総司は、必死になって説明しようとした。
 だが、いったいどう説明すればいいのか。
 土方は一歩、後ずさり、呆然と目を見開いている。真剣な表情でまじまじと見つめた後、訊ねた。
「おまえ……総司か?」
「は、はい!」
 勢いよく答えてから、総司は慌てて唇をおさえた。それに、しばらくの間、土方は呆然と見下ろしていたが、やがて、総司の傍に歩み寄った。
 ゆっくりと跪きながら、総司の顔を覗き込み、耳や尻尾を眺めた。
「本当に、総司……だな? いや、総司だよな」
「そうです。私は沖田総司です。でも、こんな……何というか、こういう事になって、その……」
「……」
 口ごもってしまった総司に、土方は、やがてため息をついた。煩わしげに髪をかきあげながら、低く呟く。
「まずったな。まさか、こんな事になるとは」
「……っ」
 苛立ちを隠せない彼の声音に、総司はびくりと肩を震わせた。おそるおそる見上げてみれば、土方は何か思案しているらしく目を伏せている。
 総司はその様子に焦りを覚えた。


 まさかと思うが、この隊から追い出されてしまうのだろうか。
 いや、実際それは考えられることなのだ。


「副長、あの……」
 勇気をふり絞った。きちんと正座し、両手を前につく。
「お願いですから、私をこのまま隊においてもらえませんか」
「総司」
「この耳も尻尾も隠します。今までどおり、一番隊組長として働きます」
「はぁ? そんな事できるはずがねぇだろう」
 土方は呆れたように、総司を眺めた。
「尻尾はともかく、猫の耳なんざ、いったいどうやって隠すんだよ」
「猫の耳?」
 総司はあらためて両手で、自分の耳にふれた。小首をかしげる。
「これって、猫の耳なんですか?」
「そうとしか見えねぇが。白猫の耳だな。尻尾も真っ白だ」
「猫……」
 そう呟いたとたん、あっと息を呑んだ。


 もしかして、昨日のことが理由なのだろうか。
 猫になれたらと思ったことが。


 まさかとは思うが、それしか思い当たらず、青ざめてしまった。
 急に黙り込んでしまった総司に、土方は眉を顰めた。
「大丈夫か」
「……全然、大丈夫じゃありません」
「そうだな。けど、とにかく、猫の耳がある限り今までどおりに働けんぞ。何とかしねぇと駄目だろうな」
「あの、お願いです!」
 総司はもう一度、頭を下げた。
「何でもしますから、この事は誰にも云わないで下さい。秘密にしておいて欲しいのです」
「……秘密?」
 何に反応したのか、土方が微かに眉を顰めた。しばらく黙ってから、そっと手をのばしてくる。しなやかな指さきが、総司の頬にふれる寸前、ぴたりと止まった。
 そのままの姿勢で、総司の瞳を覗き込んだ。濡れたような黒い瞳に見つめられ、どきりとする。
 息をつめて見返す若者をしばらく見つめた土方は、やがて、ふっと微かに唇の端をあげた。ゆっくりとした口調で、訊ねる。
「この俺に、おまえと秘密を共有しろと云うのか? おまえを庇えと?」
「……」
 勝手な言い分だとわかっていた。だいたい、あれほど反抗的な態度をとってきた自分なのだ。これ幸いと、土方が目障りな総司を排除しようとしても、当然の事だった。
 そんなにも嫌われているのだ。自業自得だとわかっていても、切なくなる。泣き出したくなってしまった。
 総司は必死に涙をこらえ、ぎゅっと唇を噛みしめた。
「……」
 そのまま、土方を見つめつづけると、男が微かに息を呑むのがわかった。何とも云えぬ複雑な表情で見つめてから、視線をそらし、ちっと短く舌打ちする。
「……ったく、男を煽るなよ」
 低く呟かれた言葉は、総司の耳には届かなかった。
 え?と聞き返したが、土方は何も答えてくれない。ゆっくりと坐りなおしながら、膝に片肘をついた。頬杖をつきながら、総司を眺め、答える。
「いいぜ?」
「え」
「秘密を共有してもいいって、云ったんだ。俺がおまえを守ってやる」
「……本当に?」
 思わず聞き返してしまった。それに、たちまち土方は不機嫌そうな表情になった。
「何だ、不服なのか」
「そうじゃなくて! そうじゃありませんけど、でも……」


 信じられないのだ。
 今、彼は「守ってやる」と云ってくれた。
 それが妙に甘い響きに聞こえてしまったのは、総司の気持ち故だろう。
 たいした意味など、ないはずなのに。


