別れ話なのだろうか。
 そうであっても仕方がなかった。
 むしろ、今まで別れを切りだされないほうがおかしかったのだ。このまま無視をされ、自然と切り捨てられていくのかと思っていたが、土方は、はっきりとけじめをつける事にしたのかもしれない。


(みっともない処は見せないようにしよう……)


 総司は文を手にしたまま、きつく唇を噛みしめた。
 本当に別れを切りだされても、泣いて縋ったりはしたくなかった。
 最後ぐらい、子供じみた振る舞いをしないようにしたかったのだ。












 店に向かうと、土方は先に来ているようだった。
 通された部屋は前とは違い、離れの部屋だ。庭の中に突き出すようにしてつくられた部屋は二間続きで、美しく設えられてある。
 仲居に案内されて部屋に入ると、土方は縁側に座っていた。総司が入ってきたのに気づくと、ふり返る。
 彼は黒い麻の着物をさらりと着流していた。それが粋で大人の男の色香を感じさせる。
 結い上げられた艶やかな黒髪、切れの長い目、きりっと引き締まった口元、頬から顎の鋭い線に至るまで、これほど端正な男もいないだろう。冷たく整った顔だちながら、どこか艶があるところも彼が人を惹きつける要因だ。
 久しぶりに、その黒曜石のような瞳にまっすぐ見つめられ、胸の鼓動が早くなるのを感じた。
 だが、強いて平気なふりで、土方の傍へ歩み寄る。
 そのままどうしようかと躊躇っていると、土方がぶっきらぼうな調子で言った。
「座れよ」
「……はい」
 こくりと頷き、腰をおろした。彼の傍で端座し、視線を落とす。
 しばらくの間、沈黙が落ちた。土方は言葉を口にすることを躊躇っているようだった。
 その様子に堪らなくなった。ずっと待っている事が出来なかったのだ。
 総司は顔をあげると、まっすぐ土方を見つめた。
 そして、言った。
「別れ話ですか」
「……」
 土方が微かに眉を顰めた。苛立ちを含んだ黒い瞳が総司にむけられる。
「別れ話?」
「そうです。私と別れようと思って、それで、ここに呼び出しをしたのでしょう? わかっています。最初から無理なつきあいだったのです。大人の土方さんに、こんな子供の私が似合うはずもなかったし、それに」
「総司」
 土方が低い声で、総司の名を呼んだ。感情を押し殺した、だが、明らかに怒りを抑えている声音だった。
「おまえは、いったい何を言っているんだ」
「何って、だから、私は別れ話を……」
「俺とおまえの別れ話か? は! ふざけた事をぬかすんじゃねぇよッ」
 不意に、土方が声を荒げた。
 まるで江戸の頃のような乱暴な口調だった。
 手をのばし、総司の細い肩を乱暴に掴んだ。怒りを湛えた黒い瞳が、怯えたように身を竦める若者を見据える。
「俺がおまえと別れると、本気で思っているのか? そんな事ありえるはずがねぇだろう。俺はおまえを絶対に手放さねぇよ、どんな事があっても離すものか」
「土方さ…ん…」
「おまえを愛している、おまえだけが好きだ。おまえしか欲しくねぇ。そんな俺がおまえを手放すはずがねぇだろう。あぁ、おまえが別れたいって言っても逃さねぇよ。もしも、おまえがこんな俺を嫌って逃げるなら、地の果てまで追いかけてやる」
 荒々しい口調で言い切った土方を、総司は呆然と見つめていた。
 ここに呼び出された理由は、別れ話ではなかったのだ。
 それどころか、彼は今、自分が思っていた以上の愛情を教えてくれたのだ。
 愛しているのだと。
 逃げたら追いかけてくれるぐらい、愛しているのだと。
「……っ」
 気がつけば、涙がこぼれていた。大粒の涙が瞳にあふれ、ぽろぽろとこぼれ落ちていく。
 必死にこらえようとしたが、駄目だった。どうしても泣いてしまうのだ。
 それに、土方は眉を顰めた。ぽろぽろと涙をこぼす総司に、傷ついた表情になる。
「……そんなに嫌か」
 低く呟いた。
「俺のことがそんなに嫌なのか。愛していると言っても手遅れなぐらい、嫌になっちまったのか」
「そうじゃない……そうじゃないの!」
 総司は思わず大声で叫んだ。部屋に響いた自分の声にびっくりして、頬が熱くなる。
 見ると、土方も驚いたように総司を見下ろしていた。恥ずかしくてたまらなくなったが、それでも、必死に言葉をつづけた。
「う、嬉しかったから……あなたに愛されているってわかって、嬉しかったら」
「総司……」
「別れ話をされると思っていたから、ずっとあなたに無視されて、怖くて悲しくてたまらなくて……だから、今日、文が来た時、絶対にそうだと思ったのです。でも、あなたは私と別れるつもりなんてなかった……それが嬉しくて、泣いてしまったの……」
「……」
 総司の言葉を聞いて、土方はちょっと困ったような顔になった。
 それを不思議に思って見上げると、突然、引き寄せられた。ぎゅっと抱きしめられる。
 男の声を、あたたかい腕の中で聞いた。
「すげぇ……可愛い」
「土方さん……」
「おまえが可愛くて可愛くてたまらねぇよ。あぁ、何ておまえは可愛いんだろうな」
「か、可愛くなんか……」
「かわいいよ。おまえはこの世の誰よりも可愛くて、きれいな花だ」
 そう囁いた土方は、総司の頬を手のひらでつつみこんだ。そっと顔を寄せ、唇を重ねる。
 久しぶりの口づけに、総司の身体がびくりと震えた。だが、すぐに、甘く優しい接吻に力が抜ける。
 男の広い胸もとに身を寄せた。
 夢のような心地に陶然となってしまう。
 ただ、そうしながらも、総司は思わずにはいられなかった。


