「……えらく機嫌が悪いな」
近藤は地図を眺めながら、ぼそりと呟いた。
それに、同じく地図を眺めつつ、土方が返す。
「誰が」
「おまえだよ、歳」
「俺?」
「気がついてないのか。さっきからずっと、眉を顰めているぞ」
「……」
「つまり、総司とは相変わらずな訳か」
「……」
ますます眉を顰めてしまった土方に、近藤はやれやれと肩をすくめた。
「おまえは、あれこれ考えすぎるのだ」
諭すように、云った。それに、土方が地図をたたみながら、答える。
「別に考えすぎている訳じゃねぇ」
「いや、考えすぎている」
きっぱりと、近藤は断言した。
「男はあれこれ考えるより先に、行動あるのみだろうが。さっさと総司に告白して、念兄弟になってしまえ」
「それが出来りゃ、苦労しねぇよ」
「何故、出来ない。あれ程女遊びをくり返してきたおまえだ、色恋沙汰ならお手のものだろうが。それとも、何か。本気は違うと云いたいのか」
「……」
黙ったまま肩をすくめ、土方は胡坐をかいた膝上に頬杖をついた。
「俺自身、わからないのさ。総司が可愛くて仕方がないのに、生意気な事を云われるとつい云い返してしまう。冷たくも接してしまう。そのくせ、他の男といるのを見ると、相手を殺っちまいたいくなるんだ」
「歳、おまえ」
呆れたように、近藤は土方を見た。
「本当に、極端なやつだなぁ」
「悪かったな」
「しかし、そうは云っても我慢しているのだろう。実際、斉藤は生きている」
「俺だって理性ぐらいあるさ」
「そこがまた問題だな」
「近藤さん、あんた」
思わず声が低くなった。
「俺をけしかけているのか、宥めているのか、どっちなんだ」
「さぁな」
近藤はとぼけてみせてから、言葉をつづけた。
「だが、どちらにせよ、総司を傷つける事だけは許さんからな。せっかく、公の場だけでも上手くいくようになったんだ。また逆戻りではかなわん」
「わかっているよ」
土方は忌々しげに舌打ちした。
「俺も、昔とは違うんだ。私情を公に持ち込んだりしねぇさ。総司にも斉藤にも、副長としてのみ接している」
「ならいい。とにかく、総司に気持ちを打ち明けるつもりがないのなら、何も手出しはするな。今のままでいろ。中途半端な事をすると、余計にややこしくなるからな」
「中途半端って何だよ」
「まぁ、色々だ」
そう笑ってみせてから、近藤は、遠くで鳴る鐘の音に、はっと気づいた。慌てて立ち上がると、太刀を手にとる。
「いかん、約束があった。出かけてくるぞ」
「あぁ? えらく急だな……女か」
「おまえと一緒にするな」
捨て台詞を残し、近藤は慌ただしく部屋を出ていった。
障子が閉まる音を聞きながら、土方はため息をついた。
(一緒にするな、か)
今の状態では、一緒どころではないだろう。
女たらしの評判も返上し、朴念仁の近藤以下の不器用ぶりだ。
実際、信じられないくらいだった。自分でも自分の気持ちや行動が、ここまで抑えることが出来ないなど、理解できない状況だったのだ。
総司のあの可愛い顔を見ると、いつも冷静沈着な副長はどこへやら、一気に頭に血がのぼってしまう。
大きな瞳で見つめられたり、桜色の唇が尖るさまを見たりすると、尚の事だ。
江戸にいた頃から可愛いくて仕方がなかったが、京にのぼってから、土方の熱情は高まるばかりだった。
何しろ、総司はより綺麗になったのだ。
服装や何かが変わった訳でもないのに、この京都の霞がかった景色の中で見るせいか、より美しく可憐に見えてしまう。
正直な話、京にのぼってから、どの女を見ても、総司より可愛い、綺麗だと思ったことが全くなかった。
どこまでも、総司がいいのだ。一番、可愛いのだ。
なのに、正直になれない。気がつけば、今までどおり口喧嘩をしてしまっている。
これじゃ駄目だ、どんどん総司の気持ちが離れていっちまうと焦っているのだが、焦れば焦るほど、上手くいかないのが恋の道。
今や、総司にとって、土方はこの世で一番嫌いな男になり果ててしまっているに違いなかった。
挙句、斉藤との念兄弟のことだ。
総司の「そんな事ある訳がない」という言葉に安心したのもつかの間、「つきあっても構わないですね?」などと天然に訊ねられ、一気に逆上してしまった。そして、前後の見境もなく「許さん」と傲慢に断言してしまったのだ。
総司が怒って当然だと思った。
そこまで云われる必要もないし、そんな関係でもない。
なのに、あんな事を云ってしまったのは―――
「本心なんだから、仕方ねぇよな」
思わず呟いた。
