「……後悔している、だと?」
 押し殺した低い声が問いかけた。
 感情が抑えられた声音だ。だが、それだけに男の奥にある怒りと屈辱を強く感じさせる。
「……っ」
 総司はきつく唇を噛みしめた。


 後悔している事は、確かだった。
 土方は将来がある身だ。新選組副長だ。
 彼が歩んでいく道を邪魔することだけは、決してしたくなかった。


「そうです……」
 掠れた声で答えた。
 少し躊躇ったが、それでも言葉をつづけた。
「私は、あなたと契りを結んだ事を後悔しています」
「……」
 土方はゆっくりと目を細めた。その黒い瞳が、まるで獲物を狙う獰猛な獣のようだ。
 今にも掴みかかられそうな気がした。同性だが、総司はまるで少女のような華奢な肢体であるのに対し、土方は逞しい男の体躯をもっている。何をされても抗えるはずがなかった。
 思わず怯えた表情で、彼を見上げた。
 その表情に、土方は、ゆっくりと唇の端をつりあげた。
「……俺が怖いのか」
「……」
「あんな事をした俺を、恐れているのか」
「……あんな事って、契りのことですか」
「そうだ」
「怖くなんか、恐れてなんかいません」
 ふるりと首をふった。そして、土方の端正な顔を見上げ、言葉をつづけた。
「あの契りは私自身も望んだことです。だから、あなたを怖がったり、恐れたりすることはありえません」
「なら、何故そんな怯えた顔をしやがる」
「それは……あなたが怒っているから」
 小さな声で答えた総司に、土方は片頬を歪めた。
「おまえが俺を怒らせるような事を、云うからだろう」
「……」
「おまえは俺に抱かれたことを、後悔していると云った。それはどういう意味だ。あんな事をしなければよかったと、本気で思っているのか」
「……」
 問いを重ねる土方に、総司は何も答えなかった。長い睫毛を伏せ、唇を噛みしめている。
 その可憐で愛らしい様子に、土方は突きあげるような愛しさと憎らしさを感じた。


 いったい何を考えているのか、まるでわからないのだ。
 今更後悔していると云うのなら、何故、彼に応じたのか。
 求めてきた彼に恥をかかせないためか、憐れみでも覚えたのか。


(いや、まさか……)


 ある事に思い当たり、土方は息を呑んだ。


 総司は、彼の想いを知っているのかもしれなかった。
 彼が総司を愛していることを、それこそ気も狂いそうなほど恋い焦がれていることを、本当は知っているのではないか。
 もし、そうであるのなら、屈辱だった。
 総司は同情で彼に抱かれたのだ。挙句、こうして、隊に戻ってくれと懇願する彼を拒絶しているのだ。
 ただ一度抱かれたぐらいで本気になられては困ると、思っているのか。


 土方はきつく奥歯を噛みしめた。
 ここで声を荒げることも、怒りをぶつけることもしたくなかった。もともと矜持の高い男だ。いくら恋人の前であれ、そんな醜態をさらしたいと思わなかった。
 代わりに左手を爪がくいこむほど握りしめた。もう片方の右手で脇に置いていた両刀を掴む。
 男の立ち上がる気配に、総司がはっとして顔をあげた。大きな瞳が不安に揺れている。
「……土方さん」
「帰る」
「あ、あの……」
「これ以上、話しかけるな。己を抑えきれなくなる」
 顔を背けつつ冷たく命じた土方に、総司の目が見開かれた。それを感じながら、土方は視線をおとした。
 低い声で呟くように云った。
「おまえは……俺を憐れんだのか」
「え」
 一瞬、何を云われたかわからなかった。呆然と、総司は土方を見つめた。
 桜色の唇で、小さく呟く。
「憐れ、む……?」
「もしそうなら、やってられねぇよな」
 自嘲するように低く嗤い、土方は踵を返した。そのまま家を出ていってしまう。
 彼が後ろ手に閉めた戸を、総司は立ち尽くしたまま見つめた。
「何? どういう事……?」
 まったく意味がわからなかった。


 自分はただ、彼に後悔していると告げただけだった。
 伊庭から土方の縁談の話を聞かされたとたん、気づいたのだ。自分の立場、存在の問題を。
 江戸の頃とは完全に違っていた。
 土方も今や新選組副長なのだ。京でも指折りの名士の一人になるのだ。ふるように縁談があることも聞いていたし、佐藤家からも煩く云ってきていると土方自身、苦笑していた。
 そんな彼が自分のような者を念弟とできるはずがなかった。たちまち醜聞沙汰になってしまうだろう。
 否、たとえ彼にその気がなくて念兄弟とならなくても、体を重ねてしまったのだ。いつかそれは外へ漏れるかもしれない。となれば、同じことだった。
 愛する男の邪魔にだけはなりたくなかった。
 だが、総司にとって、あの夜が夢のような一夜であることは確かだったのだ。恋しくて恋しくてたまらなかった人に抱かれたのだ。
 あの夜の記憶さえあれば、生きてゆけると思ったほどだった。
 なのに。


