「な、ななな……何だ、それっ!?」
 裏返った声で、斉藤が叫んだ。
 いつも切れ上がった目はこれ以上ないぐらい見開かれ、無意識のうちなのか、後ろへ仰け反っている。
 こんな斉藤さん、珍しいなぁと、不思議なぐらい呑気に観察しながら、総司は「えーと、その」と居住まいをただした。
 耳を手でひっぱりながら、小首をかしげる。
「それって、これのこと?」
「き、決まっているだろ!」
「猫耳です。あ、尻尾もあるんですよ」
「おまっ、おま……っ」
 衝撃でもはや言葉も出てこない斉藤に、総司は丁寧に説明した。
「あのね、突然、夜だけこの耳と尻尾が出るようになっちゃったんです。朝になったら、ちゃんと消えるんですけど、夜になったらまた出てきちゃって。でも、それじゃ、夜の巡察やお仕事、困るでしょ? 尻尾はともかく耳は隠せないからって、だから、土方さんの部屋に住まわせてもらう事にした訳です。ここなら、あまり人も来ないし」
 一気に説明してから、総司は、聞いているのかいないのか、拳を握りしめている斉藤を見て笑った。
「まぁ、今、斉藤さんが来ちゃっていますけどね」
「来ちゃっていますけどねって、いったい何なんだ。それ」
「だから、猫耳」
「そうじゃなくて、何で、土方さんが関わってくるんだ。どうして、土方さんの部屋なんだ!?」
「気になるの、そこ?」
 総司は目を見開いたが、すぐに、こくりと頷いてから、また懇切丁寧に説明した。
「猫耳ができちゃった夜、たまたま、土方さんが来てくれたんですよ。それで、土方さんが自分の部屋に来たらいいと誘ってくれて、ここにいる訳です」
「何も、よりによって土方さんの部屋じゃなくてもいいだろう。オレの部屋でも」
「斉藤さんの? だって、斉藤さん、この件、知らなかったじゃありませんか」
「なら、今から移ればいい!」
 斉藤は一気に間合いをつめると、総司の細い手首をつかんだ。引き寄せ、鳶色の瞳でまっすぐ見つめる。
「オレの部屋でかくまってやる。絶対、他の誰にもばれないようにするから、早く」
「……随分と強引なやり口だ」
 突然、低い声が後ろからかけられ、二人は弾かれたようにふり返った。
 会話に夢中になっていて気づかなかったが、いつのまにか、土方が部屋に戻ってきていたのだ。二人の方へちらりと視線をやってから、すっと後ろ手に障子を閉める。
 剣呑な色をうかべた切れの長い目に見据えられ、斉藤は無意識のうちに背筋が伸びるのを感じた。だが、ここで怯んではならないのだ。
「立ち聞きですか」
「ここは俺の部屋だが?」
 土方はくっと顎をあげ、冷ややかなまなざしを斉藤にむけた。
「勝手に俺の留守中に部屋へ入り、総司を口説くとはいい度胸しているじゃねぇか」
「口説いて悪いですか。総司はまだ誰のものでもないでしょう。オレが口説いて悪いはず……」
「総司は俺のものだ」
 発せられた言葉に、斉藤の後ろで、総司がひゅっと息を呑むのが聞こえた。驚きに、目を瞠っているのだろう。
 斉藤も驚きだった。まさか、そんな台詞を土方が云うとは思ってもみなかったのだ。
「あなたのものって、総司も承知している事なんですか」
「さぁ? 知らねぇな」
「ふざけるのも、たいがいにして下さい!」
 斉藤は怒りに眦をつりあげ、叫んだ。
「あなたは、総司を振り回している。この部屋に無理やり連れ込んで、自分のものだなどと云って」
「……」
「結局のところ、あなたは総司の弱みを握って、好き勝手にしているだけじゃないですか!」
「……云いたい事はそれだけか」
 土方は形のよい唇をゆがめた。冷たく澄んだ黒い瞳で、斉藤を真っ直ぐ見据える。
 両腕を組み、云いはなった。
「用が済んだら、さっさと出ていけ」
「土方さん」
「俺も疲れているんだ。話は後日にしろ」
 ぴしゃりと障子をたてるような云い方に、斉藤も引き下がざるを得なかった。ぐっと口許を引き結んでから、かるく一礼する。総司に「またあした」と云ってから、部屋を出ていった。
 残された二人に、重い沈黙が落ちた。
 やがて、土方は一つため息をつくと、部屋を横切った。刀掛けに刀を置き、羽織を乱暴に脱ぎ捨てる。だが、それでも無言のままだ。そっと見やった横顔はひどく冷たい。
 気まずさに耐えかねた総司は、おそるおそる口を開いた。
「あの……っ」
 とたん、土方が低く呟いた。
「成程な」
「え?」
 突然の言葉に、総司は目を見開いた。それに視線をむける事もなく、土方は淡々とつづけた。
「総司、おまえはそんなふうに思っていた訳だ」
「え」
「俺がおまえの弱みを握り、この部屋で寝ることも無理強いさせていると、そう斉藤に話したわけだな」
「そんな……!」
 総司は思わず悲鳴のような声をあげた。
 はっとして口をおさえたが、すぐさま土方の傍に走りよった。彼の腕に手をかけ、必死になってその瞳を見つめる。
「違います! 私はそんな事、思ったこともありません。あなたが申し出てくれて本当に助かったし、嬉しかったのです。感謝こそすれ、そんな…っ」
「信じられねぇな」
「お願い、信じて。勝手に斉藤さんを部屋に入れたことは、謝ります。この姿を見られてしまったことも、隙があったと思います。でも、そんな、土方さんのことをそんなふうに思うなんて……」
 必死に言葉をつむぐ総司は、無意識のうちに土方の腕を強く縋るように掴んでいた。それに気づいた土方は黙ったまま、その手を掴んで離させようとする。
 無理やり離され、泣き出しそうになったとたん、その手が柔らかく包みこまれた。しなやかな指さきが絡められ、引き寄せられる。
「……ぁ」
 気がつけば、男の肩口に頭を押しつけられていた。そのまま抱きしめられる。
 思わず息をとめた総司の耳もとで、土方が囁いた。
「……本当だな?」
「土方、さん……」
「今の言葉は、本当だな。おまえを信じていいのか」
「信じて……」
 小さく答えた総司に、土方は息をついた。背中に手がまわされ、きつく抱きよせられる。彼の鼓動が聞こえ、ぬくもりを全身で感じた。愛しくて愛しくて、たまらなくなる。
 総司は目を閉じながら、彼のことが本当に好きだと思った。


