「……何ですか」
 自分でも驚くぐらい、きつい声音だった。
 ぎゅっと両手を握りしめ、土方を睨みつける。
「まだ何かあるのですか。私に、今更、何の用があるのです」
「総司、話をさせてくれ」
「話? 私に全部黙っていたことですか?」
 そう言ってから、総司は息を吐いた。
「わかっています。私もあなたを責める事なんて出来ない。私だって、あなたの事を黙っていたのだから、新選組副長だと知っていながら黙っていた」
「……」
「でも、これでおあいこですよね? あなたも私もお互い、偽り、騙し合っていたのです。裏切っていた。なら、お互い様ということで手打ちにすれば」
「いい加減にしろよ!」
 総司が言う事を黙って聞いていた土方が、不意に叫んだ。びくりと目を開く総司に気づかぬまま、言葉をつづける。
「お互い様だって? 俺は、おまえが俺自身について黙っていた事を、裏切りだとか騙したとか、そんなふうに思っちゃいねぇよ。ただ、何故だろうとは思ったさ。何か思惑があるのだろうと思っていた」
「……」
「おまえが俺のことを殺そうと思っているのか、伊東に知らせて討とうとしているのかとも、考えた。それで」
「だから?」
 総司は思わず声をあげた。
「だから、あなたは私に黙っていたのですか。そんなふうに、私があなたを殺そうとしているなんて思っていたから、だから、記憶が戻っても黙っていたの?」
「そうじゃねぇ。違うんだ」
 土方は歩み寄ると、総司の手をとろうとした。だが、総司は大きな瞳で睨みつけ、両手を後ろに隠してしまう。それに目を見開いた。
「総司……」
「私にさわらないでって言ったでしょう? 二度とふれないで」
「……わかった」
 傷ついた表情の彼に、ちくりと胸が痛んだ。だが、ふれて欲しくなかった。
 嫌なのではない。ふれられれば、心が揺れてしまう故だった。また期待したくなる、期待してしまう。そして、裏切られ、傷つくのだ。
 それは昔から幾度も、総司が繰り返してきた事だった。土方に対して、幼い頃から幾度も抱いた気持ち。もしかしてふり返ってくれるかもしれない、今日は笑いかけてくれるかもしれない、話しかけてくれるかもしれない。そんなふうに何度も期待した。だが、それが叶えられた事は、一度としてなかった。


(もう……傷つきたくない)


