何度も草履が脱げそうになった。
 それでも、総司は駆けた。人をかきわけ、神社の本殿の方へ走っていく。
 どこに行こうというあてはなかった。ただ、土方から逃げ出したかっただけなのだ。
 腹がたって仕方がなかった。どこまでも鈍い土方にも、こんな事で拗ねている自分にも。せっかく楽しい時を過ごせていたのに、つまらないやきもちで壊してしまったことが、たまらなく嫌だった。


(だから、子供だって云われるんだ)


 総司は神社の本殿にたどり着くと、はぁはぁと肩で息をしながら社を見上げた。
 篝火にうかびあがる神社は荘厳で少し怖いほどだ。周囲の人々が皆、賽銭を投げ、願い事をしていく。がらがらと鈴の音が鳴った。
 だが、総司には願い事などなかった。なぜなら、総司の願いは叶えられるはずもないのだ。
 それがわかっていて、どうして願うことなど出来るの……?
「……」
 きゅっと唇を噛み、総司は歩き出そうとした。その瞬間だった。
 突然、ぐいっと腕を掴まれかと思うと、もの凄い力で引き寄せられた。
「!?」
 あまりの勢いに驚き、見上げた総司は、「あ」と息を呑んだ。
 土方が怒った顔で見下ろしていたのだ。眉が顰められ、切れ長い目の眦もつりあがっている。
「莫迦野郎ッ!」
 一喝された。
 唖然としている総司に、土方は心底怒っているらしく、腕を掴む手も痛いほどだ。
「おまえ、勝手に走っていくんじゃねぇよ! どれだけ心配したと思っているんだ」
「だ、だって……」
「子どもだって云うんなら、傍を離れるな。大人だって云うんなら、こんな子どもじみた真似をするな」
「……っ」
 初めて土方に怒鳴られた総司は、唇を震わせた。自分が悪いことも皆わかっていたが、彼から怒りをぶつけられた事が、ひどくショックだったのだ。
 だが、泣きだすことはなかった。逆に……怒った。
 総司は容姿と同じように、愛らしく優しい性格だった。素直でかわいくて――――だが、強気だった。
 勝気ではない、思いっきり強気なのだ。
 小さな頃から土方にちやほやされ、甘やかされまくったせいか、とことん強気な女王様気質なのだ。
 本殿前から連れられていく時も黙ってはいたが、実はむかむかと怒っていた。自分には優しかったはずの男の態度に、心底怒っていたのだ。
 それに、土方はすぐさま気づいた。形のよい眉を顰め、総司の方を見やる。
「……怒鳴ったこと、怒っているのか」
「……」
「けど、俺は謝らねぇぞ。おまえが悪いんだからな」
「土方さんは、私の念者ですか?」
「……は?」
 いきなりな言葉に、土方は驚いた。目を見開く。
 そんな土方を見上げ、総司はつらつらと言葉をならべたてた。
「土方さんが私の念者なら、怒られるのもわかります。でも、土方さんと私は、何の関係もないじゃない。なのに、どうして怒鳴られなきゃいけないの?」
「それは……」
「土方さんが副長だから? でも、今は非番だし、それに」
「じゃあ、聞くが」
 土方は総司の腕を掴んだまま引き寄せ、顔を近づけた。熱っぽい濡れたような黒い瞳が、総司を見下ろす。
「俺がおまえの念者になったら、いいのか。そうすれば、云うことを聞くのか」
「聞きますよ。でも、なれる訳ないし」
「なれる」
「なれません」
「いや、なれる。俺はおまえの念者になってみせる!」
 きっぱり断言した土方を、総司は唖然として見上げた。
 しばらく呆然としていたが、やがて、土方が総司の肩を抱くようにして歩き出したのに気づいた。
「どこへ行くの?」
「茶屋」
「え、水茶屋? お菓子を食べに?」
「そうじゃなくて、出会茶屋……いや、それは近藤さんに怒られるな。どこかの宿屋にしよう。飯も食いたいし」
「飯もって、他に何をするつもり」
「おまえと契りをむすぶ。そうすりゃ、俺たちは晴れて念兄弟だ」
「な、ななな……っ」
 総司は一気に顔を真っ赤にした。顔から火が出るかと思うほどだ。
 慌てて足を踏ん張り、男の力に抵抗した。
「冗談じゃありませんよ! そんな売り言葉に買い言葉で、契りなんて不純です!」
「契りに純粋も不純もあるかよ」
「だって、土方さんは、私のこと好きでもなんでもないでしょ」
「好きだ」
「そんなあっさり答えないで下さい。ものすごく適当に聞こえますし、だいたい、土方さんの好きって、弟とか犬猫に対するのと変わらないでしょう?」
「どうして、そう思う」
「だって……」
 総司は口ごもり、だが、あっと思い出して言葉を紡いだ。
「だって、私のことを本気で好きなら、馴染みの女の人のために、櫛なんか買ったりしないでしょう?」
「櫛?」
 微かに眉を顰めてから、土方は「あぁ」と思い出したようだった。懐から取り出し、笑う。
「これか」
「はい」
「これは、おまえ、お信姉さんへの土産だよ。ほら、この間、云っていただろう? いい櫛があれば送ってくれと云われていると」
「……そう云えば……」
 聞いたような気がする話だった。総司にも相談をもちかけられ、わからないと答えたのだ。
 黙り込んでしまった総司に、土方が足をとめた。ふり返ると、総司の顔を覗き込んでくる。
 そして、きっぱり云った。
「俺はおまえが好きだ」
「……」
 総司の目が見開かれた。それに、土方は少し掠れた声で言葉をつづけた。
