それは、恋のおまじない
 虹色の夢を願う
 白うさぎのおまじない





















 総司がそれを手に入れたのは、偶然からだった。
 原田の家を訪れた時のことだ。
 近くまで来たので寄ったのだが、あいにく原田は所用で外出中だった。
 留守宅に上がるのは失礼だと帰りかけたが、すぐ戻ってくるからと新妻のおまさに勧められ、とりあえず框に腰かけた。もともと、おまさとは以前から親しい間柄だが、総司は誰に対しても物堅いのだ。
「あの、これ……つまらないものだけど」
 総司がさし出したお菓子に、おまさはぱっと顔を輝かせた。
「泉屋の水菓子! うち、これ好物やの」
「よかった」
「おおきに」
 にっこり笑う彼女は、いつも明るく元気だ。そんな処に原田は惹かれたのだろうと思う。
 総司は茶を飲みながら、あれこれおまさと喋っていたが、ふと傍らに置いてある籠に目をとめた。籠の中、綺麗な花々と一緒に、何かきらりと光るものがあったのだ。
「?」
 思わず目を細めた総司に、おまさも気がついた。籠の中から取り出したそれは、綺麗なびぃどろ玉だった。
「綺麗やと思わへん?」
「買ったの?」
「ううん、貰ったんよ。きらきらして綺麗どっしゃろ?」
「……」
 総司はそれを手にとり、見つめた。
 陽の光をあびてきらきら輝くびぃどろ玉は、本当にきれいだ。角度によっては虹色に見えて、とても不思議だった。こんな色合いのものは、今まで見た事もない。
 綺麗なものがだい好きな総司は、思わず、うっとり見つめてしまった。
 その様子を眺めていたおまさは、くすっと笑った。
「持って帰ってええんよ」
「えっ」
 総司は驚いてしまった。慌てて籠の中に戻す。
「そんなつもりじゃなくて……」
「遠慮せんといて」
 おまさは、もう一度、びぃどろ玉を総司に手渡した。それから、ふふっと笑う。
「……えぇ事教えてあげるわ」
「え?」
「それ、ある神社で評判になってるまじない玉やの。恋しい人の夢が見られるびぃどろ玉」
「……あ、聞いた事が」
 総司は目を見開いた。隊士たちの噂話で、耳にした事があったのだ。
 実際、夢を見た娘たちも多く、今、京で大変評判になっているという話だった。
「うちは試してへんけど、ほんまらしいえ。あの角の桜餅屋のお加代ちゃんも、夢見たゆうてたし」
「へぇ……」
「総司さん、貰っといて。どないしょ思っとったとこやらから」
「え、でも、私が貰っても……」
「うち、使わへんもん。それに」
 おまさは肩をすくめるようにして、悪戯っぽく云った。
「美人の総司さんの方が、それ、ずっと似合うてはるわ」
「び、美人って……」
「あ、帰ってきはった」
 不意に、おまさが顔をぱっと輝かせた。
 いそいそと玄関へ向い、原田を迎えている。それに、原田も嬉しそうに笑い、おまさを抱き寄せていた。
 恋しあって夫婦になっただけあり、とても仲が良い。幸せそのものの光景だ。
 それをちょっと羨ましく眺めてから、総司は掌の中のものに視線を落とした。
 きらきらと輝く、まじない玉。
 虹の光。夢の彼方。
 噂を信じた訳ではないけれど、それでも──
 もしも見られるなら、恋しい彼の夢を見られるなら、どんなにいいだろう。
 せめて夢の中だけでも、小さな幸せを感じることができたら……。
「……」
 総司は目を伏せると、まじない玉をそっと握りしめた。












 西本願寺の門をくぐった処で、総司は出てゆこうとしている男といきあった。
 総司を見ると、小さく笑いかけてくる。
「今、帰りか」
「えぇ、斉藤さんはこれからお出かけですか?」
 問いかけた総司に、斉藤は答えた。
「ちょっと散策にと思ってな。けど、おまえが戻ってきたなら、屯所にいるよ」
「何です、それ」
「稽古でもどうだ? って事さ」
「うーん、私は今、お茶がしたい気分なのですけど」
 そう無邪気に云った総司に、斉藤は仕方ないなと云いたげに肩をすくめた。
 二人して屯所内へ戻り、廊下を歩いてゆく。
「おまささんが作ったお饅頭、貰ってきたのです。斉藤さんもどうですか?」
「へぇ、原田さんの処に行っていたのか。あぁ、うん、貰うよ」
「斉藤さんって、意外と甘いもの食べられますものね」
「意外って、どういう意味だよ」
「そのままの意味かな。だって、斉藤さん、辛いもの好みの顔してるし」
「どういう顔だ」
「さぁ、どういう顔でしょう」
 くすくす笑う総司に、斉藤の顔も綻ぶ。鳶色の瞳が優しい色をうかべ、隣の若者を見つめた。



