その日、土方は朝から蔵に入っていた。
 武具の装備を確かめていたのだ。こんな事まで副長たる彼が行う事ではないが、たまに気が向いた時になど蔵へ入っている。
 半ば、己自身の息抜きのようなものでもあった。
 ここにいれば一人でいられるし、何よりも、しんと静まりかえった薄闇の空気が心地よい。
 西本願寺へ移転した時、この蔵も借り受けたのだが、前は仏具で溢れかえっていたそこは、今や武具で埋め尽くされていた。僧侶たちなどから見れば、殺伐としたものだと顔をしかめる事だろう。
 一つの刀を手にとり、眺めていた時、誰かが入口に立つ気配がした。躊躇いがちに、中の様子を伺っているようだ。
 土方は背を向けたまま、それにむけて声をかけた。
「何用だ」
「……」
「用事があるのなら……」
「土方さん」
 思わず、言葉が途切れた。息を呑み、背後をふり返る。
 そこには、総司が佇んでいた。入り口に手をかけ、僅かに小首をかしげるようにしている。その姿は、蔵の中から見ると、切り取られた光の中にあり、美しい絵のようだ。
「入っても構いませんか?」
「……あぁ」
「珍しい処にいるのですね。武具を確かめていたのですか」
 そう訊ねながら入ってきた総司は、土方のすぐ後ろにある箱に腰かけた。大きな瞳で彼を見つめ、にこりと笑ってみせる。
「ごめんなさい。邪魔するつもりはありませんから、お仕事つづけて下さい」
「何か用だったのではないのか」
「いえ、別に。ただ蔵の前を通りかかったら、土方さんがいたので声をかけただけです」
「なら、入ってくる事はないだろう」
「私がいては嫌ですか?」
 不意に、どこか淋しそうな声で、総司が訊ねた。それに、はっとし、思わず唇を噛んだ。
 そっけない声音になっていた事を自覚しつつ、顔をそむける。
「嫌ではない。……好きにしろ」
「はい」
 素直に答える総司が、たまらなく可愛かった。
 子どもの頃そのままだ。
 あの頃も我侭を云うことは云ったが、土方の言葉には大抵したがっていた。大きな瞳で彼を見上げ、こくりと頷いていたいとけない姿が、脳裏をよぎった。
「……」
 土方はゆるく首をふると、手許に集中した。確認作業をつづけてゆく。
 しばらくの間、沈黙が落ちていた。総司は後ろから土方をじっと見つめているようで、その視線を強く感じる。だが、その視線に好意も悪意もなく、ただ眺めているだけというようだった。
 だからこそ、その真意がわからない。
 総司の方から土方に近寄ってくるなど、今やありえぬ事だった。常に総司は伊東の傍にあり、土方へは他人行儀極まりない態度をとっていたのだ。その瞳が彼にむけられる事も、ほとんどなかった。
 だが、実際、今、総司は彼の傍にいる。
 それが何故なのか、土方はその答えが無性に知りたいと思った。
「……総司」
 土方は槍を確かめながら、呼んだ。それに、後ろで「はい」と答えがかえる。
 深く呼吸をしてから、土方は訊ねた。
「おまえ、先日、昔は俺のことが好きだったと云っただろう……?」
「えぇ」
「あれは、本当の事なのか」
 そう訊ねた土方に、総司はしばらくの間、黙っていた。やがて、かるく身動きする気配がする。
「気にしていたのですか」
「……まぁな」
「そんな気にしないで下さい。ただの戯れですよ」
「……」
 やはりなと思いつつ、土方は総司の方をふり返った。
 昔の事であれ、恋していたと告白されて歓びがわかなかったのは、本気にできるはずもない言葉だったからだ。そんな夢のようなこと、ありえるはずもない。
 思わず下唇を吸い込むようにしたとたん、総司がじっと彼を見つめたまま云った。
「でも、嘘でもありません」
「……」
「本当に、恋していましたからね」
 くすっと笑い、あの日のように髪を指さきではらった。薄闇の中、艶やかな黒髪がふわりと舞う。
「あなたは私よりずっと大人で、何でも出来て、優しくて強くて」
「随分と買いかぶってくれたものだ」
「全部、本当の事ですよ。だから、ずっと……あなたの傍にいられればいいなと思っていました。大好きなあなたの傍にいて、一緒に歩んでいけたらと……でも」


