「伊庭さん」
 総司は明るい笑顔で、男を見上げた。
 江戸にいた頃はさほど仲良くなかったのだが、京にきて再会してからはこうして度々逢っている。だが、偶然逢ったのは初めてのことだった。
 小首をかしげた。
「伊庭さん、この辺りに用事があったのですか?」
「相変わらず鋭いねぇ」
 伊庭は笑った。
 いなせなと云ってもよい伊庭は、見栄えもいい男だ。そのくせ、性格は鷹揚でのんびりし、明日は明日の風が吹くという感じだった。そのおおらかさが、今の総司には心地よい。
 伊庭は総司の細い肩に手をまわし、歩き出しながら云った。
「もちろん、ここで待ち伏せしていたのさ。そろそろ総司が出てこないかなぁと思って、待っていた」
「いつ出てくるかわからないのに、気が長い話ですね」
「可愛い総司のためだからさ」
 快活に笑う伊庭に、総司は小さく笑った。
 もちろん、彼の言葉を真に受けてはいない。自分が可愛いとは到底思えなかったし、それに、伊庭は土方と同様、かなり遊んでいる男なのだ。この京でも、馴染みの女があちこちにいるという話だった。
 総司にとって、伊庭は気のおけない友人だった。年齢も近いためか、それ程気負わなくても話すことができる。
 猫のような性格である総司は、あまり人に懐かない方だった。警戒心が強く、本当に心を許した相手は数えるほどしかいないのだ。そのためか、隊の中で人気者であっても、総司が心を許して話せるのは、土方、斉藤ぐらいだった。だが、今は、その二人とも遠い。土方は総司を切り捨ててしまったし、斉藤も最近は土方の懐刀のような存在になり、どこか総司とは距離を置いている。
 たまらなく淋しかった。
 気儘な猫のような性格だが、いつも一人で戦いつづけるのは、淋しくてたまらないのだ。心のどこかに、ぽっかりと穴が空いたような心地になってしまうのだ。
 そんな総司にとって、最近、再会した伊庭は、隊の外である事もあいまって、気のおけない友人となりつつあった。あちこちに一緒に出掛けたり、ふざけあい、笑いあったり。その姿はまるで仲睦まじい念兄弟のようであり、だからこそ、それを垣間見た隊士たちが噂にもしたのだ。
「甘いものでも食いに行くかい?」
 笑顔で訊ねてくる伊庭に、総司は驚いた。
「え? 伊庭さんって、甘いもの食べられました?」
「いや、食わねぇよ。けど、総司が幸せそうに食べている姿を見られりゃ、それでいいのさ」
「何です、それ」
 くすくすと笑いながら、総司はすぐ近くの店に入った。二人並んで緋毛氈の上に坐る。
 日差しがあたたかく、ぽかぽかと寝入ってしまいそうだった。本当の猫なら、こんな時、躰を丸くして眠ることだろう。実際、総司がふと目をやった先では、野良猫がのんびりと日向ぼっこをしていた。
「いいなぁ……」
 思わず口をついて出た言葉に、伊庭が小首をかしげた。
「何がだい?」
「え、あ……その、猫ですよ」
 総司は頬を染めつつ、指さした。
「猫が羨ましいなぁと思って」
「あんな野良猫より、おまえさんの方がずっと綺麗だし、いいと思うけどね」
「綺麗なんかじゃありませんよ。それに、いいって云うのは、そういう事じゃなくて……のんびりできて、呑気そうでいいなぁと思ったのです」
「……」
 伊庭は黙ったまま、横に坐る総司を見つめた。長い沈黙の後、ゆっくりと問いかける。
「総司、疲れているんじゃねぇのかい?」
「疲れて……?」
 総司は小首をかしげた。それから、小さく笑う。
「そう、かもしれませんね。なんか……最近色々なことがあって、疲れちゃったのかも」
「江戸へは帰らないのかい?」
「隊規が許しませんよ」
「けど、おまえさんは病もあるだろう。近藤さんに頼めば、何とかしてくれるんじゃねぇのかい?」
「そういう特別扱いみたいなのは、嫌なのです」
 凛とした声で答えた。かるく細い眉を顰める。
「病だという事を盾にしたくないし、江戸へも帰りたくありません」
「けど、疲れているんだろ? ずっと走りっぱなしじゃ、倒れちまうぜ」
「そんな……倒れませんよ」
 総司は首をすくめるようにして笑った。にこりと微笑む。
 伊庭の目には、その笑顔が愛らしく、だが、春の光にとけてしまいそうなほど儚げに見えた。
 黙ったまま見つめる伊庭の前で、総司は菓子を口にはこんだ。その後はいつもの元気で明るい総司だったが、伊庭は何事かを考えるように目を細めたのだった。












