土方が長年抱いてきた想いに、総司が気づいてしまった場合、嫌悪されるに決まっていた。
 潔癖で初な総司のことだ、激しく嫌悪することが目に見えている。
 だが、心優しい総司は、彼に対しての態度を変える訳にもいかず、また、勘違いだ、信じないという気持ちになることもアリ得るだろう。それが、彼の前でだけ声が出ないという表れになってしまったのではないか。


 総司への情愛で罪悪感のある土方は、ついそう考えずにはいられなかった。
 純粋で真っ直ぐな愛情を向けてくれる総司に対して、己は男としての情欲を抱いてきたのだ。男の目で見てしまっていたし、夢の中で総司を抱いてしまったことも幾度もある。
 そのため、土方の罪悪感は強く、また、己自身に恐れを抱くようにもなっていた。いつ箍が外れ、総司に手を出してしまうのか、己を抑える自信がまったくなかったのだ。
 あの女を妾として休息所に置いたのも、己の欲情を抑えるためだった。
 男としての欲が満たされれば、総司を手込めにするような事態にならなくて済む。そう考え、もともと馴染みだった女を妾にしたのだ。
 当然ながら、愛情などなかった。我ながら酷い話だと思うが、欲望を吐き出すための存在でしかなかった。ただ、女も同様なのだろう。金を渡してくれる存在として土方を利用しているに過ぎないのだ。
 そんな歪んだ関係であることを、総司に知られたくなかった。潔癖で初な総司が知れば、顔をしかめるだろう。
 それどころか、そんな事をしている彼を侮蔑するかもしれない。
 
 
 不意に、ことんと土方の肩に重みがかかった。
 見れば、総司が小さな頭を彼の肩に凭せかけている。そのまま仔猫が甘えるような表情で、彼を見上げてきた。
 その愛らしさに、心の臓が射抜かれる。
「……総司」
 細い指さきが、また土方の手に綴った。
「好き、だい好き」
「……っ」
 本当だろかと思った。
 だが、彼の想いが知られていない事は確かのようだった。
 男の情欲を知っていれば、とてもこんなふうに身を寄せたりすることは出来ないだろう。怯え、逃げているに違いない。
 今、この瞬間にでも石段の上に組み敷き犯してしまいたいと、渇望するように願っている男の情欲を知るはずがないからこそ、出来る行為なのだ。
「……」
 土方は己の肩に感じる愛しいぬくもりに、喜びと苦痛を感じながら固く瞼を閉ざした。













 奇妙な日々が始まった。
 相変わらず総司は、土方の前でだけ声を出すことが出来ない。
 彼に対しては手のひらに指で綴ることで、会話を成り立たせた。打ち合わせの時、もともと総司は土方の隣に坐ることが多かったが、今は必ずそうするようにして、何か意見がある時は他の者には気付かれぬよう、筆談をしていた。
 だが、一方では、やはり、他の者たちの前では普通に話すことが出来ているし、あの可愛い鈴のような笑い声もたてている。それを見て、土方の心が波立たないはずがなかった。
 この世で最も愛しい存在が、理由もわからず、自分の前でだけ話すことが出来なくなってしまったのだ。誰に対してもならともかく、自分の前でだけ話せないなど、苛立たないはずがなかった。
 その上、他の男、伊東との仲もより深くなっているようで、総司が伊東と一緒に笑ったり話したりしている様子は、度々目にした。その都度、こらえきれぬほどの怒りと嫉妬を覚えたが、それを表に出す訳にはいかなかった。
 総司自身、前と違って自分の傍にも来てくれるようになっているのだ。彼の手をとり、たどたどしく文字を綴ってくれる。それを思えば、今、ここで彼が感情を剥き出しにしまう訳にはいかなかった。
 愛しているからこそ、見守っているべきなのだ。
 いつか、総司があの澄んだ声で自分に話しかけてくれる日を待ちながら。
 だが、その日が来る保証など、どこにもなかった。己のものにする事が出来ないばかりか、話してもらうことさえ出来ない。
 そんな状況の中で、土方は次第に口数が少なくなっていった。
 最近では、総司も戸惑ったように彼を見上げることが多くなっている。このままではいけないとわかっていながら、胸のうちに燻る嫉妬と苛立ちはどうすることも出来なかった。
 一方、総司が抱える不安も日々、大きくなるばかりだった。


(……土方さん、怒っている……?)


