それから数日間、総司は別の場所に預けられていた。
土方がさすがに戦場に仔猫は連れていけないからと、置いていったのだ。むろん、そんな事わからなくて、捨てられるのだと思って、にゃあにゃあ泣き叫んでしまった。
それに、土方は辛そうに眉を顰めた。ぎゅっと抱きしめてくれる。もちろん、力を加減してだが。
「……そんな泣くなよ、手放せなくなるだろ」
「みーみー(じゃあ、手放さないでよ)」
「少しの間だから、すぐに迎えにくる。シロ、それまで待っていてくれ」
いつのまにか、総司はシロと名付けられていた。
白い毛色だから? 非常に安易なネーミングセン……げふんげふん。
とにもかくにも、まるで人に対するように言い聞かせ、土方は去っていった。
事情があるのだと思った総司は大人しく待つことにしたが、それでも、淋しくて淋しくてたまらなかった。
生まれ変わってから、ずっと一緒だったのだ。朝も昼も夜も。
なのに、今、彼は傍にいない。そのことが泣きたくなるぐらい寂しかった。
(前はこんな事なかったのになぁ……)
きっと、あれだと思った。
千駄ヶ谷での別れのせいなのだ。
江戸を離れる土方が、最後に逢いに来てくれた。
もうここには来れないと言った彼に、本当は置いていかないで、一緒につれていってと心の奥で叫んでいるのに、笑顔で別れを告げたあの夜。
悲しくて辛くて淋しくて。……怖くて。
だから、今こんなにも怖いのだ。
もう二度と逢えないのではないのか。本当に迎えにきてくれるのか。
不安で不安でたまらないのだ。
「……みー」
食事もあまりしない総司を、世話してくれている老夫婦は心配そうに見ていた。申し訳ないと思ったが、どうしようもなかった。
そんなある日だった。
「……っ」
突然、気配がした。
はっと顔をあげれば、土方が庭の枝折戸の前で馬から降りるところだった。枝折戸を押し開け、足早に入ってくる。
思わず鳴き声をあげ、彼の胸に飛び込んでしまった。というか、仔猫なので飛びつくという形になったが、もう少しでズルズル滑り落ちそうになったが。
慌てて爪で彼の服につかまった総司を、土方は笑顔で抱きとめてくれた。
「いい子にしていたか? 悪かったな、淋しい思いをさせた」
「みー、みー!」
「もう大丈夫だ、これからは一緒だぞ」
その言葉に、ほっとした。
もう置いていかれることはないんだ、一緒なんだと、安堵したのだ。
甘えるような瞳で見上げる総司に、土方は柔らかく微笑んだ。そっと、いつものように懐へ入れてくれる。
土方は丁寧な口調で世話をしてくれた老夫婦に礼を言い、かなり多額の礼金を渡したようだった。それに老夫婦は逆に恐縮してしまい、何度も遠慮したが、強引に渡して馬に飛び乗る。
そこから結構馬を走らせ、夜になってやっとたどり着いたのは、大きな城のような場所だった。城というより砦というか、変わった建物だ。
総司が土方の懐から頭をのぞかせ、きょろきょろしていると、門番らしい兵士がびっくりしたように見た。土方が仔猫を懐に入れているのが不思議だったらしい。
何度も見比べているのがおかしかった。
「あ、引き取ってきたんですか」
ばたばたと足音がしたと思うと、島田が現れた。にこにこ笑っている。
「あぁ。俺がいない間、あまり物も食わなかったらしい」
「きっと淋しかったんですよ。可愛いですね」
「まぁ、こいつは甘えただからな。俺がいないと淋しがりまくるのさ」
「…………み」
淋しかったことは淋しかったが、こうも皆の前で言われると、何だかちょっとむかっとする。
ぷいと顔をそむけた総司に、土方がくっくっと喉奥で笑った。「拗ねるなよ?」と言いながら、しなやかな指さきで耳裏を撫でられる。
あ、やっぱり気持ちいいー。
ふにゃあと顔に出てしまったのだろう。島田がまたゲラゲラ笑った。
「いやあ、本当にこの仔猫は副長が好きですね」
「当たり前だろう。俺だって、こいつが好きさ」
「…………」
好き!?
今、あなた、私のこと好きって言いました?