 ……でも。
 その後につづく言葉は、聞かなくともわかると思った。
 素直な少年が抱いていた願いを、壊したのは、彼自身なのだ。


 押し黙ってしまった土方に、総司も何も云わなかった。
 立ち上がり、蔵の中をあちこち歩き出してゆく。好奇心いっぱいに色々と眺めている様が、本当に昔のようだった。
 しばらくして、それにも飽きたのか、彼の元まで戻ってくると、また箱の上に腰掛け、訊ねてくる。
「相変わらず、遊んでいるのですか?」
「何が」
「色街で」
 総司の言葉に、一瞬、土方は目を見開いた。
 色街での事など、総司が口にするとは思ってもいなかったのだ。潔癖症で、人一倍女の白粉の匂いを嫌っていた総司が変わったものだと思った。
「連れていって欲しいのか」
「そういう訳じゃないけれど」
 くすっと笑った。
「今も昔と同じなのかなと、思っただけです。相変わらず、とっかえひっかえ女の人と遊んでる?」
「人聞きの悪い云い方するな。しかし、最近は忙しくて、とんとご無沙汰だ」
「ふうん。でも、聞きましたよ。それでも、通っている女の人はいるって」
「……」
 土方は思わず眉を顰めた。
 それもこれも、総司を思いきるためだったと云えば、この若者はどうするだろう。
 好きでもない女を抱いて、欲を紛らわせている。そのくせ、それがどこか総司に似た感じの女だということが、お笑いぐさだった。
 彼がそんな事を考えているとも知らぬまま、総司は言葉をつづけてくる。
「土方さんは、いつも色んな女の人とつきあって、遊んで、でも、うまく別れますよね。愁嘆場とか見たことがない。どうしてですか?」
 無邪気な子どもっぽい問いかけに、肩をすくめた。
「相手を選んでいるんだよ」


 むろん、本当の答えは違う。
 遊びだからだ。お互い、本気でないと割り切っているからこそ、簡単に別れられる。本気なら、そんな容易に切ることができるはずもない。
 だから、見ろ。
 総司を手放す時、どれほど傷つけたか。どれほど傷ついたか。あれを愁嘆場と云わずして、何というのだろう。
 あの時、容赦ない傷は、彼の胸をも深く確実に抉ったのだ。
 今尚──痛みが残るほどに。


「相手を選んでいる……ですか。つまり、大人って事ですよね」
 総司は小さくため息をつき、とんと箱から降りた。土方の傍まで来ると、彼の顔を下から覗き込む。
「子ども相手では、つまらないですか?」
「……」
 土方は眉を顰めた。
 本当に、総司の真意がわからない。云っている言葉の意味も。
 子どもというのは、年の離れた娘の事を云っているのか、それとも、総司自身の事なのか。
 いや、違うだろう。総司はもう子どもではない。大人だ。
 こうして、彼という男さえも翻弄してしまう、美しい若者だ。
 見惚れるほどきれいな顔が近くにあるのを見下ろしながら、土方は呟いた。
「別に……つまらなくはないさ」
「じゃあ、子どもでも構わない?」
「遊びでなく、本気なら」
 そう答えた土方に、総司は一瞬、目を見開いた。驚いたような顔になる。
 だが、すぐ表情をあらためると、どこか挑戦的な瞳で彼を見つめた。後ろに手をくみ、「ふうん?」と小さく笑う。
「子どもでもいいって事?」
「本気なら、年なんざ関係ないって事だ。おまえは年齢で恋をするのか」
「生憎、恋をした事がありませんから」
 そう云って身をおこした総司に、土方は思わず云った。
「なら、おまえ、さっきのは」
「土方さんへの気持ちは、別です」
 蔵から出ていきかけていた総司は、くるりとふり返ると、きれいな笑顔で云った。
 くすっと笑ってみせる。
「だって、あれは恋じゃないから」
「……」
「お忙しい処お邪魔しました、副長」
 そう云うと、総司は軽やかな足取りで蔵を出ていった。
 拳を握りしめる土方を、一人残して。
「……っ」
 最後の最後まで翻弄された男は、手にしていた槍を床へ叩きつけた。