 翌日のことだった。
 巡察を終えた総司は、固い表情で渡り廊下を歩いていた。
 これから、報告に行かなければならない。いくら私的に言葉を交わさなくなったと云っても、土方は副長だ。公での接触がなくなるはずもなかった。
 複雑な気持ちだった。
 愛しい男に逢えるという気持ちと裏腹に、また冷たい瞳で見られたらと思うと、身が竦んでしまうのだ。
 昔は、こんなふうに思うことなど、全くなかった。むしろ楽しみに思って駆けていき、無邪気にまとわりついていたのだ。
 そんな総司を、土方は優しく受け入れてくれた。時々、叱ったりはしたが、それでも本気で怒ることなど全くなかった。ましてや、冷たく無視されることなど、ありえなかったのだ。
 今になってみれば、どれほど恵まれていたことか。
 あの土方が懐を開き、柔らかく受け入れてくれていたのだ。総司の甘えも、不安も何もかも。それがこの上ない幸せなのだと気づく事もなく、陽だまりの猫のように、無邪気にまどろんでいた自分が懐かしくも、羨ましい。
 あの頃に戻れたらと、何度も思ったのだ。だが、そんな事できるはずもなかった。時は帰らないのだ。
 自惚れて、思い上がって、挙句、土方に侮蔑され切り捨てられてしまった自分を、彼が見向きもしないのは当然のことだった。それが痛いほどわかっていても、こうして彼のもとを訪れるたび、つい期待してしまう。あの頃のように、優しい笑顔をむけてもらえるのではないかと。


(……そんな事あるはずないのに)


 総司は俯き、きゅっと唇を噛んだ。
 長い睫毛を伏せた横顔は、息を呑むほど美しい。指さきでふれれば、ほろほろと零れおちる花のようだった。
 一つため息をついてから、総司は副長室の前で、膝をついた。
「……沖田です。よろしいでしょうか」
「入れ」
 冷たい声が返る。それに、表情を引き締めた。
 障子を静かに開き、部屋に入る。入ってすぐの場所に端坐した総司を、土方はふり返ろうともしなかった。文机の前に坐り、何か書物に筆を走らせている。
 短い沈黙の後、総司は巡察の報告を始めた。時折、土方が鋭い質疑をはさんでくる。それに答えつつ、こちらを決してふり返ってくれない男の背を、総司は一心に見つめた。


(……土方さん)


 今も、好きで好きでたまらなかった。
 こうして冷たくされていても、それでも、その背に抱きついてしまいたいぐらい、好きなのだ。愛しているのだ。
 男の背に抱きつき、縋りついて、いっそ告げてしまいたい。


 愛しています、あなたを。
 土方さん、あなただけを――と。


 だが、そんな想いも、土方にとっては迷惑でしかない事もわかっていた。
 これ以上、侮蔑されたくないのだ。総司にだって、矜持というものがある。
 否、もしかしたら、傷つくのが怖いのかもしれなかった。一番隊組長として戦いつづける総司だが、恋することになると、別なのだ。
 愛する男からの冷笑は、鋭い刃に等しい。
「……以上です」
 報告を終えた総司は、相手がこちらを見ない事を知りつつも頭を下げた。出来るだけ感情のない声で告げて、部屋を辞そうとする。
 その時だった。
「総司」
「――」
 不意に呼びかけられ、息がとまった。
 それは、久しぶりの言葉だった。あの事以来、公の場でしか話さなかったので、土方は「沖田君」としか呼んでいなかったのだ。
 目を見開いてふり返った総司を、いつのまにか、土方がまっすぐ見据えていた。文机にかるく肘をついたまま、切れの長い目で総司を見つめている。
 その黒い瞳に見つめられ、かぁっと頬に血がのぼった。思わず口ごもってしまう。
「な、何でしょうか……」
「少し聞きたい事がある」
「はい」
 返事をしつつ、総司は、一生懸命、自分を落ち着かせようとした。
 期待してはいけないと、何度も己に云い聞かせる。だが、それでも、小さな喜びが胸奥で花開いた。久しぶりに、彼に話しかけてもらうことが出来たのだ。
 それも、「総司」と呼んでもらってのことだ。公の話でない事は確かだった。