 この人と一緒にいられる幸せ。
 こうして、傍にいられる幸せ。
 それにまさるものは、なかった。
 愛しているという言葉でさえ、追いつかないほどに愛しているのだ。
 彼だけを、誰よりも。
 たとえ、この想いが永遠に届かぬ、成就せぬものであっても。















「絶対、騙されているよ」
 翌朝、斉藤に逢ったとたん、総司は強引に彼の部屋へ連れていかれてしまった。
 そして慌ただしく障子を締め切ると、向かい合わせで坐るなり、はっきりと断言したのだ。
「え」
 総司は目を丸くした。
「騙されているって、誰に?」
「土方さんに決まっているだろ。だいたい、何で、あの人が総司を部屋に匿うんだ。おかしいじゃないか」
「おかしい……かな」
 つい口ごもってしまった。
 確かに、もともと総司も思っていたことなのだ。
 どうしてだろう? どうして、犬猿の仲である自分を庇い、守ってくれるのだろうと。
「まぁ、そうですよね」
 総司はこくりと頷いた。
「土方さんが私なんかを庇ってくれるの、絶対おかしいですよね。綺麗な娘さんでもないし」
「そういう意味じゃない!」
 斉藤は思わず叫んでしまった。
「おまえなんかじゃなくて、おまえだから庇うんだよ。土方さんがおまえを特別に思っているのは当然の事なんだから、そんな下心満載の男の部屋に連れ込まれるなんて、おかしい、まずいと思わないのかという事を聞いているんだ」
「? 下心満載って……」
 総司は呆気にとられてしまった。
 斉藤にしては珍しく口早にまくしたてられてしまったために、よく聞き取れなかったが、下心満載の男という言葉だけは理解できたのだ。
 だが、それって、いったい……
「どういう意味?」
「……」
 不思議そうに問いかける総司を、斉藤は気まずい表情で眺めやってしまった。