 きゅっと唇を噛みしめた総司を見下ろしながら、土方は言葉をつづけた。
「俺は、記憶が戻っている事をおまえに告げることが出来なかった。告げるのが怖かったんだ」
「怖い……?」
「告げたら、おまえとの暮らしが終わると思っていた。また、新選組副長と一番隊組長の関係に戻るのが嫌だったんだ。俺は、おまえと暮らすことが出来て、幸せだったから。おまえを……愛しいと思っていたから」
「それは……」
 総司は長い睫毛を伏せた。
「あなたに記憶がなかったから、でしょう? 記憶があれば、あなたが私なんかに目をとめるはずもない」
「違う、総司。俺はおまえが好きなんだ、今もおまえを愛している」
「……」
「俺はおまえを愛しているんだ。好きなんだ、ずっと傍にいて欲しいと」
「嘘ばかり……言わないで!」
 突然、総司が叫んだ。
 驚いて見れば、総司はまた瞳を潤ませていた。その目に涙をいっぱいためている様は可憐だが、いたいたしい。
 その躰を今すぐ引き寄せ、何の不安もないように抱きしめてやりたいと、心の底から渇望した。だが、それは許されないのだ。
 黙って見つめる土方の前で、総司は声を上ずらせた。
「あなたが私を愛しているなんて、そんなことありえるはずがないでしょう? また騙すつもりなの? 私があなたを信じると思っているの?」
「総司、俺は」
「今まで一度だって、私になんか目を向けた事がなかったのに。あなたにとって、私は一隊士にすぎない。なのに、私を愛しているなんて! そんなこと信じられるはずがない」
「何で……信じられねぇんだよ」
 剣呑な声音になった。
 土方という男は、それ程気が長い方ではなかった。そのため、次第に怒りがつのってきていたのだ。
「俺の言葉がそんなに信じられねぇのか。確かに、俺はおまえを騙したさ。記憶が戻っていたことを黙っていた。けど、その理由は話しただろう? なのに」
「私と暮らすことが出来て、幸せだったから? そんなの信じられない。あなたは、私という駒が必要だからじゃないの? 伊東先生の一派に加わり脱退でもすれば困るから、だから」
「そんな誘いを受けているのか……っ」
 土方は思わず、総司の拒絶も忘れ、その手首を掴んでしまった。乱暴に引き寄せ、深々と小さな顔を覗き込む。
 それに、総司は大きな瞳で男を睨みつけた。
「ほら、困るじゃない。私が脱退したら困りますか? そうですよね、使い勝手のいい駒がいなくなる、それも大幹部、副長としては困りますよね」
「俺はそういう事を言っているんじゃねぇ。伊東についていくつもりかと聞いているんだ」
「えぇ」
 総司は、はっきりと頷いた。愕然としている土方に、笑ってみせる。
「ついていきますよ。伊東先生は少なくとも、私を一人の人として扱ってくれますから。あなたみたいに駒扱いしない」
「俺がいつおまえを駒扱いしたんだ。おまえを愛していると言っただろうが」
「口では何とも。でも、私はそんな言葉に騙されません。絶対に二度と、あなたには心を許さないから」
 きつい口調で言い切る総司に、しばらくの間、土方は黙り込んでいた。底光りする黒い瞳で、この愛らしくも憎らしい若者を見つめている。
 やがて、微かに嘆息すると、手の力を緩めた。総司の手を離し、低い声で言い捨てる。
「……勝手にしろ」
 ゆっくりと背を向けた。そのまま戸を開き、家から出ていってしまう。
 遠ざかる彼の広い背を見送り、総司はきつく唇を噛みしめた。












 戻ってきた土方を見れば、上手くいかなかった事は明らかだった。
 だが、事の発端をつくってしまった斎藤としては、聞かざるを得ない。
「……総司は?」
 それに、土方は切れの長い目をあげた。苛立ちの色が濃い。
「話にならねぇ」
 吐き捨てるような口調に、あぁ、やっぱりなぁと思った。
 総司は愛らしくて可憐な容姿とは裏腹に、めちゃめちゃ気が強いし、誇りも高いのだ。土方と斎藤が共謀して(いや、共謀したつもりはないが)自分を騙していたと知れば、怒るのは当然の話だった。
「仕方ないですよ、総司も気が強いですから」
「おまえが言うな。事をこじらせた張本人だろうが」
「そうですかね。オレは切っ掛けをつくっただけですよ。というより、総司が可哀想で仕方がなかった」
 斎藤はため息をついた。
「あなたがとっくの昔に記憶を取り戻している事も知らず、騙しているという罪悪感と不安に悩んでいる総司が可哀想だったのです」
「それは俺も悪かったと思っているさ」
 土方は眉を顰めた。
「あいつに辛い思いをさせちまった。けど、俺の言葉を全く信じてくれないっていうのはどうなんだ。挙句、伊東についていくだと? 冗談じゃねぇよ」
「え? そんな事を言ったんですか」
「あぁ。伊東についていく、伊東は自分のことを人扱いしてくれるってさ。逆に、俺はあいつを駒扱いしているだと。そんな事した覚え全くねぇよ」
「……」
 斎藤は思わず眇めた目で、土方を見てしまった。それに気づいた土方が、何だと訊ねてくる。
「いや、土方さんって本当はこういう性格だったなぁと思ったのです」
「は? おまえ、何を言っているんだ」
「あまりにも新選組副長としての姿が定着しすぎたせいですかね。今のあなたが、別人に見えてしまうんですよ。けど、よくよく考えてみれば、江戸の頃のあなたはこうでしたよね。身勝手きわまりなくて、奔放で傲慢で、好き嫌いが激しくて強引で」
「ひでぇ言われようだな」
「その口調も。バラガキそのもの喋り方、乱暴な仕草、副長として振舞っている時とは別人ですよ」
「仕方ねぇだろう」
 土方は片手で黒髪をかきあげ、苦笑した。
「あそこで俺らしく振る舞えると思うのか? けど……だからこそ、俺は幸せだったんだよ。記憶を失っていた時も取り戻してからも、素の俺を好きになってくれた総司が嬉しかった。幸せで、愛しくて愛しくてたまらなかった。なのに……」
 きつく唇を噛みしめた。
 しばらく無言のまま何事か考えていたが、やがて、顔をあげた。その端正な顔は引き締まり、切れ長の目も怜悧な色をうかべている。
「……帰るぞ」
 低い声で言った土方に、斎藤も、どこへ? とは聞かなかった。彼が帰るべき場所など、わかりきっているのだ。
 夢のような時を過ごした優しい家に、戻れるはずもない。
 黙って歩き出した土方の背に従いながら、斎藤は、すれ違いつづける二人の想いに、ため息をついた。