 最近、土方はあまり話をしてくれなくなった。
 だが、それはむしろ当然だろうと思う。
 もともと彼は寡黙な性質だし、相手の総司が筆談でしか言葉を返すことが出来ないのだ。何を話せばいいのか、わからなくて当然だった。
 それに、いつまで声が出ないのかと、責められている気もする。何しろ、彼の前以外では普通に話すことが出来ているのだ、腹がたって当然のことだった。





 はぁ、とため息をついた総司に、傍らで書物に視線を落としていた伊東が顔をあげた。
「……憂鬱そうですね」
「え」
 目を見開くと、くすっと笑われた。
「顔に出ていますよ。土方君と喧嘩でもしましたか」
「そんな……喧嘩なんて」
 喧嘩も出来ない状態なのだ。何しろ、口もきくことが出来ないのだから。
 伊東は書物を閉じると、鳶色の瞳でまっすぐ総司を見つめた。その静かで真摯なまなざしに、どきりとする。
「……伊東、先生?」
「一度聞こうと思っていたのですが」
「? 何でしょう」
「土方君はきみの念兄ですか」
「!」
 総司の目が見開かれた。かっと頬が熱くなってしまったのが、自分でもわかる。
 それに、伊東が苦笑した。
「やはり……そうですか」
「い、いえ! 違いますっ」
 慌てて総司は否定した。
「私と土方さんは、ただの兄弟の関係です。土方さんは、ちゃんと休息所にお妾さんがいるし、私は、私は……っ」
「きみは……?」
 静かな声で問いかけられ、俯いてしまった。ぎゅっと唇を噛みしめる。
 それに、伊東はゆっくりと言った。
「違うのなら、土方君がきみの念兄ではないのなら、私がきみの念兄になってもいいですか?」
「え……?」
 驚き、顔をあげた。呆然と見上げる総司に、伊東は微笑みかけた。
「私は申し込んでいるのです。きみに、私の恋人になってくれませんか、と」
 しばらくの間、呆然としていた。
 だが、すぐに我に返り、無意識のうちに首をふった。
「そん…な、伊東先生、冗談ですよね」
「戯言でこんな事を私が言うと思いますか」
 不愉快そうに、伊東が眉を顰めた。それに、はっと気づいて慌てて謝る。
「す、すみません……でも、あの、信じられなくて」
「信じられないとは、なぜです」
「だって、私は何の取り柄もない子供です。綺麗でもないし、別に学問に優れている訳でもないし、出来るのは剣術ぐらいで……」
「きみは本気で言っているのですか」
 呆れたように、伊東は総司を見た。
「きみは沖田総司でしょう。私は、きみほど綺麗な若者を見たことがないし、それに、聡明だ。いや、何よりも、私はきみのその素直で優しい心根に惹かれたのです。偽ることなく、真っ直ぐで清らかだ。きみの剣そのものですね」
「そんな……っ」
 総司は激しく首をふった。
「伊東先生は私を見誤っておられるのです。私なんて、何も出来ない子供です。素直なんかじゃないし、優しくなんか……」
「総司」
 静かな声で伊東が呼んだ。
 彼にしては、鋭い声音だった。それに、びくりとした総司に、言葉をつづける。
「自分を卑下するのはやめなさい。たとえ、それがきみ自身であっても、私が愛しいと思っている存在のことを非難する言葉は聞きたくありません」
「……」
 総司は目を見開いた。
 そんなふうに今まで言ってくれた人は誰もいなかったのだ。
 こくりと頷いた総司に、伊東は表情を和らげた。手をのばし、そっと細い肩に手を置く。
「きみが土方君を想っていることは、知っています」
「……っ」
「叶わぬ恋ゆえに、きみは自分を子供だと思うようになってしまったのでしょう。私がその気持ちを変えられるかはわかりません。ただ、私はきみに惹かれているし、とても愛しいと思っています。それを伝えたいと思ったのです」
「伊東先生、私は……っ」
 すぐに出せる答えではなかった。きつく唇を噛みしめて、俯いてしまう。
 それに、伊東は微かに苦笑した。
「私もわかっています。何も今、きみからの答えを求めようとは思わない。ただ、いつか返事はして下さい」
「はい……わかりました」
 素直に頷く総司に、伊東は安堵したように微笑んだ。華奢な身体にゆるく両腕をまわし、抱きしめる。
 それに総司は一瞬驚いたが、抗わなかった。土方とは違うぬくもりは戸惑いと同時に、心地よさもあったのだ。おとなしく伊東の腕に抱かれている。
 その時、遠くで伊東を探す声がした。腹心である篠原が探しているようだった。
「……行きますね」
 そう言ってから、伊東は腕をほどいた。傍らにおいていた書物を手にして、立ち上がる。見上げた総司にかるく笑いかけてから、伊東は部屋を出ていった。
 それをぼんやり見送った総司は、ほっと吐息をもらした。無意識のうちに緊張していた自分に気づく。


