巡察の報告にあがると、土方は書き物をしている最中だった。
 だが、入ってきて膝をついた総司に手をとめ、ふり返る。いつものように鋭い一瞥を向けられ、少し身が竦んだ。
 それを押し隠し、淡々とした声音で報告した。
「……ご苦労」
 低い声でそう云ってから、土方は手許の書類へ視線を戻しかけた。だが、ふと気づいたように、総司の顔を眺めやる。
 形のよい唇の端が、微かにあがった。
「最近、調子がいいようだな」
「え……?」
 突然、かけられた言葉に、戸惑ってしまう。
 驚いたように目を見開いた総司に、土方は言葉をつづけた。
「体のことだ。医者には行っているのか」
「あ……」
 総司は俯いた。喉が少し渇く気がした。
「はい、行っています」
「ならいいが。近藤さんも心配している、あまり無理はするなよ」
「はい」
 小さく頷いた総司を、しばらくの間、土方は眺めていたが、やがて、視線をそらせた。そのまま背を向けると、筆をとり、再び書き物を始める。
 その広い背を、一瞬、総司は呆然と見つめてしまった。
 仕事以外の事で声をかけられるなど、本当に稀なことだったのだ。あまりにも突然の事で、嬉しいのか何なのか、己の感情がわからなくなってしまう。
 だが、すぐさま我に返り、慌てて立ち上がった。障子を開き、廊下へと身をすべり出す。
 閉める瞬間、思わず見てしまった男の背は、酷く遠かった。
 だが、それも当然なのだ。実際、二人の立場は遠くかけ離れたものなのだから。
「……」
 総司は目をそらし、障子を静かに閉めた。
 ゆっくりとした足取りで部屋へ戻り、着替えを始める。だが、普段の絣の小袖に袴姿になると、とたんに気が抜けて、畳の上に坐り込んでしまった。
 やはり、恋しい男の前で、気がはっていたのだろう。その上、あんなふうに突然言葉をかけられたりしたから、尚のことだ。
 総司は畳の上に坐ったまま、懐からまじない玉を取り出した。掌に転がし、それを眺める。
 不思議なことに、夢は続いていた。
 実際、昨夜も見たのだ。それが、このまじない玉故なのかはわからないが、忌むべきことでもなかった。
 むしろ、総司にとっては、ささやかな幸せになりつつあった……。













 昨夜の夢の中で、土方は総司を連れて歩いていた。
 どこへ向っているのかわからず、戸惑うと、優しく笑いかけられた。
「おまえのために用意したのさ」
「用意?」
「おまえの療養のためでもあるが、それ以上に……二人きりになれる場所が欲しかった」
 夢であるはずなのに、この夢は時々、現と奇妙なほど繋がっている時がある。
 そんな事を思いながら、総司は土方に身を寄せた。すると、すぐさま肩を抱きよせてくれる男の手が優しい。
 しばらく歩くと、二人は一軒の家の前に出た。
 こぢんまりとした、だが、小綺麗で優しい感じのする家だ。からからと音をたてて戸を開け、土方は総司を招きいれてくれた。
 家の中は綺麗に整えられ、丸い窓の外に見える緑が瑞々しく美しい。
「ここは……?」
 不思議そうに問いかけた総司に、土方はくすっと笑った。
「さっき云っただろう? おまえのために用意した家だ」
「私のために?」
「そう、それと俺のために。二人きりで過したかったからな」
「え、でも」
 思わず云ってしまいそうになった。


