土方が出ていってから暫くたった或る朝のことだった。
総司は片付けを終えた後、縁側に腰かけた。ぼんやりと秋の空を眺める。
その時だった。
近づく気配に、はっと息を呑んだ。土方かと心の臓が跳ね上がり、頬が紅潮する。
「……」
視線をめぐらせた総司は、だが、次の瞬間、つめていた息をもらした。
小さく呟く。
「斎藤、さん……」
あれ以来訪ねてきていなかった斎藤は、気まずそうな表情で佇んでいた。入るのかどうか、躊躇っているのだろう。
それに、くすっと笑ってしまった。
「いらっしゃい」
思いの外明るい声で挨拶してくる総司に、斎藤は安堵したようだった。ほっとした表情で歩みよってくる。
総司が縁側に円座を持ってくると、それに腰をおろした。
「……その、悪かった」
斎藤が初めに言ったのは、その言葉だった。目をあげた総司に、言葉をつづける。
「あんな話を急にして、挙句、土方さんと最悪の形で別れさせてしまった」
「……」
「それに、土方さんの記憶が戻っていること、黙っていた事も悪かったと思っているんだ、本当にすまない」
「斎藤さんが謝る事じゃないですよ」
総司は淋しげに笑った。
「悪いのは、騙し合っていた私たちなんですから。斎藤さんは巻き込まれただけでしょう?」
「……」
「初めからね、私が間違っていたんです。ちゃんと正直に話さなかった私が……」
そう言って俯いてしまった総司を、斎藤は痛ましげに見つめた。それから、静かな声で言った。
「総司、オレが言うことじゃないが、もう一度、土方さんと話をしてみないか」
「……」
「おまえが土方さんの言葉を信じられないのはわかる。けど、このままじゃ辛いだけだろう。上手くいくかどうかはわからないが、それでも、けじめをつけた方がいいんじゃないのか」
「けじめ……」
小さく呟いた総司は、微かに吐息をもらした。斎藤は言葉をつづけた。
「不安な事も怖い事もわかる。けど、このままじゃお互い同じ場所に留まり続けてしまう」
「……そう、ですね」
総司は目を伏せた。
「私もですけど、土方さんも片付けてしまいたいでしょうね。終わりにして、新しく歩き出したいに決っている」
「それは、総司……おまえもじゃないのか」
「さぁ。誰でも同じじゃないんですか」
微かに笑った。
「行き詰まったり、そこにいる事が苦しくてたまらなくなった時、皆、全部終わりにして新しく歩き出したい、そう思うんじゃないのですか」
「それは総司、おまえのことなのか。それとも、土方さんのことか?」
「土方さん?」
不思議そうに小首をかしげる総司を、斎藤は見つめた。
「考えてみろよ、どうして、土方さんは記憶を失ったんだ。それも、おまえの家の近くで」
「え……」
「その事をよく考えてみれば、少しは土方さんに近づけると思うけどな」
「斎藤さんは」
総司は大きな瞳で斎藤を見た。
「あの人のことがわかるの? あの人に近いの?」
「おいおい、オレに妬かないでくれ」
苦笑しながら、斎藤は立ち上がった。本当に、この恋人たちはお互いの事しか目に入っていないのかと思ってしまう。
「とにかく、よく考えた上で、あの人と話そうと思うなら逢えばいい」
「どうやって?」
「そんなもの、隊に戻れば逢えるさ」
「簡単に言いますね。屯所で口論にでもなったら、どうするのです」
「大喧嘩すればいいんだ。おまえも土方さんも、想いをためこみ過ぎているよ。一度、相手にぶつけたらすっきりすると思うけど」
「この間、ぶつけたら収拾がつかなくなりました」
「それでも、黙っているよりはいいだろう? 口で言わなきゃわからない事もあるんだから」
そう言うと、斎藤はひらりと手をあげ、背を向けた。さっさと歩み去ってゆく。
いつも総司のことを思い、きちんと言葉にして伝えてくれる友人だ。
その事に感謝しつつ、総司は斎藤の背を見送った。
久しぶりの屯所だった。
西本願寺の門をくぐって屯所へ向かっていく途中、巡察へ向かう隊とすれ違った。皆、一様に驚いた顔をしてから慌てて礼をしてくる。それに目礼を返しながら、総司はゆっくりと玄関へ向かった。
