「……あ」
 土方の冷ややかなまなざしに、体が竦んだ。
 慌てて手を放し、俯く。
 なんて事をしてしまったのかと、思った。昔ならともかく、こんな縋るような真似、許されるはずがなかったのに。愚かだと侮蔑されるだけなのに。
「ごめん…なさい……」
 掠れた声で謝った総司の前で、土方が動いた。そのまま出ていくのかと思ったが、突然、腕を掴まれる。
 え? と目を見開いた時には、框から強引に降ろされていた。慌てて下駄に足を入れると、低い声で命じられた。
「来い」
「……っ」
 躊躇いも許さぬ強引な口調だった。だが、今はそれが心地よい。
 総司はこくりと頷き、土方に従った。
 屯所を出てすぐ、土方は総司の腕を掴んでいた手を離した。だが、知らぬうちに消えるのではないかと案じているらしく、前を歩きながら、時折、ふり返ってくる。そのたびに、総司は顔をあげて見つめ返した。
 こんなふうに二人で出かけたのは、いったいいつの事だったか。久しぶりであることは確かだった。


(……土方さん)


 総司は前を行く土方の背を見つめた。


 こうして連れ出してくれたということは、話もしてくれるのだろう。
 それが自分の去就に関することであっても、それでも、彼と一緒にいられることは総司にとって喜びだった。
 ほんの少しでも、傍にいたいのだ。彼の声を聞きたいのだ。


 近くの神社に辿りつくと、土方は日差しが柔らかく注いでいる石段の上に腰を下ろした。人気のない神社だが、穏やかで清々しい雰囲気が心地よい。
 総司は少し躊躇ったが、土方の隣に坐った。
 しばらくの間、二人は黙ったまま、境内の白っぽい地面に木漏れ陽がちらちらと揺れるさまを、眺めていた。やがて、土方が微かにため息をつくと、口火を切る。
「総司」
 呼びかけられ、総司は「はい」と素直に返事をした。それに視線をむけぬまま、土方は云った。
「おまえは……どうしたいんだ」
「……」
「伊庭と行くのか、それとも、隊に残るのか」
 はっきりと問いかけられ、総司は俯いた。ぎゅっと膝上に置いた両手を握りしめる。
「まだ……わかりません」
「決められねぇのか」
「はい。隊を出た方がいいのだと、わかってはいるのです。でも……」
 口ごもり、不意に、総司は顔をあげた。大きな瞳で土方を見つめる。
「土方さんは、どう思いますか?」
「……」
 訝しげに眉を顰めた。それに、総司は言葉をつづけた。
「隊を出た方がいいと、思っていますか? 私は、もう隊には不要だから、病もちの私なんて邪魔だから」
「……おまえ、何を云っているんだ」
 土方の目が見開かれた。唖然とした表情で、総司を見ている。
 それに、はっと我に返った。
「す、すみません。みっともない事を云って、こんな……こと云うつもりじゃなかったのに」
 慌てて謝った総司に、土方は無言だった。それに、言葉をつづけた。
「教えてくれませんか? 土方さんは、私が隊を出た方がいいと思っているのか、そうではないのか。教えてほしいのです」
「……何故、俺の考えなど聞く」
 冷ややかな声音だった。
 見上げると、土方は怜悧な瞳で、総司を見下ろしていた。
「伊庭がいる以上、今更、俺になど聞く必要もないだろう。おまえと念兄が決めることだ、俺に口出しする資格はない」
「でも、土方さんは、私の……」
 云いかけ、総司は口をつぐんだ。


 彼は、自分の何なのか。
 今や兄代わりではない、友人とも云えない。狂ったように恋している男。
 だが、それは片思いなのだ。一縷の望みもない恋だった。
 そうである以上、自分の去就など、彼には何の関係もないのに。


