翌朝、総司は目覚めてからしばらくの間、ぼんやりしていた。
 布団の上に身をおこし、潤んだ瞳で宙を見つめている。人がいれば、熱でもあるのかと思われただろうが、幸い、一人部屋だった。


(……すごい夢見ちゃった……)


 総司は熱く火照った頬を、そっと両手でおさえた。
 なんかもう、とんでもない夢を見てしまったのだ。ここの処ずっと、土方と恋人同士である夢をふわふわと見ていたのだが、まさか、あそこまでいってしまうなど、考えた事もなかった。
 そういった経験のない総司だからこそ、口づけや抱擁どまりであるはずだったのだ。
 ところが、昨夜の夢の中で───


(夢みたい……って、夢なんだけど)


 総司はふるふると首をふった。
 まだ、頬が火照っていたが、あちこちで雨戸が開けられる音を聞けば、いつまでもこうしてはいられない。
 身支度を調え、部屋を出たところで斉藤と行き会った。
「おはようございます」
 そう云った総司に、「おはよう」と返してから、斉藤は少し眉を顰めた。
「顔が赤いな。熱でもあるんじゃないのか?」
「え、そうですか」
 思わず頬に手をあてたが、まだ熱い。それが夢のせいである事は確かだったが、まさか、斉藤に事実を話す訳にはいかなかった。
 誤魔化すように笑ってみせてから、並んで広間へと向う。朝食時なので、広間の中はごった返していた。
 幹部たちの中には自室で食べるものも多いが、人恋しい性質である総司は、広間で食べる方を好む。それを察してか、同じ師範代であり、友人である斉藤も、よくつきあってくれていた。
 食事を始めてしばらくしてから、一瞬、広間がしんと静まったのを感じた。顔をあげると、案の定、土方が入ってくる処だった。むろん、すぐに喧噪は戻るのだが、土方が現われると一種独特の緊張感が漂うのは、いつものことだ。
 だが、今朝、誰よりも緊張してしまったのは、総司だった。
 何しろ、昨夜の夢の中で、この男と睦みあい、それこそ、身も心もとろけそうなほど深く愛しあったのだ。いくら夢の事であり、彼のあずかり知らぬ事とはいえ、緊張せぬはずがないだろう。
 慌てて顔を伏せてしまった総司の前を、土方はゆっくりと通り過ぎていった。奥の方へ向い、こちらも珍しく広間で朝食をとっていた近藤の傍に腰をおろす。
「……総司?」
 いつまでも俯いたままの総司に、斉藤が訝しげに声をかけた。
 それに、え?と顔をあげる。
「何、ですか」
「何って……なんか、様子がおかしいな」
「そ、そうかな。いつもと同じですよ」
「ふうん?」
 疑わしげな目で眺められたが、あんな事、絶対絶対話せるはずもない。
 総司は食事をつづけながら、ちらりと土方の方へ視線をやった。幸いにして、土方はこちらに全く気づく事もなく、近藤と話している。
 その横顔を、思わず見つめてしまった。
「……」
 凜とした精悍な横顔。その顔だちは冷たく整い、甘さなど欠片もない。
 きれいに結いあげられた黒髪、鋭いまなざし、引き締まった口許。
 どれもが、冷徹な副長そのものだ。
 だが、総司は、別の顔を知っていた。
 夢の中であったが、よく知っていたのだ。
 あの整えられた黒髪が乱れ、額にかかっていた男らしい色香。獰猛な獣のような光を宿した、黒い瞳。
 達した瞬間、はぁっと熱い吐息をもらした唇。
 その何もかもを思い出したとたん、躯の奥底から熱いものがこみあげた。ぶるりと身を震わせる。
 だが、次の瞬間、たまらない罪悪感に囚われた。


(土方さんは何も知らない……)


 当然の事だが、土方は何も知らないのだ。
 己が総司の夢の中で好き勝手されているなど、思ってもいないだろう。そんな屈辱的な事、彼が許すはずもなかった。嫌悪と怒りのまなざしで総司を見る土方が、目にうかぶようだ。
 たまらない罪悪感がこみあげた。
 夢だからと、自分は彼に酷い事をしているのだ。酷い仕打ちを。
 なのに、それをよくよくわかっていながら、やめる事はできなかった。総司にもわかっているのだ、ここ最近の夢はすべてあのまじない玉によるものだと。
 あまりにも摩訶不思議な出来事に、信じられない想いもあったが、ここまで夢がつづけば信じざるを得なかった。
 夢を終らせたいのなら、あのまじない玉を壊せばいい。
 だが、そんな事できるはずもなかった。今更、あの優しくて甘い夢を手放す事などできない。
 愛しい愛しい彼。
 総司にとって、今や、現よりも夢の方が大切になりつつあったのだ。それは一種、魅入られていると云ってもよい状態だったが、本人に自覚はない。
「……」
 黙ったまま長い睫毛を伏せた総司を、傍らの斉藤が気遣わしげに見つめていた。












