やがて、土方は、はぁっとため息をつくと、片手で髪をかきあげた。
 低く呟いた。
「……信じられねぇ」
「! ごめんなさい。勝手にあなたの家へ上がるなんて、それも君菊さんの世話になるなんて……」
「いや、そういう事を言っているんじゃねぇよ」
 土方は苦笑した。
「まさか俺の家にいるなんて思わず、あちこち探しまわっていた俺が莫迦みたいだと思ったんだ」
「そんなに……探してくれたのですか」
「あたり前だろう」
 そう言ってから、不意に、土方は真面目な顔になった。手をのばすと、総司の腕を掴んでくる。
「いいか? これだけは言っておくぞ」
「え」
「二度と、あんなふうに逃げるな。勝手に帰るな、俺の気持ちを少しは考えろ」
「……っ」
「情を交わした相手に置き去りにされるなんざ、初めてだ」
「ごめん…なさい」
 矜持の高い彼を傷つけたのだと思うと、切なくなった。
 自分は彼から向けられる言葉が怖くて逃げた。
 だが、それは彼の矜持を傷つけることだったのだ。自分の子供さ加減が情けなくて、泣きたくなってしまう。
「……」
 唇を噛んで俯いてしまった総司を、土方はもう一度、腕の中に引き寄せた。体に手をまわして、きつく抱きしめてくれる。
 耳もとで、なめらかな低い声が囁いた。
「昨夜は……優しく出来なくて、すまない」
「えっ、そんな」
 総司は慌てて首をふった。
「土方さん、優しかったですよ。すごく……その、気持ちよかったし」
「本当に?」
 濡れたような黒い瞳で見つめられ、頬がかぁっと上気した。恥ずかしくてたまらなくなる。
 この人に昨夜、抱かれたのだという実感が今更ながらこみあげてきた。彼の唇や指、声、ぬくもり、そのすべてに昨夜のことをまざまざと思い出してしまう。
 羞恥心に総司は土方の胸もとに顔をうずめた。いやいやと首をふる総司に、土方が喉を鳴らして笑った。
「すげぇ可愛い」
 男の言葉に驚いた。本当に? と、先ほどの土方のように訊ねたくなる。だが、嘘に決まっているだろと嘲られるのが怖くて、やめた。
 黙っていると、土方は小首をかしげるようにして覗きこんできた。頬に、ちゅっと音をたてて口づけられる。
「また……しような?」
 甘い声で囁かれ、どきりとする。細い指さきでぎゅっとしがみついた。
「何を……」
「決まっているだろ、気持ちいいことだよ」
「えっ」
「今度は優しくする。もっと気持ちよくしてやる」
「……」
 総司の目が見開かれた。
 次があるなんて思ってもいなかったのだ。繋ぎとめるだけなら、一度で十分なはずだった。それとも、とどめを刺すためか。


 そんなの、いらないのに。
 とうの昔に、私の心はあなたに繋がれているのに。


 黙ったまま凭れかかった総司に、了承したと思ったのだろう。
 土方は総司の体を優しく抱きしめ、口づけをくれた。













 秋の空が広がっていた。
 それを眺めながら、土方は文机に頬杖をついた。自然と、ため息がもれる。 
 仕事は山積みだった。むろん、それを疎かにするつもりもない。だが、つい総司のことを考えてしまうのだ。
 先日、己から逃げようとした可愛い小鳥を。


 ……正直な話、本気で腹がたった。


 朝、目が覚めた時、総司がいないことに気づいたとたん、眠気など一気に吹き飛んでしまった。
 見回してみれば、昨夜、自分が畳んでおいた着物も刀もなくなっている。乱れきった褥の中に己だけが残されていたのだ。
 逃げられたのかと思った。
 そんなに昨夜のことが嫌だったのかと、ため息がもれた。褥の上に胡座をかき、乱れた髪を片手でかきあげる。
 だが、一方で不安にもなった。昨夜のことが原因で、初な総司のことだ、どこかで自害でもしていないかと考えたのだ。そのため、すぐさま身支度を済ませて朝餉もとらず、料亭を飛び出した。
 初めは頭に血がのぼっていたので、手当たり次第に探しまわってしまった。以前、総司と一緒にいった事がある水茶屋や神社なども確かめてみたが、どこにも、そのほっそりとした姿はなかった。
 屯所に戻っているかもしれないと気づいたのは、かなり時が過ぎてからだ。俺は莫迦かと、己の醜態に呆れつつ、急ぎ屯所に戻った。だが、そこにも総司はいなかった。
 どこにもその姿がない事を知った瞬間、血の気がひいた。永遠に、総司を失ってしまったのかと思ったのだ。
 そのため、伊東と連れだって戻ってくる姿を見たとたん、玄関へと向かっていた。そして、強引に総司を奪い返したのだ。
 怯えたように自分を見る総司が、可愛くて憎らしくてたまらなかった。
 そんなに嫌なら、抱かれたいなんて言うなと、怒鳴りつけたくなった。拒まれていても抱いていただろうに、身勝手な話だ。
 溺れきっていた。
 総司の体に、心に、何もかも。


