嬉しかった。
己の命を削ってでも守りたいと願っている相手だ。総司のためなら、卑怯者にもなれると思った。
だからこそ、土方は総司を受け入れたのだ。
「え……?」
初め、総司は信じられないようだった。
土方が中庭の片隅に連れ出し、「俺もおまえが好きだ、つきあってくれ」と答えた時、総司は大きく目を見開いた。
信じられないという表情で、彼を見上げている。
だが、すぐに、なめらかな頬がぱっと紅潮した。
「本当、に?」
小さな声で訊ねた。
「あの、本当に……いいのですか? 土方さんが私のことを好きだなんて、信じられな……」
「嘘じゃない。俺はずっとおまえを愛してきたんだ」
土方は身をかがめると、濡れたような黒い瞳で総司を見つめた。その細い肩に手をかけ、云いきかせるように囁きかける。
「愛している、総司。俺にはおまえだけだ」
「土方、さん……」
「好きだ。誰よりも好きだ」
「……っ」
総司のきれいな瞳に涙があふれた。驚いてみるうちに、ぽろぽろと涙をこぼして泣きはじめる。
それが可愛くてたまらなかった。
思わず、その細い躰を抱きしめてしまう。
初めて抱きしめた躰は、驚くほど小さくて華奢だった。少し力をこめれば、壊れてしまいそうだ。
土方は、誰よりも大切にしようと思った。命を与えてやる事が出来ないのなら、幸せをあたえてやりたいと心から願った。
今だけでいい。ぬくもりを求めているだけでも構わない。
愛する総司のためなら、何でも出来ると思った。
まさか、その気持ちが彼自身ばかりか、総司をも苦しめる事になるとは考えもせぬまま……。