「様子がおかしいと思いませんか」
 ゆっくりと、斉藤はそう訊ねた。
 副長室だった。
 となれば、相手はむろんのこと土方だ。巡察の報告のついでに話し出した斉藤を、土方はとめなかった。
 かといって、真面目に聞いている様子もない。書類を片付けるまま、聞き流している。
「何が」
「総司……です」
 少し躊躇ってから答えた斉藤に、土方は「そうか」と呟いた。
 そっけない口調に、思わず片眉をあげる。
「土方さんは、心配ではないのですか」
「……」
「総司は、あなたにとっても大事な存在であるはずでしょう。なのに」
「……斉藤」
 不意に低い声でさえぎられ、斉藤は言葉を呑んだ。
 驚いて顔をあげれば、土方が奇妙な笑みをうかべ、斉藤を眺めていた。すうっと切れの長い目が細められる。
「俺が総司を大事にしていると思うなら、余計な口出しをするな」
「……っ」
「俺は敵には容赦せん男だ」
 ふっと微かに笑った。
「それが……恋敵でもな」
 形のよい唇にうかんだ笑みに、斉藤は膝上に置いた手を握りしめた。





 斉藤が総司に想いを告げる気になれぬのは、総司の気持ちが己にないとわかっているからこそだ。だが、この土方の存在もまた理由だった。
 もしも万一、総司が斉藤に応えたとしても、それを土方が許すはずもないのだ。
 どんな美しい女に云い寄られても顔色一つ変えぬ男が、この可愛い少年の事になると我を忘れてしまう。総司に事あれば何もかも投げだし、無我夢中で駆けつける土方の姿は、平静の彼とまるで別人だった。
 まだ幼い頃から、いつもいつも、土方は総司を見守っていた。
 総司が怪我せぬよう、病を得ぬよう、恐ろしい目や嫌な目にあわぬよう──。それは、まるで実の親か兄でもあるように、否、それ以上の細やかさで気づかっていたのだ。
 何か事が起きてからどころか、起りそうだという前に手を出し、総司が知らぬ間に片付けた。彼自身の掌で包みこむようにして、総司を愛し、守りつづけた。でなければ、あれ程可愛らしい子どもだった総司が、何の危険にも全くあわず成長する事などありえなかっただろう。
 そして、それは京へのぼってからも続いている。
 それは周知の事実だ。
 全くの処、信じられないほど甘やかされ、大切にされている事に気づいていないのは、肝心の総司だけだった。それどころか、総司自身は土方にそんな感情を向けられているなど、夢にも思っていない。
 怯えたように固くなる総司を見て、土方がどう思っているか、それは斉藤にも伺い知れぬ事だった。だが、あれ程女に関しては手の早い彼が、よくも我慢しているものだと思う。もう十年以上だ。
 それだけ、本気という事なのだろうが……。




「オレは総司に惚れています」
 どこか挑むような表情で、斉藤は云った。
 面白そうに眺める土方に苛立ったが、この際、気づかぬふりをする。
「だからこそ心配するし、様子がおかしい事にも気づいたのです。土方さん、あなたが総司に手をさしのべてやるつもりがないのなら、オレはもう遠慮しませんよ」
「……ほう」
 土方は薄い笑みをうかべた。
「今まで、遠慮していたのか。とてもそうは見えなかったがな」
「すみませんね、もともと控えめな性格なので」
 云い返した斉藤に、土方は黙って肩をすくめた。そのまま書類へ視線を戻すと、仕事に立ち戻ってしまう。
 会話の途中で放り出された形になった斉藤は唇を噛みしめたが、この男の傍若無人ぶりはいつもの事だと、立ち上がった。部屋を横切り、出てゆこうとする。
 だが、障子に手をかけた処で、声をかけられた。
「斉藤」
「……何ですか」
「俺は、容赦しねぇからな」
「……」
 何が、と聞くまでもなかった。
 総司に手を出せば、容赦なく斬り捨てると云っているのだ。それは真実だろうと思った。この男は、総司を自分から奪う者は決して許さない。
 斉藤は黙ったまま障子を開き、外へ滑り出た。知らず知らずのうちに、背に汗をかいている事に気づく。
 ある意味、斬り合いも疲れるやり取りだったと、斉藤は小さく苦笑した……。