「俺は本当に駄目だな」
 苦々しく呟いた。
 総司のことになると頭に血がのぼってしまい、周囲がまったく見えなくなってしまうのだ。
 いつか近藤にも注意された事だったが、最近はそれが顕著だ。そのうち、とんでもない事になるのではないかという自覚もあった。
 本当に総司に逃げられたら、自分が何をするかわからない。
 そんな恐れがあったのだ。
「……」
 深くため息をつくと、土方は文机においてある書類を手にとった。ちょうど、部屋の外から山崎の声がかけられる。それに、「入れ」と答えながら、ひそかに唇を噛みしめた。














「……総司」
 優しく囁きかけられた。
 顔をあげると、口づけられる。深く唇を重ねられ、舌を吸われて陶然となった。
 彼の腕に抱かれるだけでも、ふわふわした気持ちになるのに、口づけなんてされたらもうどうすればいいのかわからない。
 総司は土方の腕の中で、うっとりと目を閉じた。
 もう幾度目かの逢瀬だった。色々なところで待ち合わせをして、逢引を重ねた。
 まるで恋人同士のようだと思ったが、それが違うことも総司にはよくわかっていた。これはただの気まぐれなのだ。彼一流の気まぐれで、それに自分はつきあわされているだけなのだから。
 だが、一方で悲しくてたまらなかった。
 呼び出されれば、行ってしまう。行って抱かれてしまう。
 愛されている訳ではないのに。それがよくわかっているのに、どうして、こんな事を何度も繰り返してしまうのか。
 わかっている。彼を愛しているからだ。
 この苦しみから切なさから逃れたいのなら、彼を愛することをやめればいい。だが、出来るはずもない。彼を愛することは、生きることと同じなのだから。
 彼を愛することをやめれば、私は息絶えてしまう。
 だから、この手をとらずにはいられない。抱かれずにはいられない。少なくとも、抱かれている間だけは何も考えなくて済むから。まるで恋人として愛されているような心地に酔わされ、快感に溺れていくことが出来る。


(歪んでいるのはわかっているけれど……)


 この間も、伊東に言われたのだ。
 歪んでいる、と。
「私は、きみが幸せであるのなら何も言いません」
 伊東は静かな声で言った。
「確かに、私はきみを念弟にしたいと思ったし、それをきみに求めた。だが、きみが幸せであるのなら、私のものでなくとも良いと思ったのです」
「伊東先生……」
「今、きみは土方君と共にいる」
「……」
 その言葉の裏にある意味を感じ取り、身をすくめた。
 伊東はわかっているのだ。総司が土方に度々、呼び出され抱かれていることを。
 羞恥に思わず俯いてしまった総司に、伊東はため息をついた。
「私はきみを責めているのではない。ただ、聞きたいのです。きみは幸せですか、と」
「……」
「少なくとも、幸せではないでしょうね。むしろ、きみと土方君の関係は歪んでしまっている」
「歪んでいる……?」
 そう訊ねた総司に、伊東は苦笑した。
「私に言われるよりも、きみ自身がわかっているでしょう。その歪みを最も感じ取っているのは、きみと土方君だ」
「……」


 何も言うことが出来なかった。
 伊東は年長の友人として警告してくれていた。確かに、このままでは総司自身が壊れてしまうだろう。
 また、声が出なくなるかもしれない。それぐらいならいいが、今の状況から逃げ出したくなって、逃げ出した挙句、彼に殺されてしまうかもしれない。
 そんな事になれば、二人とも破滅だ。


