「何だと」
土方は低い声で、問いかけた。その切れの長い目には、剣呑な色が湛えられている。
「今、何と云った」
「……っ」
総司は、男の怒りをひしひしと感じた。
嘘をつくなど、とても卑怯な事だ。つまり、総司は土方を卑怯者だと罵ったも同然になるのだろう。怒って当然だった。
だが、云わずにはいられなかったのだ。
「嘘つき」
もう一度、はっきり云ったとたん、土方の端正な顔に怒気が走った。
「おまえ……!」
総司の方へ手をのばした。
殴られると思った総司は、咄嗟に両手で頭を庇ってしまった。半ば泣きだしながら、云いつのる。
「だって! そんなの信じられる訳ないじゃない……っ」
怖かった。彼が怖くてたまらなかった。
だが、それでも云わずにはいられなかったのだ。
「あんな事を云って、怒って出ていった土方さんが、夕方迎えに来てくれるなんて、誰が信じると思うの?」
「……総司……」
「もし、そんな期待を抱いて、私が待っていて……それで待ちぼうけをくらわされたら? ずっと待っていて、それでもあなたが来てくれなかったら? どんなに惨めか、泣きたくなるか……そんなの、私、堪えられないもの! 我慢できないんだもの……っ」
ぽろぽろと涙が頬をこぼれ落ちた。
嗚咽をあげながら云いつのる総司を、土方は見下ろしているようだった。鋭い視線を感じる。
だが、やがて、彼の手が髪にふれるのを感じた。そろそろと撫でてくる。
「……」
おそるおそる顔をあげると、土方は眉を顰め、どこか痛むような表情をしていた。こちらの胸まで切なくなる表情だ。
涙目で見上げる総司に、土方はぽつりと云った。
「……すまん」
「え」
「俺が悪かった……あんな事を云ったんだ。迎えに行くはずないと思われて当然だな」
深く嘆息した。片手で煩わしげに黒髪をかきあげつつ、言葉をつづける。
「だが、俺は本当に……おまえを迎えに行くつもりでいた。あの料理屋を出てすぐに後悔したのさ。酷い事を云っちまったと思った」
「土方さん……」
「だから、夕方、迎えに行って謝りたいと思っていた。おまえに許してもらいたかったんだ。だが、実際にはおまえは帰営していて、しかも」
一瞬、苦しげに眉を顰めた。
「斉藤の腕に抱かれていた。それを見たとたん、頭にかっと血がのぼっちまったんだ」
「どうして……?」
不思議そうに、総司は目を瞬いた。
「どうして、斉藤さんと私が一緒にいると、腹がたつの?」
「……」
思わず、土方は総司の可愛い顔をまじまじと見つめてしまった。
本気で云っているのか? と、疑ってしまったのだ。だが、総司に、とぼけている様子はなかった。本気でわかっていないのだ。
土方はため息をつきたくなったが、ここで、想いを打ち明ける気にもなれなかった。
そもそも、総司は斉藤の念者なのだ。
斉藤と想いを通じ合っているのだから、想いを打ち明けても、この恋が実ることなど全くありえない。
昨日、総司が身をまかせてくれたのも、取引故だった。
土方に逆らえば、江戸へ帰されると思っていた故、彼に抱かれたのだ。
ならば、あくまで取引だ、条件だと、押し通す他なかった。
「……昨日、俺はおまえと情を交わしただろう」
土方がゆっくりと口にすると、総司の頬が紅潮した。恥ずかしそうに、だが、こくりと頷く。
「え、えぇ」
「その翌日、おまえが他の男に抱きかかえられていたら、あまりいい気はしねぇよ。いくら取引でもな」
「……」
男の言葉を聞いたとたん、総司の顔に、さっと憂いが落ちた。どこか淋しげな表情になる。
それに気づいた土方が見つめ返すと、総司はのろのろと顔を伏せてしまった。膝上に置いた手がぎゅっと握りしめられる。
「……そう、ですね」
「……」
「あまりいい気分じゃないですよね。自分の馴染みになったはずの遊女が、他の男と仲良くしているようなものですものね」
「――」
初な総司の発想とは思えぬ言葉に、土方は思わず絶句した。
だが、その例えは、確かに当てはまっていた。彼らは、まるで花街の女と客のような関係なのだ。躰だけの関係にすぎない。
土方は目を細めると、低い声で訊ねた。
「なら、おまえは遊女か」
「土方さんは……そう思っているでしょう?」
「――」
否定すればいいのか、肯定すべきなのか。
土方は一瞬、迷った。だが、結局、喉奥で「あぁ」と低く答えてしまう。
男の答えに、総司は小さく笑った。長い睫毛がふせられ、桜色の唇が微かに震える。
「総司」
土方はたまらず、総司の小柄な躰を抱きよせた。胸もとに引き寄せ、抱きすくめる。
それに対し、総司は従順だった。何一つ抗うことなく、男の腕に抱かれている。だが、そこに想いはないのだ。女郎と同じように、取引のため、土方と躰を重ねているだけ。
云いようのない虚無感が土方の胸を突き上げた。だが、それを振り切るように目を閉じると、土方は総司の顎を掴み、仰向けさせた。深く唇を重ねてゆく。
