どうすればいいのか、もうわからなかった。
愛する土方に逆らいたい訳ではない。どんな事であれ、彼が望むことなら叶えたいと思うし、従いたいと思うのだ。
だが、何かが自分を引き止めていた。芹沢の言葉が胸奥に重くのしかかっていることは確かだった。
どうしても、芹沢を斬る気になれないのだ。
それも、正々堂々と立ち会うのならともかく、闇討ちだ。総司の中の何かがそれを激しく拒んでいた。
一方ではわかっている。今の新選組はこのままでは壊れてしまう。
芹沢たちがいる限り、新選組は己の中に火種を抱えているようなものだった。
確かに、芹沢は一角の人物だ。凡人にはないものを持っている。だが、それが新選組には不要のものだった。土方が思い描いている新選組とは、まったく相容れないのだ。
だからこそ、斬らなければならない。
それに、闇討ちにする理由も、本当は総司にもわかっていた。
芹沢を近藤派が表立って始末することなど、出来るはずもなかった。一気に隊が割れて内紛が起こってしまうだろう。
先ほど、近藤からも聞かされたが、会津藩からも内密に始末せよと命じられているとのことだった。もはや、己の気持ちなど関係のないことになってきているのだ。
総司は近藤の部屋を辞した。
廊下を歩きながら、深くため息をついた。とたん、傍らから声をかけられる。
「憂い顔だな」
驚いてふり返ると、斉藤が佇んでいた。巡察から帰ってきたところなのか、鉢巻を外している。
「お疲れ様です」
頭を下げると、斉藤はかるく肩をすくめた。
「別に何も疲れていないよ。ただ、町中を歩いていただけだ」
「でも、何もない方がいいじゃないですか」
「そうかな」
苦笑した斉藤は自室へ向かうため、歩き出した。それに従って歩きながら、総司は長い睫毛を伏せた。
斉藤と会った時は明るい表情になっていたが、すぐさま思いが蘇ってきたのだろう、憂い顔になっていた。
それをちらりと見やった斉藤は黙ったまま、部屋へ入った。着替えをしながら、問いかける。
「例のことが納得できないのか?」
「え」
総司は驚いて顔をあげた。ちょっと躊躇ってから、訊ねる。
「あの、斉藤さんも……知っているのですか?」
「知っているよ」
斉藤はあっさりと答えた。鳶色の瞳が少し色を深める。
総司を見下ろした。
「何もかも全部……知っている」
どこか意味ありげな声音に、総司は目を見開いた。
「知っているって……何をですか」
短い沈黙の後、総司は問いかけた。
それに、着替えを終えた斉藤は静かに障子を閉めた。その際、周囲に目を配ることを忘れない。
部屋の中へ戻ると、斉藤は腰をおろした。まだ立ったままだった総司に、座るよう促す。
そして、言った。
「言葉どおりさ、何もかも全部だよ」
「だから」
「おまえが悩んでいるのは、芹沢局長のことだろう」
ずばり指摘され、総司は斉藤も既にこの企てについて知っているのだと悟った。もしかすると、土方から総司を説得するよう言われたかもしれないと思った。そのため、口早に言ってしまう。
「私は何度言われても反対なのです。出来ないのです。どうしても……自分自身の気持ちが許せない」
「それは、土方さんも同じだと思うけどな」
「え?」
目を瞬いた総司の前で、斉藤は苦笑した。
「ほら、あの人ってとんでもなく矜持が高いだろう? なのに、そんな闇討ちなんてこと、あの人自身が一番嫌だと思っているはずだ。堂々と立ち会って、あの男を倒したいと思っているのは土方さん自身じゃないか」
「……」
息を呑んだ。
思ってもいないことだったのだ。だが、考えてみれば、斉藤の言葉どおりだった。
土方は他の誰よりも矜持が高い男だ。しかも、芹沢はあの前世の男だった。ならば、正々堂々と立ち会って、あの時の仇をとってやりたいと思うことは当然の事だろう。
「でも、じゃあ……どうして」
それでも、総司は聞かずにはいられなかった。
「どうして、闇討ちなんかしようとするのです。正々堂々と戦えばいいじゃないですか」
「それが出来ないからだろう? 会津藩からも内密に始末するよう言われているし、表沙汰に出来る事じゃない。仕方なく決断したのだと思うけどな」
「……」
総司は思わず俯いてしまった。
本来なら、自分が誰よりも彼の気持ちに寄り添わなくてはいけないのに。彼の気持ちをわかってあげなければいけないのに。
なのに、斉藤の方がずっとわかっているのだ。
