「それ……どういう事なんだ!?」
 斉藤は呆気にとられた顔で、総司をまじまじと見つめた。


 いつもどおりの多忙な一日が過ぎ、夕暮れの頃になってから、斉藤は、総司がせっせと荷物を運んでいるのを見かけた。部屋替えかと思ったが、それにしては向かっている方向がおかしい。
 呼びとめて訊ねたところ、かえってきた返事は。
「副長の部屋で休むことになりました」
 だった。
 あまりにも意外な答えに、斉藤は一瞬、聞き間違えたかと思った。副長でなく、局長かと思ったほどだ。まだ、その方が納得できる。


 唖然とした顔でいる斉藤に、総司は淡々と説明した。
「今夜から、副長の部屋で休むのです。それで、今、荷物を運んでいるわけで」
「それ……どういう事なんだ!?」
「どういう事って、つまり」
「いや、そうじゃなくて、何がどうなって副長と一緒に休むって事になった訳?」
 さっぱり意味がわからないとばかりに追及してくる斉藤に、そりゃそうだよねと、総司は頷きたくなってしまった。


 何しろ、土方と総司は犬猿の仲なのだ。
 打ち合わせで口論になった(というより、一方的に総司がきゃんきゃん言っていたのだが)回数は数限りなく、新選組の副長と一番隊組長は水と油だとまで云われていた。
 なのに、突然、同じ部屋で休むという。
 何かあると思われて当然のことだった。


「もしかして、副長に命令されたのか」
「え」
 口ごもってしまった総司に、斉藤の鳶色の瞳が光った。がしっと総司の細い肩を掴む。
「そうなんだな!? 副長に無理強いされているんだな?」
「ち、違いますよっ」
 慌てて、総司は否定した。
「そうじゃなくて、いろいろあって、私も承知した上での話なんです」
「いろいろって?」
「ごめんなさい。それは云えないのです」
 そう云ってから、総司は、ほんのり頬を赤らめた。
 その様子に、斉藤は唖然となった。
 最近までの態度とはまったく違うのだ。土方との事を話しているのに、こんなふうに頬を赤らめ恥じらう様子を見せるなど、信じられぬ話だった。
 長い睫毛を伏せている様は、そこらの花魁顔負けの色香で、ますます焦燥がつのってしまう。


 土方さんは総司に何をしたんだ!?


 思わずそう叫びそうになった瞬間、背後で低い声が響いた。
「斉藤、邪魔だ」
「――」
 冷たい響きをおびた男の声に、斉藤はふり返った。
 見れば、不機嫌そうな表情の土方が佇んでいる。脇へのけた斉藤に構うことなく、その向かいで荷物を抱えている総司に声をかけた。
「早くしろ、日が暮れちまうぞ」
「えっ、本当ですか」
「あぁ。夕陽も射してきているだろう」
「ご、ごめんなさい。急ぎます」
 総司は素直に男の言葉に従うと、慌ただしく荷物を抱えて土方の部屋の方へ駆け去っていった。小柄な躰が軽々と動き、後ろで結わえられた黒髪が、ふわふわと揺れるさまは何とも愛らしい。
 それを見送った斉藤は、土方をふり返った。鳶色の瞳で、きっと睨み据える。
「どんな呪文を使ったんです」
「何がだ」
 訝しげに眉を顰め、見下ろす土方に、斉藤は棘のある口調でつづけた。
「ついこの間まで、あれだけ反抗していた総司ですよ。なのに、今日はあんなにも素直に副長の言葉を聞いている。しかも、同じ部屋で休むときた。おかしいと思って当然でしょう」
「そうか? 別におかしくねぇだろう」
 土方はかるく肩をすくめた。
「関係が修復された。それだけの事じゃねぇか」
「とても、それだけとは思えませんが」
「ふうん?」
 土方は斉藤を眺めやると、形のよい唇の端をあげてみせた。ふっと微かに笑う。
「そんなに総司が大事か」
「……大事ですよ」
 一瞬、間があいてしまったが、斉藤は懸命に答えた。


 彼にとって、総司は大切な存在だ。
 友人などではなく、一人の愛らしい若者として心底大切に思っていた。
 だが、それを今、土方に告げる気にはなれなかった。
 目の前に佇む男から、ひやりとしたものを感じたのだ。
 まるで、冷たい刃を首筋に突きつけられているような感覚だった。


 とりあえず、これだけはと言った。
「だから、心配しているのです。友人として当然じゃありませんか」
「当然ね」
 くっと喉を鳴らして笑い、土方は視線を動かした。総司が立ち去った方を眺めやり、微かに目を細める。
 だが、それきり何も云う事はなく、踵を返した。着物の裾をひるがえし、立ち去ってゆく。
 それを見送り、斉藤は唇を噛みしめた。











