新撰組副長としての土方は、冷徹で厳しく、凍える樹氷のような印象だ。
 だが、本来の彼の本質は、氷どころか、激しく燃える焔そのものだった。その気性の激しさは、盟友である近藤もしばしば手を焼くほどだ。
 迸るような激しさは、何よりも彼の魅力だった。それこそ、総司は彼の激しさに惹かれたのだ。
 幼い頃から人に云われるがまま、流されるままだった総司は、幸薄く、だが、それを自覚もないまま生きてきた。そんな総司にとって、土方は常に憧れそのものだった。
 焔のように激しく、苛烈で、どこか子どものように無邪気で脆い。
 そんな男の中にある切ないまでの激しさ、純粋さが、総司の心を激しく揺さぶったのだ。
 彼のためなら命も惜しくないと思った。彼を愛し、見つめ、傍にいつづけられるのなら、何を捨てても構わなかった。だからこそ、京行きにも従い、彼の云うがまま剣をふるい続けた。
 だが、人は欲張りだ。
 もっともっと傍にいたくなる。弟として愛される事では、満足できなくなる。
 総司は、土方を愛することで、己の中にある愚かさ、醜さを、知った。
 恋する故の嫉妬、羨望、嘆きを身をもって知りつづけたのだ。それは、純真で優しい総司の心に暗い影を落とした。


 こんな感情があるなんて、知りたくなかったのに……!


 島原で女を抱く土方を見るたび、一人胸を掻きむしるようにして泣いた。
 苦しくて切なくて、息ができなくなりそうだった。そうして、恋の煉獄に己を追い込んだ女はおろか、誰よりも愛しいはずの土方まで、憎んでしまいそうになる。


(私は、いったい何がしたいの)


 一人帰った屯所の一室で、総司は泣き濡れた目を見開いた。


 土方さんを手にいれたいの?
 あの人に抱いて貰えれば、それでいいの?


 ぎゅっと胸もとを握りしめ、総司は息をつめた。
 褥に横たわり、ぼんやりと天井を見上げる。
 とたん、脳裏に、女の肩を抱くようにして部屋へ引き取る土方の姿がうかんだ。当然のようにしなだれかかっていた女。
 その白い指さきを思い出したとたん、きつく唇を噛みしめた。


(いっそ、他の誰も何もかも、あの人のまわりから消えてしまえばいいのに……!)


 その瞬間、総司は、はっと息を呑んだ。
 我に返り、両手で口許をおおう。
 今まで知らなかった、そんなものがあると思ってもみなかった醜い感情が、己の中で息づいていた。
 そして、それは今や、息づくだけでなく、総司の制御もふりきって叫び出してしまいそうなのだ。
 心底、怖かった。
 自分が、彼が、感情が、何もかもが怖くて怖くてたまらなかった。
「……っ」
 総司は震えながら目を閉じ、眠りに落ちた。


 その翌日、帰営した土方は総司を気づかい、あれこれと優しく話しかけてくれた。
 躯のことも心配し、酒を飲まなかったかとか、躯を冷やさなかったかと、まるで子ども相手のように慈しんでくれる。
 だが、そんな彼の瞳を、総司は見つめ返すことができなかった。激しい罪悪感に、躯中が震える思いだったのだ。


 こんなにも優しい人を、自分は裏切っているのだ。
 弟として慈しみ、愛してくれているのに、なのに、念者として愛されたいなんて。


 衆道など考えたこともない土方が、この事を知れば、どれほど驚き、傷つくだろう。今までの自分の愛情が汚されたように思うかもしれない。
 それを感じとった瞬間、総司は固く胸に誓った。
 決して、彼に知られてはならない。
 何があっても、想いは秘していかなければならないのだ。
 自分を愛してくれる、この優しい人のためにも……。












 食事を終えると、土方はさっさと布団を押し入れから出して敷いた。二部屋に分けて敷き、一つの方で手早く着物を脱ぎ始める。
「おまえもさっさと寝ろ」
 云われ、総司は頷いた。慌てて手前の布団の傍で小袖と袴を脱ぎ、布団の中へもぐり込む。
 この家と同じように布団も贅沢なもので、柔らかだった。
 屯所の布団などより、ずっと心地良い。
 そのため、疲れていた総司は、すぐ眠れるかと思った。
 だが、それはどだい無理な相談だった。何しろ、ずっと恋してきた男が敷居一つ挟んだとはいえ、すぐそこで休んでいるのだ。
 だが、土方は全く意識していないようだった。敷居に襖はいれられていなかったので、彼の気配は感じとれる。
 総司と違い、すぐ眠ったらしく、寝返り一つうたなかった。
 天井を見上げ、ぼんやりと考えた。
 
 
(この人と同じ部屋で休むなんて、いつ以来だろう……)