「……どうすればいいの」
 ため息をついた総司は、自分がどこまで来ているのかに気づいて、はっと我に返った。
 先日のお礼のため、随分と遅くなってしまったが、君菊の元を訪れてきたのだ。訪いを告げると、戸がからからと開き、君菊が笑顔で迎えてくれた。
「おいでやす」
 あの日と同じように上へあげられ、茶を出してくれる。
 総司が手土産の菓子と花を渡すと、君菊は嬉しそうに微笑んだ。
「おおきに。きれいな花どすなぁ」
「君菊さんに似合う気がして」
「総司さまもお上手や」
 くすくすと笑い、君菊は花をきれいに活けた。総司はそれを見ながら、あらためて礼を言った。
「あの日は本当にありがとうございました。おかげで助かりました」
「そんな、たいした事やあらしまへん。うちも総司さまにお会いできて、楽しかったですし」
 そう言ってから、君菊は総司をまっすぐ見つめた。
「もしかしたら知っておられるかもしれませんけど……」
「何でしょう」
「うち、土方さまとお別れしました」
「え」
 総司は目を見開いた。呆然と君菊を見てしまう。そんな総司の前で、君菊はゆったりと言葉をつづけた。
「土方さまの方から終わりにしようと言いはりまして。この家も、お金もたんと頂くことが出来たので、うち、これ幸いと受けさせてもらいました」
「受けさせてって……え、土方さんと別れられたのですか?」
「へぇ。土方さまはもう、うちの旦那さまとは違います。そや」
 不意に、君菊は明るく声をあげた。
「なんやったら、総司さまが新しい旦那さまになってくれはっても、よろしおすなぁ」
「は?」
「総司さまやったら優しいし、あの子も懐いていますし」
「い、いえ。私はそんな……っ」
 慌てて断ろうとして、君菊の悪戯っぽい笑みに気がついた。思わず唇を尖らせてしまう。
「君菊さん……からかいましたね」
「堪忍え。総司さまがあんまり可愛いおすから」
「はぁ」
 土方と君菊は案外、よく似ているのではないかと思いつつ、総司はため息をついた。それから、ふと思いついて訊ねた。
「でも、どうして、土方さんは君菊さんと別れたのでしょう。こんな家まで用意したのに」
「そんなん、決まってますえ」
 ごく当然のように、君菊は答えた。
「ほんまに好きなお人と一緒になりはったからに違いありまへん」
「……」
 息を呑んだ。


 本当に好きな人と一緒になることが出来た。


 それに思い当たる事があったのだ。
 先日、土方に縁談があるという話を聞いた。もともと佐藤家の方から出たものだが、江戸にいる琴という娘との縁談のようだった。総司もよく知っている美しい娘だ。その上、土方はもともと琴を許嫁にしていたという話で、そろそろ身を固めるという事だったのだ。
 その話を聞いた時は、まさかと思っていたが、君菊に別れを告げたと聞いたことで事実なのだと知ることが出来た。
 土方は琴を妻として娶るのだ。長年、ひそかに愛してきた娘を、これからは妻として愛していくのだ。だから、君菊と手を切ることにしたのだろう。
 そのうち、総司にも別れを言い渡されるのかもしれない。否、それもないか。土方にすれば、総司とつきあっているという意識さえないのだから。


「……総司さま?」
 顔色をなくしてしまった総司に、君菊が訝しげに問いかけた。
 それに「何でもありません」と首をふり、家を辞する。最後まで心配そうに君菊が気遣ってくれていたが、今はもう早く一人になりたかった。
 総司は足早に家を出ると、そのまま屯所へ戻ろうとした。
 だが、ふと思いついて、あの夜、初めて彼に抱かれた料亭に向かった。聞いてみると、あの離れの部屋は空いていたので、通してもらう。ふと支払いの事が気になったが、足らなければ後で届けさせればいいと思った。
 あの日のように、離れは美しく整えられていた。その畳の上に座り込み、ぼんやりと庭を眺める。
 涙がこぼれ落ちた。


 愛しい男が妻を娶るのだ。
 今度こそ、手の届かない遠くへ行ってしまう。
 君菊の時も辛かったが、今度の方がもっと切なかった。


「……っ、…ぅ……っ」
 両手で顔をおおい、子供のように泣きじゃくる。
 それ故か、いつの間にか襖が開かれ、誰かが部屋に入ってきたことにも気づいていなかった。不意に後ろから抱きすくめられ、心の臓が跳ね上がる。
「!」
 びくりと躰を竦ませた総司を宥めるように、耳もとで低い声が囁いた。
「……俺だ」
「土方、さん……っ?」
 驚いて、ふり返った。確かに、そこにいたのは土方だった。畳の上に跪き、総司の体に腕をまわしている。
 総司は涙でいっぱいの瞳で瞬いた。
「なん…で? どうして、ここに……」
「偶然さ。料亭の前を通りかかったら、ちょうどおまえが入っていく処だったんだ。仲居に聞いたら、突然、この部屋を指定して入ったというじゃねぇか。何かあったのかと思って追ってきたのさ」
 そう言ってから、土方は僅かに苦笑した。
「まぁ、他の男と逢引しているんじゃねぇかと、邪推しちまった事もあるがな」
「そん…な、していません。私、ここで……」


