土方は、鋭い視線を戸口の方へ走らせた。
その視線の厳しさに、総司は身をすくめた。土方が伊庭に対して抱いている感情を、垣間見た気がしたのだ。
だが、それに言及する暇はなかった。すぐ行動しなければならないのだ。
「……」
総司は立ち上がると、素早く襖を閉めた。そうして戸口へと向かう。
からりと戸を開いた総司に、伊庭はほっとしたように微笑った。
「よかった、いねぇのかと思ったぜ」
「伊庭さん……今日は来られないって」
「いや、用事が思ったより早く片付いてさ。これから夕餉でも食べに行かないかい?」
明るい口調で誘ってくれた伊庭を、総司は見上げた。
どうしようと思った。
中には土方がいるのだ。
彼をおいて出かけられるはずがないし、かといって、いつも親切にしてくれる伊庭を断るのも申し訳なかった。
困惑した表情で目を伏せると、伊庭もそれに気がついた。
「? 何かあったのかい」
「あの……」
総司は云いよどんだ。だが、それに、伊庭が言葉をつづける。
「もしかして、体調が悪いのかい? 何だか熱っぽい顔をしているし」
「え、あの……」
「体調が悪いなら、今日は早めに休んだ方がいい。またの機会にするよ」
「でも、せっかく……」
「また明日、来るから。しっかり養生しな」
そう云うと、伊庭は踵を返した。少し歩いてからふり返り、ひらりと手をふってみせる。
それに手をふり返しながら、総司は罪悪感で胸が痛むのを感じた。
伊庭を騙したのだ。
体調が悪いなんて、嘘だった。
熱っぽいように見えるのも、先ほどまで土方と一緒にいたためなのだから。
落ち込みながら家の中に戻ると、土方が襖を開くところだった。視線が絡みあう。
黙ったまま見上げた総司に、土方は唇の片端をあげた。自嘲するように呟く。
「まるで間男みたいだな」
「そん…な」
「実際、そうだろう? 奥に隠れて、伊庭が去るまで息をひそめているなんざ、間男そのものだ」
「ごめんなさい」
総司は思わず謝ってしまった。
なんてことを、自分はしてしまったのか。この人にも不愉快な思いをさせたのだ。
矜持の高い彼のことだ。さぞかし屈辱だったことだろう。
「……」
唇を噛んで俯いていると、土方がくすっと笑った。
驚いて見上げたとたん、柔らかくその躰が引き寄せられる。男の胸もとに抱きよせられ、目を見開いている総司に、土方は笑いながら云った。
「けど、面白かったぜ?」
「土方さん……」
「おまえの間男になれるなんざ、滅多にない経験だからな」
顔をあげて見てみると、確かに、土方は怒っていないようだった。むしろ、楽しげに笑っている。
それに、ほっとした総司は、だが、もう一度「ごめんなさい」と謝った。それから、話を変えるように「夕餉の仕度をしますね」と云う。
だが、土方は首をふった。
「いや……やっぱりやめておくよ。俺が弁当でも買ってこよう」
「え、どうして」
「おまえ、熱っぽいのだろう? 気づかなかった俺も悪いな」
「違うのです」
総司は慌てて否定した。
「熱なんかありません。今日、診察してもらった時も、だいぶ調子がいいと云われましたし」
「けど、目も潤んでいるし、頬も火照っている。熱がある証だろう」
「それは、土方さんといるから」
思わず云ってしまってから、総司は「あ」と口をおさえた。とんでもない事を云ってしまったと、耳朶まで赤くなる。
身を縮めるようにしている総司を、土方は訝しげに見下ろした。
「俺といるから……?」
「……」
黙り込んでいると、突然、細い肩が乱暴に掴まれた。驚いて見上げれば、土方は剣呑な光をうかべた瞳でこちらを見下ろしている。
総司は目を見開いた。
「土方……さん……?」
「俺が怖いのか」
低い声で問いかけられた。
「あんな……殺すなどと云ったから、今でも俺が怖いのか。それで、泣きそうになっているのか」
「な、泣いてなんかいません」
総司は慌てて首をふった。
「泣いてなんかいない……もし泣いているなら、嬉し泣きだもの。土方さんに逢えて、優しくしてもらって、笑いかけてもらって……嬉しくてたまらないから。幸せで幸せで、夢のようだから……っ」
半分涙声になった総司に、土方は息を呑んだ。呆然とした表情で、その言葉を聞いている。
やがて、ゆっくりと細い躰が抱きよせられた。男の腕の中、ぎゅっと抱きしめられる。
「……すまん」
耳もとで、なめらかな低い声が謝った。
「悪い方向に考えてしまって……本当にすまない。身勝手極まりない事を云ったのは俺の方なのにな」
