数日が過ぎたが、総司の様子に変化はなかった。
相変わらず夜になると、猫耳と尻尾が生えてくる。そして、朝になると消え失せているのだ。
土方は一度、生える瞬間を見たことがあるが、奇妙な場面だと思いつつも、なんだか可愛いなと口元を緩めずにはいられなかった。
総司のさらさらした絹糸のような髪に、初め、ぴょこんと三角の尖りだけが見える。そして、それが少しずつ高くなって、耳が生えてくるのだ。
さわってみたいと思った。いや、実際、さわったこともあるのだ。
だが、その時、総司がびくりと震え、妙に艶めかしい表情をしたもので、驚いてしまった。潤んだ瞳で見上げられ、慌てて手をひいたのだ。
そんな時の総司は、花街の花魁よりも数段色っぽかった。
いや、いつでも、土方にとって、総司は初心で純真なくせに、不思議なほどの艶をもつ存在なのだ。総司が潤んだ瞳で見上げ、桜色の唇を微かに開いて「土方さん……」などと呼べば、媚薬でもかがされたように、頭の中がぼうっと霞んで躰中が熱くなり、つい、ふらふらと手を出してしまいそうになる。
これも恋ゆえなのか。
愛しているがゆえなのか。
総司の魅力にとろかされている男は、山ほどいるという話だった。
本人には全く自覚がないが、街を歩けば、その愛らしさに誰もがふり返る。笑顔なんて見せられたら、相手はもう有頂天だ。その調子で、総司が無意識に愛想をふりまいているのを、いつも土方は苛立ちながら遠く眺めていた。
だが、いざ、その笑顔が自分にむけられると、どう対応してよいのか、わからなくなってしまった。
無邪気で可愛い笑顔に、つい不埒なことを考えてしまう。ましてや、総司は今、彼の部屋で同衾しているのだ。
そう―――同居ではない、同衾だった。
なぜ、そんな事になったのか?
それは、同居当日の夜に遡る。
「……?」
真夜中、土方はふと目を覚ました。
今夜から、同じ部屋に総司がいるということで、なかなか寝付けなかったのだ。なのに、また目が覚めてしまった自分に、思わず苦笑した。
(どこまで、気になっているのか)
恋しい相手なのだ。気になって当然だとは思うが、これでは明日の仕事に差しさわりが出てしまう。
今度こそしっかり朝まで眠ろうと、土方は瞼を閉じかけた。だが、次の瞬間、また目を開いた。
誰かが肩にふれたのだ。誰か? いや、総司に決まっている。
「……」
驚き、見上げると、確かに、枕元に総司が座っていた。じっとこちらを見下ろしている。そうして、薄闇の中で視線があうと、小さな声で云った。
「おやすみなさい」
「……」
「おやすみなさい、土方さん」
「あ、あぁ」
土方は呆気にとられたまま、頷いた。
「おやすみ」
彼が挨拶をしてやると、総司はにこりと笑った。そして、土方の布団を持ち上げると、その中へするりと身をすべりこませてきたのだ。
これには、さすがの土方も驚いた。
「そ、総司!」
思わず声をあげた土方に、総司は眠そうにあくびをした。彼の胸もとにぴったりと躰をくっつけると、すぐさま、すうすう寝息をたて始めてしまう。
何が起こったのか、さっぱりわからなかった。だが、今、彼の腕の中には、あれほど恋い焦がれた相手が眠っているのだ。
腕に、胸もとに感じるぬくもり、華奢な躰つき、甘い匂い、ふとふれた肌のなめらかな感触に、かっと躰の奥が熱くなるのを覚えた。男としての本能が彼を突き動かそうとする。
だが、そんな事できるはずもなかった。この腕の中にいる若者は、ねぼけているのだ。寝ぼけているからこそ、こうして嫌いな男の床になどもぐりこんできたりするのだ。
土方は総司の躰を片手で抱いたまま、天井を見上げた。
(本物の猫みたいだな……)
彼が朝まで一睡もできないだろう事は、もはや確定事項だった。
翌朝、総司は土方の布団で一緒に寝ている自分に、随分驚いたようだった。
だが、土方も驚いたことに、総司の顔には嫌悪の色などまったくなく、ただ狼狽え、それどころか恥じらっているようにさえ見えた。
そして、その真夜中の出来事は数日つづき、とうとう、土方は云ってしまったのだ。
「夜中に起こすぐらいなら、初めからこっちに入っていろ」
と。
むろん、自分で墓穴を掘っているという事は、いやという程わかっていた。彼に云われたとたん、耳朶まで桜色に染め、恥ずかしそうに俯く総司を見てしまったから、尚の事だ。
だが、今更ひける訳がなかった。それに何より、確かに欲情を抑えるのは大変だったが、総司のぬくもりを得られることは、信じられないほどの幸福だったのだ。
土方は断られるかと懸念して息をひそめたが、総司は、あっさりと承諾した。