 自分の甘さを指摘された気がした。
 関係のない彼の考えを聞こうとするなど、まだ自惚れていたのか。彼の中に、己が少しでも在ると思い上がっていたのか。
 その甘さを、容赦なく叱責されたとしか思えなかった。
「……ごめんなさい」
 小さな声で謝った。
「土方さんには関係ないのに、ご迷惑をおかけしました。自分で判断して決めます」
「……」
「失礼いたします」
 立ち上がり、その場から去ろうとした。その時だった。
 不意に、後ろから呼びとめられた。
「総司」
 ふり返ると、土方は石段に腰かけたまま、こちらを真っ直ぐ見つめていた。切れの長い目が涼しげで、どきりとする。
「はい」
 と返事した総司に、土方は僅かに躊躇ったようだった。だが、すぐに告げた。
「おまえを隊からは出さない」
「え」
「隊を出ること自体、絶対に許さん。それが俺の考えだ」
「――」
 総司の目が見開かれた。驚きのあまり、声も出ない。
 それに、土方は立ち上がると、歩み寄ってきた。総司の細い肩を掴むと、瞳を覗き込んでくる。
 濡れたような黒い瞳に間近で見つめられ、かぁっと頬が火照った。俯こうとするが、それを土方は許してくれない。
「総司」
「は…い」
「確かに、おまえの考えに口出しする立場に、俺はない。だが、いいか? これだけは覚えておけよ」
 総司の肩を掴む手に、力がこもった。
「たとえ、おまえが隊を出ると決めても、俺はそれを許さん」
「……どう…して……」
 総司は呆然と土方を見上げた。それを、土方は静かに見下ろした。
 細い躰を抱きよせ、その耳もとに唇を寄せる。まるで、睦言を囁くように。
 だが、その内容は残酷なものだった。
「俺の命に反し隊を出れば……この手で殺す」
「――」
「処断されたくなければ、おとなしく隊に留まるんだな」
 そう云い捨てるなり、土方は総司の体を乱暴に突き離した。後ずさり、呆然としている総司に、一瞬、痛みを覚えたような表情になる。
 だが、すぐに踵を返した。着流している着物の裾をひるがえし、歩み去ってゆく。
 遠ざかる男の背を、総司は見つめた。


(……な…に? どういうこと……?)


 彼の言葉の意味が理解できなかった。
 だが、わかるにつれ、体中が震えだす。すうっと指さきまで冷たくなるのを感じた。


 互いの関係が冷え切っている今、土方が私的な感情で、総司を引き留めるはずがなかった。
 ならば、何が理由か。そんなものわかりきっていた。
 隊のためだ。土方にとって隊は何よりも優先すべきものであり、そのためには何を犠牲にすることも厭わぬだろう。
 山南のことで反抗し、副長としての彼を貶めた総司を、容赦なく切り捨てたのが証だった。
 そんな彼が総司を引き留める理由は、ただ一つだ。利用価値がある駒だからこそ、留めようとしたのだ。
 まだ使える駒である総司を、手放す気になれなかったに違いなかった。
 病もちであっても、一番隊組長という駒としては、まだ利用価値があると見定めたのか。


(……ひどい……)


 総司はのろのろと、その場にうずくまった。
 両手で顔をおおう。
 子どものように大声で泣き出してしまいたかった。ずっと、一つのことしか望んでこなかったのに。
 彼だけを見つめ、憧れ、恋して。そうして、いつか愛されたいと願いつづけていた。
 否、弟としてでもよい。もう一度、彼に愛されたかったのだ。
 あの優しい笑顔をむけてほしかった。
 なのに。


「……新選組を出よう」
 掠れた声で呟いた。
 己に云いきかせるように、くり返す。
「新選組を出るんだ……あの人から離れるんだ」
 それしか、己を保つ方法がなかった。あんな酷い事を云われても尚、怖いぐらい愛してしまっている彼の傍から、自分は離れた方がいいのだ。
 たとえ、それが己を破滅へ導く道であったとしても、今の生き地獄よりは余程いい。
 このままでは息ができないのだ。体よりも先に、心が死んでしまいそうなのだ。
「土方さん……」
 救いを求めるように、愛しい男の名を呼んだ。だが、むろん、応えは返らない。
 総司は己の体を両手で抱きしめると、固く瞼を閉ざした。













「……何だって?」
 土方は驚き、顔をあげた。
 局長室だった。打ち合わせのために訪れた土方に、近藤が突然、云い出したのだ。
「総司が隊を出るぞ」
 と。
 土方は形のよい眉を顰めた。
「それは、伊庭が勝手に云っていることだろう」
「いや、違う」
 近藤はゆるく首をふった。
「総司自身が、先ほど云いに来たのだ。隊を出る事にしたと、許可を貰いたいと云ってきた」
「……」
 思わず息を呑んだ。
 総司に隊を出さないと告げたのは、先日のことだった。なのに、その命を無視したのか。殺すと脅しまでかけたのに、それを総司ははねのけ、隊を出ていくことを決意したのだ。 
 鋭い痛みが胸を引き裂いた。


(あいつにとって、俺の言葉など、どうでもよいのか)


 総司の中にある己の存在を、思い知らされた気がした。
 副長として命じても、駄目なのだ。もはや、手の打ちようがなかった。だが、ならば、言葉どおりに殺すのか。この手で処断してしまうのか。
 そんな事が本当に出来るのか、土方自身にもわからなかった。
 衝動的なものであれば、あり得る話だろう。見捨てられる男としての怒りと嫉妬に狂い、手を下す可能性は十分あった。
 だが、前もって決意し、あの美しい生き物を殺すなど、本当にできるのだろうか。