 ここへの呼び出しが別れ話ゆえではないのなら、話はひとつしか考えられないのだ。


 少しの間、黙ったまま彼の腕に抱かれていたが、やがて、小さな声で言った。
「……ここへ呼んだ理由」
「え?」
 総司の髪を撫でながら、頬に、耳もとに口づけていた土方は、訝しげに聞き返した。
「何だ」
「ここへ私を呼んだ……理由です」
 総司は目を伏せながら、ゆっくりとつづけた。
「芹沢局長のこと、ですよね。この間から、土方さんが言っていた……」
「……」
 自分の身体を抱いている土方の腕が強張ったのを感じた。おずおずと見あげれば、土方も複雑な表情で見下ろす。
 彼の黒い瞳には、躊躇いと不安の色があった。
 そのことに、総司は不思議なほどの安堵感を覚えた。


(この人も、私みたいに迷ったり悩んだりしているんだ……)


 年上の彼だった。
 自分からすれば、いつも大人で完璧で、何一つ迷うことないように見えていたのだ。悩んだり迷ったりしているのは、自分ばかりなのかと落ち込んでしまうことも度々あった。
 だが、違ったのだ。
 彼もまた若い男であり、悩んだり迷ったりしながら、道を選びとってきたのだ。
 後悔をする事もあっただろう、間違ってしまった事もあっただろう。
 だが、それを彼は自分に見せようとしなかった。総司を不安にさせないためか、いつも端然としていたのだ。


 総司はそっと両手をのばした。驚いたように目を見開く土方の肩に手をかけ、自分から唇を重ねる。
 しばらく甘いついばむような口づけをしてから、間近で彼の黒い瞳を見つめた。
 きっぱりと言い切った。
「芹沢局長は私が斬ります」
「……総司」
「私なりのけじめの付け方です。あなたの仇は私が討つ」
 凛とした表情で告げる総司に、しばらくの間、土方は黙っていた。やがて、僅かに嘆息した。
 華奢な身体を膝上に抱きなおしながら、低い声で呟く。
「闇討ちであっても、相手は芹沢だ。そう簡単にはいかねぇぞ」
「承知の上です。それでも、私はあの男を倒したい、あなたの仇を討ちたいのです」
「何故、急に気持ちを変えた」
 土方は切れの長い目で、まっすぐ総司を見据えた。端正な顔が引き締まり、冷徹な副長の表情になっている。
 だが、その鋭いまなざしを受けながらも、総司は怯まなかった。
「あなたも私と同じ気持ちだとわかったから」
「おまえと同じ気持ちか」
「私は前世で、あなたの恋人でした。一緒に逃げて愛しあって……私とあなたは心も一つにしていたはずです。でも、今は違う。あなたはあなたで、私は私です。それは、同じ性として生まれたからかもしれません。ただ、私はそのことを拒絶したりしません。これでいいのだと思っているのです。あなたと私と、それぞれ違うからこそ……こんなふうに、同じ気持ちだと知った時、とてもあなたを身近に感じることが出来る」  
 総司は澄んだ瞳で、土方を見つめた。
「あなたを……私の中に感じることができるから」
「総司……」
「幸せな気持ちになれるのです。いつも逢うことが出来なくても、恋人として過ごす事が出来なくても……ふれあうことさえ許されなくても、それでも、私はあなたを愛している。土方さん、あなただけを愛しているのです」
 そう告げた総司は、ふと、息を吐いた。
 言いたいと思っていたこと、自分の土方への強い強い想い。
 それを告げることが出来た安堵感が込み上げたのだ。
 目を閉じる総司の身体が、優しく抱きすくめられた。逞しい男の腕の中に閉じ込められる。
 土方は何も言わなかった。ただ、彼のぬくもりだけを感じる。
 今は、それだけで十分だった。
「……土方さん……」
 彼の名を呼んで、総司は土方の背にそっと手をまわした。













