その日、土方は暇だったのか、はたまた非番だったのか、午前から昼まで総司と一緒にいた。というか、まったりと部屋で書を読んだり、ベッドの上で総司と戯れたりしていたのだ。
仔猫である総司をかまう彼もでろ甘だったが、実際、総司の方がハートきゅんきゅん状態だった。
昼下がりの部屋。
ベッドに腰掛け、長い足を組んだ男。
艶やかな黒髪に、こちらを見つめる黒い瞳。かるく手をベッドの上に置いて、身をかがめるようにして微笑いかけてくる。
形のよい唇にうかべられた笑みは、もう極上で艶やかで……!
(この人もう何、正真正銘のタラシわかってたけどやっぱり超絶タラシ!)
白いシャツの前釦が二つ目まで外されているため、のぞいてしまう褐色の肌。
逞しい体つきは正直目の毒でしかありません! いえ、ちゃんと鑑賞させて頂きますけど。
ちらちらと怪しい動きで彼の方を見る仔猫の動向に、土方は全く気づいていないようだった。総司の頭や喉を撫でながら、くすくす笑っている。
「可愛いな……ほら、こっちの方が好きか?」
彼が手にしているのは、お手玉だ。
どこから入手してきたのか、とにかく、彼は先程からそのお手玉で総司相手に遊んでいる。しごく楽しそうに、ご満悦の笑顔で。
ぽんぽんと手で弾ませてから、ぽすっとベッドに投げる。それを総司が前脚でつついたりすると、喉奥で楽しげに笑うのだ。可愛い可愛いと、口だけでなく態度でも言われている。
しばらく遊んだ後、土方は総司の体を手のひらですくいあげた。
「み?」と首をかしげれば、すげぇ可愛いと目を細め、ちゅっと口づけてくる。その後すぐに、ちゅっちゅっと二回。
その時、入り口で音がして、斎藤が顔を覗かせた。
「土方さん」
「何だ」
「榎本さんが呼んでおられますよ」
「面倒だな」
「とにかく行って下さい。オレが困ります」
「……」
不機嫌そうに眉を顰めてから、土方は総司をベッドの上に下ろし、立ち上がった。
出ていく土方を見送ってから、斎藤は部屋の中へ何気なく視線を戻した。そして。
「え、えぇーッ!?」
次の瞬間、絶叫した。
部屋の中のベッドの上には、きょとんとした顔の総司が坐っていた。猫ではない。人の姿をした方の総司だ。
「そ、そそそ、そ……っ」
「どうした、斎藤」
部屋をいったん出た土方がふり返った。それに斎藤は慌てて部屋の戸を内側からピシャリと閉めてしまった。とたん、ドンドンドンッと戸が叩かれる。
「何閉めているんだよ、シロか? シロがどうかしたのか!?」
「な、なんでもありませんっ、ちょっと見間違えでっ」
「開けろ、ここ俺の部屋だろうが」
「土方さんは榎本さんの処に行って下さいッ」
「だったら、今すぐ開けろ。……コロスぞ」
底冷えのする鬼副長そのものの声で脅され、さすがの斎藤も震え上がった。部屋の中の総司も目を見開いている。
ちょっと考えてから、口パクで伝えられた。
(ゼッタイニ開ケナイデ!)
(オレ、コロサレルー)
(開ケタラ、ワタシに斬ラレマスヨ)
まさに前門の虎後門の狼だ。……いや、この場合、前門のネコ後門のオオカミか。
斎藤は決断を下した。パッと戸の前から退いたのだ。
思わず、総司は叫んでしまった。
「あ、斎藤さんッ、ひどい!」
「シロッ! ……………………は?」
部屋に飛び込んできた土方は、大きく目を見開いた。呆然と、総司を凝視している。
本当に心底驚いたらしく、完全に固まった状態で立ち尽くしていた。そんな彼を珍しいなぁ、滅多に見られないよねと思いつつ、総司は可愛らしく小首をかしげてみせた。
ここは愛想だ、愛嬌だ!