 鈴のような笑い声が愛らしい。
 柔らかな黒髪も、つぶらな瞳も、桜んぼのような唇も。
 まるで可憐な少女のような顔だちだが、総司は正真正銘、男だった。それも、この華奢な躯つきで、隊随一の剣士だ。新撰組一番隊組長としても活躍し、現場に出た時の的確な判断、行動力、指揮力には定評がある。
 だが、普段の総司は、白うさぎのように可愛らしかった。容姿だけではない、性格そのものが可愛いのだ。
 優しくて素直で、いつも笑顔をたやさない。さすがに、病を得てからは時折、憂いの表情を見せるようになっていたが、それもまた、悩ましげで艶やかだなどと、隊士たちの間で噂になっている。本人は全く気づいていないが、総司に恋心を抱いている隊士は多いのだ。
 かく云う斉藤も、その一人だった。隊士たちと一緒にされるなど、腹ただしい限りだが、江戸の頃に初めて逢った時から片思いしている。
 ずっと見守り、愛してきたのだ。
 だが、その気持ちを総司に告げるつもりは全くなかった。
 総司が、自分のことを友人としてのみ思っている事は、わかっていたし、それに……。



「……土方さん」
 廊下の角を曲がったとたん、現われた男の姿に、総司は目を見開いた。
 慌てて一歩下がり、一礼する。それに、斉藤もならった。
「お出かけですか?」
 そう訊ねた総司に、土方は「あぁ」と頷いた。切れの長い目が、一瞬、総司の後ろに守るように立っている斉藤へ向けられる。
 だが、その視線はすぐそらされた。
 低い声が言葉をつづけた。
「黒谷へ行ってくる。近藤さんの代わりにな」
「あの、護衛は……」
「いらん。大丈夫だ」
 そっけなく云い捨て、土方はすれ違っていった。
 副長という立場になり、土方自身、様々な変化を遂げていたが、単独行動を好む処だけは変わらない。それが、総司にはたまらなく心配だった。
 立ち去ってしまった土方に、総司は躊躇った。
 思わず後を追おうかと思うが、そんな事をすれば疎まれるだろう。土方は執拗にされるのを酷く嫌うのだ。
 どうすればいいかわからず立ちつくしていると、斉藤が傍らからそっと云った。
「オレが行ってくるよ」
「斉藤さん……」
「大丈夫だ。うまく云っておくから」
 そう云って笑いかけると、斉藤は足早に土方を追っていった。しばらくたってから、向こうの方で何かやり取りが聞こえたが、すぐに収まった。結局、斉藤が文字通りうまく云ったのだろう。
 斉藤は、土方に信頼されている。むろん、総司も彼から厚い信頼を受けているが、どうしても総司の方に遠慮があった。斉藤のように、ぽんぽん云うことが出来ないのだ。   
 決して嫌われたくない、少しでも好いて欲しいと思っているのだから、当然のことなのだが……。
「……」
 総司はそっと俯くと、きつく唇を噛みしめた。












 その夜の事だった。
 総司は一人部屋でまじない玉を綺麗に磨き、枕元の手拭いの上に置いた。
 おまじないのつもりだった。いい夢を見られたらいいなぁと願うぐらいは、構わないはず。
 いつもどおり明かりを消すと、総司は早々と床についた。遠く、夜の巡察に出てゆく隊士たちのざわめきが聞こえる。それを、夢うつつに聞きながら、総司は眠りへと落ちていった。


 そして───夢を見た。


 それは、とても不思議な夢だった。
 何よりも、妙に現実的なのだ。色彩もあり、感覚もはっきりとある。
 そのくせ、周囲は淡く揺れる花のようで、どこかつかみ所がなかった。そのあたりは、やはり夢故なのだろう。
 夢の中で、総司は一人の男と出逢った。
 まさか、ここにいるはずもない。
 だが、総司の夢の中に出てくるとすれば、これ以上はない男だ。
 それは───