 これは夢なのだから、ずっと二人きりでしょう?
 あなたと二人だけでいる事を、私は願っているのだから。


 だが、それは口に出さぬ方がいいような気がした。
 夢である事を云ってしまえば、この夢が終ってしまう予感がしたのだ。
 総司は小さく首をふると、部屋の中を歩きまわった。好奇心いっぱいの子どものように、障子や襖を開けてまわる。
 そんな総司に、土方は可愛くてたまらぬというふうに目を細めていたが、やがて、問いかけた。
「気にいったか?」
「えぇ、とても」
 総司はくるりとふり返り、甘く澄んだ声で返事をした。
 とても弾んだ声だ。
 自分でも驚いた。土方に対して、こんな甘い声で話すことができるとは思っていなかったのだ。
 彼も驚いたらしく、かるく目を見開いた。だが、すぐに優しく笑う。
「それでいい」
 手をのばし、なめらかな頬にふれた。
「素直に自分を出していいんだ、総司」
「はい」
「いい子だ」
 抱きよせられ、そっと額に口づけを落とされた。抱きしめてくれる彼の腕が、とても心地よかった。
 逞しい彼の胸に抱かれたまま、とろとろと眠りたくなってしまう。夢の中で眠くなるなど、おかしな事だが。
「庭を見るか?」
 土方は総司の肩を抱き、縁側へ連れだしてくれた。小さな庭が広がっている。
 とても可愛らしい庭だった。色とりどりの花々が咲き乱れ、甘い香りをはなっている。白い蝶がひらひらと飛んできて、花から花へと蜜を集めた。
 見上げれば青空がひろがり、清々しい。
 のどかな優しい光景だ。
「ずっと……ここにいたい」
 思わずそう云ってしまった総司に、土方は喉奥で低く笑った。
「いればいい。別に構わねぇさ」
「でも……」
「おまえはいつも堪えてばかりだな。そんなに、何もかも自分の中に閉じこめていたら、苦しくて仕方ないだろう」
 的を得た男の言葉に、総司は息を呑んだ。


 確かに苦しい。
 この人に恋してから、ずっと長い間、涙も苦しみも怒りも嫉妬も、自分の中にだけ閉じこめてきたのだ。
 決して外へ出さぬようにしてきた。
 だが、それは仕方のない事だった。想いを秘めてゆくつもりならば、当然のことだ。
 だが、ここでは素直になっていい。
 自分の願うまま、思うままに振る舞っていいのだ。
 愛されたいと思うなら、この人にそう願っても……きっと叶えられる。


「……土方さん」
「何だ」
「口づけて…下さい」
 そう希った総司を、土方は静かに見下ろした。だが、すぐに柔らかく微笑むと、総司の腰に手をまわして引き寄せる。
「ん……っ」
 とても、甘い口づけだった。
 遊び慣れしている彼にしては、甘い口づけだ。夢なのだから当然だろうが、初な総司を気づかってひどく優しい。
 それでも、総司はびくんっと身を竦めてしまった。
 いくら夢の中の事とはいえ、あんなにも恋してきた相手なのだ。緊張しない方がおかしい。
 そんな総司に、土方は掌で背をゆっくりと撫でてくれた。大きな掌が子どもを宥めるように撫でるたび、ふんわり体が柔らかくなってゆく。
 不思議だと思った。
 現では、あんなに緊張してしまう彼なのに、夢の中では一緒にいても全然緊張しない。それどころか、彼にさわられると、体がほっとする。
 一緒にいること自体も、とても楽しいのだ。
 もっともっと土方を感じてしまいたくて、思わず身をすり寄せた。すると、口づけが少しずつ深くなる。
 角度をかえて口づけられるうち、いつのまにか、畳の上へ引き倒されていた。半ば跪き、土方は何度も口づけてくる。熱にうかされたような口づけに、総司は頭がぼうっとするのを覚えた。
 だが、それでも嬉しい。
 もっと夢中になって欲しいとさえ、願ってしまう。
 だが、土方は身を起し、総司の唇にそっと指を押しあてた。小首をかしげると、くすっと笑われる。
「今日は、ここまでにしておこう」
「え……?」
「あまり急ぎすぎると、逃げられてしまいそうだ」
「急ぎすぎって……?」
 きょとんとしている総司に、土方はくっくっと喉を鳴らして笑った。髪に、頬に、何度も口づけられる。
「おまえは、可愛い兎だからな」
「兎…ですか」
「そう。純真で無垢な白うさぎだ。俺だけの可愛い兎だ」
 おかしなの、と思った。
 前にも云われた言葉だが、白うさぎだとか、可愛いとか、彼らしくない言葉ばかりだった。だが、これも夢故なのだろう。
 それでも、可愛いと云われた事は嬉しかった。彼からの言葉ならば、素直に嬉しいと思うことができる。
 抱きしめてくれる土方の腕の中、総司はそっと目を閉じた。