斉藤とつきあうなどと、許せるはずがないのだ。
噂がたっているだけでも腹ただしいのに、その噂が事実になるなど、考えただけでもはらわたが煮えくり返る。この手で、噂の相手の斉藤を殺してやりたい程だ。
だが、土方の目から見ても、二人の関係は微妙だった。
付き合っているような、つきあっていないような。
念兄弟なのか否か、わからない以上、手出しはしにくい。
それ故、土方にとって、今の状態は真綿で首を絞められているような状態なのだ。
「一番、始末におけねぇよ」
忌々しげに舌打ちし、土方は片手で髪をかきあげた。
総司は自分が労咳である事を知っている。
それは、新選組の中でも知れ渡っていることだった。もっとも、総司自身の優しい性格や剣術の腕、近藤たちの思惑もあり、誰もそれを噂したりするものはいない。
だが、それでも、総司はいつも不安を抱えていた。
いつ土方に「江戸へ帰れ」と引導を渡されるか、心底怯えていたのだ。だからこそ、この間、土方に呼び出された時も、その話かと思ってしまった。もっとも違っていて、ほっとしたのだが。
労咳である総司に、冷徹な副長である土方が「帰れ」と云わないことは、ある意味、不思議なことだった。てっきり、池田屋で倒れてすぐ、療養中にでも云われるだろうと思っていたのだ。
だが、土方は見舞いに訪れることなどむろんなかったが、その後、床上げした総司と顔をあわせても、全く病には言及しなかった。
一瞬、知らないのかと思ったが、そんな事があの彼に限ってあるはずもない。
土方は何でも知っているのだ。総司が知らない、総司の噂さえも。
「だいたい、斉藤さんと念兄弟だからって、何の関係があるの? 何とも思ってないくせに、あんな……」
総司は膝を抱え込み、呟いた。
ついつい声が尖ってしまう。
片恋だという事はよくよくわかっていた。
ふり向いてくれるはずもない、そもそも、自分が恋愛対象の一つとして数えられることもない存在なのだと、わかっているのだ。
だったら、放っておいて欲しかった。
思わせぶりな事を(いや、きっと彼は全くそう思っていないのだけど)云うから、こっちは混乱してしまうのだ。
「遊びまくっているのに、鈍いし」
なんて呟いたが、これまた八つ当たりだとわかっている。
遊びまくっていても、その相手はすべて女なのだ。それも美しく仇っぽい女ばかり。こんな子どもで、しかも同性など相手にした事がないのだから、わからなくて当然なのだろう。
総司は、はぁっとため息をついた。そこへ、声がかかる。
「……随分と憂鬱そうだな」
聞き間違いようのない低音のいい声に、総司は、はっとして顔をあげた。見上げると、縁側に土方が佇んでいる。
「ひ、土方さん」
慌てて坐りなおす総司を、土方は切れの長い目で眺めていた。
だが、やがて、ふと視線を落とすと、「入ってよいか」と聞いてくる。
「は、はい」
頷くと、土方は綺麗な身ごなしで部屋に入ってきた。障子を閉め、部屋を横切り、総司の前に腰をおろす動作まで、すべてが流れるようだ。
思わずぼうっと見惚れてしまった総司に気づくことなく、土方は云った。
「突然だが、今度、近藤さんが江戸へ行くのは知っているな」
「あ……はい」
素直に返事をした総司は、ふと嫌な予感を覚えた。男の言葉の先が予測できる気がしたのだ。
まさかと思いつつ、ぎゅっと手を握り締める。
そんな総司に気づいているのかいないのか、土方は淡々として口調で云った。
「おまえ、一緒に行かないか」」
「え」
「病の事もあるからな、一度江戸に戻るのもいいだろう。近藤さんも賛成している」
「……っ」
総司は息を呑んだ。彼らの思惑が手にとるようにわかったのだ。
この人は、私を江戸へ帰すつもりなのだ。
池田屋からすぐでは私の体力が回復してなかったから、何も云わないでいた。
でも、今度、近藤先生が帰るから、病もちの私を江戸に帰すつもりで……。
「そのまま、江戸に残れという事ですか」
掠れた声で訊ねた総司に、土方は僅かに眉を顰めた。形のよい唇が何か云おうとする。
だが、それより先に、激しく叫んだ。
「絶対に嫌です!」
「総司……」
「江戸には帰りません。京に残ります。どんな事があっても、私は江戸に帰るつもりはありません」
「……」
総司の激しい口調に、しばらくの間、土方は無言だった。
だが、やがて、目を細めると、低い声で訊ねる。
「それは、何故だ」
「何故って……」
「何故、おまえはそんなにも江戸へ帰るのを嫌がる。ここへいたがる」
「そんなの」
思わず云いかけた。