 また一人きりの日々が始まった。
 以前に戻っただけじゃないと、総司は自分に言い聞かせた。
 それに、もうあんな罪の意識や不安に悩むこともない分、心穏やかに暮らしていけるのだと。
 だが、それは偽りだった。自分に嘘をついている事は、よくよくわかっていたのだ。
「私って……本当に嘘つきだよね」
 総司は一人、呟いた。


 愛する男にもさんざん嘘をついて騙して、今、自分にもまた嘘をついている。
 騙せるはずがないのに。
 本当は淋しくて仕方がないのに。彼に逢いたくて仕方がない、もう一度戻ってきて欲しいと願っているのに。
 ならば、彼の言葉を信じれば良かったではないかと、言われてしまうだろう。だが、それは総司には出来ない事だった。
 ずっと片思いしてきた。そして、その間、まったく期待した事がなかったかと言えば、嘘になる。
 土方が日野から試衛館を訪れてきた事を聞けば、胸が弾んだ。今度こそは話せるだろうか、笑いかけてもらえるだろうかと思ったりした。京にのぼってからも、一生懸命仕事に励んでいれば、いつか認めてくれるかもしれない、少しは心を許してくれるようになれるかもしれない、彼にとって他の隊士たちとは違う何かになれるかもしれないと、淡い期待を抱いた。
 だが、叶えられた事は一度としてなかった。総司の願いは全く叶えられなかったのだ。だからこそ、絶望した。一縷の望みもない恋なのだと、それどころか、関心さえ寄せられぬ存在なのだと思い知らされて、逃げ出したくなった。恋も勤めも捨てて、この小さな家へ逃げ込んだのだ。
 なのに、突然、そこへ現れたのが土方だった。挙句、記憶を無くしているという。だからなのか、土方は明るく気さくで、総司にも優しい笑顔をむけてくれた。好きだ、愛しているとまで言ってくれた。
 今だけなのだと思った。今だけ許された恋なのだと。
 だからこそ、総司は幸せに溺れたのだ。愛する男とつくり出した世界の中で、夢のような時を過ごした。
 それもすべて土方の記憶がないからこそだった。なのに、それは偽りだったのだ。とくの昔に土方は記憶を取り戻し、己を偽っていたのだ。
 総司にはもう何も信じられなかった。わかっている、自分だって彼を騙した。だから、彼が自分を信じられないのかはわかる。自分だって、彼を信じることなど出来ないのだから。