彼の気持ちを考えもせず、勝手に決めつけて、自分の気持ちだけを言い立てていた。己の幼さが情けなくなった。
(私はいつだってそうだ……)
土方の気持ちも、芹沢の気持ちも、考えようとしなかったのだ。
こうなのだろうと、男の考えを気持ちを決めつけて、訊ねようともしなかった。言葉にしなければ、わかるはずもないのに。口にしなくてもわかるなんて、そんなことあるはずがないのに。
黙りこんでしまった総司を、斉藤は痛ましげに眺めた。しばらく黙っていたが、静かな声でつづける。
「それに……まぁ、土方さんにすれば、今度こそ、何が何でもあの男を倒したいという気持ちもあるだろうしな。おまえを守るためにも」
「え?」
意味がわからず、斉藤の顔を見上げた。
「私を……守るため?」
「前に守りきれなかったからこそ、あの人の悔いは大きい。仕方がない事だろう」
「……」
総司の目が見開かれた。呆然として、斉藤を見つめてしまう。
しばらく何も言うことが出来なかった。
いったい、斉藤は何を言っているのか。
もしもそれが前世のことを示唆しているのなら、土方から話を聞いたという事なのか。
何と言ったらわからず黙りこんでいると、斉藤は苦笑した。
「そんな顔でおれを見るなよ。土方さんは結構あっさり受け入れてくれたけどな」
「どう…いうこと……」
「あの人の親友で、おまえの幼なじみだった男がいただろう。あの人とは年も離れていたが、おれはあの人と仲が良かったし、いずれあの人を支えていくことになるだろうと思っていた……」
たいした話ではないように言う斉藤に、総司は目を見開いた。
ある男の姿が脳裏に浮かんだ。
彼の年下の親友だった。
年は離れていたが、心を許し合っているのは誰もが知っていた。背中を預けられる存在だと、彼も深い信頼を寄せていたのだ。
そして、自分の幼なじみでもあった若者。いつも静かに、ひっそりと傍に寄り添ってくれていた。
あの時もそうだった。
悪夢のような婚礼までの日々、一人泣く自分に寄り添ってくれたのだ。そして、婚礼の前夜、彼との逢瀬を手引してくれた。
そうなのだ。あの時、彼が自分の元へ来ることが出来たのは、すべて、その友のおかげだった。
感謝していた。彼とふたり逃亡する中、文さえ通わすことが出来ぬ状態だったが。
彼を殺され、連れ戻されてからも逢うことは出来なかったけれど。
「……斎藤、さん」
一つの光景が思い出された。
まだ穏やかな日々が続いていた頃。
三人で庭の桜で花見をしたことがあった。その時、朝から一生懸命つくった料理を出した。
少し気恥ずかしさもあったが、重箱を開けると、彼とその友は喜んでくれた。美味いと言ってくれた。
楽しく賑やかに過ぎていった春の一時。
ひらひらと舞っていた桜の花びら。
縁側に腰掛け、楽しげに笑っていた二人。その傍で幸せをかみしめていた私。
こんな優しい日々がいつまでも続くのだと、信じて疑わなかった……。
ぽろぽろと涙がこぼれた。
あたたかいものが胸いっぱいに込み上げ、その衝動のまま斉藤に抱きついてしまう。
斉藤は驚いたようだが、そんなこと構わなかった。嬉しくて懐かしくて、たまらなくなってしまったのだ。
「おい、総司」
困ったように、斉藤は総司の顔を覗こんだ。
「おまえ、泣いているのか」
「だって……っ」
「何で泣くんだよ。ここって泣くとこかな」
「嬉し…泣きです」
涙まじりの声で、総司は答えた。瞳に涙をいっぱいにためたまま、笑いかける。
そのあどけなく可愛らしい笑顔に、斉藤が息を呑んでいることには気づかず、言葉をつづけた。
「とても嬉しいのです。私……あなたに逢えて、本当に嬉しいです」
「おれも嬉しいよ、おまえにまた逢えて」
「でも、いつ? いつから、私たちに気づいていたのです?」
「そりゃわかるだろう」
斉藤は苦笑した。
「おまえも土方さんも、全然変わっていないんだからな。初めて逢った時はびっくりしたよ。ここまで同じで生まれ変わるかなって」
「斉藤さんは変わりましたね、雰囲気は同じだけど」
「そうかな」
ちょっと照れたように笑ってから、斉藤は総司の身体を引き離した。不思議そうに見上げる総司に苦笑する。
「あの人に怒られるだろう? 昔から嫉妬深いし、独占欲強いし」
「私、そうは思っていなかったけど……最近はそうなのかなと思ったりしています」
「最近って、昔からそうだよ。けど、そう思うようになったのは、あの男のせいなのか?」
