「……どう、して……?」
 総司は小さな声で訊ねた。
 意味がまったくわからなかった。どうして何故、そんなことを言われるのかわからなかったのだ。
 動揺する総司を、斉藤は静かな表情で見つめている。その鳶色の瞳にどこか悲しげなものを見た気がして、胸奥が痛くなった。
「どうして、そんな事を言うの? 私が誰を好きになっても、誰の念弟になっても関係ないじゃないですか」
「確かに関係ないよな」
 斉藤は苦笑した。
「けど、言わずにはいられなかったんだ。あの人はおまえにはあっていないよ」
「だから、どうして」
「副長はこれから多分、どんどん変わっていく。色々なものを切り捨てていかざるを得ない立場だ」
「念弟なんてもっている暇がないってこと?」
「……まぁ、そういうことかな」
 どこか曖昧な斉藤の言葉に、総司は唇を噛んだ。


 まだ何か隠されているような気がしたのだ。
 もともと、斉藤は、土方からも気をつけろと言われている存在だった。会津藩から偵察や監視のために寄越された男かもしれないのだ。
 だが、総司にはそんなこと関係がなかった。斉藤自身の人柄にふれて好きだと思ったから、こうしてつきあうようになったのだ。
 そのため、今の言葉は純粋に総司のために言っているとしか、考えられなかった。
 斉藤の人柄からして、こうした事を口にするのは面倒な事だろう。ましてや、人の色恋沙汰だ。無関心であることが当然だった。
 なのに、わざわざこうして忠告してくるということは、総司のためを思ってのことなのだ。


「わかりました」
 小さな声で答えた総司に、斉藤はすぐさま「すまない」と謝った。それに、え?と目を見開くと、困ったように視線を落とす。
「いや、おまえの事なのに口出しをして……すまない。余計な事を言ってしまったよな」
「そんな。斉藤さんは私のために言ってくれたのでしょう? 謝らないで下さい」
 総司はゆるく首をふった。
 斉藤がどんな思惑で言ったのかはわからないが、彼の言葉が総司の事を思ってのことだということだけは確かだった。
 ただ、その言葉に従う気はない。総司にとって、土方はこの世の誰よりも愛しい男だった。切り捨てられても何があっても、愛さずにはいられないのだ。
 共に生きようと言ってくれた土方の表情を思い出しながら、総司はきつく両手を握りしめた。












 宴が開かれたのは、その数日後のことだった。
 総司にとって、京での宴はあまり良い印象がない。
 江戸にいた頃、お酒を呑むことはなかったが、道場の仲間と一緒に騒いだことは幾度もあった。それはとても賑やかで、あたたかくて楽しいものだったが、この京での宴は妙に仰々しい割に奇妙な雰囲気が漂っていて、居心地の悪いものだった。
 むろん、他の隊士たちがどう思っているかはわからない。ただ、壬生浪士組に入らなければ、到底、足を踏み入れることもなかった店での華やかな宴に、酔いしれていることは確かだ。
「……」
 総司は周囲を見回し、不安げな表情になった。
 宴の席に土方の姿がなかったのだ。いつも総司は彼の傍にいるようにしていた。
 試衛館の仲間たちや斉藤と一緒にいることもあるが、大抵の場合は土方の傍にいる。寄り添う二人の姿はまるで絵のようで、女が入り込む隙もなかった。そのため、総司がいると、女は土方の傍に寄ってこないのだ。
 ただ、総司にとっては、土方の傍にいたい、それだけのことだった。
 不安そうな総司の表情に気づいたのだろう。近藤が言ってくれた。
「歳は少し所用があってな、遅れてくるようだ」
「そうですか……」
 なら、自分も一緒に遅れればよかったと思った。
 だが、いつまでもそんな気持ちでいる訳にはいかないとも思う。
 彼に頼ってばかりいる自分を直さなければとも思っていたのだ。
 少しずつ賑やかになってくる宴の中で、総司は斉藤たちと一緒に食事をした。だが、いつまでたっても現れない土方が気になって仕方がない。
 とうとう総司は斉藤たちに断り、宴が行われている広間から抜けだした。外の空気を吸うと、ほっとする。廊下の奥にある店の前の道が見える窓辺に行き、下を見下ろした。まだ彼の姿は見えない。
「……土方さん」
 不安げに呟いたその時だった。
 背後に気配を感じ、身体がこわばった。反射的に腰に手をやりながらふり返るが、むろん、そこに刀はない。大門をくぐる時に預けてしまっているのだ。
 ふり返った総司は、そこに立つ男の姿に鋭く息を呑んだ。
「!」
 それは芹沢だった。
 珍しくまだ酔っていなかったし、いつもの取り巻きも連れていなかった。ただ、あのぎらついた目で総司を見据えている。
 身体がすくみ上がるのを感じた。背中がぞっと寒くなる。
 だが、それでも、総司は喉から振り絞るようにして、声を出した。
「……何か、御用でしょうか? 芹沢局長」
 それに、芹沢はしばらくの間、答えなかった。黙ったまま、じっと何かを探るように総司を見ている。
 まるで昔のようだった。
 前世でも、この男は彼と一緒にいる自分を、こんな目で見ていたのだ。そのことを思い出し、総司はきつく両手を握りしめた。
 芹沢は総司の緊張を見てとったようで、微かに嗤った。
「何をそんなに恐れている」
「恐れて……いませんが」
「おれを避けているだろう。おまえはおれを避けて、忌み嫌っている」
「意味がよくわかりません」
 はぐらかすように言った総司に、芹沢は目を細めた。手をのばすと、不意に、総司の腕を掴んでくる。
 それに、嫌悪感で叫びだしそうになったが、必死にこらえた。じっと睨み返す。
 芹沢はその表情を覗きこむようにしながら、言った。
「その目だな。おれを狂わせた目だ。なんとしても手にいれ、踏みにじってやりたいと思わせた、美しい目だ」
「離して下さい」
「おれがすべてを覚えていると言えば、おまえはどうする」
「……」
 不意の言葉に、総司は凍りついた。
 愕然とした表情で、芹沢を見上げてしまう。それに、芹沢が低く嗤った。
「あの時は、あと少しの処でおまえを取り逃がした。だが、今度は逃がさんぞ」
「……」
「二度と逃しはしない」
 そう言った芹沢はもう一度だけ、総司の腕をぐっと強く掴むと、踵を返した。さっさと広間へと戻っていく。
 男の背を、総司は呆然と見送った。だが、すぐに躰中が細かく震えだす。