 このとんでもなく初心で素直で可愛くて、優しくて、何も知らない純真な総司に、男の欲情や下心など、説明してもわかるものなのだろうか。
 いや、しかし!
 ここで云っておかなければ、あっという間に、あの男の餌食だ。
 総司は、今まさに、狼の部屋にいる仔猫のような状態なのだから。


「つまり、その」
 斉藤はこほんと咳払いしてから、云った。
「おまえが土方さんのものになっちまうって、ことだよ。そうしちまおうって、土方さんは思っているわけだ」
「え? でも、私はもう土方さんのものですよ」
「……は?」
 一瞬、聞き間違ったかと思った。
 あまりに平然と云ってのける総司に、聞き間違ったのかと思ってしまったのだ。
「土方さんの、ものって……」
「だって、云ったじゃないですか。昨日、土方さんが私を……」
 云いかけ、さすがに恥ずかしくなったのか、総司は耳もとまで赤くなった。
「私を、俺のものだ、って……わぁ、恥ずかしい」
「恥ずかしいって……総司、いや、その」
 斉藤は何だか馬鹿馬鹿しくなりつつも、必死に言葉をつづけた。
「オレが云っているのは、そういう意味じゃないんだ。つまり、えーと、一つの床に休むことっていうか」
「うん、それもしていますよ。いつも同じお布団で寝ているんです」
「はぁぁ!?」
 斉藤は思わず仰け反ってしまった。


 同じ床で休むなど、いったいいつの間に?
 この純真で可愛い総司は、とっくの昔に、あの自分勝手で強引で、本当はとんでもない性格の男の餌食になっていたと云うのか!


「おっ、同じ布団って……もしかして無理やりか!?」
「いいえ、私がもぐりこんじゃって、それで……いつのまにか。でも、一緒に寝ることが、あの人のものになるって事なのですか?」
 無邪気に訊ねてくる総司に、斉藤は脱力するのを覚えた。



 一緒に寝るという言葉から、どう考えても、まだ契は交わしていないのだろう。
 いくら強引な男でも、そこまでは手出し出来なかったらしい。
 それは何よりと思いつつ、斉藤は、この様子だと、総司は手を出されても全然抵抗しないだろうなぁと、思わざるをえなかった。
 人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られてしまえ! と云うが、この場合、間違いなく蹴られるのは彼、斉藤一であろう。


 その事実にむかむかしながら、斉藤はそれでも答えた。
「一緒に寝ることと、誰かのものになるのは、違うよ。けど、そんな事をしていたら、いつかはそうなるだろうと思うけど」
「いつかは……そうなる」
「とにかく!」
 斉藤は手をのばし、がしっと総司の肩を掴んだ。


 びっくりしたように目を丸くしてこちらを見上げる総司が、たまらなく可愛い。
 あどけなくて無邪気で何も疑うことを知らなくて、土方の行動を親切ゆえだと思い込んでいるのだ。