どうしようという考えはなかった。ただ、屯所へ行かなければ、彼に逢わなければという気持ちだけで来てしまったのだ。
だから、玄関脇に佇んでいる土方の姿を見た瞬間、息もとまるほど驚いた。
「……う…そ」
不意打ちだった。まさか、こんなにすぐ逢うことになるとは思ってもみなかったのだ。
偶然だったらしい。彼も驚いた顔でこちらを見ていた。だが、すぐに目を細めると、冷ややかな表情になる。
そこにいるのは、やはり、新選組副長だった。ぞっとするほど冷徹な表情だ。いつも総司に甘く笑いかけてくれた彼は、もう何処にもいない。それを思い知らされたが、今更引き下がれるはずもなかった。
総司はぎゅっと両手を握りしめ、歩み寄っていった。そして、土方の前まで来ると、大きな瞳で見上げた。
長い沈黙が落ちる。
しばらくの間、二人とも何も言わなかった。
だが、やがて、総司は言った。否、呼びかけたのだ。
あの約束どおりに。
「隼人さん」
それに、土方の目が見開かれた。端正な顔に感情があらわれる。それに安堵しながら、総司は言葉をつづけた。
「話を……させて頂けませんか。あなたともう一度、話をしたいのです」
「……わかった」
拒絶するかとも思ったが、意外にも、土方はあっさりと承諾した。そのまま総司の傍をすり抜け、外へ歩き出していこうとする。
「その辺の料理屋でいいか。立ち話では済まんだろう」
「いえ、屯所で話をさせて下さい」
「屯所で?」
土方は眉を顰め、総司を見下ろした。
「ここで話がしたいと言うのか。他の隊士たちに聞かれるぞ」
「私は……新選組副長のあなたと話がさせて頂きたいのです。ここを出れば、隼人さんになってしまいます。それでは駄目なのです」
「意味がよくわからんな」
片頬を歪めた。
「だが、まぁいい。おまえの言うとおりにしよう。俺の部屋でいいか」
「はい」
「ついて来い」
土方は冷たく命じると、踵を返した。振り返ることなく框を上がり、歩いてゆく。その背を追いながら、総司はつくづく思った。
一緒に暮らしていた頃の彼は、別人だったのだと。
今の会話からでもわかる。人に命令しなれた口調、態度、冷ややかなまなざし、すべてが、彼とは違っていた。土方は新選組副長に戻ってしまったのだ。
だが、それならそれでもよかった。
今ここにいるのが土方であるのなら、しっかりと話をすることが出来る。
土方の部屋は相変わらず癇症なほど片付けられていた。他の隊士たちの部屋から離れているため、しんと静まり返っている。
総司は座りながら、土方の様子を伺った。土方は文机の前に座ると、置かれてある書類に軽く目を通した。だが、すぐに戻し、総司の方へ向き直る。
「……で? 話とは何だ」
土方はいきなり威丈高に問いかけた。
「この前で全て終わったはずではなかったのか。おまえは俺の話も聞かず拒絶しただろう。なのに、今更、何の話がある」
「……」
黙りこんだ。
いくら気の強い総司であっても、怯んでしまう。何しろ、ここは新選組屯所であり、副長室だ。副長として振る舞う土方を前にすると、つい、以前のように大人しく従順な若者になるのだ。
総司は長い睫毛を伏せ、唇を噛んだ。
どう言えばいいのかわからず黙り込んでいると、土方が深くため息をついた。見れば、片手で顔をおおっている。
そのうち、短い舌打ちまで聞こえてきて、総司は竦み上がってしまった。やはり来てはいけなかったのだ。彼にとってはもう終わったこと。なのに、いったい何の話をするつもりだったのか。
「申し…訳ありません……」
気がつけば、謝罪の言葉が出ていた。
「私、来てはいけなかったのです。副長の言われるとおり、今更こんな未練がましい事をして、もう帰り……」
不意に声が途切れた。
総司の言葉に顔をあげた土方が片膝をたてると、不意に手をのばしたのだ。手首を鋭く掴んでくる。
そのまま乱暴に引き寄せたが、総司が怯えたように目を見開くのを見て、はっと手を離した。だが、ゆるくその腕あたりにふれながら、話しかけてくる。
「……すまん」
「え?」
驚く総司に、土方は気まずそうな表情でつづけた。
「俺は気が立って、餓鬼みたいに意地をはっちまっていた。すまねぇ。おまえを怖がらせてしまった」
