時々、無性に苛立つことがある。
 たとえば、こんな時だ。
「あのね、土方さん」
 総司は大きな瞳で彼をみあげた。
「この間、伊庭さんと逢ったのです。ご飯、ご馳走してもらって……とってもおいしかったの」
「そうか」
「土方さんも、あぁいうお店って行くの? お、女の人と一緒にとか」
「あぁいうお店って、どんな店だよ」
「それは……上手く云えません」
 なめらかな頬をちょっと赤らめて、笑った総司の笑顔が忘れられない。
 そして、また。
「斉藤さんにお祭りに行こうって、誘われたのです」
「そうか」
「お祭り、楽しみ。雨が降らないといいな」
「……」
 いっそ、どしゃ降りになってしまえ! と心の中で罵る土方の前で、総司は早く済ませておかなくちゃと稽古の仕度をしていた。それを眺めながら、思う。


 わかっている。
 嫉妬しているのだ、自分は。
 この天然で鈍くて、男の恋心も、そこらの小町娘顔負けの可愛さも、全部全部わかっていない総司に、心底惚れているから。好きで可愛くて、本当は、綺麗な千代紙模様の箱か何かに、そっと入れて仕舞っておきたいぐらい、大切に思っている。
 小さな手も、細い躰つきも、しみ一つない白い絹みたいな肌も。
 大きな瞳、長い睫毛、ふっくらとした桜んぼのような唇。甘く澄んだ声。
 みんな可愛くて綺麗で、二十歳になったというのに、新選組一番隊組長で筆頭師範代という地位にあるというのに、総司は相変わらず花のように愛らしい。


 江戸から京にのぼって新選組の副長というものになった土方が、総司を好きになったのは、ほんの少し前の事だった。
 否、ほんの少し前、自覚したのだ。突然、稲妻にうたれるがごとく、「俺は総司が好きだ!」と、わかったのだ。その時は当然ながら、悩んだ。
 この時代、いくら男同士の仲も認められていると云っても、相手は九つも離れた若者。挙句、仕事上、右腕たる部下だ。江戸の頃と違って、副長としての立場もありまくる。
 やはり、これはまずいだろうという理性が、きききとブレーキをかけたが、恋は禁忌だと云われれば云われるほど、燃えあがるところがある。
 自覚したとたん、総司がいつどこで何をしているか、いつどこにいても気になった。ついついあれこれ一日の様子や予定など聞きだしたり、ついてまわったりして、親友で局長の近藤にも胡乱な目で眺められる有様だ。
 二十九歳の土方にとって、恐ろしい話だが、総司は初恋だった。今までさんざん遊び倒し、女たらしだ、百戦錬磨だと云われながら、その実、本気で人を好きになった事など全くなかったのだ。
 となると、本気で、しかも初恋に燃える男を止められるものはない。あとはもう、まっしぐらに突っ走り、燃え尽きるまでだ。