「はい」
頷いた総司に、斉藤はため息をついた。
「土方さんにとって、あの男のことは別だからな。おまえが反対するだけで腹がたって仕方ないだろう」
「それはわかっています……あの人は十の頃から前世のことを覚えていたそうです。殺される夢を見たのだと言っていました」
「十の頃からか」
斎藤は思わず眉を顰めた。
「それはきついな」
「私もそう思います。私は……あの人を殺されてから、自分で命を絶ちましたけど、でも、あの人は殺された。それもあんな酷い殺され方だった……矜持の高い土方さんにとって、怒りや憎悪だけでなく、屈辱もあるのだと思います」
総司は斉藤を見上げた。しばらく躊躇っていると、小首をかしげるようにして訊ねかけられる。
「どうした。何か聞きたいことがあるのだろう?」
「えぇ……気になることがあるのです」
「何だ?」
「前世でのことですが、構いませんか」
「おれに答えられることなら」
頷いた斎藤に、ちょっと安堵の吐息をもらしてから、総司は訊ねた。
「教えてもらいたいのです」
「何を」
「私が死んだ後、あの男はどうなったのかを。他の誰かを娶って、主席家老になったのですか?」
それに、しばらくの間、斎藤は黙っていた。だが、やがて、ゆっくりと首をふった。
「いや、死んだよ」
「え?」
目を見開いた。
「死ん…だ……?」
思わず呟いた総司に、斉藤は微かな笑みをうかべた。鳶色の瞳が深い翳りを湛える。
そして、ゆっくりと答えたのだった。
「おまえが自害してすぐ、おれがこの手で討った」
日々が過ぎていった。
気がつけば夏は終わり、秋の気配が近づいてきている。
日を追うごとに木の葉が色づいてくるのを感じた。初めて迎える京の秋だ。
だが、新選組の中は季節の移り変わりを感じるような余裕など、どこにもなかった。
新見が切腹をしたのだ。隊規違反を咎められ、覚悟しての切腹だったとの話だったが、それが偽りであることは明らかだった。奇妙な緊迫感を孕んだまま、季節は移り変わろうとしている。
そんなある日のことだった、総司が再び土方に呼び出されたのは。
直接呼び出された訳ではなかった。自室に文が置かれてあったのだ。前に行った店に来て欲しいという事だった。
総司はその文を見て、一瞬、躊躇った。
あれから、土方とは言葉も交わしていない。
むろん、公務では話をすることもあったが、私的な会話はまったくと言ってよいほどなかったのだ。京に来てから、土方が意識して総司と距離を置くようにしていたので、さして変わった訳ではなかった。
だが、会話どころか、視線さえ向けてこない彼に、総司は激しい不安を感じていた。
あの時、土方は言ったのだ。
勝手にしろ、と。
突き放す言葉だった。
矜持の高い土方が折れて謝り、仲直りしようとしてくれたのに、それを結局のところ、自分は撥ね付けてしまったのだ。許されることではないと思った。
打ち合わせの時、懸命に彼の視線を求めようとした。こちらを見て欲しいと思ったのだ。
だが、土方は一度として総司を見てくれることはなかった。仕事についての言葉さえ、書類に視線を落としたまま伝えられるのみだった。そのたびに、総司は打ちのめされた。
完全に呆れられてしまったのだ。こんな幼いばかりの自分に、嫌気がさしてしまったのだろう。
思えば、最初から無理がありすぎる恋だった。いくら前世の繋がりがあるとはいえ、大人の男である彼と自分ではつり合いが取れない。
ましてや、今生で自分は娘ではないのだ。彼に似合うのは、美しく艶やかな大人の女性だろう。自分のような痩せっぽっちで剣術しか取り柄のない子供ではない。
泣きそうな思いで総司は土方の隣を離れる他なかった。
打ち合わせが終わっても、前のようにそっと声をかけてくれたり、優しく笑いかけたりしてくれることはない。それどころか、まるで完全に無視されてしまっているのだから。
むろん、それは総司の思い違いだった。潤んだ瞳で土方を見てから背を向け、悄然と部屋を出ていく総司を、土方もまた目で追っていたのだ。苦しげな、切ない表情で。
だが、そんなこと、総司が知るはずもない。完全に土方に呆れられた、切り捨てられたのだと思い込んでいたのだ。
そこへ突然、届けられた文だった。
(もしかして……別れ話、なのかな……)
総司は文を手にしたまま、ぼんやりとそんな事を考えた。
次で第二部最終話です。