 それから、数日後の事だった。
 久しぶりの宴が島原の角屋で開かれた。
 隊士たちの慰労の一環であり、こうしたうさ晴らしがなければ、危険な仕事などやっておられぬだろう
 その事がわかっているだけに、土方も近藤の判断に口出しはしなかった。上席に座る近藤の脇に腰をおろし、酒を呑んでいる。
 むろん、総司はそこにいなかった。伊東の隣に坐り、大勢の者たちと談笑に応じている。うまい具合に潜り込んだのか、斉藤もその傍にいた。
 それを気づかれぬよう眺めながら、土方はきつく唇を噛みしめた。


 想いを絶つべきだとわかっていた。
 先日のことで、思い知らされたはずだ。
 総司は、ある意味、まるで昔と変わっていないのだ。気まぐれな猫そのものだった。
 自分の気がむいた時にだけ声をかけ、こちらが手をのばしたとたん、ひらりと身をかわしてゆく。
 大人びただけ、始末におけなかった。
 花のように艶やかな、美しい生き物。
 まさに、男を惑わす存在だった。清楚であり、凜としている美しさがより惹きよせ、その奔放な性質で男を芯まで狂わせてゆく。
 さんざん遊んできた土方でさえ、この様なのだ。先日の蔵でのやり取りを思い出すたび、あまりの無様さにため息がもれた。指折りの太夫相手でも、あれ程翻弄された事はない。
 だが、その理由もわかっていた。
 総司だから、なのだ。
 本気で愛している、狂おしいほど執着している総司だからこそ、その言動に一喜一憂してしまうのだ。
 まるで、初めて恋を知った男のように。


(いや、実際そうか)