「それで……」
 声が喉に絡んだ。
「あんたはどうしたんだ。許可をしたのか」
 そう訊ねた土方に、しばらくの間、近藤は黙っていた。だが、やがて、重々しく答えた。
「……許可した」
「……」
「なぁ、歳。おまえは、総司をどう思っているのだ」
「どうとは?」
「山南の事以来、おまえたちの関係は拗れてしまった。だが、それ以前は、弟同然に可愛がっていたはずだ」
 近藤は一つ息をつくと、言葉をつづけた。
「おまえにとって、総司は何だ」
「……」
 土方は黙ったまま目を伏せた。そうして、低い声で答えた。
「俺の……想い人だ」
「歳、おまえ……」
 近藤の目が見開かれた。驚いた表情で、土方を見ている。
 その前で、つづけた。
「大切な宝物だ。あいつが子供の頃から、ずっと愛してきた。いつか……俺のものにしたいと願っていた」
「なら、どうしてそうしなかった」
 そう訊ねた近藤に、苦笑した。
「する前に、あの事件が起こった。挙句、伊庭の奴に掻っ攫われちまったのさ」
「伊庭は総司の念兄なのか」
「あんたの方がよく知っているんじゃねぇのか。この間、伊庭がここに来たんだろ?」
「確かに来たが、しかし……」
 近藤は懐手をし、ため息をついた。
「おまえはどうするつもりだ。総司を引き留めなくていいのか」
「引き留めたさ。だが、俺の言葉なんざ、総司が気にするはずもねぇのさ。その証に、あっさり脱退を願い出ている」
「脱退ではないぞ。ただ、外で療養するだけのことだ」
「伊庭のもとでな」
 苦々しい口調で吐き捨てた土方を、近藤は心配そうに眺めた。しばらく黙ってから、問いかけた。
「おまえ、何と云って、総司を引き留めたのだ。己の想いを打ち明けたのか」
「まさか」
 土方は肩をすくめた。
「拒絶されるとわかっていて、想いなど打ち明けられるものか。俺も、そこまで図太くねぇさ」
「なら、何と云ったのだ」
「隊を出るのは許さない。出るのなら、殺すと云った」
「!」
 近藤の目が見開かれた。呆気にとられた表情で、土方を見ている。
 やがて、深々とため息をつき、首をふった。
「おまえ……何をやっているのだ」
「……」
「そんな事を云われて、あの総司が頷くと思うのか。あいつはあぁ見えても、気が強い。逆に反抗心で飛び出すに決まっているだろう」
「俺は本心を云っただけだ」
「なら、殺すのか」
 近藤は痛ましげに、目を細めた。
「おまえ、そんな事が本当に出来るのか。可愛がってきた総司を、その手にかけるなど……」
「わからねぇよ」
 投げ出すように、土方は答えた。何か考えるように視線を投げたが、すぐに微かな笑みを口元にうかべた。
 冷たく歪んだそれに、近藤は眉を顰めた。
「歳、おまえ……何を考えている」
「いや、すげぇ快楽だろうなと思ってさ」
 土方はくっくっと喉を鳴らした。黒い瞳が興奮のためか艶めき、どこか危うい印象を与える。
「あいつをこの手で殺す……そうすれば、総司は俺のものだ。俺だけのものだ、他の誰にもふれさせない。それを思うと、背中がぞくぞくするぐらいの快楽を覚えるよ」
「歳!」
「冗談だ、近藤さん」
 土方は薄く笑いながら、答えた。だが、男の瞳にある色は到底、冗談とは思えない。
 それを、近藤は恐ろしいものでもあるように見た。何かが歪んだ方向へ向かい始めているとしか、考えられなかった……。












 廊下でいきなり腕を掴まれた。
 驚いてふり返れば、斉藤が目をつりあげている。それに、総司は目を見開いた。
「斉藤さん……?」
「話がある。ちょっと来てくれないか」
 有無を云わせぬ感じに、余程のことだと思った。というより、おそらく総司の脱退のことだろう。
 それを予期しながら、総司は斉藤の部屋に入った。逆に、自分から切り出した。
「私が隊を出ることですよね。もう斉藤さんの耳にも届きましたか」
「あたり前だ」
 斉藤は顔をしかめた。
「隊内もひどい騒ぎだ。いくら療養のためと云っても、おまえが隊を出るんだ。騒動になって当然だろう」
「そうですか……。確かに、私はまだ利用価値のある駒なんですね」
 微かに苦笑した総司に、斉藤は眉を顰めた。
「総司? おまえ、何を云っているんだ」
「土方さんに云われたんですよ」
「何を」
「隊を出るのは許さない。出れば、処断すると」
「――」
 斉藤は思わず息を呑んだ。