「土方さん……」
総司は手をのばし、彼の胸もとに縋りついた。細い指さきが着物を握りしめる。
それを愛しげに見下ろしながら、土方は優しく髪を撫でた。
「俺は本当に駄目だな。おまえの事になると、頭に血がのぼってまともな判断が出来なくなっちまう」
「土方さんが?」
驚いたように、総司は目を見開いた。それに、土方は笑いながら片手で黒髪をかきあげた。
「あぁ。おまえだって知っているだろ? 俺は本来、気性の激しい方だ」
確かにそうだった。
京にのぼり、新選組副長となってからは冷徹に振る舞ってきたが、その実、土方は燃えあがる焔のような激しさをもっている男だ。
そんな彼の本当の姿を、総司はずっと身近で感じて来たのだ。弟がわりである総司にだけは、見せてくれる彼の真実が、とても嬉しかった。
だからこそ、斉藤が土方の傍につくようになってから、総司は酷い疎外感に襲われたのだ。
思わず口にした。
「斉藤さん……」
「え?」
「斉藤さんは、土方さんにとって、どんな存在ですか?」
「何だ、いきなり」
土方は呆気にとられたようだった。だが、すぐに真剣に答えようと思ったのか、ちょっと困った顔で考える。
「そうだな……背中を預けられる奴、かな」
「信頼しているんですね」
「まぁ、俺と似た処があるから理解しやすいって事もあるが」
「土方さんと斉藤さんが?」
不思議そうな表情になった総司に、土方は肩をすくめた。
「けっこう熱くなる処とか、ある一線を越えたら冷たい処とか……まぁ、色々と、あ、こいつ同じだと思うことがあるんだよ」
「私は……違うのですか?」
そう訊ねた総司を、土方は訝しげに見下ろした。
「違ったら、まずいのか」
「そうじゃないけど……」
「おまえは、俺と全然似てねぇよ。俺よりずっと素直だし、優しいし。それに、そうでなきゃ、好きになったりしねぇさ」
「好き……?」
驚いて呟くと、あっさり答えられた。
「好きだよ、俺はおまえのこと。でなきゃ、追いかけたりするものか」
「……」
黙り込んでしまった総司に、土方は僅かに眉を顰めた。一瞬、その黒い瞳に、苦痛に似た色が湛えられる。
ふっとあらぬ方向を見やり、懐に手を入れながら呟いた。
「心配するな。おまえと伊庭の関係とは、違う」
「――」
ぐさりと胸に突き刺さった。
念兄弟と思われている関係は、やはり、土方にとって忌むべきものなのだ。
彼とは違うのだ。
先ほどの「好き」も、弟への気持ちと変わらぬものだった。
土方にとって、総司はあくまで可愛い弟にすぎないのだから。
「……そろそろ夕餉の仕度をしますね」
総司は小さな声で云うと、土方の横をすり抜けた。必要なものを買ってくるため、家の外に出る。
夕餉の仕度をしているらしい湯気や、甘い匂いが、あちこちから漂ってきた。いつもは嬉しいそれが、不思議と切ない。
あたたかで優しい夕暮の光景の中、総司はそっと唇を噛みしめた。
夕餉を用意した総司に、土方は素直に喜んでくれた。
笑顔で「うまいよ」と云ってくれる男に、思わず頬が綻んでしまう。
昨日まで想像することもできない、光景だった。もう永遠に、彼に逢うことさえ出来ないと思っていたのだ。
なのに、今、彼はここにいてくれる。
一緒にいて笑いかけ、食事を共にしてくれているのだ。
(それだけで十分じゃない。これ以上望んだら、罰があたるよ)
総司は自分に何度も云いきかせつつ、食事をつづけた。
夕餉を終えると、驚いたことに、土方は後片付けを手伝ってくれた。
江戸にいた頃ならともかく、京にのぼってからは身の回りの世話までする小姓がいる副長の身だ。とんでもないと断った総司に、土方は悪戯っぽく笑った。
「一人でぼんやりしていても、退屈だ。手伝わせてくれよ」
「でも」
「二人で一緒にやった方が早いだろ?」
そう云って茶碗を取り上げる土方に、総司は慌てて従った。確かに、彼の言葉どおり、二人でやると早く片付いた。だが、それは土方の帰る時刻が早くなるということなのだ。
総司はその事に気づいたとたん、落ち込んでしまった。
俯いている総司を、土方が訝しげに覗き込んだ。
「? どうかしたのか」
「いえ、何でもありません」
「何でもないって顔か」
笑いながら肩を抱きよせられ、どきりとした。顔を上げれば、濡れたような黒い瞳に見つめられている。
総司は頬がかぁっと火照るのを感じつつ、答えた。
「す、少し……淋しいなと思っただけです」
「淋しい?」
「もうすぐ、土方さんが帰ってしまうから……」