そして、その夜から、土方と総司は同衾することになったのだ。
「おかえりなさい」
今夜も障子を開くと、総司が布団を敷いているところだった。白い寝着で髪を後ろに束ねたさまは、愛らしい少女のようだ。
にこりと笑いかける総司に、土方はぎこちなく頷いた。
未だ慣れることが出来ないのだ。総司がここいるという事実に。
無意識のうちにか尻尾を揺らしながら、総司は彼を見上げた。
「すぐ休みますか?」
「あぁ」
「じゃあ、行燈、消して下さいね」
そう云うと、総司は布団にもぐりこんでしまった。よほど疲れていたのか、すぐさま安らかな寝息をたてはじめる。
それを、土方はため息をつきながら、眺めた。
(いつまで続くんだろうな、この生活)
続いて欲しいような、続いて欲しくないような。
とんでもなく複雑な気分なのだ。
自分から云い出した同居だった。そして、今、同衾までしてしまい、この先どうなるのか予測は全くつかない。仕事上ではいつも冷徹な副長である土方も、愛しい総司のことになると、予測不可能な行動に走ってしまうのだ。
可愛いと思う。愛していると思う。
だが、だからといって、何をするつもりなのか。
こんなふうに、総司の秘密を弱みのようにして握り、同居を強いてしまっている自分は卑怯な男ではないのか。挙句、その肌にふれたい、愛したいと思ってしまう己は……
(最低、だな)
土方は畳の上に腰をおろすと、煩わしげに片手で髪をかきあげた。きつく唇を噛みしめる。
終わりのない恋だった。
憎らしいほど反発され、苛立ち、だが、それでも、愛さずにはいられない存在。
総司は、まさに猫のようなのだ。
愛らしく無邪気で、そのくせ、油断して手をさし出したとたん、残酷なほどの冷たさで男の心に爪をたてる。綺麗に澄んだ瞳も、甘い声も何もかも、男の惹きつける魅力をふりまきながら、その実、何の自覚もないときているのだ。
男にじゃれついたり、笑いかけたりする総司を見るたび、どれほど嫉妬と苛立ちを覚えてきたことか。
今もそうだった。こうして男の布団にもぐりこみ、何の警戒心もなく眠っている総司に、ため息がもれた。
「少しは警戒しろよ」
土方はゆっくりと片膝を抱え込んだ。眠る総司を眺めながら、呟く。
「おまえ、狼の巣穴で寝ているようなものなんだぞ」
男の目が僅かに細められた。
「喰われちまっても……知らねぇからな」
そのとたん、だった。
突然、ぱちりと総司の目が開かれたのだ。
思わず息を呑んでしまった土方の前で、総司は彼の方へ視線をやった。ころりと転がり、視線をあわせる。
そして、云った。
「食べ…ちゃうの……?」
「総司」
「私を……食べちゃう、の?」
舌ったらずな口調に、土方は背中がぞくぞくするのを感じた。庇護欲と嗜虐心のない混ざった複雑な気持ちが、こみあげてくる。
苛立ちのまま、黒い瞳でまっすぐ見据えた。
「あぁ」
はっきりと答えてやった。
「俺は、おまえを食っちまいてぇ」
その答えに、総司は何も答えなかった。ただ潤んだ瞳で、じっと彼だけを見つめている。
やがて、にこりと微笑んだ。あどけない愛らしい笑顔。
思わず見惚れていると、総司は甘く澄んだ声で云った。
「いいですよ」
「え?」
土方の目が見開かれた。それに、総司は言葉をつづけた。
「私を食べちゃっても……土方さんなら」
「総司」
「うん、食べられちゃっても、いいかな」
くすくす笑う総司に、まだ寝ぼけているのかと思った。だが、あまりにも可愛いお誘いに、男の躰が熱くなる。
思わず布団の傍によった。
すると、総司が甘えるように可愛らしく、彼にむかって手をさしのべた。背中に手をまわして抱きおこすと、そのまま抱きついてくる。
「……っ」
着物ごしに感じるぬくもりに、甘い匂いに、たまらず口づけた。白い首筋に、頬に、耳もとに。
さすがに唇を重ねることは出来なかった。
そんな事をすれば、総司も完全に目を覚ましてしまうだろう。とたん、悲鳴をあげて逃げられることは確実だった。寝ぼけているからこそ、嫌いな男にもこうしておとなしく身をまかせてくるのだ。
花びらを降らすように、優しく口づける土方に、総司はくすぐったそうに笑った。そっと身をたおすと、総司は従順に男の胸に縋った。細い指さきが彼の着物を掴んでいる。
その事にたまらぬほどの愛しさを感じながら、土方は華奢な躰を両腕に抱きすくめた。気をつけて抱いてやらなければ、今にも壊れてしまいそうだ。
何度も抱擁と口づけをくり返した。まるで、深く愛しあう恋人たちのように。
(総司、愛してる……)
心の中で囁いた言葉は、夜の闇にとけ消えた。
翌朝、総司は熱が出てしまった。
