「もう耳と尻尾は消えてしまったんだな。昨夜は、あれのおかげで随分助かったが」





 屯所に戻ってからも、土方の言葉は総司の胸奥に残っていた。
 重くて辛い気持ちとともに。
「……」
 総司は縁側に腰かけ、ぼんやりと庭を眺めた。
 ずっと片思いしてきた男に抱いてもらったというのに、喜びも幸福感もわきおこってこない。今朝、目覚めた時の気持ちが嘘のようだった。
「土方さん、本当はしたくなかったんだ……」
 ぽつりと呟いた。


 土方の言葉は、行為の難しさを意味していた。
 男が少年を抱くのだ、同性なのだ。女を抱くのとは全く違うそれに、土方が戸惑うのは当然だった。
 そして、受け入れる総司の側も同じくで、いや、受け入れる方こそ苦痛と怖さがたち、戸惑いも大きかったのだ。
 だが、望んでくれていると思ったから、土方が自分を抱きたいと欲しているのだと、思ったからこそ、この躰を開いたのに。


「耳と尻尾がなかったら、難しかったなんて……」


 なら、これがなければ、到底その気になれなかったという事なのか。
 総司を欲望の対象として見るなど、ありえないことなのだと。
 だが、それも当然のことだと思った。何しろ、自分は同性だし、病もちだし、こんな痩せぽっちの躰で男を悦ばせることなど、出来るはずもないのだ。
 昨夜も、痛いと泣いてばかりで、挙句、終わった後も怖いと駄々をこねて彼を困らせてしまった。こんな子ども、本当に抱くのに苦労した事だろう。
 二度と抱きたくないと、思われても仕方がないのだ。


 総司はため息をつき、両膝を抱え込んだ。


 こんなふうに悩むことさえ、おかしいのかもしれなかった。
 初めから、わかっていた事なのだ。この恋が楽ではない事も、そして、躰を重ねるという意味が、男女の場合と違ってくることも。
 心の契りだけで留めておけば、こんな事にはならなかったのだろう。
 だが、それはそれで、もっと不安になったに違いない。土方に飽きられてしまうという不安で、いてもたってもいられなかっただろう。
 むろん、躰を重ねたからといって、彼を繋ぎとめられるとは全く思っていないが。


「耳と尻尾があるうちは、大丈夫」
 ぽつりと呟いてから、総司は、そうだと気がついた。
 まさに、斉藤が云っていた通りなのだ。
 土方は、総司の耳と尻尾が消えることを望んでいない。だから、消えないのではないかと。
 だが、それ以上に、総司が消えることを望んでいなかった。この耳と尻尾で彼を少しでも長く繋ぎとめられるなら、ずっとこのままの方がいいとさえ、思ってしまう。
 耳と尻尾がある限り、土方の部屋から追い出されることもないだろう。時々、気まぐれで抱いてくれるかもしれない。
 なら、ずっとこのままである方が良かった。
 狡い考えだとわかっているが、それでも、一度知ってしまったぬくもりを奪われるのは、身が切られるように辛い事だった。あたたかな家の中から、寒空の下へ一人放り出される仔猫のようなものだ。
 土方の傍にいたかった。彼にふれて、彼に愛されたかった。
「我儘でごめんなさい……土方さん」
 小さく告げた言葉は、風に消えた。












 その日の夜、部屋に戻ってきた土方は、総司の様子にすぐ気が付いた。
 向かい合って夕餉をとる中で、いつもより言葉数が少なかったため、わかったのだろう。
「総司」
 低い声で呼ばれ、総司は、はっと我に返った。見上げると、訝しげに眉を顰める土方と視線があう。
「どうした」
「え? 何が……ですか」
「おまえ、妙に沈んでいるだろう。元気がないし」
「そ、そんな事ありませんよ。元気です」
「……」
 土方はちらりと視線を総司の後ろへやった。
 白い尻尾がくたりと垂れてしまっている。気持ちが沈んでいる証だった。
 いったい、何があったのだろうと思う。確かに、今朝別れた時から妙だった事は確かだが、そうであるのなら、原因は土方にあった事になる。あの時、一緒にいたのは彼自身だったのだから。
「総司」
 食事の後、膳を脇に押しやり、土方は膝をすすめた。びくりと目を瞠る総司が愛らしい。
 これ以上、怯えさせないよう気遣いつつ、そっと手をのばした。白い手をとり、握りしめる。
「何か……俺がしたのか?」
「――」
 土方の言葉に、総司の肩が震えた。それに、問いかけが的を外していなかった事を知る。
 黙ったまま俯く総司に、胸が重くなる。すうっと指さきが冷たくなった気がした。