(もしかして……仲直りさせてもらえるの?)


 だが、そんな甘い期待は、次の瞬間、男の言葉で砕け散った。
「おまえ、念兄が出来たのか」
「――」
 総司の目が見開かれた。
 まさか、そんな事を聞かれるとは思ってもみなかったのだ。
 呆然としていると、それを肯だと受け取ったのか、土方は形のよい眉を顰めた。
「隊内ではなく、隊外らしいな。隊士相手でない点はいいが、あまり外聞のいい話ではないだろう」
「……」
「個人の嗜好までとかく口出しする気はないが、おまえは一番隊組長だ。立場上、それなりに行動には気をつけろ」
 冷たい声音で云いきってから、土方は「以上だ」と告げた。そのまま、早く出ていけと云わんばかりに背をむけてしまう。
 その広い背を、総司は見つめた。
 あまりの事に頭の中が真っ白だった。
 いったい、何を云われたのかさえ、初めはわからなかった。だが、やがて、理解しはじめたとたん、指さきがすうっと冷たくなった。
 総司も噂は知っていた。自分に念兄弟があると噂になっていることを、知っていたのだ。
 だが、むろん、それは嘘だった。おそらく伊庭と一緒にいる処を見られたのだろうと思ったが、真実でない以上、そのうち消える噂だと放っておいた。
 なのに、今、それをよりによって愛しい男から云われるとは。それも、全く興味などないと云いたげな冷たい口調で。
 総司は絶望感で、目の前が暗くなるような感覚に襲われた。


(この人にとって……私はもう、どうでもいい存在なんだ)


 そういう男だとわかっていた。
 自分を裏切った相手を、いつまでも気にかける男ではないのだ。
 それまでどんなに親しくしていても、裏切りは決して許さなかった。また、侮蔑するような行為をしたなら、容赦なく切り捨てていたのだ。江戸にいた頃も、彼に泣いて縋る女たちを、幾度も見た。それに、土方はぞっとするほど冷たい表情で、突き放していたのだ。
 そして、今、総司は彼女たちと同じように切り捨てられたのだ。
 もはや、彼とは何の関係もない存在なのだ。
 総司が誰と一緒にいようが、どんなふうに感じようが、何をしていようが、土方には何の関係もない。いや、それはむしろ、当然のことだった。
 副長と、隊士。
 それだけの関係なのだから。
「……失礼します」
 掠れた声で、云った。それだけを必死に絞り出し、総司は部屋を出た。震える手で障子を閉め、足早にその場から立ち去る。
 涙がこぼれそうだった。だが、泣くわけにはいかないのだ。
 これ以上、みっともない姿を自分にも晒したくない。惨めになりたくない。
「……っ」
 総司は足早に歩いていきながら、きつく唇を噛みしめた。











「……最低だな」
 土方は低く呟いた。
 総司が出ていった部屋の中だった。文机の上に筆を投げ出し、ため息をつく。


 むろん、最低――とは己のことだ。
 あんなふうに、総司を追及して、いったい何がしたかったのか。
 だが、云わずにはいられなかった。いつもどおり冷たく接してくる総司に、思わず呼びかけていたのだ。そして、ずっと抱いていた嫉妬と怒りを総司にぶつけてしまった。
 挙句が、無視だった。
 総司は返事もせず、ただ「失礼します」とだけ告げ、部屋を出ていってしまったのだ。
 おそらく恋に狂う愚かな男に、呆れはてたのだろう。何を今更口出ししてくるのかと、怒ったのかもしれない。だが、どちらにせよ、云わずにはいられなかった。
 どうしても知りたかったのだ。真実を。


