外へ出ることは度々行っていた。
ただし、家の周囲ぐらいだったため、本格的に京の街を歩くのはこれが初めてだ。
土方は総司が用意してくれた群青色の着物を着流し、腰に両刀を差して外出した。すると、道行く女が皆、ぼうっとした表情で振り返ってゆく。
訝しげに眉を顰めた。
「……俺、何か変か?」
そう問いかけられ、総司はきょとんと目を瞬いた。
「変って、どういう意味ですか」
「つまり、どこか、俺、おかしな格好をしているのかってことだよ。妙にふり返られている気がするんだ」
「それは……」
総司は思わず言葉を詰まらせてしまった。
よくよく考えてみれば、土方は記憶を失ってから己の顔を見たことがないのだ。男である以上、自分の容姿にさほど興味がないのは当然のことだが。
(こんなに男前の人、皆が振り返るの当たり前なんだけど……)
結い上げられた艶やかな黒髪に、すっと眦が切れ上がった目。濡れたような漆黒の瞳に、形のよい唇。
男前という言葉がこれ程似合う男も少ないだろう。端正な顔だちに、しなやかに引き締まった長身をもつ彼には独特の色香があり、それが女たちを自然とふり返らせてしまう。
男であるのに、華やかさがあるのだ。
それは副長として振舞っていた時でさえ、同様だった。冷徹な副長としての表情でありながら、どこか華があったのだ。
総司もしばしば息をつめるようにして見惚れたものだった。
「変なんかじゃありませんよ」
総司は小さく微笑んだ。
「変とかじゃなくて、その、土方さんが男前だから皆がふり返るのです」
「俺が男前?」
不思議そうに、土方は首をかしげた。微かに眉を顰めている。その表情にさえ見惚れてしまう総司に気づかぬまま、言葉をつづけた。
「おまえがそう言うなら、そうかもしれねぇが。まぁ、けど、今の俺には関係ない話だな」
「どうしてですか?」
「男の顔が良くても、役にたちゃしねぇだろう。役者になる訳でもあるまいし」
「そうですね」
「もっとも」
土方は不意に軽く身をかがめた。びっくりする総司を覗き込み、悪戯っぽく笑ってみせる。
「おまえみたいに可愛い子の気をひけるなら、男前の方が嬉しいけどな」
「え……」
「おまえ、俺のこと男前だと言ってくれただろ? なら、俺の顔は少なくとも気にいっているって事だよな」
総司は思わず息を呑んでしまった。大きく目を見開いたまま、土方を見上げる。
気にいっている、なんて。
口に出してしまいそうになった。
気にいっているどころか、好きで好きでたまらなくて。恋しくて愛しくて、この世の中で彼以上に好きになれる人なんていない。
この人が一瞬でもふり返ってくれたらと、どんなに恋い焦がれてきたことか。
そんな彼のこと。
姿形はもちろん、全部、好き。大好き。
恋してる、愛してる。
それを告げたくて叫びたくて、でも。
(言えるはず、ない……)
逢ったばかりの自分が彼を愛しているなど、それこそ、彼の身元を知っていると白状するようなものだ。
もともと明敏な土方だ、すぐさま全部突き止められてしまうだろう。
それだけは避けたかった。少しでも、この時を引き伸ばしたかったのだ。
「……」
総司は長い睫毛を伏せた。一瞬だけ下を向いてから、すぐさま顔をあげ、明るく答える。
「気にいっていますよ」
にっこりと笑ってみせた。
「だって、あなた、本当に男前だし。それは事実ですから」
「その言い方、何か含みがねぇか?」
土方は懐手をしながら、面白くなさそうに呟いた。それに、くすっと笑う。
「そうですか? でも、あなたが言ったことを返しただけです」
「まぁ、そういうことにしておくか」
