前世の事があるからか、総司は何かを望むということが少ない若者だった。
 生きるということ自体への欲望が薄いのだ。
 だが、それでも、昔は、辛いことがあった時、悲しい時、土方の胸もとに抱きつき甘えたり泣いたりすることがあった。なのに、それが一切なくなってしまったのだ。挙句、一線を引いたような態度だ。不安を感じずにはいられなかった。
 ならば、聞けばいいと思う。
 何故、そんな態度なのかと問いただせばよいのではないかと、己でも思うのだ。
 だが、それがどうしても出来なかった。
 怖かったのだ。
 もしも、それが自分自身に起因していることならばと、つい考えてしまう。
 土方は総司に対すると自信がまったくなかった。どんな美しい女でも、ましてや京にのぼってからは島原の太夫でさえ袖にしたこともある男なのだ。いつでも自信満々なのだと思われている事だろう。
 だが、総司に対する時、まるで初恋の少年のようになってしまう。こんな事をして嫌われないか、こんな事をして軽蔑されないか、いつも考えてしまうのだ。自信などまったくなかった。
 総司の前では、自信がなくて迷ってばかりいる不器用な男だ。





 土方は総司の傍にそっと膝まずいた。片膝をつき、その愛らしい顔を覗きこむ。
 長い睫毛がなめらかな頬に翳りを落としていた。少し痩せたように感じる。もともと色白だったが、その肌の白さが透き通るようになっていた。
 まるで、壊れやすい清らかな少女のようだ。
 前世の娘そのままの容姿をもつ総司は、髪をおろしていれば、少女そのものだった。
 否、髪を結わえ、凛々しく黒の隊服を身に纏っていても、美少女が男装しているような危うい艶かしさがあるのだ。そう感じるのは土方だけではないらしく、隊内でも噂になっているらしかった。
 だが、そんな総司が色恋沙汰や醜聞に巻き込まれないのは、傍にいる土方の存在もあっただろうが、総司自身、そのような噂など一切寄せ付けぬ、凛とはりつめた雰囲気を備えているが故でもあった。美しく愛らしい容姿だが、実際、総司は気が強く、仕事にも厳しい、何よりも天才的な剣士なのだ。
「……おまえは俺の宝物だ」
 そう囁き、なめらかな白い頬に口づけを落とした。
 とたん、総司の長い睫毛が震えた。澄んだ瞳が眠そうにしながらも、土方を見上げる。
「……土方…さん……?」
「起こしちまったな……いや、いい、おまえはここで休んでいろ」
 既に身支度を整えた土方を見て、総司は慌てて起き上がろうとした。だが、それを柔らかくおさえる。
「昼ごろ、迎えに来る。おまえは今日は非番だろう、ここでゆっくりしていればいい」
「そんな……贅沢です。私も一緒に屯所へ帰ります」
「俺はこれから黒谷だ。おまえ一人を屯所へ帰す訳にはいかねぇよ」
「だって」
「昨日、無理をさせちまったからな」
 悪戯っぽく笑いながら耳もとで囁いてやると、総司の頬がぱっと桜色に染まった。「もう!」と甘えたように彼を上目遣いに見ながら、腕を叩いてくる。
 それを笑って受けながら、幸せとはこのように小さなものなのかもしれないと、ふと思った。
 もしも、こんな幸せが続くことを総司が望んでいるのなら、この物事に執着しない総司が自分との幸せを望んでくれているのなら、それを叶えてやりたいと心から願った。
 細い指さきに口づけてから、土方は身を起こした。傍にある太刀をつかみ、立ち上がりかける。
「……もう行ってしまうの?」
 と、不安げに見上げる総司が胸が痛くなるぐらい愛おしい。
「あぁ」
「土方さん」
 不意に、総司が手をのばした。それに何を求められているかを知り、土方は半ば身を起こしたその細い体を抱きすくめた。ふっくらとした珊瑚色の唇に深く口づける。
 角度をかえて唇を重ねるたび、腕の中で、総司が微かに震えた。それが可愛らしい。
「行ってくる」
 瞳を見つめて囁くと、小さな声で返された。
「……行ってらっしゃい」
 潤んだ瞳で見つめられ、胸が高鳴った。どこにも行きたくない、このまま愛しい恋人と戯れていたいとまで思ってしまう。
 だが、時刻は迫っていた。それに、仕事や時間を疎かにすることは、総司が許さないだろう。仕方なく土方は総司の身体から手を離した。
 今度こそ立ち上がり、踵を返した。
 部屋を出ていく際にふり返ると、総司は可愛らしい笑顔で見送ってくれた。