 土方が兎好きだなどと、聞いた事はない。
 犬や猫を好いている隊士はいるが、むろん、土方が何か動物を可愛がっている様など想像もつかなかった。
 総司が思い浮かべる時、土方の傍には美しい女がいる。
 事実その通りであり、総司が宴へ行くのを拒んでしまう大きな理由だった。美しい女に纏わりつかれながら、部屋へ引き取る恋しい男の姿など、誰が見たいものか。
「ほんと、兎でも可愛がっている方がずっといいや」
 壁に凭れたまま、総司は小さく呟いた。とたん、傍らから声をかけられ、びっくりする。
「兎って、何の事だい」
 驚いて見ると、原田が首をかしげていた。それに、慌てて頭を下げる。
「この間は、ごめんなさい。突然、お邪魔して……」
「いいって、おまさも喜んでたしな」
 原田はいつもどおり気さくに笑うと、歩み去ろうとした。それを、慌てて呼びとめた。
「あの、原田さん……っ」
「ん?」
 ふり返った原田に、どう切り出せばいいのか悩んでしまう。だが、躊躇いがちに訊ねた。
「おまささんに貰った物のこと、なんですけど……」
「貰った物?」
「えぇ」
 総司は、こくりと頷いた。
「先日お邪魔した時に、びぃどろ玉を頂いたのです。原田さんはご存知ありませんか?」
「そういや、きらきらするものを持ってるなぁと思ってたけど……それがどうかしたのかい」
「いえ、あの……おまささんは、誰からそれを貰われたのかなと思って」
「さぁ」
 原田は首をかしげた。
「知らないねぇ。出入りの商人にでも貰ったんじゃねぇの。けど、それがどうかしたのか?」
「……いえ、別に」
「おかしな総司だな」
 原田は総司をじっと見つめた。それから、くすっと笑った。
「それで、兎って、おまえの事かい?」
「は?」
「いや、さっきの話。おまえ、兎みたいだものな」
「兎……ですか。私が?」
「あぁ。どこか雰囲気似てるよ。ぴょんぴょん跳ねてる、白兎ってとこか。……なぁ、あんたもそう思うだろう?」
 不意に原田が問いかけた相手に、総司は息がとまるかと思った。
 たまたまそこを通りかかったのは、土方だったのだ。突然問いかけられ、怪訝そうに眉を顰めている。
 鋭いまなざしが二人に向けられた。低い声が訊ねる。
「……何の話だ」
「だから、総司が兎に似てるって話。そう思わねぇ?」
「……」
 土方は切れの長い目で総司を一瞥した。その視線の鋭さに、思わず体中が竦み上がってしまう。
 怯えたように目を伏せる総司に、そういう感じがまた兎っぽいんだよなと、原田が笑ったが、土方にじろりと見られ、はいはいと云いたげに肩をすくめた。
「……そうだな」
 短い沈黙の後、低い声が呟いた。
「確かに、そんな感じがあるな」
「……え」
 総司は驚いて、顔をあげた。とたん、まっ黒な瞳に正面から見つめられ、どきりと鼓動が跳ね上がった。
 黒曜石のように綺麗な瞳だ。深く澄んだ瞳は濡れたようで、見つめられると息がとまりそうになる。
「……っ」
 また俯いてしまった総司に、土方はもう何も云わなかった。すっと視線を外すと、何事もなかったように歩み去ってゆく。
 土方の姿が見えなくなると、すぐさま総司は原田にくってかかった。原田はにやにやと面白そうに笑っている。
「もうっ、原田さんったら!」
「何を怒ってるんだい」
「土方さんの前で、変な事云わないで下さい」
「変な事じゃねぇよ。土方さんだって、賛成してただろ?」
「あれは成り行きで……」
「そうかねぇ。本心だと思うけどな」
 原田がそう云った時、廊下の向こうから十番隊の隊士が彼を呼んだ。それに、おうと手をあげ、歩み去ってゆく。
 残された総司は、何だかとんでもなく疲れてしまった気がして、また壁に凭れかかった。














 夢の事ばかりに囚われている訳にはいかなった。
 総司が今、土方の傍にいられるのは、一番隊組長として責務を果たし、その信頼を得ているからなのだ。それを失ってもいいとは絶対に思わない。
 だが、夢の中であっても、彼の恋人として愛されている今、総司は以前より気持ちが楽になっていた。
 果てしない片思いに落ち込んだりする日も多かったのだが、毎夜、床につけば、あの優しい彼に逢えるのだと思うと、嬉しくなる。