「念兄、か」
 ほろ苦い笑みが口許にうかんだ。
 どれほど、渇望したことか。総司の念兄になりたいと、幾度思ったかわからない。だが、どうしても手を出すことができなかった。
 兄弟以上、恋人未満という生ぬるい状態に甘んじ続け、挙句、他の男に奪われてしまったのだ。とんだお笑い草だった。
 総司は何も答えなかったが、あの様子では事実なのだろう。念兄がいることは間違いない。もし事実無根の噂であるのなら、気が強い総司のことだ、すぐさま否定したに違いなかった。
 そう思ったとたん、胸奥が刺し貫かれたように痛んだ。ぐっと重い鉛を呑みこんだような心地になる。
「……」
 土方は先ほどの、こちらを見ていた総司を思い出した。
 瞳を見開き、彼を見ていた総司。
 それが怒りでも、侮蔑であっても、何であっても。総司と視線をかわすことが出来たのだ。それだけでいいとさえ思ってしまう自分は、なんと惨めなのか。百戦錬磨がきいて呆れる。あんな初心な若者一人に引きずり回され、男としての矜持もずたずたにされてしまっているというのに。
 それでも、愛しているのだ。愛さずにはいられないのだ。
 より愚かな行動に走ってしまうほど。
「……確かめるか」
 土方は呟き、ゆっくりと目を細めた。
 総司の相手がどんな男なのか、確かめてみるのだ。そして。
「どうするんだろうな……」
 苦笑した。
 確かめた後、どうするつもりなのか、まったくわからなかった。
 わかりたくもなかった。













「総司」
 声をかけられ、ふり返った。
 そこに立つ友人の姿に、複雑な表情をうかべる。
「斉藤さん……」
 小さく呟いた総司に、斉藤は歩み寄ってきた。それに俯く。
 斉藤は、今や、総司よりも土方側の男だった。確かに友人ではあるが、総司に代わり土方の腹心となった男に、複雑な思いを抱いている。当然ながら、その中には激しい嫉妬もあった。


(なんて我儘なのだろう、私は)


 彼にふれる者、彼の傍にいる者。そのすべてに嫉妬してしまうのだ。
 激しい独占欲に、何度叫びそうになったことか。


 さわらないで、私の土方さんにふれないで……! と。


 だが、そんなこと云えるはずもなかった。
 江戸の頃からずっと堪え、見つめつづけてきたのだ。より強くなる気持ちを抱きながら。
「何かあったのか」
 訊ねてくる斉藤に、総司は目を伏せた。
「どうして、ですか」
「顔色が悪いし、その……今にも泣きそうだ」
「……」
 思わず小さく笑ってしまった。
 そんなにも、自分はわかりやすいのか。感情を読みとられてしまうのか。
 なら、あの人にも伝わってしまっただろう。情けなくも取り乱し、泣きそうになっていた事が。
 押し黙ったままでいると、斉藤が微かにため息をついた。それから、低い声で云った。
「総司……オレのことを憎んでいるか」
「斉藤さん」
「おまえが土方さんと仲たがいした後、オレは確かにあの人の傍につくようになった。けど、こんな事……今更だと思われるかもしれないが、オレは今もおまえの友人なんだ。そのつもりでいるんだ」
「……」
 総司は黙ったまま目をあげ、斉藤を見つめた。大きな瞳に見つめられ、斉藤は柄にもなくどきりとしてしまった。
「斉藤さんは今も、私の……友人?」
「もちろんだ」
「じゃあ、私から聞いたことを、土方さんに云ったりしない? 裏切らない?」
「オレはおまえの味方だよ」
 強く言い切った。
「裏切ったりするものか。オレは、おまえの幸せを願っているんだ。おまえには……笑顔でいて欲しいんだ」
「ありがとう、斉藤さん」
 少し黙ってから、総司はぽつりと言った。
「さっき、土方さんと逢ってきたのです」
 小さな声で、総司は話し始めた。
「巡察の報告だったんだけど、その時、久しぶりに呼び止められて、聞かれたのです」
「何を」
「念兄がいるのかって」
「――」
 斉藤は絶句した。呆れかえって、ものも云えなかったのだ。


