総司の言葉に、土方の目が細められた。
低い声がその名を呼ぶ。
「……総司」
だが、それに、総司は怯まなかった。はっきりと言い切る。
「以前は、より禍いが起こる事を恐れたゆえ、反対していました。でも……今は違うのです」
「違う? 何が」
土方は訝しげに総司を見た。それに、ゆっくりと答えた。
「芹沢局長は……あの男は、私が思っていたような人ではないと思います。確かに乱暴だし、身勝手です。でも、何か……違うと感じているのです」
「違うとは、芹沢があの男ではないという意味か」
「いえ、そうではなく、ただ、私は、芹沢局長を殺したくない……」
とたん、ぐっと肩を掴まれた。
驚いて顔をあげれば、底光りする瞳で土方が総司を見据えていた。切れの長い目の眦がつりあがり、口元が固く引き結ばれている。
怒りを抑えているのがわかった。土方の押し殺された激しい感情が伝わってくる。
それでも、総司は彼だけを見つめた。
「私はあの男を殺したくありません」
「……おまえ、自分が何を言っているのかわかっているのか」
やがて、土方が口にしたのは、そんな言葉だった。
総司の細い肩を掴んだまま、まっすぐ見据えてくる。
「あの男を殺したくないだと? いったいどういうつもりだ」
「言葉のままです。私は芹沢局長を殺したくない、殺すべきではないと思うのです」
総司は大きな瞳で彼を見返した。
「確かに、芹沢局長は乱暴ですし、狼藉を働いています。でも、すべて、あの人がやったことだとも思えないのです。佐々木くん、佐伯さんのことも、すべて芹沢局長の仕業だと言われていますが、本当にそうなのでしょうか。真実がわからないのに、このまま闇に葬ってしまってもよいのでしょうか」
「何が真実なのかなど、おまえはわかっているはずだ」
土方は低い声で言った。感情を押し殺した声だったが、その奥にある感情の激しさを伺わせる。
他の者なら怒鳴りつけられるか、殴られていただろう。
総司だからこそ、彼も暴走しそうになる感情をおさえ、冷静に対応しようとしているのだ。
それはよくわかっていた。
だが、それでも、言わずにはいられなかった。
「私は何もわかっていません。あの頃だって……わからなかったし、今もわからないのです。何故、突然、あの男が私を娶ろうとしたのか、あそこまで執着したのか、何もわからない」
「そんな事、わからなくてもいいだろう。あの男の気持ちなど、知る必要もない」
「私は知らないままで、芹沢局長を殺すことなんて出来ません」
きっぱりと言い切った総司に、土方はきつく奥歯を噛みしめた。あくまで抵抗してくる総司に、怒りを覚える。
思わず言わずもがなの言葉を口にしてしまった。
「あの男に情が移ったのか」
「……」
総司の目が見開かれた。その傷ついた表情を見ながらも、言葉をつづける。
「芹沢と話をしている姿を見たと、先日、聞かされた。おまえは、あの男に情が移ってしまったのか。この俺を裏切るつもり……」
最後まで言うことが出来なかった。
いきなり総司が、土方の頬をぱんっと平手打ちしたのだ。
だが、鋭い音が部屋に響いた瞬間、総司は我に返ったようだった。はっと息を呑んで、土方を見上げる。
「ご、ごめんなさい……っ」
叫ぶなり、総司は立ち上がった。泣きそうな表情でそのまま身をひるがえし、部屋から走り出していってしまう。
それを追うこともなく、土方は遠ざかっていく足音を聞いた。その場に坐り込むと、深くため息をつく。
片手でくしゃりと髪をかきあげた。
「……何をやっているんだ、俺は」
あんなこと言うつもりなどなかったのだ。
ずっと避けていた総司をここに呼んだのは、確かに、芹沢の始末について話をするためだった。
だが、それだけでなく、総司との久しぶりの逢瀬を楽しみたかったからなのだ。
だからこそ、こうして総司が好みそうな料理を出してくれる小料理屋を選んだし、奥まった部屋を用意させた。話が終わったら、総司と仲睦まじい一時を過ごしたいと思っていたのだ。
なのに、こんな事になってしまうとは。
自分が悪いことはわかっている。総司の気持ちをしっかりと聞き出すこともなく、こちらの意思を押し付けようとした。
この事は、総司にとっても大切なことなのだ。前世からの繋がり故に、ただの始末、闇討ちでは済まなくなるのだ。なのに、総司に納得させないまま事を進めようとした自分には、焦りがあったのか。
先日、総司が町中で芹沢と親しげに話をしていたと、隊士から聞いた。それが頭にあったことは否めない。