 やはり、突然、告白された事で驚いてしまったのだろう。
 伊東の気持ちにはまったく気づいていなかった。
 もちろん、告白されたことで驚きはあったが、拒絶感はない。伊東はいつも優しく総司を受け入れてくれたのだ。その傍にいることはとても居心地のよいことだった。
 むろん、恋愛感情をもつことはないが、尊敬と慕わしさはあった。


「念兄……」
 小さく呟いた。
 そんなふうに、自分にとって土方が呼ばれる日がくればいいと、願ったこともあった。だが、ありえるはずはないのだ。土方は女にしか興味がない、同性である総司など恋愛対象にもならなかった。
 そして、今や、土方にはあの女性がいる。君菊という美しい芸妓だという話だった。先日、隊士たちの話から聞いてしまったのだ。
 一縷の望みもない恋。伊東の言葉どおり叶わぬ恋なのだ。
 ならば、いっそ他の誰かの胸へ身を投げかけても許されるのではないだろうか。伊東は、総司の気持ちを知った上で受け入れようとしてくれているのだ。


(ならば、いっそ……)


 きつく唇を噛みしめた。
 立ち上がり、伊東を追うため部屋を出ようとする。とたん、ぎくりとした。
 渡り廊下に一人の男が立っていた。こちらをまっすぐ見つめている。
 その場からは総司たちがいた部屋は、すべて見渡すことが出来た。障子も開け放たれていた、総司が伊東に抱かれているところも見られたに違いなかった。
「……っ」
 土方さん、と、呼びかけたかった。だが、やはり声は出ない。
 ひゅっと喉が鳴っただけだ。
 呆然と目を見開く総司に、土方は痛みを感じたように顔を歪めた。そのまま顔を背けると、踵を返してしまう。
 遠ざかる男の広い背に、総司は指のさきまで冷たくなるのを感じた。


(もしかして……聞かれた?)


 自分が土方に恋していること、報われぬ恋をしていること。
 それらを聞かれたのなら、土方の態度もわかる。今まであたえてきた兄としての愛情を穢されたように感じたのだろう。 


 どうしようどうしようどうしよう。


 頭の中をそれだけが巡った。
 気がつけば、駆け出していた。あの時、神社の前で追いかけたように。
 総司は必死に廊下を走り、土方が副長室へ入る寸前で追いついた。足音に気づいたのか、眉を顰めてふり返っている。それに、はぁはぁと息をしながら、手をのばした。
 袂を掴もうとしたが、すっと避けられた。それに身の内が凍る気がする。
 この人は本当に聞いてしまったのだ、嫌悪されてしまったのだ。
 だが、それは間違いのようだった。逆に土方が手をのばし、総司の腕を掴んできたのだ。そのまま引きずるように、副長室へ連れ込まれてしまう。
「!」
 我に返ったのは、ぴしゃりと障子を閉められてからだった。
 男の腕の中にきつく抱きすくめられる。髪に、額に、頬に、男の唇が押しあてられた。
 それに呆然としていると、耳もとで低い声が囁いた。
「……さっき、伊東にこうして抱かれていただろう」
「ッ」
 弾かれたように顔をあげた。
 やはり、見られていたのだ。
 目を見開き、桜色の唇を震わせる総司に、土方は唇の端をつりあげた。
「あんな処で抱き合っているんだ、見られて当然だろう。えぇ? おまえもわかっていて、やったんじゃねぇのか」
「……っ」
 必死に首をふった。
 違う、そんなつもりはなかったのだ。
 総司は土方の手をとり、綴った。
「きいたの」
「おまえが気にしているのは、そっちか。何だ、伊東に念弟にでもなってくれと言われたか」
「……っ」
「……図星かよ」
 忌々しげに、ちっと舌打ちした。
 不意に手をのばすと、総司の細い顎を掴み、乱暴に仰向かせた。そのため、つま先立ちになってしまう。
 顔を近づけ、深々とその瞳を覗きこんだ。
「いいか……絶対に許さねぇからな」
「!」
「おまえが伊東のものになるなんざ、絶対に許さねぇ。それぐらいなら、この手で殺してやる」
「……」
 総司の目が見開かれた。