「でも、私になんかが気にいらなくても、ほら、沢山の女の人があなたに見惚れていますよ」
そう言った総司に、土方は軽く肩をすくめた。
「あまり興味ねぇな」
「興味ないって、土方さん、女の人って苦手?」
「だから、前も言っただろ。白粉くせぇ女で派手なのって、苦手だって。俺の好みは清楚で可愛くて小さくて、こう……抱きしめたら壊れてしまいそうで……」
少し遠くを見ながら呟いていた土方が、不意に視線を戻した。濡れたような漆黒の瞳が総司を見つめる。
どきりとした瞬間、なめらかな低い声が囁きかけた。
「……つまり、俺はおまえみたいなのが好みなんだよ」
「っ」
耳朶まで真っ赤になってしまった。
口説かれている気がしたのだ。いや、実際そうなのだろう。
土方の黒い瞳は熱っぽく総司を見つめている。その端正な顔は真剣で、彼が偽りや戯れで口にしていないことは明らかだった。
だが、総司はそれに応えることは出来なかった。
(だって、私はこの人を裏切っている……)
彼はこんなにも誠実で真っ直ぐなのに、私を心から信じてくれているのに。
なのに、私はどうだろう。
なんて酷い事をしているのか。
真実を隠して騙して。
彼を、私の傍に留め続けている。
こんな罪な私が、彼に応えられるはずもない。
今度こそ、総司は俯いてしまった。嗚咽をこらえ、必死に唇を噛みしめる。
それに、土方は驚いたようだった。泣き出しそうな総司に気づき、慌てて身をかがめてくる。
「おい、俺……おまえに酷い事を言っちまったか?」
「そうじゃない、のです。……っ、そうじゃなくて」
必死に首をふった。
「あなたは……ひ、隼人さんは、酷い事なんて……言ってない」
「けど、おまえ、今にも泣きだしそうじゃねぇか」
「ごめんなさい……私、本当にごめんなさい……っ」
総司が手をのばすと、すぐさま土方はその小さな手を握りしめてくれた。そのまま、一瞬迷ったようだが、腕の中に引き込んでくれる。
少しだけ歩かされ、周囲が暗くなったと思った次の瞬間、抱きしめられた。
「っ」
驚き、息を呑んだ。慌ててその胸に手をついて、離れようとする。
「こんな……見られたら……っ」
幾ら衆道が当然とされている世であっても、往来の真ん中で抱き合うなど出来るはずがない。だが、そんな総司をより深く抱きすくめ、土方が囁いた。
「大丈夫だ……誰も見ちゃいねぇよ」
「うそ」
「嘘なものか。ほら、見てみな」
少し腕の力を緩められ、総司は顔をあげた。周囲を見回して、あ、と目を瞬く。
いつの間に連れ込まれたのか、そこは裏路地だった。周囲に人気は全く無い。
ほっと息をついた総司を再び抱き寄せながら、土方がくっくっと喉を鳴らした。
「可愛いな」
「……っ、隼人さん」
「素直で甘い砂糖菓子みたいなおまえが、すげぇ可愛いよ」
前の土方なら口にすることを考えもしないだろう言葉を、さらりと言ってから、土方は総司の髪や額、耳元に口づけた。それにびくりと身体を震わせ、彼を見上げる。
土方は唇の端をあげ、笑ってみせた。
「今は、ここまでだな。おまえのお許しが出るまで我慢しておくよ」
「そんなの、永久に出ませんから」
「つれねぇなぁ」
明るく笑ってから、土方は総司を路地裏から連れ出した。総司の歩調にあわせつつも、ぶらりと歩いてゆく。
戯れなのか、気まぐれなのか、何なのかわからない。
それでも、こうして一緒に歩くことが出来るだけで、総司にとっては信じられないぐらいの僥倖だった。突然、与えられた幸せに息がつまりそうになる。
少しでも少しでも長く、この時が続けばいい。
……なんて。
願ってしまう私は、身勝手だよね……?