「土方…さん……」
「本当にすまん。だから、その、帰らないでくれないか」
そう言って目を伏せる土方に、総司は躰の力が抜けるのを感じた。
やっぱり、何も変わらないのだ。ここにいるのは、彼なのだ。新選組副長であっても、江戸の頃のようなバラガキでも、隼人さんでも。いつどんな時であっても、彼の中にある本質は変わらないから。
安堵したことが顔に出たのだろう。土方は、ほっとした様子で、浮かせていた腰を下ろした。
少し躊躇っていたが、再び手をのばして総司の手をとった。優しく握りしめる。
「総司、おまえが来てくれたこと、すげぇ嬉しいよ。おまえ、その、めちゃめちゃ怒っていたから」
「だって、当然のことだと思いますけど? 私、本気で怒っていましたし」
拗ねたように唇を尖らせてしまった総司は、はっと我に返った。
いくら彼の本質が変わらないと言っても、ここは屯所なのだ。それに、土方は新選組副長だった。今まで一番隊組長として副長に対してきた口調や態度とはあまりに違う自分に、彼も呆れているだろうと思ったのだ。
おそるおそる見上げると、土方は笑い出すのを堪えるような表情で、こちらを見下ろしていた。目があったとたん、思わずとも言うように笑い出す。
「その方がいい。俺もおまえに副長とか言われて畏まられると、落ち着かねぇよ」
「いいの……ですか」
「あの家にいたのが、本当の俺とおまえだからな。ここは確かに新選組屯所だが、周りには誰もいやしねぇ。素のまま振る舞っても構わんだろう」
土方はそう言ってから、微かに目を細めた。
「むろん、おまえが望めばだが。俺は本心で、あの頃の関係に戻りたいと思っているんだ」
「恋人にってことですか」
「いやか?」
「嫌とかじゃなくて、その、私は……不安なのです」
総司は長い睫毛を伏せた。土方にとられていない方の手で、ぎゅっと着物を握りしめる。
「あなたの気持ちがわからなくて、好きとか言われても信じられなくて。だって、あの家にいた時のあなたと、新選組にいた時のあなたは違いすぎたし。いつも、土方さんは私なんて目に入っていなかったから。沢山の綺麗な女の人に囲まれていて、私なんて隊士の一人としてしか見られていなくて」
「総司、ちょっと待っ」
「わかっているんです。あの家で、あなたの傍には私しかいなかった。それも記憶がない状態だったんです。だから、あなたは私を好きになってくれた。でなきゃ、私なんかにあなたみたいな人が目をとめるはず……」
「いい加減にしろ」
乱暴に言葉を遮られた。それにびっくりして顔をあげると、鋭い瞳が総司を見据えている。どこからどう見ても、土方は怒っているようだった。切れの長い目の眦がつりあがり、口許も固く引き結ばれている。
「勝手な事ばかり抜かすんじゃねぇよ。全部決め付けやがって。俺のこと、何でおまえが全部わかるんだ? あぁ? おまえは人の気持ちが読めるのかよ」
土方は一つ息をついた。それから、低い声で話しだした。
「俺はな」
「……」
「初めて逢った時から、おまえに惚れていたんだ。あの家で逢ってからなんかじゃねぇ。言っただろうが、俺はおまえへの気持ちだけは忘れないと。その通りなんだよ、記憶を失っても、やっぱりおまえに惚れちまった。好きになって愛して、気が狂いそうなぐらい溺れこんだ。記憶を失う前と同じようにな」
「え……っ」
総司の目が見開かれた。呆然とした表情で、土方を見上げてしまう。
まさか、そんなこと考えた事もなかったのだ。彼は記憶を失ったからこそ、傍にいる総司を好いてくれたのだと思い込んでいた。だが、今、彼は、はっきりと言ったのだ。記憶を失う前どころか、初めて逢った時から好きだったと。
「……」
かぁぁっと頬が熱くなった。嬉しくて恥ずかしくて、思わず俯いてしまう。
そんな総司を、土方は不安そうに覗き込んだ。
「いやか? こんな俺は気味が悪いか」
「気味悪いなんて、そんな……でも、信じられなくて」
「また、『信じられない』か」
「そ、そうじゃなくて、その、土方さん、そんな素振り全然見せなかったし……」
