「―――嫌です」
いっそ、潔いほどだった。
大きな瞳で男を見据え、花のように愛らしい姿には似合わぬ冷たい口調で、その若者はきっぱりと云いきった。
「お断わりします」
躊躇いも何もないその断り方に、周囲は皆、固唾を呑んだ。
幹部たちのみの打ち合わせの場だった。そして、今、一番隊組長である総司は、副長土方からの命令を拒絶したのだ。
だが、それは特別な事ではなかった。ここ最近、総司が土方の命令を素直に聞いた事などあったのか、覚えがない程なのだ。
では、何に対して固唾を呑むかと云えば、副長土方の反応だった。ある意味、彼はよく堪えている方だった。
衆目の中で非難されても、冷ややかに流すばかりで相手にもなろうとしない。苛立ちを覚えているに違いないのに、驚くほどの自制心だった。
今も、土方は冷たく澄んだ瞳で、総司を見据えただけだった。しばらく無言でいたが、やがて、ふっと目を伏せると、低く云った。
「……そうか」
それきりだった。
先ほどの命令についてふれようともしない。まるで何事もなかったが如く、淡々と打ち合わせを続けていった。
やがて、打ち合わせが終わると、土方は書類をまとめ、立ち上がった。大股に部屋を出てゆく彼の端正な顔には、何の表情もうかんでいない。
まさに、血も涙もないと噂される冷徹な副長そのものだった。
「……」
その広い背を、総司はきつく唇を噛みしめたまま見送った。ぎゅっと両手を握りしめている。
ぽんっと肩に手を置かれ、我に返った。
「斉藤さん」
ほっとしたように笑顔になった総司の傍に、斉藤は腰をおろした。
膝に片肘をつきながら、からかうような声で云う。
「長い喧嘩だな」
「……そうじゃありませんよ」
「じゃあ、何」
「仲が悪いだけの話です」
そう答えた総司に、斉藤はふうんと肩をすくめた。
正直な話、二人の関係は傍から見ていても、よくわからないのだ。
江戸にいた頃は、さほど仲が悪いという訳ではなかった。だが、京にのぼってから、急速にその関係は冷えていった。
もともと気があわないのかもしれない。江戸にいた事から、土方は総司にあまり声をかける事もなかったし、総司も同様だった。
おそらくそのままであれば、何も問題は起こらなかっただろう。
だが、京にのぼり、新選組を発足し、土方が副長、総司が一番隊組長という立場になってから、意見の対立が目立ち始めたのだ。
土方は江戸の頃とはまるで人が変わったようだった。陽気で気さくな性格だった男が、今ではほとんど笑う事もなく冷然としている。
それに対し、総司は気が強く真っ直ぐな性質のため、他の者なら黙っている処を構わず意見した。そのため、打ち合わせは二人の口論になることが次第に増えていったのだ。
ただ、最近、土方は無言だった。微かに眉を顰め、冷ややかなまなざしで見るばかりなのだ。
総司も当初のような突っかかる様子はないが、拒絶感を全身であらわしている。
冷え切った関係に、局長である近藤も困惑しているという話だった。
もっとも、総司も理不尽な反抗をしている訳ではない。土方が的確で正しい命令を出す時はおとなしく従っていた。だが、間違っていると思った事は、迷わず口に出すからもめるのだ。
「おまえ、もう少し抑えた方がよくないか?」
斉藤は思わず忠告してしまった。
柄でもないと思うが、斉藤にとって、総司は特別な存在なのだ。
初めて逢った時から、愛しいと思っている片思いの相手。だからこそ、その総司がもしも土方への反抗のため、危うい立場にたたされたならと恐れずにいられなかった。
むろん、身の危険があるなどとは思わない。総司は近藤の一番弟子であり、精鋭部隊の一番隊組長であり、隊随一の剣士だった。
こんないい手駒を、土方がみすみす逃すはずがないのだ。
だが、立場が悪くなるのは十分考えられた。副長土方に反抗するなど、他の幹部たちには到底考えられないことだ。
「抑える気はありません」
きっぱりとした口調で、総司は答えた。
大きな瞳がきらきらと輝き、頬が薔薇色に紅潮しているさまは、息を呑むほど美しい。
それに、斉藤は思わず見惚れた。
総司は類稀なほど愛らしい若者だった。さらさらとした絹糸のような黒髪、大きな瞳、長い睫毛、なめらかな白い頬、ふっくらとした唇。