激しく貪るような口づけだった。それにも従順に応えてくる総司が可愛く、いたいたしい。
(総司……総司、愛してる……)
慟哭のような心の声は、総司に届くことはなかった。
土方との不安定な関係は長く続いた。
躰を重ねることはあれきりなかったが、それでも、口づけだけは与えられた。屯所で、街角で、料理屋で。
不意に抱きよせてくる土方に、総司が逆らう事は一切なかった。いったい何を考えているのかと覗き込んでも、綺麗に澄んだ瞳が見返すばかりだ。土方は激しい焦燥を感じつつ、どうする事もできなかった。
一方で、総司は斉藤とも仲良くしているようだった。二人、楽しそうに笑ったり、じゃれあったりしている姿を、何度も見たことがある。
土方は斉藤が妬ましくてならなかった。
確かに、躰は手に入れた。だが、その純真できれいな心は、相も変わらず他の男のものなのだ。
どんなに彼があがいても、懇願しても、手にいれることのできないものを、易々と手にいれている斉藤が妬ましくてたまらなかった。
殺意さえ覚えたが、斉藤を殺す訳にはいかなかった。だいたい、理由がない。
近藤に問い詰められたら、いったいどう答えればいいのか。
「悋気の果てだなんて、云えねぇよな」
土方は呟き、片手で黒髪をかきあげた。くしゃりとかきあげ、目を細める。
先ほど、渡り廊下から見た中庭では、総司が斉藤と仲良さげに寄りそっていた。
何か耳もとに囁かれ、くすくすと笑っている様が愛らしい。
あんな笑顔、自分に向けられた事があったかと考えれば、自信がなかった。
斉藤から奪ってやりたいと躰を無理やり己のものにしたが、今なお、総司の心は斉藤にあるのだ。
確かに似合いの一対だった。
隊の中で公認とされたのもよくわかる。
剣の腕においても並び立ち、同じ年で、お互いの事をよく理解しあっていた。公私ともに支えあっている事は明らかだった。
彼が入りこめる隙など、どこにもないのだ。
それでも、諦めることは出来ない。
ずっと愛してきたのだ。初めて逢った頃から、愛しくて可愛くてたまらなかった少年。
この手の中で大事に育ててやりたいと、陰に日向に、守りつづけてきた。
総司は何も知らぬことだが、常に、土方が陰からこの美しい可憐な少年を守ってきたのだ。
「だが、全く報われておらんだろうが」
容赦ない言葉に、思わず眉を顰めた。
局長室だった。ここへ呼ばれたからこそ、途中、見たくもないものまで見てしまったのだ。
誰のせいだと八つ当たり気味に睨んでやったが、近藤はどこ吹く風だった。何しろ、幼少の頃から、土方の鋭いまなざし、激しい気性には慣れきっている。
「せっせと貢ぐだけとは、おまえも意外とけなげな男だったのだな」
「あんたと一緒にするな」
土方はつけつけと云い返し、ため息をついた。
実際、貢ぐだけとはよく云ったものだ。
子どもの頃から守りつつけ、京にのぼってからも総司を陰から手助けしてきた。
今も取引だと云いながら、総司を連れ出し、食事をおごったり、物を買い与えてやったりしている。
どこからどう見ても、けなげどころか、若衆に溺れこんだ愚かな男だった。
「俺、そんなに情けないか」
低い声で問いかけると、近藤はきっぱり頷いた。
「あぁ、情けないな」
「近藤さん……」
「云われても仕方がないだろう。取引にかこつけて接吻だけならともかく、契りまで結んでしまったのだ。そのくせ、告白もしていない、あくまで取引だと云いたて逃げ回っている。それのどこが情けなくないのだ」
「わかっているよ、全部」
「だから、おれは云っただろう。さっさと云ってしまえと。好きだと一言告げれば済むことではないか」
「事はそう簡単に運ばねぇから、困っているんだろうが」
「歳、おまえは本当に考えすぎる奴だなぁ」
「あんたが考えなさすぎるんだよ」
近藤との不毛な云い争いに、土方はうんざりして目を閉じた。それに、近藤が笑った。
「本人は複雑だと思っていても、傍から見れば、呆れるほど単純な事もままあるのだぞ」
「単純……?」
土方は目を開き、近藤を見た。
「これのどこが単純か、さっぱりわからねぇよ。俺は、総司を愛している。だが、あいつは俺ではなく、斉藤を愛している。なのに、総司は俺に身をまかせてくれた。江戸へ帰さない取引だからと、躰まで投げ出したんだ。それも、斉藤の傍にいたいが為にだ。ここまでややこしくなって、どこが単純なんだよ」
「確かに、状況は複雑だな。だが、気持ちは単純明快だろうが。おまえは総司を愛している、それだけで十分なはずだ。それをどうして、総司に云ってやらない」
「……云えるかよ」
苦々しい口調で、土方は吐き捨てた。顔の片面を手でおおい、呻く。
