「土方さん!」
勢い込んで障子を開いた部屋には、誰もいなかった。
しんと静まり返り、冬の日ざしだけが満ちている。
どこにいるのかと考えを巡らせる斉藤に、総司が追いついてきた。はぁはぁと肩で息をしている。
「斉藤さん、あのね、話が」
「後で」
「後じゃ困るのです。私の云い方で誤解させたなら、謝ります。だから」
「総司が謝る事じゃない。謝るべきなのは……!」
斉藤が声を荒げた瞬間だった。
凛とした低い声が、後ろからかけられた。
「人の部屋で何を騒いでいる」
はっとしてふり返ると、土方が悠然と歩みよってくる処だった。
立ち尽くす斉藤と、その斉藤に縋るように腕を掴んでいる総司に、一瞬、顔を歪めた。だが、ふいっと視線をそらし、副長室へ入ってゆく。
文机の前に腰を下ろしながら、ぶっきらぼうな口調で云った。
「たいした用じゃねぇなら、後にしろ。俺は忙しい」
「大事な用です」
斉藤は、男の背を見据えた。
「今、聞いて貰わなければ困ります」
「……」
何も云わない土方を承諾と断じ、斉藤は部屋に入った。総司も慌てて入ってくる。
並んで端坐した二人を、土方がふり返った。黒い瞳が剣呑な色を湛えているのを感じとり、総司は思わず身を竦める。
「話とは、何だ」
「総司のことです」
「あぁ」
土方は文机に片肘をついた。聞いてやると云いたげな態度に、斉藤は目を怒らせた。
「あなた、総司を遊女扱いしたそうですね」
「……」
「契りを結んだ後、気晴らしだと云ったとか。いったい、何を考えているのです」
「……」
土方の目が、ちらりと総司を見やった。だが、それに気付かず、総司は俯いている。
嘆息したい気持ちをおさえ、土方は答えた。
「それは、俺と総司とのことだ。おまえには関係ねぇだろう」
「関係があります」
「おまえが総司の念者だからか」
鋭い問いかけに、一瞬、斉藤は言葉に詰まった。だが、やがて、きっぱりと答える。
「えぇ、そうです」
「斉藤さん……!」
悲鳴のような声を総司があげた。見れば、総司は顔を真っ赤にして、斉藤の袖を引いている。
それは非難ゆえの行動だったのだが、土方の目には、恥じらっているようにしか見えなかった。胸の奥にどす黒い感情がわき起こる。
「……かなり前のことだ」
土方は二人から視線を外し、云った。
「そんな前のこと覚えちゃいねぇよ。俺は情事なんざ、山ほどしているんだ。いちいち覚えていられるか」
「土方さん! あなた……」
「だいたい、おまえ、総司の念者なんだろう? なのに、その念者が他の男の慰みものにされていた事に、今頃気づいたのかよ」
嘲りにみちた口調で云いきった土方は、くっくっと喉を鳴らし嗤った。侮蔑するような瞳が、斉藤を見据える。
その言葉に、斉藤はかっとなった。思わず腰が浮く。
「慰みものなどと、よくも総司に……!」
「だが、本当の事だろう。これに懲りたら、総司を大事に囲っておく事だな」
「云われなくてもそうします」
怒りにみちた声音で、斉藤は云いきった。総司が目を見はり、二人のやりとりを聞いている。
「あなたには、二度と総司を近づけない。オレが守りきってやる」
「結構なことだ」
くすっと笑った土方は、文机の方へ向き直った。筆をとりながら、そっけない口調で云い捨てる。
「話が終わったなら、さっさと出ていけ。俺は忙しい」
「……」
返事もせぬまま、斉藤は立ち上がった。腕を掴み、総司も無理やり立ち上がらせる。
部屋を出ていく最後まで、総司は土方の背を見ていた。
こちらを決してふり返ってくれない、だが、あの夜、何度も縋って抱きついた広い背を。
(土方さん……)
縋るように手をのばした総司の前で、ぴしゃりと障子が閉め切られた。
絶対に絶対に土方さんには近づくな。
斉藤から云われた言葉だった。