 どんなに愛してると言われても、信じられるはずがない……。


 総司はすべてを拒絶するように、固く瞼を閉ざした。

















 土方は新選組に戻っても、どうにも気持ちの整理がつかなかった。
 つい、総司のことを考えてしまうのだ。むろん、仕事に手を抜くことは一切なかったが、それでも、ふとした瞬間に想いがつのった。そのたびに、どうしようもない焦燥と怒り、切なさが渦巻くのだ。
 その上、ようやく戻ってきた土方に対して、当然のことながら、近藤は怒りまくった。
「おまえは何を考えている!」
 局長室でいきなり怒鳴りつけられ、土方は微かに眉を顰めた。
「声が大きすぎるぜ、近藤さん」
「そういう事ではないだろう。おまえはあんな文一つで、おれにどうしろというつもりだった」
「事情は書いたし、やっておいて欲しい事も書いたはずだがな」
「おまえの都合ばかり書きたててあっただろうが! おまえ、自分以外のこと考えた事があるのか」
「ないね」
 土方は胡座をかいた膝に片肘をついた。形のよい唇の端をあげてみせる。
「俺は、俺自身のことと、そうだな……総司以外のことは考えた事がねぇよ」
「……おまえってそういう奴だな」
 近藤は深々とため息をついた。だが、はたと気づく。
「総司?」
「あぁ」
「そう言えば、おまえ、総司の家に居候していたんだな。想いは通じたのか」
 実は、昔から、近藤には、土方の想いも何もかも知られているのだ。朴訥としているくせに、意外と人の気持に察しやすい処がある近藤は、当然ながら、友の恋情をしっかりと把握していた。
 土方は肩をすくめた。
「通じたというのか、通じなかったというのか……俺にもさっぱりわからん」
「何だ、それは」
 近藤は呆れ顔になった。
「おまえ、総司の家で仲良く暮らしていたのだろう。さんざん斎藤に愚痴られたぞ」
「あいつ何を言ったんだよ。とにかく、俺は総司に追い出されたのさ。で、ここにいる」
「どうせ、おまえがまた勝手な事を言ったのだろう。強引に迫りでもしたか」
「迫って落ちるような総司かよ」
「相手にもよる」
「伊東の事か」
 苦々しげに吐き捨てる土方を、近藤は珍しいものを見るような視線で眺めた。
「おまえは本当に……総司の事になると、人が変わるな。少しは感情をおさえきれんのか」
「抑えてきたからこそ、伊東を斬らずに済んでいるんだろうが。本心は、今すぐ斬ってやりてぇよ」
「私闘は禁止だぞ。それも総司をめぐっての醜聞沙汰など、冗談ではない」
「本当にやるなんて言ってねぇだろうが」
 そう言う土方に、思わず目を眇めてしまった。つい先程、本心は云々と言ったのは、聞き違いだったのだろうか。
「とにかく」
 近藤は咳払いした。
「これからどうするつもりだ」
「どうするも何も、今までどおり仕事をしていくさ」
「そうではない、総司のことだ」
「どうするって……さっぱりわからねぇよ」
 土方は微かに苦笑した。
「俺は、あんたの言うとおり、総司の事になるとからきし意気地がなくなっちまうんだ。あれだけ言っても拒絶された総司に、何をどうすればいいのか、皆目見当もつかねぇ。お手上げ状態だよ」
「色恋沙汰をさんざん繰り返してきた、おまえがか」
「総司は別さ」
 そう言うと、土方はため息をついた。何を考えているのか、懐手すると、遠くを眺めやる。
 端正な顔を眺めながら、近藤は、どうしたものかと考えこんだ。
 直接、総司に話をしてみてもいいが、近藤が行けば、余計にこじれる気もした。近藤に知られていること自体を、総司は嫌がるかもしれない。総司はかなり初で潔癖なところがあるのだ。生娘同然の総司相手には、事を慎重に進める必要があった。


(斎藤を使うか……)


 近藤は手立てを考えながら、ふむと一人頷いた。