明らかな嫉妬だった。
芹沢になど嫉妬する理由もないとわかっていながら、それでも、あんなふうに抗われると疑ってしまうのだ。
ましてや、相手は自分を殺した男だ。憎むべき相手であり、どのような手段をもっても復讐してやりたかった。なのに、総司はその男を庇うのだ。殺したくないとまで、言ってくるのだ。
愛することは憎しみと紙一重だというが、それは真実だと思い知らされた瞬間だった。
己の愛を否定し、平気で傷をあたえてくる総司を、一瞬だが、憎らしいと思った。
憎くて愛しくてたまらない、たった一人の恋人。
幼い頃から、何度も夢に見てきた。
前世の夢を幾度も幾度も、繰り返し。
美しい少女を愛して慈しみ、共に逃げて、そして……殺される夢を。
夢なのだと思っていた。
ただの夢なのだと。
だからこそ、宗次郎の姿を見た瞬間、初めは信じられなかった。
性は変わっていたが、姿形はそのままだった。
花のような笑顔も、大きな瞳も、ふっくらした唇も何もかも、華奢な身体つきまで同じだった。
宗次郎が前世の夢を見ていると知った時の喜びは、凄まじいものだった。
そして、再び、自分を愛してくれた時の喜びも。
だが、それは今、揺らいでいる。
あの憎悪すべき男のために、二人の関係は軋み始めているのだ。
それを元に戻したいのなら、今すぐ総司を追いかけるべきだった。追いかけて抱きしめ、誤解をとくべきだろう。
だが、それですべてが上手くいくとは到底思えなかった。相変わらず、総司はあの男を庇うに違いない。その姿を目にすれば、ますます嫉妬が激しくなるばかりだ。
今も、腹の底が焦げつくような怒りと嫉妬がある。
頭がどうにかなってしまいそうな気がした。
総司があの男のことを庇う言葉を口にするたび、その愛らしい桜色の唇を塞ぎたくなった。抱きしめて、どこかに閉じ込め、己のこと以外は考えさせたくないとまで考えてしまう。
この京に来てから、土方は己を抑えこんできた。
総司への感情を人に知られぬよう、二人の関係を秘めてきたのだ。
だが、それで総司への想いが薄れるはずもなかった。逢わなければ逢わないだけ、ふれることが出来なければ出来ないほど、欲しくて愛しくてたまらなくなるのだ。
あの華奢な身体を思うさま抱きしめたい。
なめらかな頬にふれたい、桜色の唇に口づけたい、あの瞳に見つめられ、愛していると囁かれたい。
何度もそう思ってしまう。
時折、ふれることは出来た。屯所で逢うことも出来ている。
だが、それでも、まるで飢えた獣のように求めてしまうのだ。その気違いじみた欲情を、土方は必死に押し殺していた。そうでなければ、思うさま貪ってしまいそうな気がしたのだ。
いつでも、本当は総司が欲しくてたまらないのだ。あの黒眸がちな瞳で見上げられると、たまらなくなる。狂おしいほどの情欲が込み上げ、その細い身体をきつく腕の中に閉じ込めてしまいたくなる。
己の中にこれ程の情欲があるとは、思ってもみないことだった。
江戸にいた頃から女遊びはしていたが、それほど執着をしたこともなかった。宗次郎を恋人とした時もまだ幼いのだからと、己を抑えこむことが出来た。
だが、京に来てからさして間もたっていないのに、総司は不思議なほど艶かしくなったのだ。急激に大人びてきたし、どきりとするほど色香も漂わせるようになった。
だからこそ、刺激されてしまうのか。
たまらなくなって手をのばしたくなるのか。
「まったく……ざまあねぇよな」
土方は深くため息をつき、傍らの柱に背を凭せかけた。そのまま固く瞼を閉ざす。
己の手から逃げていった恋人を、どうすればいいのか、どうやって取り戻せばいいのか。
その術さえわからぬ自分に、失笑がこぼれた。
彼の話を聞いたとたん、近藤は渋面になった。
難しい顔で腕組みをしてしまう。
「……総司が納得していないのか」
「あぁ」
頷いた土方に、近藤はますます困惑の表情になった。思わず膝をすすめ、友を見る。
「本当に、しっかりと話をしたのか。総司はおまえの念弟だろう、なのに」
「いや、念弟なのかどうかも、わからなくなってきたよ」
「は?」
「この事で喧嘩しちまった。拒絶されて俺も頭にきちまってさ、つい、余計な事を言っちまったんだ」
「余計な事とは何だ」
追求してくる近藤に、土方は視線をそらした。どこか拗ねたような表情で答える。
「……あいつに情が移ったのかと」
「歳、おまえは何を考えているんだ」