土方とのやり取りの後、完全に憤慨した斉藤はきっぱり断言したのだ。
どんな事があっても、土方さんにだけは二度と近づくな、と。
それに嫌だと云いたかったが、総司が傷つくだけだと云われれば、頷く他なかった。
「どうして、こんなふうになっちゃったの……」
総司はため息をつき、膝を抱え込んだ。
もとはと云えば、自分が悪いのだ。
つい斉藤に話してしまったことが間違っていたのだろう。だからこそ、土方も怒ってしまった。
二人だけの事を他人に喋ったのだから、怒られて当然だ。
あれから、土方とはまったく顔をあわせていなかった。巡察の時の報告も、斉藤に云い含められた島田が行っているし、打ち合わせもない。
だが、逢うなと云われれば云われるほど、逢いたくなった。
この世の誰よりも愛しい男なのだ。逢いたくてたまらないのは、当然の事だろう。
確かに、斉藤との会話は、総司の心に暗い影を落としていた。
だが、土方の立場からすれば、仕方がない事なのだ。江戸へ帰さないという取引で、気まぐれに抱いただけ。彼も云っていたではないか、山ほど、情事を重ねていると。
総司とのことなど、数ある情事の一つに過ぎないに決まっていた。
だからこそ、云ったのだ、大事に囲っておけと。
彼はもう二度と総司に関わりたくないのだ。
今頃は、あんな面倒な子どもに手を出すのではなかったと、忌々しく思っているに違いない。
「それでも……逢いたいと思ってしまうなんて……」
総司はきつく唇を噛みしめた。
恋とは、なんて身勝手なのか。
相手の幸せを願っていたはずなのに、自分にふり返ってくれないとなると、駄々をこねたくなる。
叫んで泣いて、ふり返ってほしくなる。
そんな事をすればするほど、男の気持ちは冷めていくとわかっているのに。
土方が美しい女を何の未練もなく切り捨てる様は、何度も見てきた。
縋る彼女たちに興味を失い、冷たいまなざしさえ向けることなく立ち去る男の姿に、総司は胸を突かれたのだ。
あの人は、誰も愛さない。
それを思い知らされた気がした。
そして、そんな男を誰よりも愛してしまっている自分に、涙がこぼれた。
永遠に手の届かぬ星を求めるように、総司は、彼だけを追いつづけているのだ。
好きで好きでたまらなくて、いつでも、彼だけを求めてしまう。欲しいと思ってしまう。
ただ一度抱いてもらっただけでも、幸せだと思わなくてはいけないのに。
「欲ばりだよね、身勝手だよね」
そう呟き、ぎゅっと両手を握りしめた。膝上に顔をふせる。
逢いたくて逢いたくてたまらなかった。
今すぐ彼の部屋に行って、その躰に抱きつきたい。
でなければ、頭がおかしくなってしまいそうだ。
「……」
夜、総司はそっと部屋を抜け出した。
言葉をかわせなくてもいい、ただ、土方の声が聴きたい、その姿を見たいと思ってしまったのだ。
障子越しに明かりがもれていた。土方一人のようで、さらさらと筆を走らせる音や、書物をめくる音だけが響いている。
総司は縁側に片膝をつき、躊躇った。
声をかける勇気なんて、まったくない。ただ、物陰からでも、彼の姿を垣間見られればと思っただけなのに。
(夜になんか来るから、駄目なんだ。明日の昼、出直そう)
決意した総司は、そろそろと立ち上がり、戻りかけた。
その瞬間だった。
「……総司」
不意に、障子の向こうから声をかけられたのだ。
「!」
驚きのあまり、心の臓が跳ね上がりそうになる。
総司は目を見開き、両手で唇をおさえた。そんな総司の後ろで、すっと障子が開く音がした。
おそるおそるふり返ると、土方がそこに佇んでいる。
「……」
黙ったまま切れの長い目で見つめたが、すぐに顔をそむけた。踵を返し、部屋の中へ戻っていく。
障子は開かれたままだ。
(……入って来いという事?)