にこにこ笑いながら挨拶する。
「えーと……土方さん、お久しぶり?」
「…………」
「元気にしていました? あ、元気ですよね。私はあの、えーと」
「…………総司ッ!!」
次の瞬間、物凄い力で抱きしめられていた。痛いってぐらい、ギュウギュウギュウ抱きしめられる。
「総司、総司、総司……っ」
うわ言のように総司の名だけ呼びながら、土方は総司の体を抱きしめ、髪に、頬に、頬をすり寄せた。大きな手のひらがその髪や頬、背中を撫でる。
そのままベッドへ押し倒しそうな勢いに、顔を片手でおおった斎藤がそーっと部屋を出ていったが、二人は気づいていない。
総司は土方の広い背に手をまわし、ぎゅっと抱きかえした。小さな声で囁く。
「……土方さん、逢いたかった」
「俺もだ! 俺もすげぇ逢いたかった……総司、総司、顔を見せてくれ」
いったん身をひいてから、土方は総司の頬を両手のひらで包み込んだ。濡れたような黒い瞳でじっと見つめてくる。
やがて、幸せそうにふわりと微笑んだ。
「あぁ……夢じゃねぇんだな。本当に、おまえはここにいるんだ」
「夢じゃないんですけど、あの、土方さん」
「いや、夢でもいい、あ……やっぱり夢なら嫌だな。おまえ、また消えちまうだろ」
「それは、そのう……船の上でのこと?」
「あぁ、おまえ突然現れて消えて……って! 話が通じるということは、やっぱり夢なのか!?」
衝撃を受け青ざめてしまった土方に、総司は慌てて彼の手をぺちぺち叩いた。
「違います、夢じゃありませんよ! これはちゃんと現です、ほら、痛いでしょ」
「そうだ……痛いな、夢じゃねぇ」
子供のように安心する土方が、なんだか可愛く見えた。思わずにこにこ笑ってしまう。
そんな総司に、彼が問いかけた。
「おまえ、どうやってここに来たんだ。いつ来たんだ、江戸で療養していたはずなのに」
「えーと……船で来たのです。さっき着いたばっかりで}
「その格好で? この季節に、そんな薄着で出たら凍えちまうぞ。だいたい、さっきまでここには俺がいたんだ。なのに、何でおまえが急に」
「……」
矢継ぎ早に問いかけてくる土方に、自然と頬がふくらんだ。
前言撤回。
やっぱり、この人は大人の男だ。全然騙されてくれない。
そもそも、策士として有名だった副長を騙そうとした方が間違いだったのだが。
だが、それでもなんとか誤魔化せないかと、総司は可愛らしく小首をかしげてみせた。ちょっと上目遣いになる。
「土方さんは……私のこと、信じてくれないの?」
「……う」
「私の話を疑うなんて、ここへ来たの、迷惑だった? 逢いたくなかったの……?」
「そんなはずある訳ねぇだろう!」
土方は叫び、総司を再び引き寄せようとした。だが、身を捩るようにしてそれを避け、ぷいと顔を背けてみせる。
「嘘つき……土方さんなんか、もう知らない」
「総司!」
おろおろと手をのばし、総司の肩や腕にふれた。そのまま抵抗がないのを見て取ると、抱きよせてくる。
「すまん、俺が悪かった。疑って悪かったな……謝るよ。だから、機嫌を直してくれ。な?」
「……」
「総司、頼むから」
「うん」
切ない彼の声音に、これぐらいでいいかと判断し、総司は頷いた。仲直りの印とばかりに、彼の広い胸に頭をこてんと凭せかける。
すると、土方はほっとしたように微笑み、その華奢な体を抱きしめた。髪や頬に何度も口づけられる。
「そうだよな……総司がここにいてくれる。それだけでいいんだな」
「土方さん……」
「他には何も望まねぇよ」
「……」
思わず、彼の腕の中で目をぱちぱちさせてしまった。
うっわー、なんか今すごい台詞を聞いちゃった気がする。
私がいるだけでいい、他には何も望まない、なんて。
きゃあああああ、やばい、何それ、嬉しすぎるー!
土方さん、本気でそんなこと言ってくれちゃってるの?
い……いやいやいや、誤解しちゃ駄目だから。これは言葉の綾。
さっきのことを謝るため、私のご機嫌をとるため。
望まないってのは、あれこれ聞くことを望まないってことだから。
総司は一人必死に落ち着け落ち着けと呪文のように言い聞かせ、深呼吸をくり返した。
そして、土方の胸もとに頬を寄せると、小さく吐息をもらしたのだった。
四半刻限後、とうとうシビレを切らした斎藤が部屋の戸をバンッと開けた。
やれやれという表情で、言ってくる。
「いつまで待たせるんですか!? って、榎本さん、怒っていますよ」
「……わかった」
土方は物凄くシブシブ答えると、ようやく腰をあげた。それでも何度も振り返りながら、何度も「いいか、この部屋から出るなよ」と言いきかせ、部屋を出ていく。
それを半目で見送った斎藤は、戸を閉めてから総司に向き直った。
しばらく沈黙の後、訊ねる。
「……で?」
「で? って、何でしょう」
「だから、おまえのこと説明したんだろ? どんなふうに話したんだ」
「全然」
「は?」
「全然話していませんよ」
「はぁあ!?」
斎藤は唖然とした顔で、総司を見た。それから、戸の方を振り返り、指さす。
「あの人、ふつう聞くだろ! ってか、四半刻も何をしていたんだ」
ずっと甘甘きゃっきゃウフフしてました~。なんて、報われない男はじめちゃんには禁句なので、まったり小首をかしげた。
「うーん、聞かれたことは聞かれたんですけどね。もう面倒だから誤魔化しちゃいました!」
「誤魔化したって……」