(あの男はすべてを覚えている……!)


 恐怖しかなかった。
 やはり、土方が言った通り、あの悪夢は再び繰り返されるのか。
 不幸にしかなれない定めなのだろうか。
 あの男の妄執から逃れる術はないのか、総司には何もわからなかった。ただ、不気味で恐ろしくてたまらなかった。
 両手で己の肩を抱きしめ、きつく目を閉じる。
「……総司?」
 不意にかけられた声に、総司は我に返った。
 ぼんやりとした表情で顔をあげれば、廊下の向こうから土方が歩み寄ってくる処だった。訝しげに眉を顰めている。
「おまえ、こんな処で何をしているんだ」
「土方…さん……?」
 彼が今ここにいてくれることが信じられなくて、確かめるように訊ねてしまった。それに、土方が苦笑する。
「何を言っている、おまえ、熱でもあるのか」
 額に手をあててから、かるく小首をかしげた。
「熱はねぇな。酔でもさましていたのか、遅くなって悪かったな」
「土方さん……あの……」
 総司は言いかけた、先ほどのことを。だが、「何だ」と優しく問いかけてくれる男に、何も言えなくなってしまう。
 これ以上、彼の感情に拍車をかけたくなかった。迷惑も心配もかけたくなかったのだ。
「何でもありません……」
 総司は目を伏せると、そっと手をのばした。それに気づいた土方が柔らかく抱きよせてくれる。
 髪を、背中を、彼の大きな手のひらが撫でてくれた。子供をあやすように。
「そんなに嫌だったのか、宴が」
「……ごめんなさい」
「一緒に帰ろうか、それとも、ここに泊まるか」
「あなたも……一緒に泊まってくれますか?」
 そう問いかけた総司に、土方はすぐには返事をしなかった。困惑した表情で総司を見下ろす。
 微かに眉を顰め、総司の意図を測るように黒い瞳で見つめた。
 それが、子供っぽい恋人に手をやいている大人の男の表情のように見えて、悔しくなってしまう。
「……おかしな噂がたっちまうだろう」
「たってもいい」
「今はまだ駄目だ。近藤さんにも言われたはずだ」
「じゃあ」
 総司は思わず言っていた。彼の胸もとに縋るようにして、言いつのる。
「いつになったらいいの? いつになったら、土方さんは私を抱いてくれるの?」
 言ってすぐに後悔した。
 土方の端正な顔に、驚きの表情がうかんだのを見たからだ。
 抱いて欲しいとねだるなど、まるで遊女のようだと思った。彼が江戸の頃に遊んでいた女たちのようではないか。
 だが、それでも言わずにはいられなかったことも確かだった。
「ごめんなさい」
 うつむき、謝った総司に、土方はまだ何も言わなかった。黙ったまま、総司をゆるく両腕の中におさめている。
 そんな男のぬくもりを感じながら、小さな声で言った。
「ごめんなさい……おかしなことを言って」
「いや、おまえが謝ることじゃねぇよ」
 そう言ってから、土方はかるく総司の額に口づけを落とした。それから、優しい声で言ってくれる。
「やはり、少し気分が悪いようだな。ここに部屋をとるから、おまえは泊まっていけ」
「あの……土方さんは……?」
 おずおずと問いかけた総司に、土方は一瞬、唇を噛んだ。だが、すぐに悪戯っぽい表情をうかべると、笑いかける。
「添い寝して欲しいのか?」
「! 土方さんっ」
「子供じゃねぇんだ、一人で寝れるだろう?」
 土方はくっくっと喉を鳴らして笑うと、総司の背中をかるく叩いた。本当に子供扱いするような仕草だ。
 それに何も言えなくなってしまった総司に、知らぬ顔のまま、土方は言葉をつづけた。
「近藤さんに言っておくから、しっかり休んでから帰ってこい」
「……はい」
 こくりと頷いた総司をもう一度だけ抱きしめてから、土方は腕の力をゆるめた。そっと総司の身体を離し、踵を返して歩み去ってゆく。
 廊下の向こうに消えていく彼の後ろ姿を見つめながら、総司はきつく両手を握りしめた。