 土方との逢瀬は数える程しかなかった。
 だが、それでも総司は幸せだったし、むしろ、その方がよいと思っていた。
 むろん、彼には逢いたい。大好きな彼なのだ。いつも逢いたいし、いつも傍にいたいと願ってしまうことは当然だろう。
 だが、一方で、総司の中の声が囁くのだ。


 本当にいいの……?


 共にいる時が長ければ長いほど、秘密が暴かれてしまう危険性は高かった。他の誰に知られても、土方にだけは知らせたくなかった。あの優しい彼のことだ。自分の病を知った時、我が事のように深く傷つき、苦しむだろう。
 それがわかっているからこそ、決して知らせる訳にはいかなかったのだ。
 ましてや、労咳は不治の病だ。いずれやせ衰えて死んでしまう病なのだ。そんな病に総司が罹ったと知れば、土方は己の責任のように感じてしまうかもしれない。
 彼がいつも、前世からの定めを引きずっていることをわかっていた。己自身が傷つくことも、苦しむことも構わない。
 だが、土方にとって、総司を不幸にしてしまうことだけは耐えられない事なのだ。今生でこそ幸せにと、心から願っているに違いなかった。
 むろん、二人ともわかっている。
 あの頃とは時代が違いすぎるのだ。轟々と音を立てる激流の中にいるようなものだった。そんな中で、小さな幸せなど掴むことが出来るのか。
 何もわからなかったが、それでも、土方が総司の幸せを願っていることは確かだった。


 決して彼には知らせたくない。


 どれ程、辛くても苦しくても、この事は己の中に秘めていくべきなのだ。
 ましてや、今、土方は闘いの中にあった。
 斬り合いではない、隊の内部闘争だ。西本願寺への屯所移転話が持ち上がっていた。どのみち、今の壬生の屯所では増えすぎた隊士に対処できなかった。西本願寺への移転は土方が言い出したことらしいが、それに対して、総長の山南が猛反対したのだ。
 最近、山南は塞ぎこむようになっていた。新選組の方向性に迷いを覚えているのだと、総司は知っていた。土方と仲の良い総司には言いづらそうだったが、土方のやり方に眉を顰めているようだった。
 幹部たちの前で、土方と山南の口論になった。総司は土方の傍らに座ったまま、黙って見ていたが、山南に加勢するだろうと思われた伊東は無言のままだった。腕を組み、黙ったまま視線を落としている。
 その様子を訝しく思った。
 山南と伊東は同じ北辰一刀流だ、二人の間で意思はまとめられていると思っていたのだが、違ったのだろうか。
 打ち合わせが土方と山南の口論に終始してしまったため、近藤が仕方なく「話はまた後日」と引き取った。
 土方が近藤と話をしているのを見ながら、総司は打ち合わせがあった広間を出た。
 たまたま、前を見れば、廊下を伊東が歩み去っていくところだった。その後姿を見ると、思わず「兄上」と呼びかけたくなる。
 それを抑え、総司は駆け寄った。
「伊東先生……」
「……」
 振り向いた伊東は、そこにいる総司に驚いた様子だった。一瞬、複雑な表情がその秀麗な顔を横切る。
 だが、それは本当に一瞬のことだった。すぐさま穏やかな表情になると、総司の方へ向き直った。
「何でしょう」
 他人行儀な言葉遣いと余所余所しさに、やはり、この人は兄上ではないと思いながら、総司は訊ねた。
「伊東先生は、西本願寺への屯所移転に反対ではないのですか?」
「反対?」
 微かに眉をあげた。
 伊東は少し黙ってから、探るように総司を見た。
「なぜ、そのようなことを私に?」
「反対されているのだと……勝手に思い込んでいましたので」
「少なくとも反対ではありませんよ」
 あっさりと伊東は答えた。
「私が土方君でも同じ選択をしたでしょうね。西本願寺への移転。良い選択だと思います」
「そう…ですか」
「きみは?」
 かるく小首をかしげた。
「沖田君、きみは反対なのですか?」
「私は……賛成でも反対でもありません。何故、副長がそう判断されたのか、わからないので」
「わからないのなら、聞けばいい。きみも一番隊を預かる身だ。知っておくべきことです。聞いてごらんなさい、他の誰に答えなくても、土方君はきみが相手なら答えてくれるでしょう」
「え」
 何かを揶揄されているのかと思ったが、伊東はそれきり総司に話をする気が失せたようだった。すっと背を向け、歩み去っていってしまう。
 素っ気ないほどの態度だった。
 それをぼんやり見送っていると、後ろから声をかけられた。ふり返れば、土方がこちらへ歩みよってくる処だった。
 傍まで来たとたん、強い力で腕を掴まれた。ぐっと引き寄せられ、彼の胸もとへ倒れ込みそうになる。
「……っ」
 慌てて体勢を整えながら見上げると、剣呑な色を湛えた黒い瞳が鋭く見下ろしていた。
 感情を殺した声で問いかけられた。
「何を話していた」
「え」
「伊東とどんな話をしていたんだ」
「どんなって、あの………」
「それとも、俺には言えねぇことか」
「違う、違います」
 慌てて総司は否定した。何を誤解されているかわからないが、土方を怒らせたくなかったのだ。
「西本願寺のことについて、話をしていたのです。伊東先生の態度が解せなかったので」
「おまえから話しかけたのか」
「えぇ」
「それは、例のことを確かめるためか」
 低い声で問いかけられ、一瞬、躊躇ったが、頷いた。