「弟とか犬猫とかとは、全然違う。心底惚れているんだ。おまえの躰も心も全部俺のものにして、どこかに隠して独り占めにしちまいたいぐらい、好きだ」
「……」
 呆然と土方を見上げた。何も云えないらしい。
 それに、土方は真剣な表情で念押しした。
「これでいいな? 文句ねぇな」
「……はい」
 蚊の鳴くような声で答えた総司は、耳朶まで真っ赤になって俯いてしまった。それに満足げに笑った土方は、総司を連れて近くの宿屋に入った。
 てきぱきと、部屋をとる土方の傍で、総司はぼうっとしていた。離れの小奇麗な部屋に通され、食事が運ばれてきても、今一つ頭がまわらなかった。あまりの急展開に、ついていけなかったのだ。
 食事がおわると、土方は風呂に入ろうと云った。贅沢にも、この部屋には小さな風呂がついていたのだ。慌ててお先にどうぞと云うと、一緒に入ればいいと強引に連れていかれた。
「あぁ、気持ちいいな」
 土方は湯につかりながら、笑った。濡れた黒髪が首筋にはりつき、それが色っぽい。
「……」
 総司は、湯気の中で、土方の方を見ないようにするのに懸命だった。褐色の肌や、逞しい腕に、どきどきしてしまうのだ。
 躰を洗って湯に入ろうとすると、土方がこちらを見ているのに気づいた。熱っぽい瞳で見られていたことに、かぁっと顔が火照る。
「な、何ですか?」
「いや、綺麗だなと思って」
「……っ」
 やっぱり、この人はたらしだ! と思ったが、総司はもう何も云う事ができなかった。のぼせそうになりつつ、何とかお風呂からあがる。
 だが、土方は総司が寝着を着ると、すぐに奥の部屋へ連れて入った。襖を開いたそこにある褥が妙に生々しい。
「え、えーと、あの……っ」
 総司は思わず後ずさってしまった。
「さっきの、本気じゃありませんよね?」
「さっきのって、何が」
「だから、私と契りを結ぶとか何とか」
「あぁ」
 土方はにっこり笑った。
「もちろん、本気だ。俺が戯言を云うような男だと思うか」
「思いません」
「なら、今更聞くまでもねぇだろう」
 そう云った土方は、不意に、ぽんっと総司の肩を突いた。あっと思った時には、布団に躰が沈み込んでいる。
 慌てて身をおこそうとしたところへ、男がのしかかってきた。たちまち抑え込まれ、首筋に唇をおしあてられる。
「や、やだ……っ!」
 思わず叫んだ。
 ずっと土方のことが好きだった。恋してきた。だが、こんな展開、想像もしていなかったのだ。
 突然、好きだと云われて、その日のうちに契りを結ぶなんて。しかも、自分の気持ちを聞いてもくれないのに。
「土方さんのこと、嫌いになるから!」
 そう叫んだとたん、ぴたりと男の手がとまった。しばらく黙り込んだ後、問いかけられる。
「嫌いになるからってことは……今は好きってことか?」
 なんて前向きな人なのか!
 だが、そうなのだから、仕方がない。
「……一応」
 しぶしぶ答えた総司を、土方が見下ろした。
「じゃあ、何で嫌なんだ?」
「だって……いきなりすぎます。私の気持ちも聞いてくれないし」
「念者になったら俺の云うことを聞くって、云ったじゃねぇか」
「え、じゃあ、私の気持ちなんてどうでもいいって事?」
「それは違うが」
 土方は視線をそらし、はぁとため息をついた。
「こういう展開になったんだ、機会を逃さず、おまえと契りをかわしちまえと思うのが、男の性ってものだろう。その後、少しずつ気持ちを通わせていけば……」
「契りが先? ふつう、逆でしょ」
「おまえと気持ちを通わせてから、か? それはわかっているが、おまえが俺に惚れているなんざ、万に一つもありえねぇ。さっきの好きだって、兄がわりとしての話だろう。初めから無理だとわかっている事を聞けるほど、俺も男が出来てねぇよ」
「……その万に一つだったら、どうするの?」
 小さな声で問いかけた総司に、土方は目を瞬いた。
「え?」
 驚いたような顔をしている男に、総司は白い手をのばした。するりと細い腕を男の首にからめ、抱きつく。
 そうして、耳もとで囁いた。
「万に一つと思っていたのは、私の方なのです。ずっとずっと恋してきました」
「……」
「土方さん、あなただけが好き。だい好き……」
「……っ」
 突然、土方が総司の躰を強く引き寄せた。両腕の中にとじこめると、ぎゅっと息もとまるほど抱きしめてくる。
 総司が驚いて目を見開いていると、土方の掠れた声が耳もとにふれた。
「まさか、おまえが俺を好いてくれているとは、思っていなかった」
「土方さん……」
「総司、おまえが好きだ。愛してる」
 熱っぽく囁きかけてくる土方に、総司はなめらかな頬を染めた。こくりと頷き、男の胸もとに顔をうずめる。
「……私、も。私も愛しています……」
「総司……」
 そっと仰向かされ、目をあげた。濡れたような黒い瞳に、どきどきする。ぼうっと見惚れていると、土方が顔を傾けた。
 優しく口づけてくる。
 何度も啄むような口づけの後、やがて、それは深く甘いものとなった。躰の芯まで痺れてしまいそうな口づけをあたえられる。
「……土方、さん……」
 総司は土方の肩に縋りついた。それを土方が優しく強く、抱きしめてくれる。
 窓の外には、満月。
 砂糖菓子みたいに甘い恋人たちの夜は、これからだった。