今日は仕事すみませんと謝る総司を、土方は苦々しげに見やった。
やはり、そうだったのだ。
寝ぼけている上に、熱まであれば、あんな事も出来てしまうのだろう。
ほんの淡い期待も打ち砕かれた思いを抱きながら、土方は冷ややかに云った。
「病人はおとなしく寝ていろ」
「……はい」
申し訳なさそうに頷いた総司に、土方は小さな胸の痛みを感じたが、それを抑え込んだ。手早く身なりを整えると、部屋を出ていってしまう。
遠ざかる足音を聞きながら、総司は瞼を閉じた。
(土方さんは、何とも思っていないみたい……)
あそこまで云っても、誘っても、翌朝になれば言葉一つかけてくれない男に、打ちのめされる思いだった。
昨夜は頬にだったが、口づけまでされたのだ。なのに、あんな事は土方にとって日常茶飯事なのか、まるで忘れてしまっているようだった。
それがたまらなく悔しく、切ない。
(私なんて、ものの数に入ってないものね)
土方にとって、総司が恋愛対象になるなど、天地がひっくり返ってもありえない事なのだ。いつも美しい女に纏いつかれている男が、こんな同性の、それも我儘で気の強い子供など相手にするはずもない。
猫になれば笑顔をむけてもらえるかもと思った。
確かに、土方と驚くほど近づくことは出来たが、それでも、二人の間は遠く離れてしまっている。
愛しい男だった。ずっと片思いをしてきた、恋しい男なのだ。
その男に少しでもふれたい、話しかけたい、近づきたいと思いたくなるのも、当然のことだったが、一つかなえられると、もっともっとと求めてしまうのだ。そんな自分が怖いほどだった。
総司は明るく素直だが、控えめで恋愛に関しても初心な若者だった。
そのため、自分から強引に事を推し進めることや、誘ったりすることなど、到底できなかったのだ。
布団へもぐりこんだことも、全く無意識のうちだった。完全に夢だと思っていたのだ。
だからこそ、翌朝、彼の布団の中で目を覚ました時は、顔から火が出るほど恥ずかしかった。そんなにも彼が好きなのかと、彼が欲しいのかと、自分の想いの激しさに戸惑い、彼の顔を見ることも出来なかったほどだ。
なのに、土方はそんな総司にまるで気づいていないようだった。挙句の果ては、面倒だと云わんばかりの口調で「起こされるよりはいい」と、ぶっきらぼうに初めから同衾することを提案してきたのだ。
どんな思惑があってのことかと、思わずまじまじと彼の顔を見てしまったが、土方は全く気にもとめていないようだった。彼にとっては、ただ、夜中に起こされるのが嫌、それだけの話なのだ。
総司は自分が道端の石ころにでもなった気分になった。
確かに、以前よりは近づけたと思う。
こんなふうに話したり、一緒に食事をとったり、果ては一緒に休むことができるなど、前から見れば夢のような話だ。
だが、土方にとって、これは一番隊組長にたいする儀礼的な行為にすぎなかった。それが当然だとわかっていても、切なくて涙がこぼれそうになる。
「贅沢だよね」
総司はため息をつき、布団の中で身を丸めた。
考え事をしているうちに眠ってしまったらしく、気が付けば、夕焼けがこの部屋にも射し込み始めている。昼飯が部屋の中にさし入れられてあったが、とても食べる気にはなれない。
もそもそと起き上がり、総司は身づくろいを整えた。だいぶ気分も良くなってきたので、早めに夕餉の支度を取りにいこうと思ったのだ。
部屋を出て厨に行き、夕餉の支度を受け取る。土方は外出中という事だったので、先に頂くことにし、自分の分だけもらってかえった。
一人淋しく食べているうちに日も落ち、あたりは暗くなってくる。とたん、ぴょこんと耳と尻尾が生えた。それにため息をつきつつ、行燈に明かりを灯す。
その時、だった。
「総司」
部屋の外から誰かが声をかけた。それに、びくりと肩を震わせる。
息をつめていると、その誰かは名乗ってくれた。
「斉藤だ。気分が悪いと聞いたが」
「あ……斉藤さん」
総司は、ほっとして微笑んだ。一瞬、障子を開けかけるが、慌てて手をひっこめる。
「だいぶ気分も良くなりました。今、食事をとっているところです」
「そうか、良かった。中へ入らせてもらうよ」
「……え」
固まった。
咄嗟に状況が理解できなかったのだ。はっと我に返り、慌てて腰をうかす。
「あ、待って! 斉藤さ……」
だが、時、すでに遅しだった。からりと障子が開かれ、斉藤が入ってくる。
きちんと障子を閉めた斉藤は、何か土産を手にしていた。それを渡そうと総司の方へ向き直り、にこやかにさし出しかける。
次の瞬間。
「!?」
斉藤の目が驚愕に開かれ、その手から包みがぼとりと落ちた。