土方に気づかれぬよう、総司は小さくため息をついた。
それから時々、二人は連れ立って外に出るようになった。
いつも総司は土方につきそった。いつ浪士と出会って襲われぬともしれなかったし、何よりも、ふとした瞬間に新選組の巡察に行き当たったりすることを、恐れたのだ。むろん、無意識のうちに屯所の前を通りかかってしまう事もある。
それらを考えると、とても一人で行かせる気になれなかった。
「いつもついてこなくてもいいんだぜ?」
土方は苦笑しつつ、言った。
「俺も子供じゃねぇんだ。それに、おまえだって都合があるだろ」
「都合なんてありませんけど、でも……迷惑ですか?」
おそるおそる訊ねた総司に、土方はあっさり否定した。
「迷惑じゃねぇよ。俺だっておまえと一緒にいたいさ。正直な話……帰ったら、おまえが消えているんじゃないかって思っちまうし」
(そう思っているのは、私の方……)
いつも恐れているのだ。怖いと思っているのだ。
ある日、帰れば、彼の姿がそこにない。
記憶を取り戻した土方は、必ず出ていってしまうだろう。
そして。
とけ消える雪のように儚い夢だけが、総司の手の中に残される……。
ゆるく首をふると、総司は笑ってみせた。
「私、消えたりしませんよ。だって、ここ、私の家だもの」
「そうだよな……そんな事あるはずねぇよな」
肩をすくめて呟いてから、土方は不意に目を細めた。切れの長い目で、まっすぐ総司を見下ろしてくる。
その深い色を湛えた瞳に、どきりとした。
「な、何ですか……?」
「時々、勘違いしそうになっちまうんだよ。記憶をなくしたのは俺じゃなくて、記憶をなくしたのはおまえで……この俺の方が、総司、おまえをここに囲っているような気になるんだ」
「……」
「おかしな話だよな」
くすっと笑った土方に、総司は目を見開いた。それから、不意に耳朶まで真っ赤になりつつ、抗議する。
「記憶をなくしたのが私の方とかはいいですけど、そのっ、囲っているってなんですか」
「え、だって、それっぽいだろ? おまえ、俺の世話をしてくれるし」
「私、あなたのお妾さん?」
「妾……うーん、恋人の方がよくねぇ?」
「恋人って囲われるんですか」
「どうだろう。俺的には、可愛い恋人だからこそ家の中に閉じ込めて、とけちまうぐらい愛してやりたいって思うけどな」
すごい事をさらりと言ってのける土方を、総司は唖然としつつ見上げた。
にこやかな笑顔で言っているが、かなり怖い事を言われている気がした。いやいや、これは絶対気のせいではないだろう。
ちょっと後ずさってしまった総司に気づき、土方は苦笑した。
「何もそんな怖がることねぇだろ。今、実際にするって言ってねぇんだから」
「当たり前ですっ」
「それに、まぁ……そんなこと、勝ち気なおまえが許すはずがねぇしな」
「……そうですか?」
不意に、悪戯心が出た。上目遣いに土方を見上げる。
「私がここに囲われているんじゃないかって、考えたことない?」
「え?」
「おかしいと思ったことないのですか、私みたいに若いのがこんな家に住んでいること。それこそ男に囲われていると……」
最後まで言えなかった。急に肩を掴まれ、引き寄せられたのだ。
驚いて見上げれば、土方が真剣な表情で総司を見下ろしていた。切れの長い目の眦がつりあがり、きつく眉根が寄せられている。
怖いぐらい真剣な表情に、どきりと心の臓が跳ね上がった。
「……っ」
「本当なのか」
低い声で問いかけられた。まるで詰問するようだった。
「それは真実なのか。おまえ、男のものに……」
「ぁ……」
「この身体も全部、男を教えられているのか。ここに囲われているのか」
凄みのある声音だった。
男の瞳にあるのは、明らかな嫉妬と憤怒だ。まるで、総司が不義密通でもしたかのようだった。
「え? 答えろよ、総司……!」
「……っ」
声を出せぬまま、慌てて首をふった。
ほんの小さな戯れが引き起こした彼の激情に、身体が震える。
「ちが…います……っ」
必死に答えた。