「……」
総司の言葉に、しばらくの間、土方は無言だった。だが、やがて、はぁっとため息をつくと、総司の躰を胸もとに抱きよせる。
「ひ、土方さんっ」
「……たまらねぇよな」
「え?」
「おまえ、それ無意識だろ。尚更始末におけねぇよ」
「始末におけないって、何か私、まずいことを云いましたか?」
「いや、そうではなく……」
云いかけ、土方は総司の髪を撫でながら、呟いた。
「これでもぎりぎり我慢しているんだ。あまり挑発するなという事だ」
「挑発って、私が?」
「そうさ。男を挑発すると、痛いめにあうぞ」
総司は目を見開いた。
云われている言葉の意味が全くわからないのだ。
男を挑発するとは、いったいどういう意味なのか。自分は、ただ素直に気持ちを伝えただけだった。
子どもじみた言葉だという自覚はあったが、それが挑発にあたるなど思ってもみなかった。
「挑発……だなんて」
唇を震わせた。
「私、そんな事していません。全然わからないし」
「そうだな」
ややあって、土方は苦笑した。
「おまえはわからねぇんだよな。自分の言動が引き起こす波紋も何もかも、わかっていねぇ。だから、始末におけねぇんだよ」
「土方さん……怒っているの?」
「怒っている訳ではない。ただ、何というか……空回りしている虚しさを、時々覚える」
呟くような男の言葉の意味を探ろうと、総司は土方の瞳を覗き込んだ。じっと見つめる。
だが、それが土方の忍耐を突き破る誘い水となった。
大きな瞳を潤ませ、なめらかな頬を紅潮させて、彼だけを一心に見上げる総司は、いとけないほど可憐だった。一方で、滴るような艶も秘めている小さな花。簡単に折り取ってしまえるほど弱々しいのに、甘く濃艶な香りが男の心を惹きつける。
清らかで優しく、どこまでも純粋でありながら、ふとした瞬間の艶は零れんばかりだ。
「……総司……っ」
思わずきつく抱きよせていた。驚いたように、総司がびくりと躰を震わせるのを感じたが、もうとまらない。
小さな顎を掴んで仰向かせ、強引に口づけた。
唇が重なった瞬間、総司の指さきが男の着物を掴む。それが拒絶なのか何なのかわからぬまま、土方は無我夢中で口づけた。まるで、初恋に浮かされた少年のように。
「っ…ぁ、……っ」
口づけの合間に、総司がもらす甘い喘ぎが、ますます男を煽っていく。気がつけば、畳の上に引き倒していた。白い頬に、首筋に、胸もとに、口づけの雨を降らせてゆく。
着物を半ば脱がせた状態で、その細い躯のすべてを愛した。指さきまでも愛しかった。桜貝のような爪は艶やかで、男の目を奪う。
不思議なことに、総司は一切抗わなかった。まるで夢に浮かされるように、男の手に従い、躰を開いてゆく。
一瞬、伊庭によって男を教えられた身だ、馴れているのかという悪い考えがよぎったが、すぐさまそれをふり払った。過去は過去なのだ。今、総司を抱いているのが己である以上、他のことはどうでもいい。
だからこそ、総司の躰がまだ男を知らないと気づいた時の喜びは、大きかった。
「……抱かれていなかったのか」
思わず呟いた土方に、総司はふるりと首をふった。
下肢に手をのばし、蕾にふれた時だったのだ。どうしてそんな処をさわるのかと、驚き、嫌がる総司の様子に、真実を知ったのだ。
「どうして……わかるの?」
あどけない子供のように訊ねる総司に、思わず苦笑した。
「わかるさ。おまえ、ここで男と繋がるのだという事も、知らねぇんだろ?」
「え……っ」
総司の目が見開かれた。男の言葉の意味を理解したらしく、怯えたような表情になっている。
それに、土方は眉を顰めた。
「怖いか……? やめておこうか」
「……いや」
短い沈黙の後、もれた小さな声に、唇を噛んだ。
この分では、躰にふれられた事もないらしい。まったくの清らかな躰なのだ。そんな総司に、いきなり強引に男を教え込むことなど、土方には出来なかった。
むろん、総司が欲しい。今も、欲しくて欲しくて気が狂いそうだ。
だが、愛する総司を傷つけることはしたくなかった。殺してやりたいと願うほど執着しているし、独占欲も強い。一方で、総司を傷つけるのは禁忌なのだ。
「……」
土方はゆっくりと身をおこし、総司の上から退こうとした。
その時だった。
総司の手がのばされ、男の肩に縋りついた。
そして、驚いたように目を見開く土方の耳もとで、総司が小さく囁いたのだった。
「……抱いて」
と。
次、お褥シーンがありますので、苦手な方は避けてやって下さいね。