「土方さん」
 そんな事をぼんやり考えていた土方に、総司が呼びかけた。
「え?」
 慌てて視線をやると、総司が手拭いを畳んだり広げたりしながら、問いかけてくる。
「あのね、土方さんは……その、今夜のお祭り、行くのですか?」
「俺?」
 土方は眉を顰め、しばし考えた。
 確かに、行っても構わない。女に不自由しない彼のことだから、一緒に祭りに行く相手には事欠かなかった。しかも、行けば斉藤が総司にちょっかいを出さないか、見張ることが出来る。
 と、そこまで考えて、何だか虚しくなった。可愛い総司を隣において歩くのだから、楽しいのだ。何が哀しくて、他の男と一緒にいる総司を眺めなければならないのか。
 ぐっと眉間に皺がよった。
「行かねぇよ」
 そう云った土方に、総司はきゅっと唇を噛んだ。俯き、小さな声で答える。
「……そう。行かないのですか」
「あぁ」
 頷いた土方の前で、総司は気をとりなおしたように、笑顔になった。
「じゃあ、私、やっぱり斉藤さんと行きますね」
「え?」
「だって、土方さんは行かないみたいだけど、私はお祭り、とっても行きたいし。今からすぐに返事しなくちゃ。斉藤さんに、お祭り一緒に行きますって」
「ちょっと待った!」
 思わず声をあげてしまった。
 今!
 今、何て云った?
「返事しなくちゃってことは、斉藤に、まだ返事してないのかよ」
「え、そうです、けど?」
 不思議そうに目をぱちくりさせながら答える総司が、天然で鈍くて、でも、可愛い。
 土方は坐りなおすと、きっぱりと云った。
「なら、俺は行く」
「え?」
「祭りに行くよ、おまえと一緒に」
 総司と一緒という処を思いっきり強調した歳三に、総司の顔がぱっと輝いた。嬉しそうに笑う。
「本当ですか? 本当に、一緒に行けるの?」
「あぁ」
「ありがとう、土方さん。じゃあ、早めに稽古終えますね」
 いそいそと出ていく総司を見送っていると、入れ替わりに、何とも云えない表情の近藤が顔を出した。話は筒抜けだったらしく、土方を見たとたん、ため息をつく。
「おまえ、祭りに行くのか」
「あぁ」
「夜だぞ」
「わかっているよ」
「自分の理性、過信するなよ」
「……」
 思わず沈黙してしまった土方に、近藤はやれやれと首をふった。
「おまえが総司に手をだすのは一向にかまわんが、初めてが野合というのはいかんだろう。可哀想だ」
「なら」
 朴訥なようでいながら、時々、とんでもない事を云ってくる近藤に、うんざりしながら答えた。
「どこかの出会い茶屋に連れこめと云うのかよ」
「おまえは、総司をそこらの遊び女と一緒にするのか!」
 一喝され、土方はため息をつきたくなった。煩わしげに、黒髪をくしゃりと片手でかきあげる。
「じゃあ、どうしろって云うんだよ」
「わからん。それはおまえが考えることだ」
「あんたなぁ」
「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られろと云うだろう?」
「十分、邪魔されている気がするが」
「可愛い愛弟子が、こんな悪い男にたぶらかされそうになっているのだ。当然のことだろう」
 あっさり云いきった近藤は、腰をあげた。さっさと部屋を出ていく。
 土方はそれを見送り、ちっと短く舌打ちした。
「悪い男って、俺のことかよ」
 そのとおり! と、誰もが思うだろう台詞だった。












「え、何それ」
 斉藤は思わず不服の声をあげてしまった。
 それに、総司は手をあわせる。
「ごめんなさい。でも、土方さんと約束しちゃったから」
「土方さんとって、先に誘ったのはオレじゃなかったっけ」
「え、そうでした? でも、ごめんなさい」
 申し訳なさそうに謝る総司に、斉藤はやれやれとため息をついた。


 総司が、あの、冷酷無情! 鬼! とまで云われる男に恋しているのは、よーくわかっているのだ。
 こんな可愛い総司が何を好き好んでと思うのだが、仕方がない。
 実際、土方は見栄えのいい男だった。性格はとんでもなく悪いが、顔は確かにいいのだ。祇園でも島原でも、たいしたもてぶりらしい。
 だが、総司は力説する。
「土方さんは優しいのです。本当は優しくて、親切な人です」
「……」
 それ、おまえ限定だからとは、口が裂けても云わない。
 云えば、どうして? という事になり、たちまち二人の恋が成就してしまうことは目に見えていた。それこそ、敵に塩をおくる、だ。
 斉藤としては、塩どころか、あの男に「鬼退散!」と豆を投げてやりたい気分だった。もっとも、そんな事をすれば、倍以上の報復が待っているのは、想像に難くないが。


