「どうしてとは、何がだ」
 低い声で問いかけられた。
 先程も聞かれた言葉だった。池端に坐り込んで、どうしてなのかなと呟いた総司の言葉を聞かれていたのだ。
 それに、総司はきゅっと唇を噛みしめた。水面を見つめながら、云い返す。
「答える必要がないと、思いますけど」
「……」
「ただの独り言ですし、土方さんには何の興味もないでしょう?」
「何故、そう思う」
 不意に訊ねられ、総司は「え?」と目を瞬いた。ふり向くと、土方が黒い瞳で見下ろしている。
 きれいに澄んだ黒い瞳に、どきどきした。
「何故って……だって」
「だって、何だ」
「当然のことだから。土方さんが私に興味をもつなんて、ありえないし」
「そうかな」
 土方はくすっと笑った。片手で黒髪をかきあげながら、目を細める。
「十分ありえる事だと思うが」
「そ、そんなのおかしいですよ!」
 思わず叫んでしまった。
「土方さんが、私に興味をもつなんて。絶対、ありえません」
「だから、何でそう云いきれるんだ。俺がおまえに興味をもっても、おかしくねぇだろう」
「……」
 黙り込んでしまった総司に、土方はため息をついた。はっとして顔をあげると、立ち上がるところだ。
 依怙地な総司に、呆れてしまったのだろう。
 だが、信じられるはずがなかった。ずっと昔から、自分は彼に反抗してばかりだ。なのに、こんな可愛げのない自分に興味を持ってくれるなど、ありえるはずがないのだ。
 総司はちらりと水面に映った自分に目をやった。


(何の可愛げもない私……)


 自分で思ったことなのに、酷く落ち込んでしまう。
 そうして黙りこんでしまった総司の前に、突然、すっと手がさしのべられた。驚いて見上げると、土方がかるく身をかがめている。
「いつまで、ここにいるつもりだ」
「え」
「一晩中、ここで座り込んでいるつもりか」
「……あ」
 気がつけば、辺りは薄暗くなってきている。もう夕暮近くで、むこうの空も茜色に染まっていた。
 慌てて立ち上がりかけ、だが、総司は動きをとめた。目の前にさし出された手に縋っていいのか、戸惑ってしまったのだ。
 だが、その迷っている様子が、土方に誤解させたようだった。たちまち不機嫌そうな表情になると、手をひっこめてしまう。
「余計な事だったな」
 ぶっきらぼうな口調で云い捨てると、土方はすっと背を向けた。さっさと歩きだしていこうとする。
 完全に怒ってしまったのだ。すぐに彼の手をとろうとしなかった総司に、気分を害してしまったに違いない。
 それに、総司は泣きたくなった。