何もかもが少女のようでありながら、凛とした少年の激しさも兼ね備えているあたりが、魅力を際立たせるのだ。
性というものを超越した何かが、総司にはあった。
(そりゃ、誰だってこんな可愛いくて綺麗な存在を嫌ったりできないよな)
斉藤は苦笑するように思った。
土方の気持ちもわかる気がするのだ。斉藤が見るところ、あれほど反抗されていても、土方自身は総司を決して嫌っていない。
嫌うことなど、できるはずもないのだ。
こんなにも身も心も愛らしく綺麗な存在を、斉藤は今まで見た事がなかった。気立てもよく、素直で優しく、花のような笑顔で駆け寄ってくる。
斉藤が総司の一番近しい友人という場所を占めていることに、やっかみ半分、妬みも隊内にあることはわかっていた。一番隊隊士たちなどは総司に対して崇拝に近い感情を持っている。
だが、総司自身は、そんな自分に全く気付いていない。
「間違っていることを、そう告げて何がいけないのですか? 私は抑えようとは思いません」
「けど、副長に対してあれはまずいだろう。ますます関係が悪化すると思うが」
「いいんです、別に」
総司はそっけなく答えると、立ち上がった。
「副長がどう思おうと、私には何の関係もないし。あんな人のこと、これ以上、考えたくもありません」
「……」
冷たいとも云える言葉に、斉藤は息を呑んだ。
それに一礼すると、総司はさっさと広間を出ていってしまった。開け放たれた縁側から風がはいってくる。
ぼんやりそれを目で追った斉藤は、ふと気がついた。
障子の陰だった。もう皆が立ち去ってしまったと思っていたのに、誰かが縁側に腰を下ろしているのだ。
躰を微かに斜めにしたとたん、目を見開いた。
「……土方さん」
思わず呟いた斉藤の声に、柱に凭れるようにして胡坐をかき、書類に目を落としていた土方が顔をあげた。切れの長い目が斉藤を見据える。
だが、すぐに視線をそらすと、立ち上がった。そのまま縁側を刻むような足音が遠ざかってゆく。
(最悪……)
斉藤は深くため息をついた。
どうして、あんな風になってしまうのだろう。
自室に戻った総司は、きゅっと唇を噛みしめた。
最近、彼の顔を見ると反抗ばかりしている気がする。つとめて理不尽な行動はしないように気をつけているが、思ったことをつい口に出してしまうのだ。
否、口に出すのはいい。意見するのはいい。
だが、せめて、他の誰もいない副長室などで述べるべきなのに。それが大人としての対応だと、先日、近藤にも諭されたばかりだった。なのに。
あれでは、土方に恥をかかせるようなものだ。
彼もいい加減呆れはてているだろう。その証に、今日も冷たいまなざしをくれただけで、その後は全く黙殺されてしまった。
もはや口をきくのも煩わしい存在になり果ててしまったのだろうか。
「……私って……本当に子どもだ」
総司は柱に凭れかかり、両膝を抱え込んだ。
新選組の中で、総司は土方をひどく嫌っている事になっている。当然だろう。あれ程、口論ばかりしてきたのだ。
だが、本当は違った。
好きで好きでたまらないのだ。
総司にとって、誰よりも恋しい男なのだ。
江戸の試衛館に彼が訪れ、初めて逢った瞬間、恋に落ちた。
仄かな憧れと初恋だけに一途な想いで、ずっと見つめつづけてきたのだ。
だが、土方は全くふり返ってくれる事はなかった。他人行儀な態度であり、声も滅多にかけてくれない。当然、九つもの年下の総司から話しかけられるはずもなく、ただ遠くから見つめるばかりだったのだ。
京にのぼってから、ますます土方は遠い存在となった。張りつめた空気を纏い、冷徹に振る舞う土方は、大人の男そのもので近寄りがたかった。
ましてや、祇園や島原で遊び、たくさんの美しい女たちから秋波をおくられていると聞けば、尚の事だ。一縷の望みもない恋に、総司は一人泣く他なかった。
ある意味、これは八つ当たりなのだ。
打ち合わせの時、総司が反抗的な言葉を返す時だけ、土方は総司を見てくれる。その黒い瞳が総司をとらえるのだ。
それが苛立ちであれ、侮蔑であれ、他の誰でもない自分だけを見つめて欲しいと願ってしまう己は、どこか歪んでいるに違いなかった。