 隠していても仕方がないことなのだ。
 土方は伊東が兄だと断言したが、総司はまだ信じられなかった。
 どこか認めることが怖かったのかもしれない。


 黙りこんでいると、不意に、土方が傍らの小部屋の障子を開いた。え? と見上げたとたん、中へ連れ込まれる。
 後ろ手に障子を閉めた土方は、問いかけようとする総司の唇を片手で塞いだ。目で黙っていろと命じる。
 それに慌てて頷いた。二人息をひそめていると、廊下を隊士たちが通っていく気配がした。
 確かに、あんな処でする話ではなかったし、あまり親密な様を見せると要らぬ噂話がたってしまう可能性もあった。
 秘められた関係である以上、二人言葉を交わす時も気をつけなければいけないのだ。
 それやこれやを考え、総司はつい俯いてしまった。そんな総司を見ながら、土方は片手で煩わしげに黒髪をかきあげた。
「それで?」
「え」
 突然、問いかけられて驚く。小首をかしげる総司に、苦笑した。
「言葉をかわしてみて、わかったのかよ、あいつが兄なのかどうか」
「……わかりませんでした。いえ、たぶん、違うのだと思います。兄上なら、あんな他人行儀な態度をとるはずがないし」
「成る程」
 そう呟いてから、土方はかるく両腕を広げてみせた。不思議そうに見つめていると、ちょっとぶっきらぼうな調子で言われる。
「来いよ」
「……だって、ここは……」
「誰も来やしねぇよ。少しの間なら大丈夫さ」
 優しく笑いかけられ、総司がその誘惑に勝てるはずもなかった。広い胸におずおずと身を寄せれば、柔らかく抱きすくめられる。
 男の胸に頬を寄せると、鼓動が聞こえた。
 それが愛しくて、うっとりと目を閉じてしまう。身を寄せれば、より強く抱きしめられた。
 いつの間にか、指さきで彼の胸もとに縋りついていたのだろう。耳もとで、土方がくすっと笑った。
「可愛いな……」
 髪に、首筋に、耳もとに口づけられる。最後に耳朶を甘咬みしてから、土方は悪戯っぽい表情で瞳を覗きこんだ。
 喉奥で低く笑う。
「おまえ、顔が真っ赤だぞ」
「だって……っ」
「これぐらいで赤くなってどうするんだ。もっと凄い事だってしちまっている仲だろうが」
「な、何を言っているんですか」
 尚更、頬が熱くなるのを感じた。かぁっと耳朶まで赤くなってしまう。
 そんな総司に、くっくっと喉を鳴らしながら、土方は腕の中の華奢な体を優しく抱きしめた。そうして、さり気ない調子で言った。
「なぁ……もうやめちまえよ」
「え?」
「伊東のことを探ることだ」
「……」
 見上げると、土方は深く澄んだ黒い瞳で見つめ返してきた。一瞬だが、その瞳に暗い翳りがよぎる。
「土方…さん……?」
「伊東がおまえの兄ではないと思うのなら、話しかける必要もねぇだろう。あの男には二度と近づくな」
「……」
「理由は今は言うことが出来ない。だが、俺自身の気持ちからも、伊東に近づいてほしくない。出来ることなら、言葉も交わしてほしくない程だ」