 仕事のことでなら、どんな非難も応酬も恐れない。
 女相手でも、傷ついたことなどなかった。
 だが、総司だけは違うのだ。総司にほんの少しでも嫌われるのは、心底辛い。
 ましてや、ずっと嫌われていると思っていた挙句、夢のように叶った恋だ。
 一度味わった蜜はとろけそうなほど甘かった。
 もう、この若者を愛する幸せを知らなかった頃に、戻れるはずがない。


「総司……」
 何と云ってよいのかわからぬまま、土方は言葉を紡いだ。
「俺が何かおまえの気にさわる事をしたのなら、謝る。俺は不器用で、気がきかん男だ。おまえより九つも年上だ。きっと……その、俺は知らぬ間におまえを怒らせてしまったのだろう」
「怒ってなんかいません」
 慌てて、総司は首をふった。ぎゅっと手を握り返す。
「そうでなくて、ただ、私が勝手に沈んでしまっているだけです。土方さんのせいじゃないから」
「そうなのか?」
 不安そうに、土方が問いかけた。深く澄んだ黒い瞳がじっと総司を見つめる。それにどぎまぎしながら頷くと、土方は、ようやく安堵したようだった。
「よかった……」
 そう云いながら、総司の手をもちあげ、己の唇を押しあててくる。まるで、押しいただくように。
 息をつめる総司の前で、土方は云った。
「俺は、おまえに嫌われるのが怖いんだ。おまえに、今までの事が嘘だったと云われるのが恐ろしい」
「私が土方さんを嫌うなんて」
 総司は思わず小さく笑った。
「そんな事、絶対にありえません。逆なら、あるだろうけれど」
「俺がおまえを嫌う?」
 土方は驚いたように顔をあげた。
「それこそ、絶対にありえねぇよ」
「……」
「信じてないのか。おまえは俺の気持ちを」
「……信じていますよ」
 ぎゅっと彼の手を握りながら、総司は長い睫毛を伏せた。
「でも……人の気持ちはうつろいやすいものだから。確かな事なんて、何もないから」
「それはお互い様だろう」
「……」
「いや、違うな。すまん、俺は変わらない。ずっと、おまえを好きでいるよ」
「ありがとう、土方さん」
 総司は小さく微笑んでみせた。


 確かに、彼の言葉どおりだろうと思った。
 彼が自分を嫌うことなど、ありえない。ずっと好きでいてくれるだろう。
 だが、それは兄弟のような、友人のような、という言葉が上につくに違いない。
 恋人でなくなっても、好きでいてくれる。
 それだけで幸せだと思わなくてはいけないのに。否、今、こうして愛されていることこそが、僥倖なのに。
 もっともっとと求めてしまう自分は、なんて罪深いのだろう。


「私もずっと好きです、土方さん」
 心からの想いをこめて、総司は告げた。
 それに土方は嬉しそうに頷き、抱きよせてくれた。すっぽりと男の両腕の中に、小柄な体はおさまってしまう。それを少し気恥ずかしく思いながら、総司は男の胸もとに凭れかかった。
 彼の手が髪を撫で、時折、猫耳にもふれる。それが心地よく、だが、一方で、総司の不安を呼び覚ます。


(この耳と尻尾がなくなっても、可愛いと思ってくれる? 恋人でいさせてくれる?)