「こう見えてもな、不器用なんだよ。どうすればおまえに好かれるのか、さっぱりわからなかった。何を話せばいいのかもわからなくて、いつも苛々していたんだ。挙句、他の男に奪われちまったんだ。嫉妬で頭がおかしくなりそうだった」
「他の男って……もしかして、伊東先生のこと?」
おそるおそる訊ねた総司の前で、土方は眉を顰めた。それに、慌てて首をふった。
「違うのです。伊東先生は友人で……そんな、念兄弟とかの仲じゃありません。だって、私が好きなのは土方さんなんだもの。ずっとずっと昔から、土方さんしか、好きになれなかったんだもの。他の人を好きになんてなれるはずないのです」
「……え?」
土方が訝しげに眉を顰めた。彼の様子に、何かまずい事を言ったのかと焦ってしまう。
沈黙の後、訊ねられた。
「今の言葉……本当なのか」
「え? 言葉って?」
「だから、さっき、おまえが言ったことだよ」
もどかしそうに言う土方に、総司は必死に頭をめぐらせた。自分がさっき何を言ったのか、考える。
「えっと、伊東先生が友人だってこと?」
「そうじゃねぇよ。その後だ」
「あぁ、私が好きなのは土方さんだってことですか」
当たり前のように頷いてから、総司は不思議そうに土方を見上げた。
「今更、どうして? 私、何度も言ったと思いますけど」
「けど、おまえ、昔からって言っただろう」
「そうですよ。私、土方さんのこと、江戸の頃から好きでした。憧れて大好きで、ずっと恋してきたんです。なのに、土方さん、全然ふり返ってくれなくて女の人と遊んでばかりで……」
桜色の唇を尖らせ、言いつのっていた総司の身体が、突然、引き寄せられた。男の力強い腕できつく抱きしめられる。
目を瞬いた。
「……土方、さん?」
「俺、今、すげぇ幸せだ。天にも昇る心地ってのは、こういう事を言うんだな」
「え……?」
「まさか、おまえが俺を好いてくれていると思っていなかった。それも、昔から好いてくれていたなんて」
土方はそう言うと、身を起こした。総司の顔を覗き込み、微笑みながら頬に口づけてくる。
その笑顔は、とろけそうなほど優しくて甘くて、きれいで。
総司は思わずうっとりと見惚れてしまった。潤んだ瞳で見つめていると、土方が苦笑する。かるく頭を小突かれた。
思いが通じあったとたんの行為に、総司は抗議の声をあげてしまった。
「何するんですかっ」
「そんな目で男を見るなって事だよ。おまえ、俺を煽っているのか?」
「えぇっ? あ、煽っているって……っ」
「あぁ、すげぇ可愛いな。おまえ、本当に可愛くてたまらねぇよ」
土方は笑いながら、総司を抱きすくめた。その髪や額、頬、耳もとに口づけてくる。
それを夢のように感じながら、総司は目を閉じた。
ずっと互いを想いあっていたのに、すれ違ってきた私たち。
でも、大丈夫だよね。
ふたりの想いは一緒だと、あなたが教えてくれたから。
これからの事も全部。
恋人として、あなたが私に教えてくれるはず。
総司は目を開くと、土方を見上げた。
そして。
可愛い笑顔で告げたのだった。
「土方さん、あのね」
「ん?」
「私、恋人としてのこと、何も知らないのです。だから、これから宜しくお願いします」
「……」
「全部……教えてね?」
そう言って小首をかしげた総司は、もう信じられないぐらい愛らしくて可憐で。
砂糖菓子みたいに甘くて。
今すぐ食べてね? と言っているも同然の事に気づいていない小悪魔の仔猫を前に、ようやく恋人として認識された土方は、(新選組副長として、こんな処で喰っちまっていいのかよ! こここ屯所だぞ?)という警告と、(今すぐ喰っちまいてぇ!)という衝動に、悩みに悩みまくったのだった。
その後、彼がどちらを選択したかは、皆様のご想像におまかせするということで……。
「きみにまた恋をする」これにて完結です~♪
土方さんの方が記憶喪失になって、やっぱり総司に恋をしていくお話でした。何度だって、この二人はお互いを好きになるんだ~って感じで書きたかったのです。
少しでも皆様が楽しんで下さったら、とってもはっぴー♪です。ラストまでお読み下さり、ありがとうございました~!