 むろん、斉藤も知っている。総司に念兄がいるという噂は、隊中でもちきりだったのだ。それに土方が苛立っていることもわかっていた。
 だが、まさか、いくらなんでも、総司に真っ向から聞くとは考えてもいなかったのだ。
 もともと、土方は策士だ。人一倍、頭も切れる男だ。交渉術や人から話をひき出すなど、お手の物であるはずだった。なのに、そんな訊ね方をするなど、どうかしているとしか思えなかった。
 いや、それとも、余程追い詰められているのか。


 そんなことを考える斉藤の前で、総司は言葉をつづけた。
「私は何も云えなかったんですけど、土方さんは、どうでもいいことのようでした。関心がないって態度でしたし」
「関心がないって……他に何も云われなかったのか」
「外聞が悪い、一番隊組長らしく行動に気をつけろとだけ云われました」
「成程……」
 斉藤は低く唸った。
 土方にすれば、そう云う他なかったのだろう。あれだけ矜持の高い男だ、まさか嫉妬むき出しで責めるわけにも、怒る訳にもいかず、ただ釘を刺すだけにとどめたのか。
 斉藤は黙ったまま、総司を見つめた。
 本当に、総司に念兄がいるのかどうかは、わからない。隊中の噂になっていることは確かなのだ。男と抱き合っている姿を見たという噂さえあった。
 だが、相手がわからないのだ。身形のいい武士だという事だけは、まことしやかに囁かれており、それがまた心配だった。もしも新選組と敵対する男であれば、とんでもない事になるのだ。あの土方が総司を処断するとは思えなかったが、それでも、騒動がまきおこるのは必定だろう。
「……」
 揺さぶってでも聞き出したい気持ちをおさえつつ、きつく両手を握りしめた。












 伊庭とは三日をあけずに逢っていた。
 最近、非番の時は必ず逢瀬を重ねている。
 まるで恋人同士のような関係だったが、総司はむろん、思っていなかったのだ。土方に指摘されるまでは。
 云われてみれば、確かにそうだと思った。噂になっても当然なのだ。
 だが、総司は伊庭をそんなふうに考えることなど出来なかった。


(私が、土方さん以外の人を想う日なんてくるの……?)


 とても信じられなかった。
 今でも、彼を想うと、息ができなくなるのだ。愛しているのだ。好きで好きでたまらない。
 正直な話、自分の想いがここまで強いものだと、わかっていなかった。毎日、土方の傍で当然のように過ごせていたあの頃は、ただ恋しているという気持ちだけだったのだ。
 だが、今、彼から捨てられたとたん、狂おしいほどの想いがこみあげた。独占欲と執着と、愛しさと切なさ、その何もかもが総司の中で渦巻き、激しい情愛となる。
 彼しか欲しくなかった。彼が傍にいて、笑いかけてくれることだけが、たった一つの願いなのだ。
 昔は、当然のようにあたえられていた優しい声、笑顔。それらが狂いそうなほど、欲しかった。もう一度でいいから、自分にあたえて欲しいと心から渇望した。
 むろん、土方にすれば迷惑な話だろう。不快げに眉を顰め、顔を背ける男の姿が目にうかぶようだった。日々、冷たく無視されつづけているのだ。総司も、わかっている。嫌われているのだと、否、それどころか、関心さえ持たれない存在に成り下がってしまったのだと。
 それでも、総司の想いは変わらなかった。好きだという気持ちを、変えることが出来なかったのだ。
 ただ、総司とても強い人間ではない。剣術では誰にも負けない自信があるが、その心はまだまだ幼く柔らかで脆かった。
 花街の女や酒などに逃げる者もいるだろう。だが、それも総司の選択の中にはなかった。酒は嫌いだったし、花街の女も、土方がさんざん遊んでいる姿を見てきたため、いい感情がない。
 そして、総司は、そのぬくもりを、伊庭に求めたのだ。まるで、巣穴に逃げ込む小動物のように。
 伊庭を尊敬していたし、好意も持っている。
 だが、そこに恋はなかった。総司は、友人として伊庭を頼り、心を寄せていたのだ。
 伊庭の想いが全く真逆であることなど、知る由もないままに。