総司はぎゅっと両手を握りしめると、部屋の中へ入った。障子をきちんと閉め、入り口付近に腰を下ろした。
ぽうっと淡い明かりが灯されている部屋の中は、とてもあたたかだった。火鉢の火もおこされている。もう寝るところだったらしく、布団も傍に敷かれてあった。
土方は文机の前に胡坐をかき、仕事を続けていた。筆を走らせながら、低い声が訊ねる。
「……もう二度と、俺には逢わないはずだったんじゃねぇのか」
総司は思わず首をふった。すぐに彼には見えていないのだと気づき、声に出して答える。
「逢わないなんて、思っていません」
「だが、斉藤はそう云っただろう、二度と逢わせないと。念者の云うことを聞かねぇのか」
「だって、私は……」
総司は躊躇った。
こんな事を云っても、土方を困らせるだけだ。迷惑だと眉を顰められるだけだとわかっていたが、どうしても告げずにはいられなかった。
「私は……あなたに逢いたかったから」
「……」
「あなたに逢えなくて、とても苦しくて我慢できなくて……」
声が震えた。胸もとをおさえ、俯く。
沈黙が落ちた。土方は何を思っているのか、押し黙ったままだ。
それに、総司は逃げ出したくなった。
やっぱり、来るんじゃなかった。
この人の迷惑になるとわかっていたのに。
こんな縋るような真似までするなんて……
のろのろと躰の向きをかえ、立ち上がりかけた。そのとたんだった。
「待てよ」
不意に手首を掴まれ、引き寄せられる。
驚いて見上げると、土方はこちらに向き直っていた。鋭い瞳で総司を見下ろしている。
思わず身を竦ませてしまった総司に、土方は低い声で問いかけた。
「今、云った事は本当か……?」
「え?」
「今さっき、おまえが云ったことだ。俺に逢いたかったと、云っただろう」
「は、はい」
総司は慌てて返事をした。
「云いました。あなたに逢いたかった、逢いたくてたまらなかったと」
「それは、おまえの本心か?」
念押しするように訊ねる土方に、総司は目を瞠った。どうしてこんなにも訊ねられるのか、わからないのだ。
それでも、懸命に頷いた。
「本心です。だって、私、本当にあなたに逢いたかったから。今夜、ここに来たのも、姿だけでも垣間見られたらと思って、それで……」
言葉が途切れた。
土方が総司の背に手をまわしたかと思うと、きつくその躰を抱きしめてきたのだ。息もとまるほど抱きしめ、髪に頬に口づけを落としてくる。
「総司……俺の総司……っ」
「土方、さん……」
「俺も逢いたかった。おまえに逢いたくて、たまらなかったよ」
「う…そ……」
総司は信じられぬ思いに、小さく呟いた。それに、土方が優しく頬を撫でてくれる。
「嘘なものか。俺はおまえに逢いたかった、逢ってこうして抱きしめたかったんだ」
「だって、土方さん、囲っておけって斉藤さんに……」
「斉藤に云われるまでもなく、俺の傍に寄せれば傷つけるのは、わかっていた」
土方は微かに眉を顰め、云った。
「だから、一度はおまえを手放そうと思ったんだ。斉藤に返す方がいいと思った。だが、やはり我慢できなかった。おまえに逢いたくて、気が狂いそうだった」
「私も……私もです。これ以上、土方さんに逢えなかったら、私、頭がおかしくなりそうで」
「お互い、そう思いあっていた訳か」
二人は顔をみあわせ、くすくすと忍び笑いをもらした。
やがて、土方は総司の手をとると、傍に敷かれた褥へと導いた。総司が嫌がるかと思ったが、ぱっと頬を赤くしただけで、素直に従ってくる。
褥の上に坐ったまま、何度も口づけをかわした。土方は総司の躰を抱きしめ、次第に躰を密着させていきながら、口づけも深めてゆく。
遊び慣れた男らしい手順に、総司はちくりと胸が痛くなったが、言葉には出さなかった。
昔のことは考えたくないのだ。今、彼が抱いているのは、自分なのだから。