「どうして、憐れみになるの?」


 それも自分が憐れみで抱いてもらったのならともかく、その逆とは、まったくありえない話ではないか。いったい何故、彼はそんな事を思ったのだろう。
 自分が彼を憐れむなど、天地がひっくり返ってもありえないのに。
 ずっと憧れ、恋こがれてきたのだ。
 総司にとって、土方は優しい兄がわりでありながら、いつまでたっても追いつけない憧れの存在だった。男の強靭さや決断力、胆力に驚嘆、尊敬をする事はあっても、憐れむなどありえる話ではない。
 彼自身、そんなこと決して許さないだろう。あの矜持の高い彼が、人から憐れまれるなど我慢できるはずもない。


「……土方さん……」
 どうすればいいかわからなかった。
 総司はその場に坐りこむと、きつく唇を噛みしめた。












 間の悪い事は重なるものだ。
 土方が伊庭と行きあったのは、その翌日の事だった。
 たまたま黒谷屋敷で逢う事になってしまったのだ。廊下を歩いてくる土方に気づくと、伊庭は渋面をつくったが、当然、土方の方も同じくだった。
 無言のまま、冷ややかな視線を伊庭に向ける。
 それに対して、伊庭は年下である事からも言葉を投げかけた。
「先日、総司の家に来たそうだね」
 喧嘩を売っているとしか思えぬ口調だったが、それに、土方は感情のない声音で答えた。
「あぁ」
「それで? これからどうするつもりなんだい。総司を念兄弟にするのかい」
「おまえには関係ない事だ」
 冷たく澄んだ黒い瞳が、伊庭をまっすぐ見据えた。
「伊庭、おまえは俺を欺いただろう」
「何のことだい」
「総司と念兄弟だと告げたことだ。あれは偽りではないのか」
「そうだよ」
 あっさりと伊庭は認めた。薄く笑ってみせる。
「今頃気づいたのかい。土方さん、あんたがあんまり身勝手だからね、総司を頂いちまおうと思ったのさ」
「俺が身勝手?」
 訝しげに眉を顰めた土方を、伊庭はきつい表情で見返した。
「まるでわかっちゃいねぇって顔だね。あれだけ総司を苦しめ、泣かせておいて呆れる話さ」
「……」
「あんた、総司を手放しただろう。山南さんの事件の後、あいつを邪険にし、切り捨てた。その仕打ちに総司がどれだけ傷ついていたか、あんた、考えた事があるのかい。あんたは総司ではなく、斉藤を傍に置いた。右腕として用い、今まで大切にしていたはずの総司に声もかけなくなった。総司はずっと苦しんでいたよ、あんたからの冷たい仕打ちに苦しみ、傷ついていた。だから、おれはあいつを隊から連れ出したのさ。念兄弟だと偽りを告げてまで」
「――」
 土方は虚を突かれたようだった。呆然とした表情で、伊庭を見ている。
 それに、伊庭は怒りと憎しみにみちた目をむけた。
「今更、あいつを取り戻そうって訳かい。そうは問屋が卸さねぇよ。総司は二度と返さねぇ」
 きっぱり云いきった伊庭は、さっさとすれ違おうとした。これ以上、土方を見ていると、刀に手をかけてしまいそうな気がしたのだ。
 だが、土方はその腕を掴んでふり返らせた。切れの長い目でまっすぐ見据える。
 形のよい唇の端をつりあげると、傲慢に云い放った。
「総司は、俺のものだ」
「! あんた、何を身勝手な」
「あぁ、俺は身勝手極まりねぇ男さ」
 嘲るように、喉奥で低く嗤った。この男の内面をうかがわせる酷薄で冷たい声音だ。
「おまえも云ったじゃねぇか。身勝手な男だと。そうさ、俺は身勝手で最低の男だよ。だからこそ、欲しいものは絶対に手に入れる……総司は二度と逃がさねぇ」
「……」
 伊庭の目が見開かれた。ようやく気付いたのだ。
 諦めさせるつもりが、逆に、この男の中で燻っていた激情に火をつけてしまった事を。
 おそらく、土方にとって、もはや伊庭はもちろん、総司自身の意思や想いも関係ないのだろう。手段も選ばない。どんな残酷な結果になったとしても、総司を手にいれるに違いなかった。
 叶う相手ではなかった。土方が総司を愛している事はわかっていた。
 だが、ここまで狂ったように、己の矜持も立場も捨て去るほど愛しているとは、思っていなかったのだ。
「……」
 呆然としている伊庭に、土方はゆっくりと微笑ってみせた。
 きれいな、だが、ぞっとするほど冷たい笑みだ。
 深く澄んだ黒い瞳が、何を思ったか愉悦の色をうかべる。獰猛な獣が狩りの前に身じろぐ様を見るようだった。
 立ち尽くす伊庭の腕を離し、土方は踵を返した。このまま黒谷屋敷から総司の家へ向かうのかもしれない。
 だが、それをとめる事もできなかった。
 やがて、伊庭の視界から、男の広い背が消えた。