 一番口にしたい言葉を呑み込んだ。












 穏やかな日々が過ぎていった。
 土方は総司を堂々と愛する事ができるようになり、幸せで満ち足りた日々をおくっていた。
 総司はといえば、まだ猫耳と尻尾は夜になると生えてしまう。だが、それさえも、今の土方には愛しかった。何もかもが可愛くてたまらないのだ。
 さすがに屯所で抱くのは難しかったため、時折、外で落ち合い、躰を重ねた。恥じらいつつも受け入れてくれる総司が愛しく、より激しく求めてしまった事もあった。
 だが、総司はいつも柔らかく愛らしく微笑み、土方の熱を受けいれてくれた。
 時折、総司が見せる憂いに潤んだ瞳を、訝しく思ったが、恋に不安はつきものだろうと思った。まさか、総司が彼の言葉をそんなふうに捉えているとは、全く思っていなかったのだ。


 土方が耳や尻尾がなければ難しかったと云ったのは、総司の躰についてだった。
 総司があの尻尾のおかげで少しは楽に受け入れられたようで、本当に良かったと思ったのだ。むろん、痛みをあたえてしまう事はわかっている。
 だが、それでも、初めてが一番辛いに決まっているのだ。それを、尻尾のおかげで少しは苦痛をおさえられたなら、そんないい事はないはずだった。
 だからこそ、土方は、総司の憂いの原因に全く気付かなかったのだ。
 時折、背中に抱きついてくる総司が、涙をこらえている事も、わかっていなかった。彼が少しでも長く外出した時や、接待で祇園などに行った時、不安げな瞳で見上げる総司を、ただ可愛いと思った。
 そして、「大丈夫だ。俺にはおまえだけだよ」と甘く囁き、抱きしめてやれることに、幸せさえ感じていたのだ。
 そのため、総司が突然あんな事を云いだした時には、驚いた。
 ましてや、何を考えて云いだしたのかなど、全くわかる事ができなかったのだ……。












「……は?」
 一瞬、間があいてしまった。
 土方は呆気にとられた顔で、今、とんでもない事を云った恋人をまじまじと眺めた。
 だが、彼の目の前にきちんと坐った総司は、まったく自覚がないらしく、真剣そのものの顔をしている。
「今、何と云った?」
「だから、あの」
 総司は一度、こほんと咳払いした。それから、云った。
「今度、夜じゃなくて、昼間に契って貰えませんか?」
「……」
 聞き間違いかと思った。いや、契るではなく、千切るなのだろうかとも考えたのだ。だが、周囲を見回しても、千切るものなど何もない以上、どう考えても、これは「契る」の方なのだろう。
 いわゆる、閨をともにするの契るだ。
「……凄い台詞をさらりと云うな」
 思わず呟いた土方に、総司は「え?」と小首をかしげた。
「凄い、ですか?」
「そうだろう。おまえ、今、俺を昼間から茶屋や料亭に連れ込もうとしているんだぞ。それとも、何か、まさかこの屯所の部屋で昼間から致そうっていう誘いのなのか?」
 はっきり云ってのけた土方に、総司は目をぱちぱちさせた。
 だが、不意に、自分の行為の意味がわかったのだろう。みるみるうちに頬がかぁぁっと真っ赤になり、慌ててぶんぶん両手をふりまわした。
「ち、違いますよ! 茶屋だとか料亭だとか、そんなっ」
「なら、どういうつもりだ」
「だから、そのっ、私はどうせするなら、夜じゃなくてたまには昼間もいいかなぁ、なんて」
「それが誘っていると云うんだろうが」
 くすっと笑い、土方は総司の細い手首を掴んで、引き寄せた。あっと小さな声をあげて倒れ込んできた小柄な躰を抱きとめる。
 ぎゅっと抱きしめ、その耳元に囁きかけた。
「……すげぇ可愛い」
「ひ、土方さんっ」
「可愛くて可愛くて、今すぐここで食っちまいたいよ」
「だめっ」
 総司は慌てて身を起こした。必死に土方の腕の中から逃れようとする。
「こんな処でいきなりなんて、絶対に駄目ですから」
「わかっているよ」
 くっくっと喉を鳴らして笑う土方に、からかわれたのかと思った総司は、桜色の唇を尖らせてしまった。その唇に、土方のしなやかな指さきがふれる。
「可愛いな」
「土方、さん」
「噛みつくか? それとも、猫みたいに引っ掻くか?」
「そうじゃなくて」
 総司は戯れる土方の手から逃れると、大きな瞳で彼を見上げた。
「さっきの事、答えは駄目なのですか?」
「駄目って……あぁ、昼間に茶屋へ行くことか」
「……」
「わかった。今度は昼間に逢おう」
 さすがに遊び慣れた男らしく、さらりと柔らかな云い方に変えてくれる。
「そうだな、明日はどうだ。おまえ、確か非番だろう」
「えっ、いきなり明日!?」
「駄目か」
「ち、違いますけど……えぇっと、じゃあ、どこで」
「この間の料亭にしよう。茶屋は俺もあまり好かねぇからな。おまえも慣れたところの方がいいだろう」
「は、はい」
 耳朶まで赤くしながら、総司はこくりと頷いた。
 何だかんだ云っても、これは閨を共にする約束なのだ。羞恥心を覚えずにはいられない。だが、それでも安堵の気持ちはあった。
 土方が昼間に契ることを承知してくれた事に、総司は体の力が抜けるほどの安堵感を覚えていたのだ。それと共に、幸福感も。
 吐息をもらしながら凭れかかる総司の躰を、男の両腕が優しく抱きとめてくれた。