 決行は夜だった。
 その日、宴が島原で行われた。大騒ぎする隊士たちをよそに、総司はそっと抜け出した。
 雨が降っていた。芹沢たちは既に屯所へ戻っているに違いなかった。
 大門を出たところで、土方が待っていた。すっと現れた彼に総司は驚かなかった。
「……」
 黙ったまま見返すと、軽く頷かれた。だが、すぐに黒い瞳で覗き込まれる。
 暗い翳りのある瞳だった。
 このまなざしを見たことがあると思った。


(そうだ、あの夜だ……)


 彼が殺された夜だった。
 自分を残し、斬りこんでいった彼。そして、自分の目の前で無残に殺された。
 あの時、ふり返って自分を見つめた男の瞳だった。熱を帯びたような、だが、暗い翳りのある瞳。
 決意を秘めている故なのか、今夜の土方は不思議なぐらい、あの夜の彼を思い起こさせた。
「……土方さん」
 並んで屯所への道を辿りながら、総司は言った。傘を雨の音が打つ。
「約束して下さい」
「何を」
「あの時のように私を残していかないと」
「……」
 土方は黙ったまま、総司を一瞥した。それから、視線を前へ戻すと、低い声で答えた。
「当然だ」
「……」
「俺は二度と、おまえを残していかない」
「……」
 総司は横を歩く男の端正な横顔を見上げた。
 雨が煙るように降りしきる中、愛しい彼が傍にいてくれる。共に歩いてくれる。


 今、彼は約束してくれた。
 二度と、私を残していかないと。
 だが、それは果たされぬ約束なのだとわかっていた。
 彼も私も。
 どんなに愛していても、愛されていても、引き離される日は必ず訪れる。
 それが私たちの定めだった。
 決して果たされぬ約束。
 指と指を絡め、互いだけを抱きしめあって地獄へ堕ちてゆく。そんな覚悟さえあるのに、許されない。
 私たちが共にいられる時は、これほど短いのだ。
 瞬く間に過ぎ去ってしまう時。
 だが、ならば、それだけ愛すればいい。己のすべてで、愛して愛して愛して、愛しぬけばいい。
 魂にまで刻みこむように。
 愛すればいいのだ。


「……総司」
 屯所が煙る雨の向こうに遠く見えてきた頃、土方が呼びかけた。
 それに顔をあげると、彼はこちらを見ていなかった。視線は雨の向こうにある。
 静かな声で、告げられた。
「この事が終わったら、俺はおまえを抱く」
「……」
 総司は黙ったまま、こくりと頷いた。声にはしなかったが、その気配が伝わったのか、土方が足をとめた。
 ゆっくりと振り向き、こちらを見下ろす。


 やはり、彼は、あの瞳をしていた。


 一瞬、熱いぐらい視線を絡めた。そこが戸外でなければ、このまま抱かれていたかもしれない。
 激しい衝動と情欲を、総司は男から感じた。それが事を起こす故の昂ぶりなのか、互いの表情ゆえなのか、わからない。
 降りしきる雨の中で二人は、かつてない程、互いを近く感じていた。ぬくもりも、匂いも、息づかいさえも。
 闇に雨が強く香った。
 それはどこか血の匂いに似ている気がした。
 あの夜のように。
「……」
 不意に、総司の手から傘が滑り落ちた。音をたてて傘が水たまりに転がる。
 細い身体が乱暴に引き寄せられ、息もとまるほど抱きしめられた。雨が二人を激しく打った。だが、そんな事、構いもしなかった。
 互いの身体をきつく強く抱きしめあい、求めあう。
 肌を熱を感じ、想いを感じた。


 人は人である限り、いつかこの身は滅ぶ。
 身体は骨は肉は地へと還り、ものいわぬ物になってしまう。
 あの約束も果たされぬままに。
 だが、想いは残るのだ。
 この人を愛した想いだけは消えない。
 決して。


 総司はそっと目を閉じた。
 世界を支配する激しい雨の中で。
 この世の誰よりも愛しい男を感じながら、目を閉じたのだった。





 ───ただ、祈るように。
















二部完結です。最後までおつきあい頂き、ありがとうございました。