 翌朝、総司は土方と一緒に屯所へ戻った。
 堂々と二人して朝帰りしたのだが、それを出迎えたのは、近藤だった。
 ちょうど玄関口を通りかかったところへ、二人が帰ってきたのだ。玄関口に入ってきた二人の姿を見るなり、近藤は片眉をあげた。
 懐手をしながら、問いかける。
「朝帰りか」
「見ればわかるだろう」
 素っ気なく答えた土方は、総司に手をかして框に上がらせた。が、よろめいてしまい、慌てて土方が腰を抱き寄せた。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫です。ごめんなさい」
「おまえが謝る事じゃねぇよ。俺が無理をさせたから……」
「そ、そういう事は云わないで下さいっ」
「? 俺、何かまずい事を云ったか」
「だから……っ」
 云いかけた総司は、そこに近藤がいる事を思い出したようだった。かぁっと頬を火照らせ、土方の後ろに隠れてしまう。
 それを「成程」と眺めやりながら、近藤は訊ねた。
「で、場所は?」
「え?」
 意味がわからないという表情の総司に対し、土方はすぐにピンときたようだった。「あぁ」という表情になると、答える。
「宿屋だ」
「どこの」
「柊屋の離れ」
「そこなら、いいだろう」
 うむ、と頷いてから、近藤は背をむけ、去っていった。それを呆気にとられて見送っていた総司は、土方に今の会話の意味を聞いた。
「いったい、どういう事?」
「何が」
「だから、柊屋とか……」
「あぁ、あれは俺がおまえと契りをかわした場所だよ。近藤さん、前から煩く注文つけていたから……」
 云いかけ、慌てて、土方は口をつぐんだ。
 何故だか知らないが、総司がとんでもなく怒っている事に気づいたのだ。顔を真っ赤にして、ぶるぶる震えている。
 やがて、叫んだ。
「土方さんのたらし!」
「は?」
「そんな事、前から決めていたなんて! 祭りに行く前から、私をあそこに連れ込むつもりだった訳!?」
「い、いや……その……」
 わざわざ探した訳ではないが、祭りの帰りなら、あの宿屋がいいかと考えていたことは事実だったので、思わず口ごもってしまう。
 そんな土方を、総司はどんっと突き飛ばした。が、逆に、腰に力が入らないため、ふらふらと倒れ込んでしまう。
「総司!」
 慌てて駆け寄った土方は、総司の躰を抱きおこした。それどころか、お姫様抱っこの状態で、ひょいっと抱え上げてしまう。
「ひ、土方さん!」
 思わず声をあげた総司の顔を、土方は黒い瞳で覗き込んだ。
「確かに、俺は祭りに行く前、宿屋のことを考えたよ」
「やっぱり」
「けど、それもこれも、おまえを手にいれるためさ。可愛いおまえを手にいれるためなら、俺は手段を選ばねぇよ?」
 なめらかな声で囁きながら、悪戯っぽく笑いかけてくる土方に、総司は息を呑んだ。


 黒い瞳をきらきらさせて、形のよい唇に笑みをうかべた男。
 こんなに魅力的な彼に、誰が抗えるというのか。今まで恋していなくても、この瞬間、恋に落ちてしまうに違いない。
 否、ずっと恋をしていても、何度も何度も恋に落ちるのだ。
 大好きな彼に。


「……だい好き、土方さん」
 そう云って抱きついた総司に、土方は喉奥で笑った。
「機嫌が直ったようだな」
「違いますよ。でも、だい好きだなぁと思ったのです」
「そうか」
 くっくっと喉を鳴らして笑いながら、土方は歩き出した。相変わらず、総司を腕に抱いたままだ。
 隊士たちに恥ずかしい! と思ったが、あらためて見ると、もはや注目の的だった。平隊士たちはびっくりしているが、斉藤などは呆然と見送っている。原田や永倉たちは、ひらひらと手をふって笑っていた。
 総司は彼らに手をふり返すと、訝しげに見下ろした土方の腕の中、幸せそうに微笑ったのだった。





 その日から、新選組副長と一番隊組長が、公認バカップルとなったことは、云うまでもない。