「拒絶されるとわかっているのに、どうして、告白なんざ出来るんだ。惚れた相手に蛇蝎のごとく嫌われる苦しみが、あんたにわかるか? 俺はずっとそれを味わってきたんだ。苦しくて苦しくて堪らなかった」
「……」
「この取引で、総司にふれる事が出来るようになった。総司は嫌がらず、俺に抱かれてくれた。それを今また叩き壊せと、あんたは云うのか。嫌われるのがわかっているのに、告白なんざ出来るものか。今、あいつに拒まれたら、俺は頭がおかしくなっちまう……」
「歳……」
目の前で己の気持ちを吐露する友人に、近藤はそれ以上何も云わなかった。ただ、黙ったまま、何事かを考えるように土方を見つめていたのだった。
「土方さんと何かあったのか」
斉藤に問いかけられた総司は、びっくりして顔をあげた。
菓子をもらい、自室に戻る最中だった。外から帰ってきた斉藤が、中庭にいた総司に菓子をくれたのだ。
それに喜び、「一緒に食べましょう」と誘った総司に、むろん、斉藤は頷いた。そうして歩き出したとたん、訊ねられたのだ。
「何か……って?」
「いや」
斉藤は首をふり、視線を渡り廊下の方にやった。つられて見たが、そこには誰もいない。
「なんとなく、総司の様子がおかしいから。土方さんとの関係がおかしい気がしたから、訊ねてしまったんだ」
「お、おかしい……ですか?」
総司が咳き込むように訊ねてきた。その切羽詰まった様子に、斉藤は驚く。
「え」
「私たち、どこかおかしい? 何かおかしく見える?」
「いや、オレが感じただけだから。なんとなく雰囲気というか……そうだ、二人とも皆の前でまともに視線もあわせないだろう? だから、何かあったのかなと思って」
「視線ですか。そうですね、そう云えば、目をあわせないようにしていますね」
感心したように頷いてから、総司は、はぁっとため息をついた。それから、頬を染め、呟く。
「やっぱり、わかる人にはわかっちゃうんですね」
「何が」
「私、土方さんと契りを結んだのです」
「……え」
一瞬、斉藤は頭の中が真っ白になった。総司がいった言葉の意味がわからなかったのだ。
呆然と、傍らの総司を見下ろしてしまう。それに、総司は淡々とした口調でつづけた。
「あ、でも、一度だけですけど。成り行きでそうなっちゃったと云うか」
「い、いいいいつ?」
「えーと、秋ですね。紅葉が綺麗だったから」
「それって、もう二か月も前の話だろうが!」
「そうなんですよね。もう二か月もたつのに、あれきりなんですよね……」
淋しげにつぶやく総司を前に、斉藤は衝撃によろめきそうになる自分を抑えるのに、必死だった。
いったい、いつの間に何がどうなって、そんな事になったのか。
斉藤が知る限り、土方と総司は犬猿の仲であるはずだった。
むろん、二人とも本当は両想いだという事に、斉藤は薄々勘付いている。
だが、土方はあくまで冷たい素っ気ない態度をとり続けていたし、総司もきゃんきゃん吠えかかるばかりで心を許そうとしていなかった。
二人がくっつく事など、絶対ありえないと思っていたのだ。
なのに! なぜ!?
総司に片思いをしてきた斉藤にすれば、鳶に油揚げを浚われた気分だった。
それも、全く知らない間どころか、二か月も前に!
「……じゃ、じゃあ、二人はめでたく念兄弟になったって訳?」
めらめら燃える嫉妬を押し隠しながら、斉藤は訊ねた。
それに、総司が小首をかしげる。
「んー、それとも違うんですよね」
「え、けど、契りは結んだんだろ? 躰の関係を持ったって事だよな?」
「はい」
総司は、ぽっと頬を染めた。めちゃめちゃ可愛いだけに、その総司を好き勝手しただろう男、土方が憎らしい。
「確かにそうですけど、でも、私たちは念者じゃないんです。客と遊女みたいな関係なのです」
「……は?」
「だから、そこに気持ちはないのです。土方さんは気晴らしで、私と関係をもったと云っていましたし……」
「気晴らしって、それ、酷すぎるだろう!」
思わず叫んでしまった。
ようやく手にいれた総司を相手に、あの人はいったい何をやっているんだ。
こんなにも純真で可愛くて、土方だけを一途に愛している総司を、よりによって遊女扱いするなど到底許せることではなかった。
「オレ、ちょっと行ってくる」
不意に踵を返した斉藤に、総司は驚いた。
「ど、どこにですか」
「土方さんの処にだよ。何考えているんだって、文句云ってやる」
「斉藤さん!」
総司は慌てて彼をとめようとした。だが、さすが剣術の達人、するりと身をかわし、副長室へと駆けだしていってしまう。
「ど、どうしよう……っ」
とんでもない状況に、総司は混乱した。
だが、とにかく誤解を解かなければ、何よりも斉藤をとめなければ、醜聞沙汰になってしまう。
そうなれば、土方にも迷惑がかかることは確実だ。
「斉藤さん……!」
総司は走り出していった。
つづき、お褥シーンがありますので、苦手な方はスルーしてやって下さいね。