「でも、その、この耳はどうすれば……」
「そうだな」
 土方は総司の耳を眺め、考え込んだ。それから、ふと気が付いたように手をのばし、いきなり耳の先っぽにふれてくる。
「!」
 びくんっと躰を竦ませてしまった。それに、土方が目を見開いた。
「驚いたな、ちゃんと感じるのか」
「あたり前です」
「しかし、牙も爪もなくて、耳と尻尾だけとはな。何とも中途半端な話だ」
「余計なお世話です。それより、これからどうすれば」
「髪を大きめに結うか、頭に傷を負ったとでも偽って晒でも巻いて隠すか」
「そういう方法もあるんですね」
 なるほど〜と、感心したように頷く総司に、土方は肩をすくめた。立ち上がりながら、云う。
「とりあえず、今日は寝ろ。明日の朝になってから考えればいい」
「え、でも」
「明日の朝早く、ここへ俺が来てやる。それで話し合おう」
「はい」
 素直に頷いた総司を、土方は一瞬、奇妙な表情で眺めた。だが、すぐに視線をそらすと、黙ったまま部屋を出ていってしまう。
 遠ざかってゆく足音を聞きながら、総司は、はぁっとため息をついた。












「……総司」
 低い声で呼ばれ、総司はうすく目を開いた。
 まだ夜明け前だ。部屋の中は薄暗かったが、少しずつ明かりが障子越しに射し込んでくる。
 それをぼんやりと見つめてから、総司はごそごそと寝がえりをうった。もう少しだけ眠ろうと目を閉じかける。
 とたん、肩に誰かの手がふれた。
「総司」
「……え?」
 さすがに、完全に目が覚めた。驚いて見上げると、土方が枕元に坐り、覗き込んでいる。薄暗い中でもわかる端正な顔だちに、どきりとした。
「え、わっ!……ひ、土方さん」
 慌てて起き上がり、総司は布団の上に正座した。膝に手をおき、彼を見上げる。
 それらの一連の動きを眺めていた土方は、かるく肩をすくめた。
「朝、来ると云っておいただろうが」
「す、すみません。ぐっすり眠っちゃって」
「いや、それは構わねぇが……おまえ、耳消えているぞ」
「えっ!?」
 総司は思わず両手を頭の上にやった。昨夜、猫耳があった場所だ。そこでふれたのは、自分の髪だった。
 とたん、体の力が抜けた。
「……よかったぁ、夢だったんだ」
 思わず、しみじみ呟いてしまう。それに、土方は肩をすくめた。
「夢じゃねぇよ。っていうか、なら、何で俺がここにいるんだ」
「あ、そうですよね。だったら、あれは現? でも、消えたから良かったです。これで一件落着ですね」
「おまえは本当に呑気だな」
 呆れたような男の言葉に、総司はむっとした。桜色の唇を尖らせる。
「何ですか、呑気って」
「超がつくぐらいの呑気さだよ。それが一時的なものだと思わないのか? 何で消えたのか、考えてみろよ」
「何で……消えたんでしょう?」
 不思議そうに首をかしげる総司に、土方は難しい顔で説明した。
「俺の推測だが、昨夜のことから考えると、夜の間だけ猫の耳と尻尾が出るんじゃねぇのか。朝になったから、耳と尻尾は消えたと」
「えぇーっ!? じゃあ、今夜も出るって事ですか。これから毎晩!?」」
「たぶん、そうだろうな」
 あっさり頷いた土方に、総司はなめらかな頬を紅潮させた。
「そんな簡単に云わないで下さいよ。私にとっては死活問題なんですから」
「そうか? 夜だけなら対処方法もあるだろう」
「どんな」
「人に逢わなきゃいい」
「そんなの無理ですよ!」
 思わず力説してしまった。
「夜の巡察だってあるし、私の部屋に誰かが入ってくることも、いっぱいあるし」
 とたん、土方の眉が顰められた。しばらく黙ってから、押し殺した声が問いかける。
「……どういう意味だ」
「え? だから、夜の巡察……」
「そうじゃなくて、その後だ。夜、おまえの部屋にいったい誰が入ってくるって云うんだ」
「結構ありますよ。斉藤さんでしょ、近藤先生でしょ、原田さんでしょ、永倉さんでしょ。この間は、平助も……」
「おかしいだろう。そんなもの断れよ」
「何で断る必要があるのです。別に何の問題も」
「今、実際、それが問題になっているんだろうが。さっさと出入り禁止にしちまえ」
 乱暴な口調で云いきった土方は、かなり不機嫌そうだった。眉を顰め、切れの長い目に剣呑な色をうかべている。
 それを、総司は不思議そうに眺めた。しばらく黙ってから、云ってみる。
「出入り禁止って、そんなの出来ませんよ。だいたい、そう云う副長自身が昨夜入ってきたじゃありませんか」
「……」
 土方は押し黙ってしまった。
 それに、まずい事を云ってしまったかもと思った。せっかく一緒になって考えてくれているのに、いつもの癖で反発ばかりしてしまった気がする。
 こんな事ではますます嫌われてしまうと、総司は慌てて言葉をつむいだ。
「でも、あの、土方さんが昨日、来てくれたのは嬉しかった……です」
 総司の言葉に、土方は目を見開いた。驚いたように、見つめている。
 綺麗に澄んだ黒い瞳に見つめられ、総司は気恥ずかしくなってしまった。俯き、細い指さきで着物をぎゅっと掴む。
 そんな総司を前に、土方は僅かにため息をついた。