逢いたいと思ってくれただけで、嬉しかった。こうして抱きしめてくれる彼が、誰よりもいとおしい。
「総司……」
彼の低い声が耳もとにふれた。それがくすぐったくて、幸せで、思わず笑みをこぼしてしまう。
とたん、土方がぎゅっと総司の躰を抱きすくめた。
「すげぇ可愛い」
啄むような口づけをくり返しながら、褥にゆっくりと横たえられた。のしかかってくる男を、うっとりと見上げる。
初めての時とは違う。
二度めだからこその、互いを愛しみあう、互いの存在を確かめあうような情事だった。火照った肌を男の手のひらが優しく淫らに撫であげてゆく。
「は…ぁっ、ぁ……っ」
彼のしなやかな指さきは、総司の奥にある快楽を呼び覚ました。前と同時に愛撫されれば、腰が自然と揺れてしまう。
総司は啜り泣きながら、何度も懇願した。
「も…だめ、お願……っ」
「まだだ、おまえを傷つけちまう」
「だって……やぁっ、我慢できな……っ」
男を教え込まれた躰は、快楽に素直だった。もともと感じやすい躰だったのだろう。
総司は己の蕾にもっと大きなものが欲しくて、泣きじゃくった。土方の躰に縋りつき、甘く濡れた声でねだる。
「ちょう…だい……ね? お願…ちょうだい……」
「何を」
「土方、さんの、入れて……いっぱいに……ぁっ、ぁあんっ」
「……」
ごくりと男の喉が鳴った。とうとう我慢の限界を超えてしまったのだろう。
総司の細い躰を組み伏せると、獣のような体位をとらせた。そのまま太腿を鷲掴みにして押し広げ、濡れそぼった蕾に己の猛りをあてがう。
「ぁ……」
思わず声をあげた総司が身構える間もなく、土方は一気に腰を沈めた。太い猛りが蕾を強引に貫く。
「……ぁ、ぁああーッ!」
総司は泣き声をあげ、のけ反った。
快楽に溺れていてもまだ二度目なのだ。体格の差もありすぎる。逞しい長身の男である土方に対し、総司は未だ少年のように華奢な躰つきだった。苦痛なしで交われるはずがないのだ。
「ひっ…ぃ、ぅ…ッ」
総司は褥に顔を押しつけ、啜り泣いた。
だが、それに土方は構わなかった。構う余裕もなかったのだ。
その細い躰にのしかかるようにして、ぐっぐっと最後まで突き入れる。
そのたびに、総司が「ひぃっ」と泣き叫んでいたが、それさえも男の情欲を煽った。
「痛いか……?」
ようやくすべてを納めてから、土方は訊ねた。汗ばんだ髪をかきあげてやる。
「ぃ…たい、ぁ…っ、苦し……」
「だから、もう少し我慢しろと云ったんだ」
「だって……」
総司が涙声で、答えた。ふり返り、潤んだ瞳で彼を見上げる。
「土方さんを……早く感じたかったんだもの」
「……本当に、おまえは俺を煽るのが上手い」
苦笑まじりに呟いた土方は身をかがめ、総司の肩にちゅっと口づけを落とした。そうして、ゆっくりと抽挿を始める。
初めは身を固くしていた総司も、やがて、甘い声で泣きはじめた。感じやすい処だけを穿たれ、次第に躰がとろけてゆく。
蕾も熱くとろけ、男のものを甘く愛撫した。
「すげぇ……熱い」
土方は躰を動かしながら、目を細めた。
「熱くてとろけそうで、何もかももっていかれそうだ」
「や…ぁっ、ぁあっ、んっんっ……」
「最高だ……」
うっとりとした男の言葉は、総司をより甘く蕩かせた。後ろから手が絡められる。
指の間に男の指が入り込み、しっかりと握りあわされた。
そのまま、激しく腰を打ちつけられる。総司は甘い悲鳴をあげ、のけ反った。
「ぁあーっ、ぁっ、土方…さん……っ」
「総司……っ」
躰だけでいい。取引でも何でも構わない。
今、私を愛してくれるなら。
この躰ごと、愛してくれるなら、他にはもう何も望まないから。
(土方さん、愛してる……)
決して届かぬ想いを胸に、総司は、愛する男の腕の中で目を閉じた。
あと2話です。ラストまでおつきあい下さいませね。