「あ、お帰りなさい」
 障子を開けたとたん、総司の声に迎えられ、一瞬、戸惑ってしまった。
 云った方もしまったと思ったのか、頬を赤らめている。そんな様子が可愛くていじらしくて、土方は思わず微笑んでしまった。
「……ただいま」
 柔らかな声音で返してやると、総司は、ほっとしたように笑ってみせた。向かい合わせに膳を並べたり、櫃をあけたりしている。
 それが「お帰りなさい」という言葉にふさわしく、新婚のような甘酸っぱさをともない、土方はくすぐったい気分になった。
「先に食べていれば良かったんだ」
 刀を刀掛けに置きながら、云った。それに、総司が後ろで「でも……」と口ごもる。
「なんか一人で食べるのって、淋しいじゃないですか」
「なら、広間で……」
 云いかけ、それは無理だと思った。
 もう猫耳は生えてしまっていたのだ。先ほど、日が沈んだから恐らくと思っていたが、やはり猫耳は出てしまっている。
「やはり、夜になると出るようだな」
「はい」
 しゅんとした面持ちで頷く総司の頭には、白猫の耳が生えていた。それがたまらなく可愛いくて、一瞬、抱きしめたくなる。
「とりあえず飯にしよう。俺は後でまた出るから」
「え? 外出ですか?」
「いや、そうではなくて仕事だ。公の部屋に戻る」
「……はい」
 こくりと頷いた総司がひどく淋しげだった。


 無理もない。
 総司は子供の頃から大勢の者に囲まれて過ごしてきた。
 一人でいることが苦手のようだと、近藤からも聞いたことがある。


 土方は思わず手をのばし、総司の頬にふれた。
 びっくりしたように、総司が大きな瞳で彼を見上げる。
「すぐ戻ってきてやるから」
「土方…さん」
「いい子で待っていろよ」
「はい、待っています」
 素直に答えた総司は、とたん、はっと我に返ったようだった。耳朶まで赤くなると、慌てて膳の前に坐る。
 土方も膳の前に腰をおろしながら、胸の内にあたたかなものが広がるのを感じていた。
 幸せの感覚とでもいうのだろうか。
 こんな気持ちになったのは、もう何年ぶりだろうと思った。
 食事をしながら、土方はさり気なく総司の方を眺めた。


 こうして向かい合わせで食事をとるなど、どんなに願ってもありえぬ事だった。
 むろん、土方は総司を手元に置きたかった。いつも傍にいて、あの可愛い笑顔をむけてくれたらと何度願ったことか、わからないほどだ。
 だが、総司はそんな土方の想いに気づくことなど、全くなかった。いつも大きな瞳で睨みつけ、反抗的な事ばかりを口にしてくる。
 本当に、猫のようだった。勝気で我儘な白い猫だ。
 だからなのか、総司がこうして猫耳をはやしていても、正直なところ、土方には違和感が全くなかった。ごく当然のように眺めてしまう。
 実際、似合っているとさえ思っていた。本当に、可愛いのだ。
 全く本人は意識していないようだが、嬉しい時、尻尾がゆっくりと後ろで揺れていた。淋しい時はくたっとなり、耳も力なくなる。
 緊張した時や驚いた時、耳がぴんとたつさまも、思わず笑い出しそうなほど可愛かった。
 総司自身はかなり焦っているようだが、土方にすれば、猫耳も尻尾も、有り難い限りだ。
 そのおかげで、こうして総司と急接近が出来たのだから。


(何がきっかけになるか、わかったものじゃねぇな)


 土方は苦笑まじりに思いつつ、飯を口にはこんだ。
 しばらく黙って食事をしていた総司が、不意に云った。
「土方さん、一つ聞きたいんですけど」
「何だ」
「昨夜のことです」
 小首をかしげるようにして、総司はじっと土方を見つめていた。
「どうして、急に私の部屋に現れたのですか? それもあんな時刻に」
「……」
 思わず箸がとまってしまった。一気に頭が覚め、あれこれと考えをめぐらし始める。
 そんな土方をよそに、総司はいつもの調子で鋭く追及した。
「副長が私の部屋を訪れるなんて、珍しいですよね。というか、初めてじゃありません? なのに……何か用があったのですか?」
「……いや」
 土方は箸をゆっくりと置いた。切れの長い目で総司を見据える。
「用があったというより、気になったから訪れた」
「気になった?」
「全部、話す。だが、きっと、おまえは信じないと思うぞ」
 かるく咳払いしてから、土方は言葉をつづけた。
「夢を見たんだ。副長室でついうたた寝をしてしまってな。その時、おかしな夢を見た」
「どんな夢を?」
「白い猫が出てくるんだ。おまえの部屋へ行けと、何度もしつこく猫に云われる夢だ」
「え、猫がしゃべるんですか?」
 総司は目を丸くした。それから、夢ですものねと気づき、感心したように頷いている。
「夢なら、色々と不思議なことがありますし?」
「……それをおまえが云うか」
 土方は思わず総司の頭に生えている猫耳と尻尾を、まじまじと眺めてしまった。