 あなたとの事を思い出していた。
 もう二度と抱いてくれないかもしれない、あなたのことを。


 だが、その言葉は口に出されることはなかった。
 そのかわり、総司は手をのばすと土方の体に抱きついた。首に両腕をまわし、唇を重ねていく。
 それに土方は驚いたようだった。初めての総司からの口づけだったのだ。だが、すぐに総司の体を膝上に抱きあげると、甘い口づけをあたえてくれる。
 総司はそれだけでは足りなくて、男の着物の襟元に手をかけた。細い指さきで褐色の肌をたどり、彼を求めているという想いをあらわす。
「!」
 不意に、浮遊感が体を襲った。あっと思った時には、土方の腕に抱きあげられていた。そのまま隣室に運ばれ、褥の上に横たえられる。
 すぐさまのしかかってきた男に、抱きついた。肌と肌を重ね、激しく求めあっていく。
 交わりは激しく狂おしく、暴力的でさえあった。
「っ…ぁあッ、ぁ…はぁッああっ……っ」
 総司は泣きじゃくりながら、土方の広い背にしがみついた。もしかすると、爪で疵をつくったかもしれない。土方はそれを咎めようとはしなかった。
 壊れてしまいそうな小柄な躰に男のものを深く受け入れさせ、激しく揺さぶっていく。男の猛りが突き入れられるたび、痺れるような鋭い快感が背筋を貫いた。
「やッ、ぁあっ…ぁ、ぁああっんッんッ」
「……総…司……」
「ぅ、んッぁあッ、ぁっや…ぁッだめっ……だめぇっ」
 舌っ足らずな可愛い仔猫のような声で、総司が泣きじゃくる。あまりに快感が怖いのだろう。
 だが、土方はもっと総司が欲しかった。貪りつくして、他の何も考えられないようにしてしまいたい。
 土方は総司の腰に腕をまわすと、抱き起こした。胡座をかいた己の上に腰を降ろさせる。
 涙でいっぱいの瞳が見開かれた。
「ッひぃ…あぁあーッ……!」
 男の猛りを身重で奥まで受け入れてしまったのだ。太い剛直をごくりと咥えこまされ、悲鳴をあげる。
 さすがに苦しくて辛いのだろう。涙がぽろぽろ零れおちた。
「……や、ぁッ、ぁ…は、く、苦し……っ」
「総司……すげぇ可愛い……」
「ぁ、ぁ…や、だぁッ、も…許し……っ」
 いやいやと首をふる総司の膝裏を抱え上げた。そのまま、何度も無理やり腰を上下させる。己の意思など関係なく、咥えこまされる男の猛りに総司が泣き叫んだ。
 深く貫いてからギリギリまで抜き、すぐに奥までズンッと突き上げてやる。そのたびに、総司があげる悲鳴が艶かしい。必死になって男の肩に縋りついた。
 土方はたまらなくなり、総司の躰を褥の上に突き倒した。そのまま腕を掴んで躰を反転させて、獣のように這わせる。逃れようとする腰を鷲掴みにして引き戻し、後ろから一気に貫いた。
「ぁああーッ…!」
 総司が仰け反り、悲鳴をあげた。口では嫌がっているくせに、躰は深く甘く男を受け入れてくれる。
 土方は唇の端をつりあげると、そのまま激しく揺さぶり始めた。腰を打ちつけ、己の楔を何度も総司の蕾の奥に打ち込んでやる。
 総司はもう犯されるまま、泣きじゃくっていた。褥に顔を押しつけ、ひぃっひぃっと、突き上げあげられるたび悲鳴をあげている。細い指さきが縋るように褥を掴んでいるのを、白い背中が反らされ黒髪が乱れるのを、見た瞬間、腹の底で情欲がどろりと熱を放った。
「ぁ、ぁあッ…ぁあああッ」
 感じる部分に男の熱を注がれたのか。総司が悲鳴をあげ、仰け反った。びくびくと総司のものも震えながら、蜜を吐き出している。
 土方は恍惚とした表情で、腰を打ちつけ続けた。熱が何度も何度も吐出される。
「ひっぃ…やぁぁ、か、感じる…また感じちゃう……っ」
 総司が腰を男にあずけた恥ずかしい格好のまま、泣きじゃくった。それに低く喉奥で嗤い、躰を反転させた。今度は仰向けにして躰を二つ折りにし、のしかかってゆく。
 それに、総司が追いつめられた小動物のような泣き声をあげた。それでも、拒みはしないのだ。どこまでも男を柔らかく受けいれていく。
 愛しあう二人の情事は、いつ果てることもなく続いていった。



















次で完結です。ラストまでおつきあい下さいませね。