「斉藤さん、怒っています?」
 そう云って小首をかしげた総司に、斉藤は思わず顔をほころばせた。
 めちゃめちゃ可愛い。
「怒ってないよ」
「よかった。また今度、一緒に行きましょうね」
「あぁ、土方さんが出張中にでもな」
「はい」
 斉藤の気持ちをわかっているのか、いないのか(いや、まったくわかっていないだろう)、総司はにっこり笑うと、駆け出して行った。
 もうそろそろ夕暮だ。土方と二人で、祭りに向かうのだろう。
 それを面白くない気分で見送りながら、斉藤はため息をついたのだった。












 夕暮れ、二人は屯所を出た。
 土方は濃紺の着物を着流し、両刀を斜めざしにしていた。すらりとした長身で、肩幅もある土方は上質の着物がよく似合い、惚れ惚れするほどの男ぶりだ。
 実際、総司はさっきから見惚れっぱなしだった。何度もちらちらと視線をやっては、頬を染めてしまう。
 兄弟のように仲の良い二人だったが、京にのぼってからはとくに多忙なため、土方と出かけることなど本当に稀だった。だから、今回、棚からぼた餅のような祭り行の話に、気持ちがうきうきしているのだ。


(本当に、土方さんって恰好いい……)


 この場合、惚れた欲目でもなんでもない。
 もし、総司が土方に対して惚れた欲目という事実があるのなら、それは完全に性格に関しての話だった。斉藤などからすれば、この世で、土方ほど俺様で冷たくて身勝手で、強引な男は、見たことがないのだ。だが、昔から可愛がられてきた総司にすれば、土方はいつまでたっても、「優しい歳三さん」だ。
 しかも、それに今や、仕事ができる男! がプラスになっている。
 総司は土方の隣にならんで歩きながら、ちょっとした瞬間、指さきがふれあったりするのに、どきどき胸を高鳴らせていた。その様がまた可愛らしい。
 淡い水色の着物を身につけ、一つに束ねた髪を背に流した総司は、まるで、儚げな愛らしい少女のようだった。土方と並んで歩いている様は、まるで一幅の錦絵のような美しさだ。どこから見ても似合いの二人に、すれ違う人々も皆、ふり返っていく。
「……どうした」
 あまりにも見てしまったからだろう。
 土方が訝しげに眉を顰め、総司に視線を流した。切れの長い目で見つめられ、どきりとする。
「えっ、な、何がですか」
「何がって、おまえがだよ。何で、こっちばかり見ているんだ」
「えーと、あの」
 総司は口ごもった末に、大きな声で誤魔化した。
「そっちのお店に、たくさんおいしそうな物があったから」
「うまそうなもの?」
 土方がくるりとふり返り、店先の方を眺めやった。
 だが、そこにあるのは、草履や傘だ。
 思わず総司も逃げ出したくなったが、土方の表情は変わらなかった。総司を傷つけたり、莫迦にしたりすることなど、一度もないのだ。総司が困っているのを見てとると、いつも上手に受け流してくる。
 今もそうだった。
「そう云えば、さっき、うまそうな菓子屋があったな。あれが欲しかったのか」
 くすっと笑って云う土方の瞳は、とけそうなほど優しい。それに、ほっと安堵した総司は、慌てて頷いた。
「は、はい。おいしそうだなぁと思って」
「なら、帰りに買ってやるよ」
「え、いいんですか。ありがとう、土方さん」
 むろん、総司もわかっている。これが彼特有の気遣いだということを。
 だが、当然の話だが、土方がこういう対応をするのは、総司のみに限られていた。他の者が同じ事をしようものなら、徹底的に追及しまくり、挙句、崖っぷちから突き落とすような男なのだ、実際は。
「わぁ、楽しそう」
 神社に近づくと、総司は思わず歓声をあげた。
 暗闇の中、綺麗な提灯の明かりが揺れ、楽しそうなざわめきが広がっている。小さな屋台がずらりと並び、その中を縫うようにして歩いてゆくと、どこか夢の中の世界のような気がした。
 淡い提灯の明かりも、お稲荷さんも、幻想的な雰囲気で、総司はふわりと気持ちがうきたつのを感じた。
