少しずつ、斉藤の言葉の意味が繋がっていく気がした。
 何を斉藤が言いたいのか、分かる気がしたのだ。
 土方はゆっくりと訊ねた。
「……断ると言えば?」
 即座に応えが返った。
「あなたは断りませんよ。同じ過ちは二度と繰り返さないと、誓っているはずです」
「なるほど」
 笑いがこみあげた。


 こんな処にいたとは、まさに伏兵だった。
 まったく気づかなかった自分に呆れてしまうほどだ。


 土方は文机に寄りかかると、斉藤を切れの長い目で眺めやった。
 しばらく黙っていたが、やがて、言葉をつづけた。
「まさか、おまえだったとは……思ってもみなかったよ」
「おれは……」
 斉藤は一瞬、躊躇うように唇を噛んだ。だが、すぐに顔をあげた。
「初めてあなたと総司に会った時から、わかっていました。あの頃に戻ったような気がしました」
「俺たちは姿形がほとんど変わってねぇからな」
「土方さん」
 呼びかけた斉藤に、土方は視線を向けた。
 深く澄んだ黒い瞳が黒曜石のように美しい。
 あの頃と変わらぬ端正な男の顔を見ながら、斉藤は言った。
「あなたがオレの忠告など聞くはずもないことは、よくわかっています。あの頃もそうだった。けど、あえて言わせてもらいます。今は総司に近づかないほうがいい……総司との関係を表沙汰にすることは、避けた方が賢明です」
「例のやつを刺激するからか?」
「それもあります。しかし、あの男は既に総司を狙っています。警戒しないと、同じことの繰り返しになりますよ」
「繰り返したりするものか」
 くっくっと喉を鳴らした土方を、斉藤は探るように見据えた。それから、ふと息を吐く。
「確かに……あの頃のあなたと今のあなたは、まるで違う。姿形は同じであっても、今のあなたにはぞっとする程の非情さがある。冷たく残酷な一面もあるのでしょう。あの頃、同じように非情さを持っていたならば、まず、あの男を斬っていたはずだ。人に知られぬように始末することが出来たはずでしょう」
「そうかもしれねぇな」
 かるく肩をすくめた。
「が、今更言っても仕方がねぇだろう。とにかく、俺はおまえの忠告を聞いた。ただし、聞いただけの話だ」
「わかっています。それに、今、あなたが総司との関係を深めていないことも」
「なら、何故、余計な口出しをした」
「総司の気持ちが揺れていることが、よくわかるからです。あなたへの気持ちが強いあまり、不安でたまらなくなっている。総司自身が関係を深めて欲しいと縋りついてきたら、あなたは突き放すことが出来るのですか」
「……」
 土方は僅かに眉を顰めた。
 まるで総司の気持ちをすべて知り尽くしているような言い方に、ちりりと胸が焦げるのを感じたのだ。明らかな嫉妬だった。
「随分と、総司のことがわかっているみたいだな」
「友人ですからね。それに、オレも総司を大切に思っています」
「変わらずか」
「えぇ、変わらず」
 挑むような目で見返してくる斉藤に、土方は肩をすくめた。


 どのみち、総司の気持ちは自分にあることは確かなのだ。
 前世から結ばれた恋人の絆が揺らぐことはない。
 そうである以上、つまらぬ嫉妬など無用であるはずだった。


 それきり何も言わない土方に、話の切り上げる合図だと思ったのだろう。斉藤が腰をあげ、部屋を出ていった。
 遠ざかる足音を聞くともなしに聞きながら、土方は文机に向きなおった。













 佐々木愛次郎が斬られて数日後のことだった。
 今度は佐伯が斬られたという一報に、総司は嫌な予感を覚えた。思わず、たまたま傍らにいた斉藤に問いかける。
「それは、あの……佐々木くんが殺されたことと、関係しているのですか」
「かもしれないな」
 斉藤は苦いものを含んだような表情で答えた。
「佐々木愛次郎を直接斬ったのは佐伯だったという話だし、逃げるようにそそのかしたのも佐伯だということだ。結局、佐伯一人に罪がかぶされたのかもしれない」
「誰が? いったい、誰がそんなことを……」
「聞くまでもなく、わかっているんじゃないか?」
 聞き返した斉藤に、総司は黙りこんでしまった。
 聞かずともわかりきった話だった。
 おそらく、芹沢が始末したのだろう。本人が斬ったのかどうかはわからないが、それでも、関わっていることだけは確かだ。


 芹沢の凶暴さは最近、ますます目につくようになっていた。
 普段はそれほど乱暴でもないし、豪快でさっぱりとした気性のようにも見える。
 だが、酒が入ったり、女が絡んだりすると何もかも変わってしまうのだ。
 人が変わったように粗暴になり、無茶を働いた。
 己の中の言い知れぬ衝動を持て余している様がよくわかる。