そんなの決まっている。
あなたのため。あなたの傍にいたいからこそ、江戸へ帰るのが嫌なのだ。
だが、そんなこと云えるはずもなかった。
口に出したが最後、こうして言葉をかわすことさえ疎まれてしまうのだ。
黙ったまま俯いてしまった総司に、土方は鋭いまなざしを向けた。
だが、不意に、低く喉奥で嗤う。
驚いて顔をあげると、土方は端正な顔に、侮蔑するような笑みをうかべていた。それに息を呑む。
「聞くまでもねぇことか」
「え……?」
「斉藤といたい、念兄弟の斉藤と離れたくない。だから、京にいたいと思うのは、当然のことだよな」
「そんな……っ」
総司は目を見開いた。とんでもない誤解だ。
先日の会話から、さんざん噂されていることは知っているが、それでも、二人の仲はただの友人関係にすぎないのだ。
第一、この間も否定したばかりだった。
なのに、よりによって、この人にそんなふうに云われてしまうなんて。
だが、慌てて否定しようとした瞬間、総司は気づいた。
口実に出来るのではないか。
どうしても江戸へ帰りたくないのであれば、理由は多い方がいいに決まっている。
土方にとって、念兄弟など侮蔑の対象にしかならないのかもしれないが、他に理由を云えない以上、彼の言葉を利用するしかなかった。
「……そう、です」
小さな声で答えた総司に、土方の手がびくりと震えた。それに気づかぬまま、言葉をつづける。
「斉藤さんと……離れたくありません。だから、ここに置いて下さい」
「総司、おまえ……」
己で口にしたくせに信じていなかったのか、土方は愕然とした表情で総司を見ていた。しばらく沈黙したが、やがて、確認するように訊ねてくる。
「おまえ……この間、云ったことは嘘か。本当は、斉藤と念兄弟だったのか」
「……」
一瞬、言葉につまった。
だが、ここではっきり答えなければ、江戸へ帰されてしまうのだ。この人の傍にいられなくなるのだ。
それだけは死んでも嫌だった。
この人の傍にいられるなら、どんな事だって出来る。
どんな嘘だって吐くことも――
「……はい」
総司は大きな瞳で土方を見返し、きっぱりと答えた。
それに、土方の目が見開かれる。
信じられぬことを聞いたと云わんばかりの表情だった。
切れの長い目で睨みすえるように総司を見ていたが、やがて、のろのろと視線を外した。形のよい唇を噛みしめ、目を伏せている。
「……」
その端正な横顔を、総司は不安げに見つめた。
とんでもない嘘をついた自覚はある。
だが、それでも、彼の傍にいたかったのだ。
ただ、この嘘を彼が信じてくれるか。
もし、信じたとしても、江戸へ帰されないですむのか。
不安でたまらず胸をどきどきさせながら見つめていると、不意に、土方が深くため息をついた。
はぁっと息を吐くと、思わず身をすくめた総司の前で、煩わしげに片手で髪をかきあげる。
そして、忌々しげに呟いた。
「……やってられねぇな」
「え?」
目を見開いた総司の方を見やることなく、土方は薄い笑みを唇にうかべた。
「いや、俺のことだ」
「土方さんの……こと?」
「あぁ、安心しろ。おまえには関係ねぇから」
冷ややかな言葉に、総司は胸の奥が痛くなった。
関係ない。
確かに、自分と彼には、何の関係もないのだ。
そこにあるのは、副長と一番隊組長としての立場だけで、しかも、それは今、崩れ去ろうとしている。
「江戸ヘ帰さないで下さい」
気がつけば、口早に懇願していた。
「お願いですから、このまま京に私を残して頂けませんか。懸命に、勤めに励みます。副長の命令にも従います。だから……」
「そんなもの、今でも同じ事だろう」
土方は胡坐をかいた膝に片肘をつくと、切れの長い目で総司を見やった。
「今でも、組の勤務に励み、俺にも従っている。これは取引だ」
「取引……」
小さく呟いた総司は、膝上に置いた手をぎゅっと握りしめた。
「なら、何をすれば……もう一度取引して貰えますか?」
「総司?」
訝しげな土方を、総司は大きな瞳でまっすぐ見つめた。
「今度は、私の方があなたに取引を持ち掛けているのです。何を引き換え条件にすれば、江戸に置いて貰えるかと」
「引き換え条件、か」
土方は面白そうに呟いた。頬杖をつき、くすっと笑う。
「そうだな、何にしようか」
「……」
「あぁ、そうだ。おまえと同じがいい」
「え?」
目を瞬いた総司に、土方は冷たく澄んだ黒い瞳をむけた。
そして、何気ない口調で云ってのけたのだった。
「おまえとの口づけを、条件にする」
──と。