 何かが少しずつ軋み始めていた。
 壬生浪士組の中でも色々な軋轢が目に見えて起こり始めていたし、総司の中でも気持ちの上で変化があったことは否めなかった。


(夏が過ぎていく……)


 総司は目を細め、空を見上げた。
 真夏の頃は過ぎて、もはや残暑の季節に入っている。だが、それでも、まだ日中は蒸し暑く、京の夏は堪らないと原田なども音をあげているようだった。
 総司自身は暑さが身体にこたえてしまう。寒さで風邪をひいてしまうこともあるが、夏は気持ちの上でも嫌いだった。
 どうしても、前世のあの夏の闇を思い出してしまうのだ。
 ねっとりと纏わりつき、二人を呑み込んでしまった夏の闇。


(あの夜、彼は私の目の前で殺された)


 いくら彼の剣術の腕が家中随一のものであっても、多勢に無勢だったのだ。初めから一縷の望みもない闘いだった。
 だが、それでも、自分を守るために彼は斬りこんでいったのだ。
 そして、殺された。
 闇に呑まれるように、殺されたのだ。
 あの時に浴びた彼の血の生温かさ、匂い、縋りついた彼の身体にまだ残っていたぬくもり、そのすべてをまざまざと覚えていた。
 何度、夢に見たことか。思えば、京にのぼってからは、その夢ばかりを繰り返し見ていた。
 土方は知らないのだ。夢を見ると言っても、前世のことをいろいろと見ているのだと思っている。
 だが、それは間違いだった。
 総司は、彼が殺されたあの夜の夢ばかりを見ているのだ。繰り返し繰り返し、気が狂いそうなほど見せられる悪夢。
 それはまるで、油断をしていると又こんな事になるのだよ……と、言われているかのようだった。あれは警告なのか。再び、彼と引き離されるのだという事なのだろうか。


 総司は思わず身震いした。


 彼を失うことを考えただけで、気が狂いそうになる。
 この世の誰よりも愛しているのだ。
 ずっと幼い頃から見続けていた夢の中で出会った彼。
 前世からの恋人……。


 ふと吐息をもらし、総司は屯所にむかって歩き出した。
 とたん、後ろから声をかけられた。
「総司」
 ふり返ると、斉藤が歩み寄ってくるところだった。どこか苦々しい表情だ。
 それに、小首をかしげた。
「何かあったのですか?」
「ちょっといやことがな」
 言葉を濁した斉藤は、ちらりと周囲に視線をやった。それから、言う。
「佐々木愛次郎が斬られた」
「え」
 総司は目を見開いた。
 佐々木愛次郎はとても可愛らしい少年で、総司もかわいがっていた隊士だった。
「斬られたって……浪士たちにですか?」
「いや、それがどうも……違うみたいなんだ。前から噂があってな」
「噂って」
「あぐりという娘と恋仲になっていたらしいが、そのあぐりを見初めた芹沢局長が妾に差し出せと佐々木に命じたらしい。それに佐々木が困っていたという話を、おれは聞いている」
「そんなことが……え、じゃあ……」
「あぐりは佐々木愛次郎の傍で、舌を噛み切って死んでいた」
「……」
 鋭く息を呑んだ。
 すっと指先が冷たくなり、身体の奥から震えが起こってくる。


 まるで、自分たちのようだった。前世で、あの男にされたことそのものではないか。
 目の前で斬られ殺された彼、そして、後を追って自害した自分……。
 それをあの男は再び繰り返したというのか。


「そんな…の、そんな……ひどい話って」
 声がつまった。だが、それ以上は何も言えない。
 総司は思わず屯所にむかって走りだした。一刻も早く、彼に逢いたかったのだ。


 彼に逢って生きていることを確かめたかった。
 あのぬくもりを鼓動を感じて、彼が生きていることを実感したかった。


 後ろで驚いた斉藤が何か叫んでいたが、それも耳には入らなかった。必死に駆けていく。
 屯所に走りこんだ総司は、玄関口で今まさに框を降りようとしている男の姿を見た。草履に足を入れたところで、総司に気付き、眉を顰める。
「……総司?」
 訝しげな表情に構わず、総司は両手をのばした。