 むろん、試衛館の時は何度か休んだことがあった。
 歳三さんと呼んでいた頃、宗次郎は彼が泊まりにくるたび、その寝床へ仔猫のようにもぐりこんでは、じゃれついていたのだ。それを歳三は困ったように笑いつつ、迎えいれてくれた。
 布団を宗次郎の細い肩までかけてやり、髪や頬を優しく撫でてくれた。
 そうしながら、様々な話をしてくれるのだ。旅をした事、行商の時にあった出来事、日野の様子などを。
 そして、宗次郎は、その歳三の声を心地よく聞きながら、眠りに入った。
 幸せな幸せな一時だった。


 だが、最後に同じ部屋で休んだのは、それ程遠い日のことではない。
 総司が体調をくずして養生する事になり、隊士たちの行き来に近い部屋よりも、静かな土方の部屋の方が良いだろうと、しばらく同室になったのだ。
 まだ壬生にいた頃だった。山南が脱走する前だ。
 池田屋で吐血した事は、土方も知っていた。労咳であることも、むろん承知している。
 総司は酷く躯が弱ってしまい、度々、寝付くようになっていた。暑さも寒さも厳しい京の地での療養は難しく、江戸へ戻った方が良いことは誰の目にも明らかだった。
 それでも、土方は総司を江戸へ帰そうとはしなかった。何よりも総司が望まなかった事もあるが、土方も決して望まなかったのだ。
 何故、総司を手放さなかったのか。それは今もわからない。だが、総司が、
「江戸へ帰らなくてもいい?」
 そう、おそるおそる問いかけた時、土方は切れの長い目で総司を見た。しばらく黙った後、唇の端を微かにあげてみせた。
「帰れると思っているのか?」
「え……?」
「俺がおまえを江戸へ帰すと、本気で思っているのか」
「お、思っていません…けど」
「なら、それでいいだろう。思ってもいない事を聞くな」
 これで終りだとばかりに云いきった男の態度に、総司は目を見開いた。


 まさか、そんなふうに、江戸へ帰らない事が当然のように云われるとは、思ってもみなかったのだ。
 だが、土方にとって、総司が京に、新撰組に、彼の傍にいつづける事は、当然の事のようだった。それ以外の選択肢があるなど、思ってもいないふうに見えた。


 黙り込んでしまった総司の頭を、土方は軽く、ぽんぽんっと叩いた。それから、くしゃっと髪をかきあげると、総司の躯をそのまま己の胸もとに引き寄せる。
 突然の事にびっくりしている総司の耳もとで、土方は低い声で囁いた。
「何も心配するな」
「……土方、さん……」
「おまえは俺の傍にいればいい。それが自然なんだ、それで全部いいのさ」
 彼の言葉は何を約束してくれた訳でもなかった。
 だが、総司は息をすることが楽になった気がした。あたたかなものが胸奥に広がり、やがて、総司を満たした。
「……うん」
 小さく頷き、男の胸もとに頬を寄せた。凭れかかった総司を、土方も柔らかく抱きしめてくれる。男の腕の中はあたたかで、優しかった。


 江戸へ戻った方が良いのは、わかっていた。
 労咳はうつる病だ。こうして傍にいる事も、本当なら彼のためにならないのに。
 何よりも、今までどおり隊務をとれる自信がなかった。こんな躯では、いざという時に彼の役にたてない。その事がよくよくわかっているだけに、歯がゆくてたまらなかった。
 江戸へ帰るべきなのだ。
 それは、こうして床に伏せている時こそ、強く思ってしまう。
 なのに……。