(夢だから、許されるのだけれど……)


 そんな事を思いながら、総司は土方との口づけに溺れていた。
 先程から、夕陽が射し込む部屋の中、何度も何度も口づけられている。畳の上に二人して半ば倒れ込み、抱きあい、飽きもせず口づけをくり返しているのだ。
「……ふっ…ぁ……」
 小さく喘ぎ、総司は目を閉じた。男の首を細い両腕でかき抱き、もっととばかりに身を寄せる。そうすれば、土方は可愛くてたまらぬとばかりに、微笑み、また口づけてくれるのだ。
 やがて、男の熱い唇が白い首筋をすべり、襟もとに手をかけられるのを感じた。薄目を開けば、どこか切羽詰まったような表情で、土方がこちらを見下ろしている。
「土方さん……?」
 問いかけた総司に、土方が一瞬、固く唇を引き結んだ。その表情が、現の怜悧な彼と酷似している気がして、どきりとなる。
 だが、すぐに熱く抱きしめられた。耳もとで、掠れた声が囁く。
「……抱いてしまいたい」
「!」
 総司は目を見開いた。驚いて、思わず大きく身じろいでしまう。
 それを感じとったのか、土方はすぐさま身をおこした。ほろ苦く笑ってみせる。
「無理強いはしねぇよ。おまえのいやがる事は、絶対にしない」
「でも……」
「ただ、いつも云っているだろう? 素直になれと。だから、俺も素直に云った。おまえを抱きたくてたまらない」
「──」
 直接的な言葉に、かぁぁっと頬が熱くなった。
 抱きたくてたまらない、なんて。
 こうして口づけているだけでも信じられないのに、この人と体を重ねるなど、考えただけでおかしくなってしまいそうだ。むろん、総司は初体験だったし、男どころか女も経験した事がない。
 総司は恥ずかしそうに長い睫毛を瞬かせ、土方を見上げた。とたん、土方が苦笑する。
「そんな顔するなよ。……我慢できなくなる」
「だって……」
 どんな顔をすればいいのか、わからないのだ。恋の駆け引きなど全くできない自分が、もどかしい。
 こんな子どものままでは嫌われてしまう気がして、男の肩にぎゅっとしがみついた。
「すげぇ可愛いな」
 土方は甘く掠れた声で囁き、総司の華奢な躯を抱きよせた。躯が密着し、彼の躯が酷く熱くなっている事を感じる。それにびっくりしていると、耳もとでくすっと笑われた。
「そりゃ、俺も男だ。好きな相手を抱いていれば……躯も熱くなるさ」
「つまり……欲情している、という事?」
 問いかけると、土方は驚いたように目を見開いた。あまり、まじまじと見つめられ、何だか恥ずかしくなる。
 頬を染め、俯いた。
「……私、何かおかしな事を云いました?」
「いや」
 土方はゆるく首をふり、総司の髪をくしゃりとかき上げた。
「おまえの口から、そういう言葉が出るとは思わなかったので、驚いただけだ。けど、本当の事だな」
 ふっと微かに笑った。
「俺は確かに、おまえに欲情しているよ」
「……土方さん」
 嬉しい、と思った。
 こうして正直に自分を求めてくれる彼が、たまらなく嬉しい。夢なのだとわかっていてもだ。
「抱いて……」
 小さな声でそっと求めた総司を、土方は見つめた。しばらく黙ったまま見つめていたが、やがて、頬に口づけが落とされる。
 抱きあげられ、奥に敷かれてあった褥へとはこばれた。そっと下ろされると、すぐさま土方がのしかかってくる。
 何度も口づけられ、総司の躯もじわりと熱くなった。着物が擦れ、次第にそれも乱されてゆく。
「……土方、さん……」
 男の肌を匂いを感じながら、愛する男の名を呼んだ。それに、また濃厚な口づけをあたえられ、何も考えられなくなった。
 虹の光に包まれる夢の中。
 花びらの中にうずもれてゆくような幸せに、総司はどこまでも溺れていったのだった。