思わず期待をこめて彼を凝視してしまった総司だが、途中ではたと気がついた。
……猫なんだ。
今の自分は猫で、その猫である自分に対して、彼は「好き」と言ったのである。決して、長年の恋が成就した訳ではない。
そうだよねー。
私、今、猫だもんね。
猫相手の私なら、いくらでも好き好き言えちゃうよねー。
……ちぇっ。
ヤサグレそうになったが、そんな総司に気づかぬまま、土方はさっさと自室らしい部屋へ入った。
簡素だが、清潔感のある部屋だ。どこか、新撰組の副長室のような雰囲気で、懐かしい感じがした。
思わず彼の懐から飛び出して、ぴょんとベッドに飛び降りる。すると、土方は微かに笑った。
「気が早いな。もう寝ようってのか」
「……(そ、そういう訳じゃないけど)」
「せっかくのおまえの誘いだが、まだ時間じゃねぇよ」
低めた甘い声で囁きながら、総司の頭を指さきで軽く突っついてくる。
さすが百戦錬磨のたらし。なんてことのない会話でも、妙に意味深に聞こえてくるから不思議だ。
ベッドに彼が腰を下ろしたので、ふわんと総司の体が傾いた。こてんっと転びそうになったが、すぐさま大きな手のひらが抱きとめてくれる。
「ちっちゃくて可愛いな……本当に、あいつみたいだ」
「……(あいつって、私?)」
「この目がなぁ、似ているんだよな。綺麗に澄んで、素直な優しい性格をあらわしている瞳がすげぇ似ている。総司は花みたいな笑顔で、いつも俺に話しかけてくれて、優しい声も細い指さきもきれいで可愛くて、とけ消えてしまいそうで……」
「……」
なんかなー。
思わず、総司は遠い目になってしまった。
いくら自分のこととはいえ、あまりにかけ離れた言葉の数々に、なんだか体がむずがゆーくなってくるのだ。
いや、褒められているのもわかるし、別に、けなして欲しい訳じゃないけれど、でも、ここまで美化されると、なんか自分のこととは思えなくなってくる。
この人、本当に、沖田総司のことを話しているのかな。
試衛館の時から兄弟同然の仲で、さんざん我儘いって喧嘩したり、反抗しまくって手を焼かせた沖田総司の事なのですが。
土方さんだって、いつも、私のことからかったり叱ったりばっかりで、こんな綺麗だとか可愛いとか、一度として言った事なかったのに。
ほんっと謎だ。
総司が複雑な心境で視線を遠くに飛ばしていると、土方はため息をついてから、そっと総司の体をすくいあげた。また懐に入れて微笑みかける。
「じゃあ、飯にしようか」
「み」
「よしよし、今、飯用意してやるからな」
膳をとってきた土方は、自室で食事をとった。ふつうは皆と一緒とか、小姓に世話をさせたりとからしいが、彼はいつも一人でさっさと食事をとっている。
相変わらず、この人の方が猫みたいだよねと思っていると、土方が食事を取り分けてくれた。ことんと目の前に置かれた小皿には、いろいろと食べやすくほぐした野菜や魚がのっている。
総司は喜んで、ぱくぱく食べた。彼と離れているときは食欲がなかったが、彼と逢えたとたん、空腹になったのだから単純なのだ。
「しっかり食えよ、でないと大きくなれないぞ」
優しい声音で言われ、にゃあと返事をしておく。
大きくって……人の姿ならもう成人しているんですけどね。
あれ? そういえば不思議。
猫の時はこんな子供なのに、どうして人になると大人なんだろう。そのあたりは適当ってことなんだろうか。
神様、いったい……うーん。
それはともかく(いや、先送りにしていい問題ではないが)、まったり食事を終えた総司は仔猫らしく眠くなってきた。そろそろ辺りも暗くなり、就寝の時刻だ。
「目がとろんとしているぞ」
くっくっと喉奥で笑い、土方は総司の体をそっとベッドの上に下ろしてくれた。ころんと転がってしまう。
眠い、眠い、お腹いっぱいで眠い……。
真新しいシーツにうもれていると、横で土方がぱっぱっと服を脱ぎ捨てている気配がした。それに慌てて目を閉じる。
いや、やっぱり恥じらいってものがあるし。
いくら大好きな人でも、好きな人だからこそ、着替えを見るのは恥ずかしいのです。
しばらくすると、寝着らしいものを纏った土方がベッドにあがってきた。毛布をかけて、総司を手のひらに包みこむ。
「おやすみ……よい夢を」
「……」
「いや、猫も夢をみるのかな」
ちょっと考えてから、まぁいいかと笑い、ちゅっと総司に口づけた。
が、もう動じない。彼は猫相手だから口づけをしているのだ。断じて意味のある感情がある訳ではなく、ただ親愛というか、可愛がっている延長上というか、つまり、そういうもの。
土方はもう一度だけちゅっと口づけてから、目を閉じた。その綺麗で端正な寝顔を、まじまじと見つめる。
以前、おまえは鈍いと苦々しげな口調で言われたことがあったが、今の自分に言わせれば、彼の方がずっと鈍い。鈍感だ。
あんなに仲良くしていた弟同然の総司がここにいるのに、猫として傍にいるのに、全然気づかないし、挙句、ちゅーまでして平然と笑って一緒に寝ている。
(まぁ、わかっているんだけど…ね)
気づかなくて当然なのだ。
むしろ、気づくほうが怖い。こんな状況、気づくなんてやばすぎる。
仔猫になって生まれ変わっているなど、いったい誰が思うだろう。しかも前世の記憶がそのまんまなんて。
彼に話しても信じてもらえるとは、到底思えなかった。だから、その状況を彼が察してくれないからといって、彼を鈍感呼ばわりするのはいけない。
でも、まぁ、私だって鈍いと言われたんだから、いいのかな。
あの時、「何が鈍いの。剣筋は鋭いですよ」って言い返したら、半目で眺められたけど。
その後、はぁっと呆れたようにため息をつかれたけど。
お互い、鈍いと思っているんだからお相子かな。
そんな事を考えながら、目を閉じた。
真夜中にまた目が覚めた。
狭いなぁと思ったのだ。寝床が狭いっていうか、ベッドから落ちそう。
総司はごそごそと身動きして、彼の方へ寝返りをうった。すると、土方が無意識のうちにか、総司の体を腕の中にいれてくれる。
逞しい胸もとに頬をよせ、抱きついた。ぎゅっと抱きしめてくれるのが嬉しい。
はぁー、おちつくー。
やっぱりいいなぁ、大好き。
あたたかくて気持ちよく………………って! はぁっ!?