 褥の上に、花片が落ちていた。
 それを拾いあげようとした手が掴まれ、そっと口づけられる。
 優しく甘い口づけ。
「……ぁ、んっ…ぅ……」
 二人は唇を重ね、互いだけを求めあった。この褥の上で、もう何度も愛しあっている。
 躯を重ねてから、幾度めかの夜だった。
 夢の始まりは朝だったのに、いつのまにか月が夜空にのぼっている。美しい朧月夜だ。
 こういう処はやはり夢だと、霞む月を眺めながら、そう思う。
 すると、耳もとに低く囁きかけられた。
「……何を考えている?」
「ぁ……」
 総司は自分を組み敷いている男を見上げ、目を瞬いた。それから、小さな声で答える。
「月が綺麗だと、思って……」
「随分と余裕だ」
 くすっと笑った土方に、総司は息を呑んだ。気を悪くしたのかと思ったのだ。
 慌てて身を擦りよせれば、優しく抱きしめられる。そっと背中を撫でられた。
「大丈夫だ、怒っちゃいねぇよ」
「うん……」
「ほら、いい子だ。可愛い顔を見せてくれ」
 月明かりの中、しなやかな指さきで頬を包みこまれる。瞳を覗き込み、甘く微笑みかけてくる男に、総司は頬を染めた。
 気恥ずかしく、だが、とても幸せだ。
「土方さん……だい好き」
 そう囁いた総司に、土方は嬉しそうに微笑んだ。
「あぁ、俺も好きだ。愛しているよ」
「本当に……?」
「何度云えばわかる。ずっと昔から、俺には総司だけだ」
「うん……」
 偽りだと、夢なのだとわかっていた。なのに、何故、言葉を求めてしまうのだろう。
 くり返し願った、愛の誓い。
 それは決して破られる事はないだろう。だが、虚しいばかりのものなのだ。これが夢であるのなら、自分で自分に対し、愛を囁いているに等しいのだから。
 悲しく切ない気持ちに揺れながら、総司は土方に手をのばした。その指先にも、口づけられる。
 夢であるからなのか、蜜事はとても心地よいものだった。むろん、苦痛など全くなく、ただ、甘い激しさに満ちたものだった。
 いつも、土方は総司を熱く抱いてくれる。
 それがたまらなく嬉しい……。
「……ぁ、ぁあ…っ」
 声をあげた総司の頬に、土方は口づけた。しなる細い躯を抱きしめ、激しい揺さぶりをかける。
 男の太い楔は蕾の奥を何度も穿ち、甘い快感だけが押し寄せた。それがたまらなくて、男の背にしがみつく。
「んっ、ぁあっ…ゃっ、ぁ──」
 桜色の唇が甘い声をもらしつづける。
 土方は総司の柔らかな髪に指をからめ、かきあげた。露になった首筋に唇を押しあて、耳裏まですべらせる。
「……愛してるよ、総司……」
 甘やかに囁きかける低い声に、たまらなく感じた。目を閉じたとたん、ずんっと最奥を抉るように突き上げられる。
 そのまま始まった激しい抽挿に、悲鳴をあげた。思わず上へ逃れようとしたが、躯を二つ折りにされ、激しく腰を打ちつけられる。
 何度も何度も、蕾の奥に男の太い楔が打ち込まれた。
「…ゃ…だぁッ! こ、怖…ぃぁっ…ぅ、ぁあっ」
「怖いものか、すげぇ気持ちよくしてやる」
「んっんっ…ッ、土方…さッ…ぃああッ」
 強烈な快感に、躯中がとろけ痺れてゆく。
 総司は泣きじゃくり、必死になって土方の肩にしがみついた。
 汗にぬれた男の熱い肌。耳もとにふれる荒い息づかい。濡れた髪をかきあげ、何度も口づけてくる彼。
 獣じみた欲情を剥き出しにした、男の瞳。
 何もかも、今まで知らなかったものだ。総司の知らない、土方の姿だった。
 だが、これが真実なのかどうかはわからない。総司が思い描いているに過ぎないのだから。
 これは夢であるが故に。
「……っ」
 総司は頭をよぎった想いをふり切るように、土方の背に強くしがみついた。もっともっと深く繋がれる事を望み、足を男の腰に絡める。
 珍しく積極的な総司の様子は、土方をより煽ったようだった。喉を鳴らしたかと思うと、乱暴に四つ這いにされる。手荒な扱いだったが、それが土方が欲情している証のように思え、総司は嬉しかった。
 後ろから男を深々と受けいれさせられ、泣き叫ぶ。
「ひぃっ、ぁあっ、ああッ」
 褥に顔を押しつけ、しがみついた。
 濡れそぼった蕾に太い猛りが突き入れられ、ぐっと奥を押しあげた。感じる部分だけをぐりぐりと抉られ、凄まじい快感に悲鳴をあげる。
 総司の頂きも、もう近い。
「ぅ、ぁあ…っ、ひぃ、ぁあっ」
「……総…司ッ……っ」
「ぁあッ、ゃぁああー…ッ!」
 一際甲高い悲鳴をあげた瞬間、総司のものが勢いよく弾けた。それと同時に、男の熱が蕾の奥に叩きつけられる。
 最後の一滴まで注ぎこむように腰を打ちつけづづける土方に、総司は泣きじゃくった。何度も腰を跳ね上げ、快楽の彼方にまで追い立てられる。
 息も絶え絶えになって褥に突っ伏した総司を、土方は後ろから抱きすくめた。逞しい男の腕の中、小柄な躯はすっぽりとおさまってしまう。
 背中にふれる男のぬくもりが、何にも代え難いほど大切だった。