 いったい、何を言われたのはわからなかった。
 土方の言葉とは到底思えなかったのだ。
 確かに、土方は新選組副長として血も涙もない存在だと言われていた。冷酷で容赦無い男をそれこそ蛇蝎のように嫌う隊士たちも多かったのだ。
 だが、総司には別だった。いつも優しく、甘かった。
 どんな事があっても、柔らかく優しい言葉をかけてくれていたのだ。
 なのに、今、彼は何と言ったのか。
 己の意に反するなら、その手で殺すとまで言ったのだ。


 土方は冷たいまなざしを総司にあてた。
「いいか? 覚えておけよ……俺の言葉を」
「……」
「あとで後悔したりしねぇようにな」
 くっくっと喉奥で嗤う男を、総司は呆然と見上げた。
 今までのすべてが壊れていく気がした。 


(この人は、誰……?)


 京にのぼってから、土方は人が変わった。
 気さくで明るかった歳三さんは消えてしまい、冷徹で容赦なく策をめぐらす副長になったのだ。試衛館の仲間に対しても態度は一変した。
 だが、それでも総司に対しては態度を変えることがなかった。いつも優しく接してきてくれたのだ。こんな冷たいまなざしや嘲るような笑みなど、一度としてむけられた事がなかった。 
 なのに、今、土方は冷ややかに総司を見下ろしていた。酷薄な表情が男の中にある本性を垣間見せた気がして、ぞっと背筋が寒くなる。


(土方さんは、新撰組副長なんだ。何よりも大事なのは新撰組、この隊を守るためなら……)


 隊を守るためなら、弟として慈しんできた総司も、容赦なく切り捨てるのだろう。
 否、この場合、利用しようとしているのか。土方が総司を手元に置いておきたい、伊東に渡したくないと思う理由は、利用し甲斐のある駒だという事だった。
 利用価値のある駒であるため、伊東に渡す訳にはいかないのだ。
 どれほど自分を過小評価しようが、総司は今や新選組一番隊組長であり、師範代筆頭だった。名実ともに大幹部なのだ。その総司を伊東に奪われることは、新撰組副長たる土方にとって大きな打撃だった。
 そのため、土方は総司を伊東にだけは奪われる訳にはいかないのだ。
 ましてや、総司は彼に恋してしまっている。


 それに、もしも気づいていたら?
 彼がこの恋に気づいていたら?


 当然、利用しようとしてくるだろう。
 あれほど、たくさんの女性を惹きつけ、遊び、その心をとろかせてきた男だ。遊び慣れ、これほど頭の切れる彼が、総司の幼い恋心に気づかぬはずがなかった。


 そうだ……。
 彼は総司の恋心を知っていたのだ。


 初めての恋ゆえの一途で切ない、総司の恋を。
 もしかすると、冷笑されていたのかもしれなかった。侮蔑されていたかもしれない。
 子供のくせに、同性のくせに、何を勘違いしているのだと。
 それを思った瞬間、心が芯から凍りつく気がした。





「……総司」
 呆然としている総司を、土方は柔らかく抱きすくめた。
 だが、そのぬくもりは伝わらない。
「おまえは俺のものだ」
「……」
「伊東なんざには渡さねぇ。おまえは……俺だけの総司だ」
 そう囁きざま、口づけられた。深く唇を重ねられ、貪られる。
 総司は男の腕の中で、仔兎のように震えるばかりだった。
 悲しみと切なさと屈辱に。
 利用するための口づけ。総司をより男に繋ぐための手段でしかない口づけには、当然、愛などなかった。


(土方さんは、私の恋を知っていたんだ……)


 頬を一粒の涙がこぼれ落ちていった。