 土方はほろ苦く笑った。
 生まれて初めて、人を愛したのだ。
 そして、こんな想いはもう二度とないだろうと思っていた。最初で最後の恋。それがわかっているからこそ、これ程夢中になってしまうのだ。何度思いきろうとしても、決して出来ないのだ。
 この胸にある狂気じみた想いが、消える事はない。
「……」
 土方は目を伏せると、荒々しく酒の杯をあおった。
 それを傍らから心配そうに、近藤が眺めている。視線に気づいて見返すと、僅かに嘆息された。
「歳、おまえも……素直じゃないからな」
「どういう意味だよ」
「いっそ本当の事をぶち撒けたら、どうなのだ。あの時のことを……」
「云えば、尚更泥沼さ」
 くっと喉を鳴らし、目を細めた。
「あいつはより俺を憎むだけだろう。それに、あんたも俺のことを誤解している。あれは、あんたが知っている理由だけではないんだ。もっと俺自身の……」
「歳?」
「……いや。何でもない」
 土方はゆるく首をふると、もう一度満たされた杯を干した。
 そうして、また癖のように総司の方へ視線をやり、とたん、眉を顰めた。
 いない──のだ。
 総司がどこにもいない。目線で探してみたが、広間のどこにも、あのほっそりした姿はなかった。
 いったい、どこに行ったのか。
 それを詮索する資格もないと苦笑した時、一人の仲居が彼に音もなく近寄ってきた。
「土方先生」
「……」
 無言で見返すと、一枚の文が手渡された。そこには、総司の筆跡で「茶室へ来て欲しい」とだけ書いてある。
 思わず眉を顰めた。
 先日あれほど翻弄しておいて、いい度胸だと思った。
 茶室などで二人きりになれば、酷い応酬になってしまいそうな予感がしたが、このままで済むはずがない事もわかっている。
 近藤の言葉どおりすべてを晒す訳にはいかなかったが、隊のためにも、総司の心を少しでも開かせるべきだった。
 むろん、土方とてわかっている。隊のためではなく、何よりも、己自身のために総司を取り戻したかった。せめて、一年前までの、親しい兄弟のような関係に戻ることができたらと、願わずにはいられないのだ。
 身勝手な話だとわかってはいたが……。
 土方は近藤に断りを入れると、広間を出た。何度も来ているので、場所はわかっている。
 仄かな明かりが灯された廊下を歩き、茶室へむかった。
 あちこちの広間から、他の宴の賑わいがもれてくる。人の笑い声、嬌声、楽音。
 江戸にいた頃の彼なら存分に楽しんだだろうが、今は、宴も彼にとって寛げる場所ではない。常に冷徹な副長としての態度を崩さず、張りつめているため、気をぬく暇もなかった。
 それでも、総司が傍にいた頃はよかった。宴ともなれば、総司が常に土方の傍にあり、あれこれ我侭を云ったり甘えたり、笑わせてくれたりした。
 それがどれほど心地よかったか、彼にとって、どれほど大切なやすらぎだったか、総司は知る由もないのだ。
「……」
 そんな事を考えながら歩んできた土方は、ふと目をあげた。
 いつのまにか、茶室のすぐ傍まで来ていたのだ。だが、そこに人の気配がある。
 総司かと思った彼は、とたん、鋭く息を呑んだ。
 仄かな明かりの中、一つの光景が土方の胸を抉り通した。
「──」
 それは、伊東と総司だった。二人は廊下の片隅で、暗闇にまぎれるようにして逢瀬を楽しんでいたのだ。
 総司の甘い声が「好きです……」と囁くのが耳に届いた。
「!」
 土方は呆然と目を見開き、その場に立ちつくした。
 こちらに背を向けている伊東は、彼の存在に気づいていないのだろう。愛しい恋人である総司を、その腕に固く抱きしめていた。
 だが、総司は。
 総司は気づいているのだ。否、違う。
 こうして土方に見せつけるため、わざわざ彼を呼び出したのだ。
 先日の言葉は、すべて嘘だったのだと。
 偽りだったのだと、彼に思い知らせるために。
「……伊東先生……」
 甘い声をあげ、総司は伊東の首を細い両腕でかき抱いた。恍惚とした表情で、男の胸もとに顔をうずめる。
 だが、その一瞬だった。
 長い睫毛がゆっくりと瞬き、土方を見つめたのだ。まっすぐ射抜くように。
 残酷なほど愉悦にみちた光が、その瞳にうかんだ。
 おそらく、愛らしい桜色の唇も、艶やかな笑みをかたどっているのだろう。
 土方を苦しめた事に、歓びを覚えながら。
 美しくも妖しい、艶やかな。
 男の狂わす、花の───
「……っ」
 それ以上堪えられず、土方は身をひるがえした。踵を返し、歩み去ってゆく。
 すると、後ろで茶室の戸が開けられ、また閉じられる音がした。
 思わずふり返ってみれば、そこにはもう二人の姿はない。この後、茶室で伊東と総司が睦み合うことは確かだった。それを傍で聞いているほど、彼も自虐的ではなかった。
 土方はまるで逃げるようにその場から立ち去った。だが、角を曲がった処で、思わず立ち止まってしまう。
 傍らの壁に背を凭せかけ、両手で顔をおおった。


(……気が狂いそうだ……!)


 報いだと、わかっていた。
 一年前、彼が行った所業の報いを受けているのだ。
 だが、狂いそうなほど総司を愛してる土方には、到底堪えられるものではなかった。
 愛しい総司を目の前で伊東に奪われ、挙げ句、その二人の睦みあう姿をわざわざ見せつけられるのだ。
 そこまで……憎まれているのか。
 偽り、翻弄し、ずたずたになるまで傷つけて。
 どうなってしまえば、気が済むのだろう。もはや、地獄の底にまで突き落とされているというのに。
 今にも叫び出してしまいそうだった。
 狂おしくて憎くて、愛しくてたまらなかった。
「……っ」
 土方は、奥歯をきつく食いしばった。
 怒りと嫉妬で、頭がおかしくなってしまいそうだ。どす黒い衝動が腹の底から突き上げてくる。


 欲しくて。
 愛しくて。
 憎くてたまらなくて。


「……総…司……っ」
 この世の誰よりも愛しいその名を口にし、土方は固く瞼を閉ざした。
















 次で総司の気持ちが吐露されます。急展開!です。