「まずい事を言っちまったという自覚はある」
「自覚があっても仕方がないだろう。それで、総司は?」
「俺の頬を平手打ちして、出ていっちまった」
「……」
近藤は呆れたように土方を見た。それから、ため息をつくと、やれやれと言わんばかりに首をふる。
「おまえ、本当に何をやっているんだ」
「すまねぇ、近藤さん」
「俺に謝るよりも先に総司に謝れ」
「……」
土方は黙ったまま視線を落としていたが、やがて、頷いた。微かに苦笑する。
「そうだな……謝れたら謝るよ」
「何だ、その曖昧な言い方は」
「あいつが俺と逢ってくれねぇんだ。徹底的に避けられている」
事実、そうだった。
あの事があった翌日から、屯所で顔をあわすことが極端に減った。
できるだけ、総司が土方と逢わないようにしていることは確かだった。
その事に気づいたとたん、土方の胸を鋭い痛みが抉ったが、仕方がないことかとも思った。
総司は気が強く、誇り高い若者だ。
彼の暴言に怒りを覚えぬはずがなかった。だからこそ、平手打ちをくらわしたし、彼を避けているのだ。
前世から愛して、現世でも愛することが出来て、ようやく仇を討てるとなった今、こんな事になるとは思いもしなかった。
このまま総司の気持ちが彼から離れるとは思わないが、どうやって修復すればよいのか、まったく手立てが思いつかない。
遊びで捨ててきたような女相手なら、いくらでも上手くあしらうことが出来た。
だが、本気の恋になると、こんなにも自分は不器用なのだ。
どうすれば総司が喜ぶのか、どうすれば総司があの可愛い笑顔を見せてくれるのか、まったくわからない。ましてや、そのもつれた心をほぐすことなど、出来そうもなかった。
より嫌われてしまったら……と、つい弱気になってしまうのだ。そのくせ、他の男と一緒にいたり、他の男を庇う様を見れば、狂いそうなほど嫉妬してしまう。
他のどんな事でも冷徹に判断を下し、非情な手段をとることも出来る自信はあった。だが、総司に対してだけは……何をすればいいのかさえ、わからない有り様だ。
「おまえは総司の事になると、本当に不器用だな」
近藤が苦笑しながら言った。
それに頷く気にもなれないまま、土方は深くため息をついた。
あんな事をするつもりじゃなかったというのは、土方だけではなかった。
もう片方の当事者である総司も、同じように思って悩んでいたのだ。
(……どうしよう)
神社の境内だった。
しんと静まり返ったこの場所は、一人気持ちを落ち着かせるのに適している。
そこで総司は先ほどから、一人思い悩んでいた。
彼の頬を平手打ちするなんて、自分で自分が信じられなかった。
なんてことをしてしまったのか。
怒っているだろう彼のことを考えると、怖くて顔をあわす気にもなれなかったのだ。
昔から、土方は矜持が高い男だった。
まだ江戸で気儘勝手に過ごしていた頃から、だが、どこか凛と一本筋が通ったものがあり、また、生まれついての武家のような誇り高さがあることも、彼の魅力となっていたのだ。むろん、そこには前世も強く関係しているだろう。前世で武家だったからこそ、より矜持も高い。そんな彼の頬を思い切りひっぱたいてしまった。
いくら彼が酷いことを言ったからといって、していいことと悪いことがあるのではないだろうか。
だとすれば、完全にあれはしてはまずいことだった。
追いかけてもくれなかったのは、きっと呆れてしまったからだろう。子供だと思って、呆れて切り捨てられたかもしれないのだ。
(切り捨てられる……)
その言葉を胸に思ったとたん、すっと指先が冷たくなるのを感じた。
誰よりも愛してきた彼だった。
この世の中で、彼しか愛したことがないのだ。彼のためならば、自分のすべてを捧げることが出来る。
彼が、自分が思うほど愛してくれていないことも、よくわかっていた。
同じだけの愛の量ではないのだ。むろん、わかっている。愛の量など測れるはずもないということを。
だが、それでも、契りを彼がまったく求めてこない以上、どうしてもそう感じてしまうのだ。
自分は愛されていないのだとさえ、思ってしまう。
いやだと思った。
悪い方へ悪い方へ考えてしまう自分が、たまらなく嫌になる。
挙句、彼を平手打ちするなど、とんでもない話だった。
「……」
深くため息をついた時だった。
背後に気配を感じ、総司はふり返った。
一瞬だが、土方かと思ったのだ。
しかし、その顔はすぐさま強張った。
「……芹沢局長」