 総司は斉藤と別れ、買い物をするために屯所を出た。
 最近、ほとんど逢うことさえ出来なくなっている土方のために、何か食事をつくってあげたいと思ったのだ。
 あれこれ考えながら歩いていると、肩が誰かに突き当たった。
「あ、ごめんなさ……」
 言いかけ、はっと息を呑む。
 相手は芹沢だった。たまたまなのか、今日も取り巻きはおらず、一人のようだった。
 芹沢はぶつかったことにはふれず、黙ったまま総司を見据えている。それに、躰中が竦み上がった。逃げ出したくてたまらなくなる。
 思わず後ずさり、そのまま背を向けようとしたとたん、声がかかった。
「待て」
「……」
 ふり返ると、芹沢はかるく唇を歪めた。
「そう、おれの顔を見たとたん、逃げ出さんでもいいだろう。挨拶ぐらいしても構わんと思うが」
「あ、し……失礼いたしました」
 総司は慌てて頭を下げた。
「ぶつかってすみません。その……」
「おまえは余程、おれが怖いようだな」
 揶揄するような口調に、総司は思わず細い眉を顰めた。愛らしく可憐な姿形だが、総司は人一倍気も強いのだ。
 大きな瞳で見返した。
「別に怖くなどありません」
「なら、なぜ逃げる」
「あなたと同じ場所にいたくないからです」
「それは怖いからだろう」
「いいえ、軽蔑しているだけです」
 思い切り冷たく言い放ってやった。


 総司にとって、酒や女に溺れてしまう男など、侮蔑すべき存在でしかなかった。
 愛する土方も女遊びはするし、酒も嗜んでいる。
 だが、それに決して溺れてしまうことはなかった。
 程よい処でとどめるあたりが大人の男の節度であるはずなのだ。


 総司の言葉に芹沢は怒るかと思われたが、かるく笑っただけだった。
「相変わらず気が強い」
「……」
「確かに、おれはおまえに軽蔑されるべき男かもしれんな。今も昔も」
「佐々木くんや佐伯さんを斬ったのは、あなたですか」
 単刀直入に問いかける総司に、しばらくの間、芹沢は答えなかった。黙ったまま、総司を眺めている。
 やがて、逆に聞き返した。
「もし、そうではないと答えても……信じぬだろう」
「たぶん……」
「ならば、答えても無駄なことだ」
 そう言うと、芹沢は総司に背を向けた。あとはもう知らぬ顔で、歩み去ってゆく。
 総司はそれを見送りながら、手の中の痛みに気づいた。
 無意識のうちに握りしめていたのだろう。爪が手のひらに食い込み、くっきりと痕を残していた。
 それを見つめながら思う。


 あの男が憎いことは確かだった。
 一方で、あの頃もだが、よくわからない男であることも確かだった。
 粗暴で自分勝手に振舞っている処はまったく変わらない。
 だが、ただの乱暴者ではない何かを感じさせていた。


(本当に、芹沢局長がやったのだろうか……)


 ふと、そんな疑問が浮かんだ。
 むろん、芹沢ならばやりかねないことだと、わかってもいる。
 芹沢は酒が入ると人格が変わってしまうし、女におぼれてしまう性質だ。事実、梅を無理やり己の妾としてしまった話は、身震いするほどの嫌悪感を覚えさせた。
 だが、それでも、これは違うのではないかと思うのだ。
 実際、土方も明言はしなかった。斉藤も噂に聞いたと言っていただけだ。
 本当のことなど、何もわからないのだから。
「……」
 総司は空を見上げた。暮れゆく空はもう秋の気配を見せ始めている。
 嫌いな夏が過ぎていこうとしていた。それにほっと安堵の吐息をもらす一方で、秋めいた風に寂しさを感じる。


 彼が殺された夏が過ぎ、やがて、私が死んだ秋がくる。


 総司はかすかに目を伏せると、白っぽく続く道を歩き出していった。













 土方に誘われたのは、秋の初め頃だった。
 まだ暑さは少し残っているが、徐々に木の葉も色づき始めていた。
 久しぶりの彼からの誘いに驚いたが、断る理由もなかった。
 指定されていた料理屋に行くと、奥の部屋に通された。小奇麗な部屋の雰囲気にびっくりする。
「こんな所に来るの……初めてかも」
 総司は思わず物珍しげに見回してしまった。
 なんとなく落ち着かなくて、土方を待っている間も、部屋の中を歩きまわってしまう。縁側から小さな庭が見えて、とても風情があった。
 ぼんやりと庭を眺めていると、不意に、後ろから抱きすくめられた。
 驚いて見上げたとたん、首筋に、耳もとに口づけられる。
「……総司」
 耳もとにふれる低い声に、躰中がかぁっと熱くなるのを感じた。どぎまぎして俯いてしまう。
 そんな総司に低く笑ってから、土方は腕の力をゆるめた。柔らかく身体を反転させて、瞳を覗きこんでくる。ついばむような口づけをあたえてから、囁いた。
「随分と久しぶりだ……」
「……はい」
 屯所では何度も逢っていた。言葉も交わしていたし、毎日のように顔をあわせてもいたのだ。
 だが、恋人として逢うのは久々のことだった。それだけに、まるでずっと長い間、逢っていなかったような心地になる。
 ましてや、土方は今、いつもの冷徹な副長の表情ではなく、優しい笑顔になっていた。
 江戸にいた頃とまるで変わらない、人好きのする表情だ。