「土方さん?」
 突然、家を訪れてきた男に、総司は目を見開いた。
 昨日この家を出ていったはずの男だった。総司が彼を憐れんでいるという誤解をし、あきれ果てたはずなのだ。
 なのに、どうして突然、訪れてきたのかわからなかった。
 土方は酷く冷たい表情をしていた。そのくせ、黒い瞳だけが熱く濡れている。まるで獲物を狩る快楽に酔いしれる獰猛な獣のような瞳だった。
「……っ」
 総司はある予感を覚えた。男の気配に、危険を感じ取ったのだ。
 反射的に身をひるがえすと、框を駆けあがった。奥の部屋へ逃げ込もうとする。
 それを男は悠然と追いかけた。襖を閉めようとした総司の手を掴み、引きずりだす。
「いや……っ」
 叫んだ総司に、土方は構わなかった。両手を掴んで引きずりだすと、鋭い瞳を総司にあてる。
 唇の端をつりあげ、問いかけた。
「……いやとは、俺と逢うことか」
「土方さん」
「だが、もうおまえの意思は関係ねぇよ」
 土方は顔を近づけ、低い声で囁きかけた。
「総司、おまえを俺のものにする」
「! 私はものじゃない……!」
 気が強い総司は、反射的に云い返した。
 もともと気が強い猫のような性格だ。
 いくら土方を愛していても、自分の意思を完全に無視されるのは我慢できなかった。総司も土方に負けず劣らず矜持が高いのだ。
 きつい瞳で男を見返した。
「私は誰のものにもなりません」
「……」
「ましてや……土方さん、あなたのものにだけはならない」
 きっぱり云いきった総司に、土方の顔が歪んだ。まるで胸を刃で刺し貫かれたような表情だった。
 若者の手を掴む手に力がこもった。
「……それ程までに、俺が嫌か」
 形のよい唇から、低い声がもれた。
「俺が嫌だから、後悔していると云ったのか」
「違います」
 総司は激しく首をふった。
「あなたを嫌だなんて思った事はない。でも、私はあなたのものになる訳にはいかないの。許されないのです」
「それは……伊庭のためか」
「……」
 答えは返らなかった。
 だが、もはや、土方は己の意思を変えるつもりはなかった。
 総司が嫌がろうが拒もうが、己のものだけにするつもりなのだ。二度と他の誰にも奪われる気はなかった。
 土方は総司の手を掴んだまま引き寄せると、その細い躰を両腕で抱きしめた。はっと息を呑んで抗おうとする総司の項を掴んで仰向かせ、激しく唇を重ねる。
「……っ、ん…ゃッ…ぁ」
 小さな拳が必死に彼の肩や胸もとを叩いたが、それでも土方は総司を離そうとしなかった。離すどころか口づけを何度もあたえながら、両腕に抱きあげる。
 奥の部屋へ入る男の行動に、総司の目が見開かれた。
 この後、何をされるのかわかりきっていた。
 また彼に抱かれてしまうのだ。前は喜んで躰を開いたが、今度は拒まなければならなかった。
 いくら愛しい男であっても――否、その彼を愛しているからこそ、二度目を許す訳にはいかないのだ。
「いやあ!」
 畳の上に降ろされたとたん、総司は狂ったように暴れ出した。必死に男の躰の下から逃げ出そうとする。
 だが、それは土方に予測されていたようだった。すばやく華奢な若者の躰を組み敷く。
 細い手首を楽々と片手で一纏めに掴み、頭上で抑え込んだ。
 そして、薄く嗤ってみせた。
「絶対に……逃がさねぇよ」
 総司の目が大きく見開かれた。



















次、ちょっと無理やり的なお褥シーンがありますので、苦手な方は避けてやって下さいね。