 その翌日の事だった。
 朝から、総司はそわそわしていた。
 先に料亭に行く事になっているのだが、それでも心配でたまらないのだ。
 秘密の関係だった。副長である土方と契りを結んでいるなど、暴かれれば醜聞沙汰だ。それだけに、総司は慎重にならざるをえなかった。
 土方がまだ仕事にかかりきりであるのを見ながら、屯所を抜け出した。
 目指すは、前に行った料亭だ。一人で先に行くなど初めてなので、尚更緊張してしまったが、土方が上手く云ってくれていたらしく、あっさり部屋に通してもらう事が出来た。
 部屋に入り、ほっとしたとたん、今の状況への自覚がわきおこってくる。


(自分でも、とんでもない事をお願いしちゃったかも)


 何しろ、昼間、契りを結んで下さいなんて云ったのだ。
 だが、実際、あの時は必死だった。猫耳と尻尾のあるおかげで可愛いと思ってくれているのなら、これらが消えれば、彼の関心は薄れてしまうだろう。怖いとは思ったが、聞いてみたくて仕方がなかった。


 耳と尻尾が消えても、愛してくれる? と。


 恋する者はとても臆病だ。
 彼に見捨てられたら心の臓がとまってしまうと思う総司に、そんな事が聞けるはずもなかった。だからこそ、考えあぐねた結果、別の方法で彼の気持ちを探ってみることにしたのだ。
 それがこの昼間の情事だった。
 土方が昼間、総司を抱くことに何の抵抗もなければ、耳や尻尾がなくても大丈夫だという事になる。だから、総司は本当に必死だったのだ。すがるような思いで、土方に訊ね、その結果、あっさり彼は承諾してくれた。
 昨日はどれほど嬉しかったことか。
 幸せで嬉しくて、舞い上がりそうだったのだ。


「土方さん、まだかな」
 総司は遠くで鐘の音が鳴ったのを聞き、小さく呟いた。そこへ、ちょうど足音が近づいてくる。
 嬉しそうにふり返った総司の前で、襖が開いた。思ったとおり、土方が入ってくる。
「土方さん」
 弾んだ声でその名を呼び、駆け寄りかけたが、ふと目を見開いた。奇妙なほど、土方が強張った表情をしているのだ。
 思わず足をとめてしまった総司に、土方が云った。
「すまん」
「……え?」
「本当にすまん、仕事で急用が出来ちまったんだ」
「……」
 呆気にとられていると、土方は総司の小さな手を握りしめた。ぎゅっと握り、瞳を覗きこんで謝ってくる。
「この埋め合わせは必ずする。そうだ、今夜がいい。今夜、ここに来るから、それまで待っていてくれねぇか」
「今夜……?」
 思わず、小さく呟いた。


 それでは駄目なのだ。
 全く何の意味もなくなってしまうのに。


 だが、総司の言葉を承諾と受け取ったのだろう。
 土方は「すまん」ともう一度だけ謝ると、身をひるがえした。本当に急いでいるらしく、慌ただしく出ていってしまう。
 そんな彼を、総司は引き留める事も出来ず、ただ茫然と見送るばかりだった。


















土方さん鈍感すぎって思われ方、多いだろうなぁ……。