「余計な事は考えるな」
 部屋に戻ってからも、文机にむかい執務をとっていた土方が、不意に云った。
 驚いて顔をむけると、土方はこちらに背をむけたままだった。手はとまっておらず、何か書き物をしている。
 気のせいかと思って目を閉じかけたとたん、低い声が響いた。
「江戸へは帰さないと云っただろう。おまえは、絶対に必要なんだ」
「必要……?」
 総司は小さく呟いた。しばらく黙ってから、静かな声で聞き返す。
「それは、新撰組にとって、という事ですか。私の存在が士気をあげるから、ですか」
 皮肉げな口調になったのは、無理もなかった。むしろ、拗ねたような声音にならなかっただけいい。
 だが、そんな総司に、土方はくっくっと喉奥で笑った。
「拗ねているのか」
「ッ、拗ねて、なんか……っ」
「子どもみたいだな。まぁ、そういう処も可愛いんだが」
 まだ笑いを含みながら、土方はそう云うと、筆を置いた。立ちあがり、横になっている総司の方へやってくる。慌てて目を閉じた総司の頬に、ひやりとした男の指さきがふれた。
「狸寝入りか」
「……」
「それでもいい。聞けよ」
 土方は一つため息をついてから、話し始めた。
「確かに、おまえの存在は隊の士気をあげる。その若さで剣の腕があり、ましてや、娘のような見目形だ。……怒るなよ」
 無意識のうちに桜色の唇が尖っていた。それに、また笑いながら、土方は言葉をつづけた。
「だがな、俺がおまえを引き留めているのは、そんな理由じゃねぇよ」
「理由じゃない?」
「あぁ、そうだ。おまえを必要としているのは、俺自身だからだ。俺は、総司、おまえがいないとやっていけねぇんだよ」
「……っ」
 まるで、口説かれているような状況に、総司は思わず目を開いてしまった。とたん、どきりと心の臓が跳ね上がる。
 土方は総司の傍らに腰をおろしていた。真剣な表情で、じっと見つめている。
 額に微かに乱れた黒髪、濡れたような黒い瞳。何とも艶のある表情が、総司を息苦しくさせた。ぼうっと見惚れていると、形のよい唇が「総司」と呼んだ。
 僅かに首をかしげるようにして覗き込み、悪戯っぽく笑いかける。
「おまえ、話聞いていたか?」
「……あ……はい」
「何か気がねぇ返事だな。まったく、おまえぐらい捉えどころのない奴はいねぇよ」
 ため息をつく土方を前に、総司は目を瞬いた。
 自分では、とても単純な人間だと思っているのに。総司からすれば、彼の方が余程複雑な性格をしているし、捉えどころがないのだ。
「まぁ、とにかく」
 土方は頬杖をつき、彼にしては珍しく照れているのか、ひどく口早にくり返した。
「俺には、おまえが必要だって事だ」
「土方さん」
「だから、江戸へ帰るな。俺の傍に、ずっといろ」
「……」
 総司は黙ったまま布団に顔をうずめた。
 嬉しさと気恥ずかしさがこみあげ、まともに彼の顔を見ることができなかったのだ。嬉しくて嬉しくて、思わず彼に抱きついてしまいそうだ。
 それを堪えるため、布団に顔をうずめた。
「総司」
 土方の大きな手が、くしゃりと髪を撫でてくれる。それを感じながら、総司はこくりと頷いた


 どこにも行かない。
 あなたの傍に、ずっといさせて。


 言葉にはしなかったけれど、その想いは伝わったようだった。
 その夜、土方は総司のすぐ傍に布団を敷くと、昔のように低い声でさまざまな事を話し、総司を寝かせつけてくれた。優しく、とんとんと布団ごしに叩いてた彼の手の感触を、今もよく覚えている。
 それが二人ともに休んだ最後の記憶となった。
 総司は翌日、床上げをし、隊務についた。
 そして。
 数日後、山南の事件が起きたのだ。












 翌朝、土方は起きるとすぐ身支度をした。
 総司も手早く身支度し、足をひきずりながらも何とか片付けようとする。それらを「無理するな」と取り上げ、片付けてから、土方は云った。
「とりあえず、周囲の様子を見てくる」
「はい」
「ここがどの辺りかわからん事には、動きようがないからな。道に近いなら助かるが、もしそうでないのなら……」
 言葉をきり、唇を噛んだ。


 崖から落ちたこと、その後、夕闇が迫る中、歩きまわったことで、山奥に深く分け入ってしまった可能性があるのだ。
 そうであれば、京へ戻ることは難しかった。何しろ、総司が足を痛めているのだ。いくら土方でも、総司を背負って山を越えることはできない。


「とにかく、おまえはここにいろ。俺が見てくる」
 そう云って、土方は家を出た。
 家自体は山の谷間にあり、四方を高い山に囲まれていた。とは云っても、細い道はあり、うねうねと山をのぼってゆく。それを土方は辿っていった。
 獣道と云ってもおかしくない険しい道だった。これを足を痛めた総司が登るなど、絶対に無理だ。
 中途までのぼった土方は、ちょうど樹木が開けた崖っぷちに辿りつき、周囲を見回した。思わず眉を顰めてしまう。
 山々が連なっていた。日がのぼる方角からして、向こうが東になるのだろう。とすれば、自分の背にあたる方角が京のはずだった。だが、どこにも広い道や人里は見えない。
「完全に迷い込んじまったみたいだな」
 自嘲気味に呟き、懐手をした。
 今はまだいいが、出張中の副長と一番隊組長が帰営しないとなると、新撰組は大騒ぎになるだろう。探索の手も放たれるに違いない。
 こちらから連絡を取ろうにも、こんな山奥にいては文一つ送れないのだ。
 だが、そんな今の状況をどこか楽しんでいる自分を、土方は感じていた。知らず知らずのうちに、低く笑ってしまう。
 まるで、ずっと望んできた願いが叶えられたようだった。


 ───桃源郷。
 地獄のような日々の中で、渇望しつづけてきた願い。
 それは、至上の夢だ。
 見果てぬ夢なのだ。


 ゆっくりと山を下っていきながら、土方は目を伏せた。