「そんなの、違うから。私、戯れを言っただけで……っ」
「本当だな?」
「は、はい」
どうしてここまで責められるのかわからぬまま、総司は何度も頷いた。
それに、土方はしばらくの間、鋭い瞳をあてていたが、やがて、一瞬だけ唇を噛んだ。それから、肩を掴んだ手をそのままに引き寄せ、柔らかく包みこむように抱きしめてくる。
「よかった……」
耳もとに、彼の吐息がふれた。
「おまえが他の誰のものでもなくて……よかった」
「はや…とさん……」
「本当によかった」
しばらくの間、呆然と抱きしめられていた。だが、はっと我に返り、慌てて彼の胸を押し返した。
「ちょっ、隼人さん」
「何だ」
「何だじゃなくて、これっておかしくありません?」
「何が」
「だから、何で、私、あなたに責められなくちゃいけないの? 私が誰かのものでも、そうじゃなくても」
「戯れなんだろ?」
畳み込むように問いかけられ、思わず頷いてしまった。
「そ、それはそうですけど」
「なら、いい。安堵したよ」
土方は先ほどの鋭い瞳が嘘のような、優しい笑顔で総司を覗き込んだ。ちゅっと音をたてて頬に口づけてくる。
それに、総司は真っ赤になってしまった。
「な……っ」
「おまえを怖がらせちまったんだよな。そのお詫び」
「全然、お詫びになっていなんですけど!」
「なら、もっと濃厚な奴をしてやろうか?」
冗談か真剣かわからぬ口調で言いながら、土方が総司の腰に腕をまわして抱き寄せた。それから慌てて逃れながら、総司は叫んだ。
「け、結構です!」
「遠慮するなよ」
「からかわないで下さいっ」
上ずった声で叫んだ総司は、くるりと背を向け、土間へと降りていった。何やら土間で洗い物やら何やらをしている。
それで自分を落ち着けるつもりなのか、事をやり過ごすつもりなのか。
耳朶まで赤くしている総司の小さな背を眺めながら、土方は低く呟いたのだった。
「……からかったつもりはねぇんだけどな」
記憶を失っていても、頭の切れや判断力、明敏さが失われることはなかった。
むしろ、記憶がないからこそ、闇に息をひそめる獣のように敏感になり、鋭く反応するようになっていたのだ。
だからこそ、土方は幾つかの訝しい事に、ひそかに眉を顰めていた。
まず、ここは京だ。
自分は言葉からいっても明らかに東の出であるはずなのに、奇妙なぐらい京の街に詳しかった。
それも、ただ店や神社仏閣、街なみなどを知っている訳ではない。裏路地から人気のない場所、抜け道まで、初めから頭に入っていたのだ。ある意味、知り尽くしていると言ってもよいほどだった。
ここを行くと突き当りだ、角を曲がって庫裏の横手を抜ければ裏に出ることが出来るなど、普通では知り得ないような道、場所を知っていた。
京の生まれでもないのに、なぜここまで知っているのか。仕事でそのような事柄に関わっていたのか。なら、その仕事とは何なのか。さっぱりわからなかった。
それに、刀や身なりも奇妙だった。
言葉は確かに東のものだが、自分は明らかに武家出身ではない。武家の出であるのなら身につけていて当然の作法など、まったく知らなかった。なのに、それなりの身分であることを示す着物、刀、それらをなぜ身につけていたのか。
そして、何よりも不思議なのは、総司という若者の存在だった。
初めて見た時から、奇妙なほどの懐かしさと愛しさを感じた。こいつは信じていいと、無条件に感じたのだ。惹かれたことも確かだった。
あの夕闇の中に佇んで大きく目を見開いていた総司の姿に、一目惚れしたのだと言ってもよい。
だが、その総司は土方からすれば、謎ばかりの存在だった。
いつも明るく朗らかで、にこにこと愛らしく笑っている。なのに、時折見せる哀しげで淋しそうな表情に、胸奥が射抜かれた。
土方が一人で外出することを奇妙なほど嫌がることも、不思議だった。初めは襲撃を心配してなのかと思っていたが、少し違う気がした。
総司は、何かから彼を遠ざけようとしているのだ。
それに気づいたのは、先日のことだった……。