「私に逢いたくなかったの? って、じーっと見つめたら、すぐに納得してくれましたよ」
「納得するか!? ってか、土方さん、簡単すぎるだろ!」
「簡単かなぁ。でも、なんて説明したらいいか、わからなかったんだもん」
総司はつんと唇を尖らせ、ベッドの上で足をバタバタさせた。
「だいたい、本当のこと言って信じてくれると思います? 私、仔猫に生まれ変わりました、でもって、時々、人になれますなんて」
「オレは信じただろ」
「だって、斎藤さんはスズメだから。……あ、そうだ! 土方さんも一度半死になって狼にでもなれば、信じてくれるかも」
「狼……想像できるな。間違っても、あの人、可愛い系じゃないし」
思わず頷きかけてから、慌てて訂正した。
「ってか、あの人、半死にするって無理だろ。百叩きにあっても死にそうにないし」
「ですよねぇ。じゃあ、素直に全部話して、それで信じてもらいますか」
「初めからそうしろよ! 半死の目にあわせるって発想が前提にくるあたり、怖すぎる」
「そうかなぁ」
かつて京で名を馳せた三段突き天才剣士は、にこにこと笑った。
「でも、本当にそんな目にあわせる訳じゃないんですよ。ほら、私、優しいから」
「この間、猫の姿でスズメのオレをいたぶろうとした奴が言うことか!?」
「そーんな昔のことに拘るなんて、斎藤さん、根にもつ人ですねぇ」
「つい先日の事だろうがーっ」
不毛な会話をしていると、突然、戸がバタンと開いた。と思う間もなく、息せき切った土方が駆け込んでくる。
呆気にとられる斎藤を押しのけ、すぐさま総司の傍に走り寄った。嬉しそうに両手を握りしめる。
「よかった、夢じゃなかったんだな」
「土方さん……いくらなんでも早すぎでしょう。打ち合わせだったはずじゃ」
「あんなもの速攻で終わらせた」
「あ、あんなものって」
「総司、あぁ、ここにいてくれたんだ。よかった、本当に」
完全ッに総司しか視界に入っていない男の様子に、斎藤は呆れ返った。が、土方はにこやかな笑顔でベッドに総司と並んで腰掛けると、その細い肩を抱きよせる。
「腹はすいてねぇか? あ、そうだ、着替えを用意した方がいいな。その薄着じゃ何処にも行けねぇだろう」
「……その薄着でどうやって此処に来たのか、疑問に思わないんですか」
「何か言ったか、斎藤」
「イイエー、ナンデモゴザイマセン」
棒読みで答えた斎藤が部屋を出ていくと、総司はきちんとベッドの上に坐り直した。ぴんと背筋をのばして、横にいる男を見上げる。
「あのね、土方さん」
「何だ?」
「お願いがあるのです」
とたん、土方がぱっと顔を輝かせた。
「俺におねだりか? いいぜ、何でも言えよ。何が欲しいんだ? 着物か? 刀か?」
「そうじゃなくて……ものじゃないのです」
「ものじゃない……」
土方は訝しげに眉を顰めてしまった。それを見て、この人ほんと真面目だなぁと思う。何事も軽く流すことをせず、真正面から受け止めようとするのだ。その姿勢は尊敬すべきものだが、この場合、ちょっと困る。
「今から私はある話をします。それを最後まできちんと聞いて欲しいのです」
「それが願い? ……そんな事でいいのか?」
不思議そうな土方に、こっくりと頷いた。
「約束してくれますか?」
「あぁ」
しっかりと返事してくれた土方にちょっと安堵し、総司は大きな瞳で彼を見つめた。
「私、江戸で死んだのです」
あっさり言った総司に、土方の目が見開かれた。「……え?」と聞き返してくる。
それに頷いた。
「信じられませんよね、じゃあ、ここにいる私は何? ってことになりますよね。あ、幽霊じゃありませんから」
「……」
「私、一度死んでから、生まれ変わったのです。……白い仔猫に」
「――」
今度こそ、土方の目が大きく見開かれた。それに、ちょっと笑ってみせる。
「仙台の城下であなたに拾ってもらって、本当に嬉しかったです。というか、運が良かったなぁと思います。シロって名前はなんだかなぁと思ったけど、まぁあれはあれで……」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ」
呑気な総司の言葉を、土方は慌てて遮った。そのまま片手で顔をおおい、「……嘘だろ」とかなんとか呟いている。
それに、唇を尖らせた。
「私、嘘なんてついていませんよ」
「いや、嘘というか。すまん、おまえの話、全然ついていけねぇ」
「あ、省略しすぎました? それとも、もっと簡単にまとめた方がいい?」
「そうじゃなくて、理性も感情もついていけねぇんだ。それ、理解しろと俺に言っているんだろ?」
「別に強制じゃありませんが」
まったり答える総司を眺めてから、土方は、はぁっとため息をついた。しばらく考え込んでいたが、やがて、低い声で言った。
「つまり、あれだ」
「……」
「おまえはシロで、シロはおまえだったと」
「総括すると、そうなりますね」
「で、なんで、おまえは人に戻れたり猫になったりするんだ」
「わかりません」
あっさり答えた総司に、土方は「はぁ?」と呆れ返った。
「本人がわからないって、どういう事なんだ」
「だって、わからないんだもん。生まれ変わったことも、猫になることも人に戻れることも。あ、それに」
「まだあるのか」
「はい。私、とっても元気なのです。もう病人じゃありません」
そう言った総司に、土方は複雑な表情になった。