「総司」
 嬉しそうに歩いて行こうとすると、不意に、後ろから声をかけられた。
 え? とふり返ると、ちょっと怒ったような顔の土方が手をさし出している。
「……手」
「え?」
「いいから、手を出せ。早く」
 叱咤するように云われ、慌てて総司は手を出した。子どものように、両手を突きだしてしまう。
 それに、苦笑した土方は、総司の右手だけをとった。そっと握りしめてくる。
「ひ、土方さんっ」
 顔を真っ赤にして見上げると、土方が悪戯っぽく笑いかけた。
「この騒ぎだ。はぐれたら、二度と逢えねぇだろう?」
「で、でも」
「誰も見てやしねぇよ。ほら、行くぞ」
 土方は総司の手を握ると、すたすた歩きだした。それに、慌ててついていく。
 恥ずかしいが、でも、とても嬉しかった。こんな事がおこるなんて、まるで夢みたいだと思う。
 自分の手に感じる彼の手が、信じられなかった。ひんやり冷たい指さきに、胸がどきどきする。
 総司はもう手を繋いでいる土方の事ばかりが気になって、屋台を見るどころではなかった。だが、土方はまるで知らぬ顔で、興味深そうに店先を覗き込み、あれこれ主と会話をかわしたりしている。
 その端正な横顔を、ぼうっと見上げた。
 面白い事でも云われたのか、土方は店先で低く喉を鳴らして笑った。何か主に云い返し、会話を楽しんでいる。
 だが、その店の主も、愛想がよく会話も巧みなこの男が、あの新選組副長土方だとは想像もしていないだろう。知れば、腰を抜かすに違いなかった。
 もっとも、総司は、この土方の方が見慣れた姿だった。
 江戸にいた頃、彼は明るく奔放で、いつも笑顔だったのだ。総司と一緒に悪戯をした事もあるし、仕事より遊びの方がだい好きで、風来坊そのものだった。今、新選組副長として冷然と振る舞っている彼からは、想像もつかないが。
「……」
 不意に、総司は目を瞬いた。
 土方が店先で、何かを取り上げたのだ。よく見ると、それは美しい櫛だった。
「主、これを」
 高いものだろうに、土方は無造作にそれを買った。受け取り、懐に大事にそうに仕舞っている。
 その姿に、胸奥がちくりと痛んだ。
 土方が京にのぼってからも、かなり遊んでいること、もてていること、それらは全部、噂となって総司の耳にも届いているのだ。その馴染みの女たちの誰かにやるのだろうか。そう思うと、心が重く沈んだ。
「……待たせたな」
 再び、土方は総司の手をとり、歩き出した。それから、ふと気づいたように、総司を見下ろした。
「どうした、疲れてしまったか」
「いえ、大丈夫です」
「何かおまえも買わねぇのか。欲しいものがあれば、買ってやるぞ」
「え」
「あそこの飴菓子とかは、どうだ」
 そう云った土方に、総司はむかっときた。
 馴染みの女性には美しい櫛で、自分にには飴菓子?
 仕方がないとわかってはいるけれど、子ども扱いされている状態に、拗ねてみたくもなる。
「……土方さんにとって、私は子供?」
 そっぽを向いて訊ねた総司に、土方が小首をかしげた。
「どうして」
「だって、さっきからお菓子を買ってやるばかり。私が子供に見えるから、そうなのでしょう?」
「なら、何が欲しい」
 困ったように、土方が訊ねた。それに、言葉がつまってしまう。
 わからない。
 娘ではないから、櫛も簪もいらない。
 だが、だからといって、菓子はないだろうと思うのだ。これでも、もう大人のつもりなのに。
「何も……いりません!」
 そう叫ぶなり、大きく手をふりまわした。土方も油断していたのか、あっさり手がほどけてしまう。
 総司はくるりと背を向け、雑踏の中を駆けだした。暗闇と歓声と提灯の明かりが、押し寄せてくるようだ。
「……総司!」
 後ろで、彼の声が響いた。

















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