 どうして、こんなふうになっちゃうの?
 もっと上手く話せたらいいのに、上手く出来たらいいのに。


 昔から喧嘩ばかりだが、総司だってもっと素直になりたかったのだ。
 本当は、好きで好きでたまらない相手に、甘えたい、好きと伝えたい。そう思わない日はなかったのに。
 顔をあわすたび、つい反抗的な口をきいているうちに、すっかり嫌われてしまっていた。
 今、新選組副長と一番隊組長として、公の場ではすっかり平穏な関係となっているが、私的な場所では関わりなど全くない。たまにこうして二人きりであっても、口喧嘩ばかりになってしまうのだ。
 きゅっと唇を噛みしめ、俯いた。
「……」
 だが、そんな総司の様子に、土方が気づかぬはずがなかった。足をとめると、大きくため息をついてふり返った。
「何をしたいんだ、いったい」
 鋭い声音で問われ、総司は目を見開いた。
「俺の手を拒んだのは、おまえの方だろうが」
「ご、ごめんなさ……」
「おまえは、俺が何をしても気にいらねぇのか。興味があると云えば反発し、去ろうとすれば泣きそうになる。いったい、俺に何を求めているんだ」
 そう云った土方は大股に庭を横切ってきた。一気に総司の傍まで戻ってくると、その腕を乱暴に掴みあげた。
 そのために、総司は土方に引き寄せられ、体格差のために、半ばつま先立ちになってしまう。
「えぇ? おまえは俺に何を求めているんだ」
「な、何も求めてなんか……」
「なら、どうして、あんな事をする。条件だと云って、嫌いな俺に口づけるなど、いったい何を考えているんだ」
「それは……土方さんもじゃない!」
 総司は思わず叫んでしまった。あんな口づけをしてきた男に、責められる謂れなどないのだ。
「土方さんも、私にしたじゃない。同じように、条件だと云って!」
「あれは……」
「土方さんこそ、私に何を求めているの? 江戸へ返さない条件にだなんて、嘘ばっかり! ただの嫌がらせでしょう? 嫌いな私なんか、放っておいてくれたら良かったのに。わ、私だって土方さんとなんか、これ以上関わりたくないのに……っ」
「……」
 とたん、土方の端正な顔から、拭い去ったように表情が消えた。黒い瞳だけが獣のように光る。
 その異常な様子に怯えつつも、総司は必死に抗った。男の手をもぎ放そうと、暴れる。
「離して! こんなやり方……やめて下さい」
「……離したら、逃げるだろうが」
「逃げません。だから、離して」
「……」
 土方はまだ疑わしげな表情をしていたが、それでも、黙って離してくれた。
 総司は自由になると、すぐさま彼と距離をとった。じっと大きな瞳で見つめる様子は、まるで敵の様子をうかがう小動物のようだ。
 それに、土方は忌々しげに、ちっと短く舌打ちした。
「ったく、やってられねぇな。引き留めたのは、おまえの方じゃねぇか」
「引き留めた、なんて」
「だいたい、さっきも何て云った? あの条件が嫌がらせだと? おまえ、本気でそう思っているのか」
「……」
 総司は黙りこんでしまった。
 土方は総司に対して、いつも冷たく傲慢な男だ。だが、それでも、そんな姑息なやり方をする男でない事は、よくわかっていた。嫌がらせなどと、男らしくない事は一切するはずもないのだ。
「違い……ます、けど」
「なら、二度と云うな。思ってもみない事を云って、俺を試すな」
「土方さんを試す?」
 驚いて、総司は顔をあげた。
「どういうことですか? 私が土方さんを試すなんて……」
「俺の忍耐を、だ」
 苦々しげな口調で、土方は云い捨てた。
「あまり男の忍耐を試して、弄ぶなと、云っているんだ」
「え、そんな……」
「まったく、無意識だから尚更やってられねぇな」
 はぁっとため息をついてから、土方は再び、総司にむかって手をさし出した。え? と目を瞬く総司に、ぶっきらぼうな口調で云う。
「一晩中、ここにいる気か。早く部屋に戻れ」
「あ……はい」
 命令口調だが、今度は土方も辛抱強く待ってくれた。総司もあまり彼を待たせることなく、素直に手をさし出すことが出来た。
 そっと手を重ね、握る。
 思ったより冷たい指さきに、どきりと心の臓が跳ね上がった。どきどきしながら、彼と手を繋いだまま、飛び石を渡ってゆく。
 土方はもう何も云わなかった。黙ったまま総司の足もとに気をつけつつ、ゆっくりと歩いてくれる。


(ずっと、このまま時がとまればいいのに)


 そんな事を思いながら、総司は愛しい男の手をそっと握りしめた。











 その日から、土方と逢う機会が増えた。
 むろん、今までも同じ屯所の中に住んでいるのだ。当然、顔をあわせる事は幾度もあった。だが、状況がまるで違う。
 一番違うのは、土方の態度だった。声をかけてくるようになったのだ。
 すれ違っても完全に無視するか、一瞥をあたえるだけだった土方が、総司に話しかけるようになった。
 もっとも、たいした事を話す訳ではない。
 相変わらず、素っ気ない口調で「顔色が悪いな」とか「医者には行っているのか」とか「巡察へ行くのか」など、口にするのみだった。
 それに対し、総司が「はい」とか「いいえ」と答えると、深く澄んだ黒い瞳でじっと見つめてから、突然、何の興味も失ったように視線をそらし、歩み去ってしまうのだ。
 いったい何を考えているのか、さっぱりわからなかった。
 だが、それでも、総司は、この小さな遭遇を心待ちにしていた。自分でもけなげだなぁと思ってしまうのだが、やはり恋しい相手に話しかけてもらえるのだ、無視されるより余程嬉しいに決まっていた。
 その気持ちは表にもあらわれるのだろう。つい最近も、原田に云われたばかりだった。
「最近、機嫌がいいねぇ」
 と。
 それに、総司は唇を尖らせた。
「私、そんなにいつも不機嫌そうにしています?」
「違うよ」
 原田は傍にいる永倉と顔をみあわせ、にやにや笑った。
「いつもより、もっと可愛い顔しているって事さ」
「か、可愛い顔って」
「何かいい事があったとか。例えば、あの鬼の副長と上手くいってるとか」
「副長とは、上手くいっていますよ。全然、喧嘩もしてないでしょう?」
 きょとんとして答えた総司に、原田は笑った。
「そういう意味じゃねーよ。公じゃなくて、私的なところで。土方さんもやっと報われ始めたってとこかな」
「え……?」
「いやいや、こっちの話。とにかく、総司が幸せそうだと、オレたちもほっとするよ。副長も機嫌がよくて、隊内もぴりぴりしなくて済むし」
「??? よく意味がわからないんですけど……」
「まぁ、わからなくていいから」
 原田は総司の肩をぽんっと叩き、「うまくやれよ」と捨て台詞を残すと、永倉と共に去っていった。それを呆気にとられつつ、見送る。
「全然、意味がわからない」
 上手くやるって、いったいどういう事なのか。
 たぶん、話の流れからして、土方との関係だろうが、総司がどうこう出来る事ではないのだ。毎日、ただ一方的に土方が話しかけてきて、一方的に去っていくだけなのだから。
 だが、もしかすると、それではいけないのかもしれない。