ばちっと目を開いた総司は、ばばばっと自分を見回した。白い着物、さらりとこぼれている黒髪、手、足。
「う、わっ」
思わず声をあげてから、慌てて口をふさいだ。
が、もう手遅れ。
眠りから引き戻されたらしい土方は、うすく目を開いた。ぼんやりした表情で総司を見ている。
「……? 総司……?」
掠れた声で訊ねられ、反射的に頷いてしまった。
「は、はい」
っていうか、他にどう言えばいいのか。まさか違いますと言う訳にはいかないし、人違いですとも言えないし。
おたおたしていると、土方は微かに笑った。そっと頬にふれられる。
「これは……夢か。おまえがいてくれるなんて……」
「……えええ、えーと」
総司は必死に頭をめぐらせた。わたわたと手を動かす。
「あの、えっと、はい、夢です。これは全部夢なの」
「……」
「だから、聞いて。土方さん」
総司は月明かりの中、彼を見つめた。
「私、あなたのことが好きなの。ずっとずっと……愛してきました」
「……」
「こ、恋しているのです。好きでしかたなくて、だから、その……」
黙ったまま見つめている土方に、何をどう続けていいのかわからず、口ごもってしまった。すると、土方が総司の頬から耳もとを手のひらで包み込み、顔を近づける。
「!」
そっと、口づけられた。
人で、初めて! 猫じゃなく!
唇を重ねる接吻をしたのだ。
目を見開いている総司にくすっと笑ってから、土方が囁いた。
「……俺もだ」
「へ?」
「俺も、おまえを愛している。好きだ、心底惚れている」
「え、あ……う、嘘」
「嘘じゃねぇよ……ずっと愛していた」
甘い声で答えてから、土方はうっとりと目を細めた。何度も軽い口づけをくり返す。
「好きだ……総司、おまえだけが好きでたまらない」
「ひ、土方さ……」
「本当に夢のようだ、おまえが俺を好きだと言ってくれるなんて……いや、夢なのか。夢だから、なのか」
「あのっ、あのですね」
総司は慌てて抗弁しようとした。
これは夢じゃありません、現なのですと言おうとしたのだ。
が、ならばどうしてここに総司がいるのか等々、どう説明すればいいのかわからず口ごもってしまう。
そうこうしているうちに、男の吐息が耳もとにふれた。耳もとから首筋に口づけられ、ぞくぞくする。
「ぁ……んっ」
甘い声をあげた総司だったが、すぐに気がついた。何だか、急に重みがかかってきたのだ。
慌てて覗きこんでみれば、土方の瞼は閉じられていた。すうすうと寝息をたてて、お腹いっぱいの子供みたいな顔で熟睡している。
「って、ここで寝るー!?」
思わず叫んでしまったが、起きる気配は全くない。
総司は呆然とする思いで土方を眺めた。
そりゃ、現だと言ってどう説明しようかと悩みはした。これは夢ですとも言った。
だが、それで夢の中へあっさり逃避行することはないだろう。
っていうか、ここで寝るわけ? ふつう寝るのっ?
「もー、土方さんってほんっとわからない」
百戦錬磨のたらしとまで言われていながら、あっさり寝てしまったり、さっきはあんな事を言っていたが、そもそも京にいる時そんな素振りは全く見せたことがないし。
「あ、でも……好きって言われたんだ」
じわじわと実感がわいてきて、総司は頬を赤らめてしまった。かぁっと耳朶まで熱くなる。
本当に本当? 冗談じゃない?
他の誰かと間違えていたんじゃない?
そう何度もしつこいぐらい確認したいが、生憎、相手は熟睡中。聞ける状態ではないから、とりあえず、しみじみ告白された喜びだけを噛み締めた。
あとで間違いだったと言われたら、その時はその時、今はひたすら彼に愛を告げられた喜びに浸りたい。
両思いだったんだー!
総司はうっとりと微笑んだ。