 ずっと、この夢がつづけばいいのに。
 この家で、彼と二人きり、いつまでも睦みあっていられたら、どんなに幸せだろう……?
 だが、贅沢だとすぐに思い直した。
 ほんの少し前まで、こんな夢など見ていなかった。こんなふうに彼に抱かれるなど、ありえる事ではなかったのだ。現でないにしろ、夜にだけあたえられた夢は、総司にとって僥倖だ。
 贅沢を云ったら、罰が当たるだろう。
 今、こんなにも幸せなのだから……。


 総司は、抱きしめてくれる土方に微笑み、そっと目を閉じた。












 夢の中で彼に抱かれた翌朝は、いつも罪悪感がある。
 どうしても、まともに土方の顔を見ることが出来ないのだ。恥ずかしさと、申し訳なさ。それが入り交じり、総司は普段より尚のこと緊張で身を固くした。
 だが、幸いにして、その日は土方と言葉をかわす予定もなかった。非番なのだ。
 総司は一人散策に出かけた。斉藤を誘っても良かったのだが、生憎、彼は非番ではなかったのだ。
 お気にいりの店をあちこち覗き、楽しんでいた総司は、視界の端にうつったものに「え?」と顔をあげた。慌ててふり向けば、他の誰でもない土方が角を曲がってゆく処だった。彼も非番だったのか、黒い着物を着流しにしている。
「……」
 総司は思わずその後を追ってしまった。
 どこへ行くのだろうと思ったのだ。島原や祇園へ行く彼を確かめたくはないが、それでも、声をかけられるのならかけたい。少しでも、恋しい男と話しをしたいと思うのは、ごく当然のことだろう。
 だが、土方が東山の方へ歩いてゆくのを見た瞬間、思わず細い眉を顰めた。
 最近聞いた噂を思い出したのだ。
 それは、土方が休息所をもったという話だった。誰も確かな事は知らなかったが、それは東山の方にあるらしい。ただ、土方自身はむろん口にしないし、近藤も何も云っていなかった。
 ただの噂だろうと聞き流していたのだが───
「……まさか、本当だったという事?」
 総司は、目の前がまっ暗になるような衝撃を受けた。
 休息所をもつという事は、妾を入れるということだ。今までの女遊びとは違う。わざわざ休息所を用意する程、特別におもっている存在があるという事だった。
 妻を娶るという話を聞かされるのと、さして変わりはない。
 総司は躯が震えるのを感じたが、それでも、土方の後を追った。どうしても確かめたかったのだ。
 それが自分に酷たらしい現を突きつける事になっても……。
「……あ」
 土方が角を曲がった。それを、総司は慌てて後を追った。
 だが、そのとたん、立ち止まってしまう。
 土方は、角をまがってしばらく行った処にある家へ、入っていったのだ。物慣れた様子で、門をくぐってゆく。
 おずおずと後を追った総司は、物陰からその様子を伺った。土方が入っていった家を見る。
「!」
 とたん、総司の目が大きく見開かれた。