こんな事をしても、何にもならないのに。
ますます嫌われていくだけなのに。
「……斉藤さんの云うとおりだよね」
忠告してくれた斉藤の言葉は、もっともなだけに、総司の胸に鋭く突き刺さっていた。
いっそ大声で泣いて叫んで、土方にすべてを告白してしまおうかと思う。
だが、その時、彼の端正な顔にうかぶだろう嫌悪の色を考えると、身が竦むような思いにとらわれた。
怖い、と思う。
だいたい、望みなど欠片もないのに、告白していったい何になると云うのか。自分は男で、しかも嫌われているのだ。子どもだと侮蔑されてしまっているのだ。
ぎゅっと目を閉じた総司の目の裏に、先日、見た光景がよみがえった。
西本願寺の庭先で、土方が一人跪いていたのだ。何をしているのかと伺ってみれば、猫を相手にしているようだった。
その笑顔の優しさに、思わず息を呑んだ。
あんな笑顔、むけられた事もない。猫にでも見せている笑顔を、自分は向けられた事がないのだ。
それがたまらなく辛かった。悲しくて辛くて、泣きそうになりながらその場を離れる他なかった。
(もし……私が猫だったら、少しは相手にしてもらえるのかな)
ふと、そんな事まで考えてしまい、総司は小さく自嘲の笑みをこぼした。
夜だった。
喉の渇きを覚え、総司は目を覚ました。
水でも飲みに行こうと起き上がり、部屋を出る。遠くで夜の巡察に出てゆく隊士たちのざわめきが聞こえていた。まだ起きている隊士たちもいるのか、明かりがちらほら見える。
総司は寝着のまま厨へ向かった。水瓶から柄杓で水を汲み、喉を潤す。
その時だった。水に映った己の姿に、ふと違和感を覚えた。
「……?」
目をこらしてみたが、よくは見えない。総司は小首をかしげ、部屋に戻ろうと踵を返した。
月明かりの美しい夜だった。縁側をゆっくりと歩きながら、総司は乱れているだろう髪にふれた。
その瞬間、息を呑んだ。
「な、何ッ!?」
手に何かがふれたのだ。髪ではない。先の尖ったものだった。毛皮のような感触がある。
総司は物凄い勢いで部屋へすっ飛んで戻り、大慌てで明かりをつけ、鏡を取り出した。とたん、悲鳴をあげそうになる。
「ッ!???」
獣の耳が頭の上に生えていた。どう見ても、獣の耳なのだ。しかも、今更ながら気が付いたが、後ろを見ると尻尾まで生えている。
「何で!? ど、どういう事……っ?」
頭の中が真っ白だった。
何がどうなったのか、さっぱりわからない。いや、それよりも、これからどうすればいいのか。
総司は畳の上に坐りこんだまま、必死に頭をめぐらせた。
こんな事になるなど、聞いた事もない。いや、聞いても信じないだろう。獣の耳や尻尾が生えてくるなど、ありえるはずもないのだから。
「じゃあ、これって夢?」
そう思った総司は頬をギューッとつねってみた。
……痛い。
という事は、これは現の出来事なのだ。
「うーん、まずいよね。これは絶対まずいよね」
ぶつぶつ呟いていた総司は、突然、はっと息を呑んだ。
誰かがこの部屋に近づいてくるのだ。
縁側を歩いてくる音が響いていた。もちろん、通り過ぎていく事も考えられる。
だが、もしもこの部屋に入ってきて、この状態を見られたらいったいどうすればいいのか。
総司はしんばり棒でもしようかと、周囲をきょろきょろ見回したが、そんなものはなかった。そこへ声がかけられる。
「……起きているか。入るぞ」
「!」
思わず目を見開いた。
考えてもみない声だったのだ。
なめらかで低い、はりのある耳ざわりのいい声。もし、耳もとで囁かれたりしたら、それこそ、うっとりしてしまいそうな。
(え、え……嘘ッ! 土方さん!?)
あまりの展開に呆然としている間に、障子はすっと開かれてしまった。思ったとおり、土方が入ってくる。
土方はまだ隊服である黒い着物姿だった。着流した着物の裾がひるがえる。後ろ手に閉めてから、総司の方へ向き直った。
とたん、「えっ?」と目を見開いた。
その姿に驚いたのだろう。彼にしては珍しく唖然とした表情になっている。
「あ、あの……っ、これは……」
総司は慌てて、ぶんぶんと両手をふりまわした。
甘甘展開のお話です。次からどんどん展開していきます。