(おまえの耳や尻尾に比べりゃ、俺の夢なんざたいした事ねぇよ)


 それに総司は一瞬、小首をかしげてから、大きな瞳で彼を見つめた。
「で、その夢に従って土方さんは私の部屋を訪れたと。そういう訳ですか?」
「あぁ。妙に気になったからな」
「よく訪ねようと思われましたね。仲の悪い私たちなのに」
「寝ぼけていたんだろうよ」
 ぶっきらぼうに答え、土方は箸をとりなおした。不機嫌そうな様子になっている。
 それに、総司は、あ、と思った。
 仲が悪いなんて、今更云う必要もなかったのだ。今、こんなにもよくしてくれている彼に、云うべき言葉ではなかった。


(どうして、私って……)


 気まずい雰囲気の中で食事をつづけながら、総司は小さくため息をついた。その様子を、土方が鋭い瞳で見ていることに、気づかぬまま。












 あいつは俺といるのが、そんなに嫌なのか。
 公の副長室に戻りがてら、土方は何度もそれを考えた。
 すぐに答えは出た。
 嫌に決まっているのだ。先ほども総司が云ったように、あんなにも仲が悪かった相手なのだ。
 先日も、こう云っていたのだ。


『副長がどう思おうと、私には何の関係もないし。あんな人のこと、これ以上、考えたくもありません』


 土方が聞いているとも知らず、冷たい口調で云いはなった総司。それを聞いた瞬間、胸を鋭い錐で刺し貫かれたような痛みが走った。一瞬、息ができなかったほどだ。
 愛しい愛しい総司。
 この世の誰よりも可愛く、大切な総司。
 だが、そんな男の想いは永遠に届かぬのだと、思い知らされた瞬間だった。


 初めて逢った頃から、大切に思っていたのだ。
 大切に思っていたからこそ、あまり近づかなかった。否、近づけなかった。
 ……怖かったのだ。
 あの澄んだ瞳に映る自分が、どんな存在なのか、確かめる勇気がなかった。


 江戸にいた頃、土方は自堕落な生活をしていた。
 女から女を渡り歩き、遊び、己が何をしたいのかさえ掴めず、ただもがき続けていた。
 そんな土方に対し、宗次郎はまるで清らかな花のようだった。清楚で愛らしい花。
 だからこそ、ふれる事を恐れた。近づくことを恐れた。ふれれば、近づけば、めちゃめちゃに壊してしまいそうな予感がした。穢してしまいそうだった。
 愛しているがゆえに、遠くから見守るだけの立場に甘んじたのだ。


 それは、京にのぼり新選組副長となってからも、変わることはなかった。
 むろん、土方自身も環境も変わった。堂々と、総司の前に立つことができる男になったと自負している。
 だが、今更だった。
 総司の心は、もはや取り返しのつかない処にまで遠く離れてしまっていた。ことごとく自分に逆らってくる総司に、苛立ちを覚えた。
 新選組結成当時は混乱もあっただけに、尚のことだった。自分を蔑んでいるからこそ、こんな態度に出るのかと思ったが、そうではないようだった。ただ、嫌われているのだ。徹底的に、嫌われてしまっているのだ。
 その事を知った時、土方は自分の恋が終わったと思った。
 何が理由かわからないが、嫌っている相手が今更、自分を好いてくれるはずもない。そんな望みなど抱くのも莫迦らしかった。
 だからこそ、土方は、総司が反発してきた時、出来るだけ言葉を返さぬように気をつけた。
 愛している事を告げたいと思っていた時は、苛立ちもし、鋭い言葉も返した。だが、どうにもならないとわかった以上、総司の立場を悪くしたくなかった。それ故、土方は常に言葉少なく、総司の反発を流すように気をつけたのだ。
 何よりも、これ以上、嫌われたくなかった。
 だが、そんな日々をおくっていた土方におこったのが、今回の事件だったのだ。
 信じられない話だが、あの猫耳と尻尾のおかげで、総司は土方と話をしてくれている。
 何よりも今、総司は彼の部屋にいるのだ。
 たとえ、そこに気持ちはなくても。
 好意の欠片もなくても。


(嫌いな男と同じ部屋で休むことを承知してくれただけでも、有り難いと思わねぇとな)


 土方は苦々しい思いで、唇をゆがめた。


 恋は終わりだと思っていたくせに、こうして総司を強引に己の部屋へ引きずりこみ、何かと世話をやこうとしている。
 その心のどこかに、ほんの小さなものでもいい、彼への好意を見つけ出そうとしている。
 そんな自分の未練がましさを自嘲した。


「……総司」
 土方は、己の部屋の方をふり返ると、そっと低く呟いた。



















どんどん甘甘展開になっていきます〜。