「……土方さん」


 おずおずと呼んだ総司に、土方はふり返った。
 すらりとした長身も端正な顔だちも、現のままの彼だ。黒い隊服を着ている処まで同じだった。
 違ったのは、その表情だ。
 いつも総司に見せている怜悧な表情ではなかった。総司を見た瞬間、かるく目を見開いたが、信じられないほど優しい笑顔になり、手をさしのべてくる。
「総司」
 そうして呼ぶ声さえ、とろけそうなほど甘い。
「……」
 総司はびっくりし、困惑した。これが夢だからとわかっているのだが、あまりにも現の彼と違いすぎて、どうしようと思ってしまったのだ。
 おろおろしていると、そんな総司に構わず、土方は歩み寄ってきた。かるく身をかがめるようにして、顔を覗き込んだ。
「総司……?」
 不思議そうに問いかける土方を、総司は何も云えぬまま見つめた。きゅっと唇を噛みしめる。
 土方は小さく笑った。
「どうした、ご機嫌斜めだな」
 手をのばし、まるで恋人に対するかのように、そっと頬を撫でた。それに、総司はびっくりして、思わず後ろへ飛びのいてしまった。
 そんなふうに、ふれられた事など一度もなかったのだ。
 その様子に、土方が声をあげて笑いだした。くっくっと喉を鳴らしている。
「本当に、兎みたいだな」
「兎? え?」
「可愛い可愛い白うさぎだよ」
 どんどん展開してゆく夢に、総司は呆気にとられた。
 現とはあまりにも違う彼の言動に、どうしたらいいのか、わからないのだ。


(どうしよう……)


 総司は戸惑いを隠せないまま、土方をそっと見上げた。






 現の世界で、土方と総司は別に仲が悪い訳ではなかった。
 ただ、それは、昼間逢った時の二人に表れていたように、副長と隊士の関係であるだけだ。
 試衛館にいた頃も、さほど仲が良い訳でもなかった。総司は人見知りする性質なので、自分から話しかけようとは思わなかったし、土方から話しかけられる事もなかった。そのため、二人は試衛館の中で、多くの仲間同士に過ぎない関係だったのだ。
 そして、それは京に上ってからも変わらなかった。
 土方は新撰組副長となり、総司はその指示を受ける一番隊組長となった。上司と部下の関係だった。
 試衛館出であろうと、土方は総司を贔屓する事はなかったが、逆に、冷遇する事もなかった。仕事が出来る、信頼のできる部下として、扱った。
 その関係を切なく思っていたのは、総司の方だった。
 江戸の頃もそうだったが、京にのぼってから、土方がその力量を発揮し男ぶりをより増すにつれ、当然のことながら、女性の影がよく見えるようになった。島原でも祇園でも、先斗町でも、引く手あまただという話だった。
 それはそうだろうと、思った。
 土方はもともと端正な顔だちだったが、江戸にいた頃はどこか甘さがあった。だが、京に来てから、仕事や気力が充実しているためか、顔だちは鋭く引き締まり甘さなど欠片もなくなった。逆に、精悍で、大人の男らしい艶を感じさせるようになったのだ。
 だが、総司にとって、江戸にいた頃の彼も、京にのぼってからの彼も、同じ事だった。
 ずっとずっと恋してきたのだ。
 心から憧れてきた、だい好きな彼。
 江戸のいた頃など、一目でも逢えれば舞い上がるほど嬉しかった。そっと遠目に見られるだけでも、本当に幸せだったのだ。
 だが、一縷の望みもない恋だった。
 この時代、男色は忌むべきものではなく、江戸にも京にも、その手の客を相手にする店があったが、土方はまるで興味がないようだった。黙っていても、美しい女が寄ってくるのだ。男など相手にする必要もないのは当然のことだろう。
 そんな彼の姿に、総司は諦めようと思った。
 己の恋を自覚した瞬間から、必死に諦めようとしたのだ。だが、恋とはそんな簡単なものではなかった。小さな胸に秘められた土方への恋慕は、どんなに諦めようとしても、断ち切ることが出来なかったのだ。
 むろん、この恋慕が人に知られぬよう、細心の注意を払った。生涯秘めていかなければならなかった。
 とくに、土方にだけは知られたくない。女にしか興味のない彼のことだ。知れば、侮蔑と嫌悪のまなざしで見られるに違いなかった。
 それを想像するだけで、泣き出したくなる。
 そうして、総司は激しい恋を秘めたまま、土方だけを見つめてきたのだ。