「どうして? 土方さんの気持ちって……」
「俺が妬くからさ」
 あっさりと答えた土方に、目を見開いた。
 驚いた顔で彼を見上げる総司に、土方は肩をすくめた。
「何を驚いているんだ。当然のことだろうが」
「だって……土方さんが妬くなんて、そんなの思ってもみなかったから」
「は? おまえ、俺を何だと思っているんだ」
「な、何って……」
 一気に不機嫌そうな表情になってしまった土方に、思わず怯んだ。反射的に身を引いてしまう。
 それに気づいたのだろう、微かに嘆息した。彼の腕の中にいる小柄な体を強引に引き寄せ、瞳を覗きこむ。
「俺はおまえの男だ」
 なめらかな低い声で囁きかけた。
「おまえの恋人、念兄だ。そうである以上、俺が妬くのは当然の事じゃねぇのか」
「……っ」
 総司の頬は紅潮した。潤んだ瞳で土方を見上げていたが、やがて、長い睫毛を伏せて恥ずかしそうに、こくりと頷いた。そのまま男の胸もとへ顔をうずめてしまう仕草が愛らしい。
 いじらしさが込み上げた。
 この場で、細い体を押し倒し、男の欲望のまま抱いてしまいたいぐらいだ。
 ずくりと疼きが走ったが、それを堪えた。
 代わりに項を掴んで仰向かせ、深く唇を重ねた。
「…っ、ふ…ぅ、ん……っ」
 男の腕の中、総司の体が震える。それさえも男を刺激すると知らないのか。
 土方は小さな舌を舐めあげ、絡めた。さんざん貪るように口づけてから、離してやる。総司の唇から、「はぁ」という吐息がもれた。それがひどく色っぽい。
 長い睫毛を瞬かせて見上げてくる総司に、苦笑した。耳朶を噛むようにして、警告してやる。
「そんな目で俺を見るな、ここで抱いちまうぞ」
「っ!」
 慌てたように、総司が土方の腕から逃れようとした。それに、くっくっと喉奥で笑う。
 本当に、この恋人は素直で可愛らしい。


 いつもこんなふうに甘やかしてやりたかった。
 傍にいて可愛がり、大切に愛してやりたい。
 あの頃できなかった分だけ、幸せにしてやりたいのだ。


 秘めなければならない関係が歯がゆかった。
 前世のように総司が女であるのなら何の障害もなかっただろう。今度こそ、妻として大切に愛してゆくことが出来たに違いない。
 だが、総司は今生で男として生まれたのだ。それが何を意味しているのかは、わからない。
 一度は、自分たちを結ばせないためかと思ったが、惹かれ合う気持ちは止めることが出来なかった。
「……総司、おまえを愛しているよ」
 そう囁いた土方に、総司は一瞬、目を見開いた。
 だが、すぐに目元を染めつつも小さく頷く。再び、身を寄せながら、答える。
「私もです……私も愛しています」
 抱きしめてくれる男のぬくもりが愛おしい。
 総司にとって、今、この瞬間こそが何よりも幸せだった。





 ───すぐそこにある闇を知らぬままに。