 そんな総司に男の欲望なんてものを教えられるかと、ぎりぎり歯ぎしりしたい気分になりつつ、斉藤は言葉をつづけた。
「一刻も早く、あの部屋を出た方がいい。今夜からでもオレの部屋に来てくれて構わないから」
「えっ、でも……土方さんが怒りますよ」
「怒らないよ。あの人だって限界だろうし。そんな同じ布団で休むなんて、ある意味、生殺しだ」
「生殺し……?」
 あくまで意味がわからず不思議そうな総司に、斉藤は云った。
「あの人も困っているはずだ。どうしたらいいか、悩んでいるはずだ。だから、今、おまえがあの部屋を出るのは、土方さんのためにもなるんだ」
「……」
 総司の目が見開かれた。
 みるみるうちに、その瞳に、悔恨と切ない色がうかぶ。
 そのまま俯いてしまった総司を、斉藤は見つめた。
 彼が困っているという言葉に、傷ついたに違いなかった。彼を困らせている事に気づかなかった自分を、きっと責めているに違いない。
 ちょっと可哀想に思ったが、嘘は云っていなかった。同じ褥で眠るなど、あの男にとって苦痛に違いないのだ。そのうち、総司を無理やりでも己のものにしかねない。そうなってからでは遅いのだ。
 斉藤にとっても、総司は大切な愛しい存在だった。他の男に、それもあの男に奪われるのを、指をくわえて眺めている訳にはいかない。
 斉藤はそっと総司の肩を撫でた。
「な? 総司、わかっただろう? おまえはあの部屋を出た方がいいんだ」
「……」
 きゅっと桜色の唇が噛みしめられた。やがて、ゆっくりと頷く。
 膝上に置かれた手が震えているのを、斉藤は胸の痛みとともに見つめた。













 もう一夜だけ、と願った。
 総司は、最後の我儘だからと、もう一夜だけ土方の部屋で過ごすことを告げたのだ。
 きちんと土方にも話をしたかった。そして、今までの礼と詫びを云って、部屋を出たいと思ったのだ。


(斉藤さんに云われるまで、気づかなかったなんて……)


 総司は布団の上に坐り、土方の帰りを待ちながら、両手を握りしめた。


 まさか、彼を困らせているなど、思いもしなかったのだ。
 土方がこの部屋に誘ってくれたこと、布団の中にいれてくれたこと、そんな様々な優しさに有頂天になってしまっていた。ずっと憧れ恋しつづけた男の傍にいられることに、夢見心地になって、彼の気持ちなど考えもしなかったのだ。
 だが、確かに、困っていたに違いないのだ。迷惑だったに違いないのだ。
 いきなり部屋に転がりこんで、挙句、布団の中にまでもぐりこんで。自分は、彼が優しいのをいいことに、いつのまにか甘えてしまっていたのだ。
 恥ずかしくて情けなくて、泣きだしそうだった。
 斉藤にあの言葉を云われた時は、指さきが冷たくなって震えたほどだ。
 もともと嫌われている、莫迦にされているのに、更に上乗せするような事をしてしまったなんて。
 いつまでも気づかず、甘え続ける自分を、彼はいったいどう思っていただろう。呆れていたに違いなかった。いい加減気づけよと、うんざりしていたに違いないのだ。


「私って、どうしてこうなの……」
 どんどん暗い思考にはまりながら、総司はため息をついた。
 その時だった。聞き覚えのある足音が部屋に近づいてきた。あっと思って顔をあげた時には、すっと障子が開かれる。
「土方さん」
 彼が部屋に帰ってきたのだ。先ほど一度戻っては来たのだが、風呂に入るため出ていったため、髪が少し濡れているさまが色っぽい。
 布団の上に端坐している総司を見るなり、土方は眉を顰めた。
「寝ていたんじゃねぇのか。躰が冷えるだろう」
「お話があったので、待っていたのです」
「話?」
 訝しげに問い返しながら、土方は布団の上に腰をおろした。深く澄んだ黒い瞳が総司をまっすぐ見つめる。それに頬が上気するのを覚えつつ、総司は懸命に言葉をつむいだ。
「あの、今まで……ありがとうございました。それから、申し訳ありませんでした」
「? 何のことだ」
「ですから、この部屋で庇ってくれたことです。本当にどれだけ感謝しても、し足りないぐらいです。でも、これ以上、ご迷惑をかける訳にはいかないから、明日、この部屋を出ますね。今まで、本当にありが……」
 そう云って頭を下げかけたとたん、だった。
 いきなり乱暴に肩を掴まれたかと思うと、強引に上半身を起こさせられた。驚いて見上げれば、土方が間近で見下ろしている。
「……っ」
 思わず息を呑んだ。
 怒りの表情だった。
 切れの長い目が激しい怒気を湛え、口元も固く引き結ばれている様は、怖いほどだった。口論になっても、これ程の怒りは見せられた事がない。
 身をすくめてしまった総司を、土方は鋭い瞳で見据えた。