(やっぱり、私はこっちの土方さんの方が好きかも)


 手をひかれ、席へと連れていかれながらそんな事を考えた。
 仕事をしている土方も格好よくて、ぼうっと見惚れてしまうことがあるが、なんだかんだ言っても、昔のように優しく笑いかけてくれる彼の方が好きだなぁと思ってしまうのだ。
「昼飯、まだだろう?」
「はい」
 こくりと頷いた総司に微笑みかけてから、土方は仲居に料理を運ばせた。あらかじめ用意されてあったらしく、きれいに盛られた料理が運ばれてくる。
 さすがに京の料理で美しく、また、とてもおいしそうだった。総司の好みを考えてか、口当たりの良い物ばかりが揃えられてある。
 後はこちらでやるからいいと仲居を遠ざけ、二人は食事を始めた。久しぶりの二人だけの時だった。
 総司は気持ちが弾むのを感じた。
 嬉しくてたまらず、頬が紅潮するのを感じる。


 そのため、気づくことが出来なかったのだ。
 ずっと避けていたのに、急にこんな時を持った彼の意図に。


 思い知らされたのは、食事が終わってすぐの事だった。縁側に出た土方の傍に端座し、庭を見つめる。
 しばらくの間、沈黙がつづいていたが、やがて、土方がぽつりと言った。
「……今度、芹沢を斬ることになった」
「え」
 一瞬、何を言われたのかわからなかった。ぼんやりとした表情で、彼を見てしまう。
 土方はこちらに端正な横顔を見せたまま、ゆっくりと言葉をつづけた。
「先日の大砲を撃った騒ぎで、会津藩の方から命が下された。芹沢を始末しろと」
「……」
「それに従い、先に芹沢の右腕の新見を始末することにするが、おまえは無関係でいい。ただ、芹沢については他の連中と一緒に討つつもりだ。おまえもそのつもりでいてくれ」
「討つって……切腹が命じられる訳じゃないのですか」
「あの男が自ら腹を切ると思うのか」
 土方は唇を歪めた。冷たい嘲りがその黒い瞳に湛えられる。


 こんな時、彼の端正な顔はぞっとするほどきれいだった。
 冷たく静かで、身体の芯まで凍りついてしまいそうなほど美しい。
 彼の中にある残酷さが剥き出しにされる瞬間なのに、なぜ、こんなにもきれいなのかと、総司は不思議に思った。


「思いませんけど……」
「なら、討つしかあるまい」
「だけど、それなら……どうやって」
「闇討ちだ」
「……」
 男の言葉に、総司の目が見開かれた。
 思わず、それは卑怯だと言いかけるが、それにおっかぶせるようにして土方が言葉をつづけた。
「あの男が俺たちにしたことを思い出してみろ。一対一で闘う訳でもない。大勢の手のもの、それも自分の父親の手のものを使って探し出し、挙句、多勢を頼んで俺を殺したんだ」
「土方…さん」
「俺は、あいつらに犬畜生のように嬲り殺された。それに比べりゃ、ましな死に様だと言えるんじゃねぇか」
 江戸の頃のまま、乱暴な口調で言い捨てた土方に、総司は思わず膝をたてた。細い腕を男の身体にまわし、抱きしめた。
「……土方さん」
「……」
「もう言わないで、思い出さないで。あなたはあの時の事を思い出すたびに、傷ついてしまう……」
「傷ついてなんざ……いるものか」
 掠れた声で呟いた。彼の顔を見たが、その黒い瞳はどこか遠くを見つめていた。
「屈辱と怒りがあるだけだ。あの男への憎しみがあるだけだ」
「……」
「おまえが反対している事はわかっている。だが、これは壬生……いや、新選組のためでもあるんだ」
 先日、名乗りを許された名を、土方は口にした。
 それは奇妙なほどの昂ぶりを隊士たちにあたえる名だった。
「今や、俺自身の感情など関係のないところで、事は動き出している。俺にもおまえにも止めることは出来ないんだ」
「でも」
 総司は大きな瞳で、愛する男を見つめた。
 少し躊躇ったが、それでも言葉をつづけた。
「私は……反対です」