「何をぼんやりしているんだ?」
 不意に、総司の想いを男の声が遮った。
 はっと我に返り、顔をあげる。
 一瞬、現なのかと思ったが、まだ夢の中にいるようだった。何故なら、土方が柔らかな表情で総司を見下ろし、そっと手を握りしめてきたからだ。
 初めて感じる男の掌に、びくりと身を竦めた。しなやかな指さき、乾いた感触。信じられないものを見るように、まじまじとその手を見つめてしまった。
 そんな総司が、余程可笑しかったのだろう。土方は思わずとも云うように、笑った。くっくっと喉を鳴らす。
「鳩が豆鉄砲を食ったようだな」
「……だって、本当にびっくりしたから」
 思わず呟いた総司は、慌てて口をつぐんだ。馴れ馴れしい言葉使いだという事に気づいたのだ。
 だが、土方は全く気にしてないようだった。それどころか、総司の気持ちを読み取ったように、優しく云ってくる。
「それでいいんだ。俺に対して、他人行儀な口の利き方をする必要はねぇよ」
「で、でも……」
 俯いてしまった総司に、土方は、握りしめた手を子どもにするよう軽く振った。まるで、あやすような仕草だ。
「大丈夫だ。そんな遠慮するな」
「どうして、ですか? 馴れ馴れしい口の利き方なんて……どうして怒らないのですか」
「俺がおまえに怒る?」
 土方は驚いたように、目を見開いた。
「それも、口の利き方でか? そんな事するはずねぇだろう、可愛い総司に」
 平然とそう口にし、笑いかけてくる土方に、総司は呆気にとられた。



 可愛いだなんて。
 まさか、彼がそんな言葉を口にするなど思ってもみなかった。だが、考えてみれば、ここは夢なのだ。
 総司だけの夢。
 総司がつくり出した世界。
 この夢の中ならば、何だってありえるのだろう。
 そう……すべてが、総司の願うとおりになるはずなのだ。
 現では決して許されぬ想いも、ここではきっと許される。夢なのだから、素直になっても誰も責めない。彼にも侮蔑されない。傷つかない。
 ここは夢の世界なのだから、全部、自分の思い通りに……。



「……土方さん」
 しばらく黙り込んでいた総司は、顔をあげた。そうして、土方を大きな瞳でまっすぐ見つめた。
 夢の中でも、勇気がいる。胸がどきどきした。
 それでも、云った。
 告げたくて告げたくて、たまらなかった言葉を。
「あなたが好きです……」
「……」
「あなたを、誰よりも愛しています」
 そう告げられた瞬間の土方は、少し驚いたような表情をしていた。目を見開き、総司をじっと見つめている。
 だが、すぐに、ふっと息を吐き出すと、両手をのばした。総司の細い躯を柔らかく引き寄せる。
 静かな声が囁きかけた。
「……俺も愛している」
「……」
「総司、おまえだけを愛しているよ」
 その言葉に、総司は小さく吐息をもらした。先程の土方のように。
 だが、それは安堵のためでも、歓びのためでもなかった。
 やはり夢なのだと、実感しただけの事だった。こんな事あるはずもないのだ。
 土方が自分を愛してくれるなど、現では決してありえない。
 だが、ならばいっそ……と思った。


 これがどこまでも幸せな夢でありつづけるなら、その幸せに溺れてしまいたい。
 現で流す涙も、嫉妬も苦しみも忘れ、彼に愛される幸せな夢を見てみたい……。


 そんな総司の想いが、また通じたのだろう。
 土方は優しく微笑むと、総司の躯を胸もとに引き込んでくれた。ぎゅっと抱きしめられる。
 広くて逞しい胸。力強い腕。
 彼のぬくもりに、耳もとにふれる吐息。
 愛しい愛しい彼。
 どんなに狂おしいほど求めても、現では、決してえられぬものばかりだ。
 だからこそ、総司は土方の腕に身をゆだねた。素直に凭れかかり、「好きです」と先程の言葉をくり返す。
 それに、土方も抱きすくめ、頬や首筋に甘い口づけを落としてくれた。そのたびに、躯がふわふわと夢心地になる。
 否、それはおかしいか。ここは夢であるのだから。
「土方さん……愛してる」
 そう囁いた総司の躯を、土方は優しく抱きしめた……。












 ゆっくりと目を開いた。
 見慣れた天井が視界に映ったが、しばらくの間、自分がどこにいるのかわからなかった。
 ぼんやりとした表情で視線を動かし、やがて、我に返る。
「……夢、だったんだ」
 総司は小さく呟いた。
 まざまざとした、夢だった。
 目覚めた後までも、はっきりと覚えている不思議な夢。
 それを思いながら身を起した総司は、ふと、枕元にあるまじない玉に目をとめた。薄闇の中、ふわっと光を放ったような気がする。
 あの話は、まさか本当だったのだろうか。それとも、ただの偶然なのか。
「まさか……ね」
 小さく呟き、総司は、ふふっと笑った。
 ほんの一時でも、幸せだったのだ。夢の中であっても、愛しい人に気持ちを告げる事ができた。素直になる事ができた。
 その事が、総司の心をほんの少しだけ軽やかにしていた。すうっと空気が入ってきた気がする。
 総司は身を起し、丁寧にまじない玉を手拭いに包み込んだ。
 そして、着替えを始め、懐にしまったまじない玉を確かめると、静かに部屋を出ていったのだった。





 しかし、夢は一夜で終らなかった……。