(私の方から、話しかけた方がいいのかな)


 総司は思いついた。
 いつも一方的に話しかけるばかりでは、土方も不快に思ってしまうかもしれない。なら、自分から話をした方がいいのではないだろうか。
「でも、何を話せばいいの……」
 喧嘩であれば、幾らでも、自分でもびっくりするぐらいぽんぽん言葉が出てくるのに、土方に気にいられるような話はまったく思いつかないのだ。
 こういう依怙地で素直でないところが、彼に嫌われる所以だと思うと泣きたくなるが、今更云っても仕方がない。
 今度、逢うことがあれば、自分から話しかけてみようと、総司は決意した。












 思ったより、その機会は早くに訪れた。
 翌朝、総司が縁側を歩いていると、土方と行き違うことがあったのだ。
 こちらへ怜悧な視線を向けてきた土方に、総司は呼びかけた。
「あの、土方さん」
「――」
 土方の目が見開かれた。
 まさか、総司から話しかけられるとは、思ってもみなかったのだろう。ひどく驚いている。
 そこまで驚くかなと、ちょっと腹をたてながら、総司は言葉をつづけた。
「今日も、お忙しいですか」
「あぁ」
「そう、ですか」
 話が続かない。土方も続ける気はないのか、それとも総司からの言葉を待っているのか、何も云わなかった。黙ったまま、こちらを見下ろしている。
 総司は必死に頭をめぐらせた。何か云わなくちゃと思うが、全く出てこないのだ。いや、本当は昨日思いついた事があるのだが、怖くて、なかなか口に出せない。


(だって、断られるに決まっているし)


 総司は大きな瞳で、土方をじっと見上げた。唇を震わせる。
 それに、土方が形のよい眉を顰めた。しばらく黙っていたが、やがて、堪えかねたように云った。
「……何だ。おまえは何か云いたい事があるのか」
「え、あ……」
「あるならさっさと云えよ。俺も暇じゃねぇんだ」
 ぶっきらぼうな口調で云い捨てる。
 それは、土方特有の「話があるなら聞いてやる、話してみろ」という促しだったのだが、今の総司には全くの逆効果だった。狼に吠えかかられた小動物のように、たちまち小柄な躰を竦みあがらせてしまう。
「……べ、別に……何もないです」
「それが何もないって顔か。云えよ」
「だから、何もないのです。失礼します」
「総司」
 慌てて逃げ出そうとした総司の手首が、ぐいっと掴まれた。驚いてふり返ったところを、そのまま男の逞しい胸もとへ引き寄せられる。
 総司は反射的に「いや」と、男の肩を押し返そうとした。
 とんでもない事だと思ったのだ。
 こんな処でもめていれば、誰かに見とがめられてしまう。そうなれば、せっかく土方とつくりあげてきた偽りの関係も水の泡だ。
 だが、それは土方も思ったのか、総司の腰をさらうように抱くと、すぐ傍の空き部屋の障子を開いた。中へ総司を押し込むなり、ぴしゃりと閉めきってしまう。
「……あ」
 怯えたように見上げる総司を、土方は熱っぽい瞳で見下ろした。



















次はちょっとだけラブシーンです。