 本当に、翻弄されていると思う。
 猫耳があってもなくても、この若者は仔猫のように気まぐれで、男心を簡単に弄ぶのだ。
 それも無意識の、抗いようのない魅力で。


「なら、夜は俺の部屋に移れ」
 淡々とした口調で提案した土方に、総司は目を見開いた。
「土方さんの……部屋?」
「あぁ、俺の部屋なら、気楽に入ってきたりしねぇよ。避けて通る方が多いだろうしな」
 皮肉っぽい笑みをうかべながら答えた土方を、総司は見つめた。一瞬、意味がわからなかったのだ。
 だが、次第にその言葉の意味が理解されてくると、かぁぁーっと頬に血がのぼった。
「え、えっ……それって」
「何だ」
「それって、私があなたの部屋に移るって……じゃあ、土方さんは……?」
「自分の部屋だ。いるに決まっているだろうが」
「という事は、私、土方さんと同じ部屋で休むってこと!?」
 声が裏返ってしまった。
 

 あまりの事態に、声ばかりか、躰ごと後ろへひっくり返ってしまいそうだ。
 いくら同性とはいえ、総司の場合、土方は誰よりも恋しい男だった。
 この世でただ一人、総司がずっと見つめ、愛しつづけてきた男。
 なのに、その男と同じ部屋で休むなど、到底できるはずもなかった。
 考えただけで頭に血がのぼるし、とんでもない事をしでかしてしまいそうな気がする。


「む、無理無理無理っ!」
 思わす叫んだ。
「そんな、副長と同じ部屋で休むなんて、緊張して眠れません! それに、そんな事するのおかしいと思うし、人に聞かれたらまずいし……」
「総司」
 突然、土方が総司の言葉を遮った。それに驚いて見上げたとたん、怒りを湛えた瞳に見据えられる。
 あまりの迫力に、無意識のうちに後ろへ下がってしまった。そんな総司をじっと見据えたまま、土方はゆっくりと訊ねた。
「……つまり、俺が嫌なのか」
「えっ!?」
「おまえは、俺のことが嫌で、同じ部屋に休みたくないと云うのか」
「ち、違いますっ」
 総司は急いで首をふった。
「そうじゃなくて、ただ、申し訳ないし、そんなの緊張しちゃうし」
「大丈夫だ。おまえは何も心配するな、俺に任せていればいい」
 自信満々で云いきる土方に、総司は困ってしまった。自分が緊張するかしないかなど、他人に任せられるものなのだろうか。
 だが、それを告げようとしたとたん、土方に遮られた。
 突然、彼が手をあげたかと思うと、総司の頬にふれたのだ。そっと包み込み、仰向かせてくる。
 まるで口づけでもするような動きに、総司は息を呑んだ。目を瞠る。
 それに、土方が身をかがめた。耳元に唇を寄せると、なめらかな低い声で囁きかける。
「云っただろう……?」
「え?」
「おまえは、この俺が守ってやると」
「……っ」
 耳朶に感じる彼の吐息に、ぎゅっと瞼を閉じてしまった。躰中が熱くて、どうにかなってしまいそうだ。
 おそるおそる目を開いたとたん、土方と目があった。柔らかく微笑みかけられ、ますます鼓動が早くなる。
 今まで一度だって見たことがない、優しげで綺麗な笑顔だった。いつも、総司がむけられたいと望んでいたような。
 ぼうっとしていると、土方は昨夜のように立ち上がった。
「とりあえず、これで話は決まりだな。今日中におまえの荷物を俺の部屋へ運んでおけよ」
「え、え?」
 強引に事を進める土方に、総司はもはや何と云ってよいのかも、わからない。呆然としている間に、土方は敏捷な身ごなしで部屋を出ていってしまった。
 それを見送ってから、じわじわとこみあげてくる実感。
「私が土方さんと同じ部屋で眠るの? あの人の部屋で……?」
 頬が燃えそうなほど熱いと思った。
 手のひらでふれてみると、やっぱり熱い。となると、きっと土方の目にも、頬を赤くした自分が映っていたのだろう。


 想いに気づかれたとまではいかないが、こんな顔をしていたのでは、到底嫌がっているようには見えなかっただろう。
 いや、実際、いやなはずがないのだ。
 愛しい男と一緒に休むことが出来るなど、こんな幸せはないと思う。
 ただ、不安になってしまうだけで、心配になってしまうだけで……


「……私の想い、隠し通せるのかな」
 小さく呟いた総司は、はっと我に返った
 。雨戸をたてる音があちこちで響いている。新選組の日々は慌ただしいのだ。いつまでもぼんやりしている訳にはいかなかった。


(とりあえず頑張らなくちゃ)


 総司は身支度を整えると、いつもどおりの凛とした表情で部屋を出た。