少しずつ周囲の光が弱まっていった。
 それを感じながら、総司は思った。
 あぁ、私は死ぬのだな……と。
 色々な事があった人生だが、少なくとも幸せだった。
 たとえ、愛する人の傍にいられなくても。
 想いがずっと伝わらなくても。
 彼を愛することが出来ただけで、幸せだから。
「……っ」
 微かな息が唇からもれた。


 土方さん、愛してる……


 それが最後の記憶だった。












 ……あ、れ?
 人が死んだらどうなるかは、知らない。
 極楽浄土とか、地獄とか、色々な話があるが。
 少なくとも、もう少し、なんというかこう違う場所に出るのではないだろうか。


 うーん、ここ……どこかのお城?


 総司はきょろきょろと周囲を見回した。
 どう見てもどこかの城下に見えるが、それでも、やっぱりここはあの世ってことなのだろうか。
 きょろきょろとしていた総司は、突然起こった人の気配に慌てて身を隠した。いや、隠そうとしたのだが……


(え、えぇええっ!?)


 自分の手足を見下ろしたとたん、思わず叫んでしまった。
 もふもふとした手足、だったのだ。白い毛が生えているし、裏返してみると桃色の小さな肉球まである。


(も、もしかして、私、何か動物に生まれ変わったってこと?)


 呆然としていると、不意に、ひょいと首をつかまれた。ぎょっとした瞬間、軽々と持ち上げられる。
 思わず悲鳴をあげてしまったが、みーというか細い声しか出ない。
「何だ、こんな処に仔猫か」
 頭の上から聞こえてきた声に、びくりと躰が震えた。なめらかで低い声。いやってほど聞き覚えがある……。
 大きな手のひらで包みこむようにされた。
「……」
 おそるおそる見上げると、息を呑むぐらい端正な顔だちの男が総司を見下ろしていた。
 あの艶やかな黒髪は結っていない。ばっさりと短く切られ、それがより男の精悍さを引き立てている。
 こちらを見下ろす、深く澄んだ黒曜石のような瞳。男にしては長い睫毛、形のよい唇。より鋭くなった頬から顎にかけての線。
 見たことのない黒い服を逞しい躰に纏っているが、それが似合っていた。涼やかで凛として、男振りがめちゃめちゃ上がった気がする。
 戦場にあっても、人を惹きつける華は相変わらずで……


(土方さん!? うそっ、本当にっ? こんな都合のいい話ってあるの? 死んですぐ大好きな人に逢えるなんて、最高―ッ!)


 思わず総司は大喜びで叫んでしまった。
 が、悲しいかな、その姿は仔猫だ。ミーミーという声にしかならない。
 それに、はっと我に返った。いくら好きな人に逢えても、仔猫じゃどうしようもないのだ。
 呆然としていると、土方は小さく首をかしげた。それから、くすっと笑い、そっと優しく指の腹で総司の小さな頭を撫でてくる。
「すげぇ可愛いな……おまえ」
「みぃ、みー(土方さん! 私ですっ、気づいてー!)」
「よしよし、腹が減ってるのか。何か食わしてやらねぇとな」
 そう言うと、土方は総司を胸もとにある隠しにポンッと入れた。頭だけ出した状態になる。それに思わず硬直した。
 彼のぬくもり、鼓動を感じて、どきどきしてしまったのだ。
 歩き出した彼の懐というか、隠しの中で、総司はゆらゆら揺れた。視界に映る城下町はまったく見覚えがない。


(会津、なのかな? でも、なんか違う気が……)


 それに、季節も飛んでいる気がした。
 自分が死んだ時、初夏だったのに、今はもう秋口だ。
「――土方君、その猫は?」
 傍らから声をかけられた。見ると、秀才という感じがする男が歩み寄ってくる。
「榎本さん、いや、これは……」
 少し固い口調で土方が言った。
「さっき拾った猫ですよ。腹をすかせているようなので、連れて帰るところです」
「ほう、土方君が猫好きとは知らなかった」
 面白そうに笑う榎本に会釈をしてから、土方はまた歩き出した。
 彼が住んでいるのは宿屋だった。さっさと中へ入れば、懐かしい人が顔をのぞかせた。


(島田さん!)


 もちろん、みーみーとしか声はならない。
 が、島田は大きな巨体を揺らして、覗き込んだ。
「猫ですか、かわいいですね」
「城を出たところで拾ったんだ。おまえ、猫は好きか」
「好きです。というか、もしかして……副長、飼われるおつもりですか」
「飼うというか、連れていきたいと思っている」
「連れていく……」
 彼の言葉に、島田は沈痛な表情になった。


 何かあったのだろうか? 


 と不思議に思ったが、猫の状態では何も出来ない。
 土方も一瞬、黙ってから気を取り直すように、総司を隠しから取り出した。手のひらで包みこみ、自分の部屋らしい場所へ向かう。
 二階の一室が彼の部屋だった。その部屋でそっと畳の上に降ろされる。
 反射的に毛づくろいしていると、土方が食事を仲居に頼んでいるのが聞こえた。
 運ばれてきた昼餉を、少しずつ分けられる。何を食べさせられるんだろう? とちょっと不安に思っていたが、ほぐした魚を渡され、ほっとした。
 よかった、これなら食べられる。
 意外とお腹が空いていたようで、ぱくぱく食べていると、土方が満足げにこちらを見ていることに気づいた。おいしいですよと言うつもりで、みーと鳴く。
「そうか、美味いか」
 土方は小さく笑い、総司の頭を撫でてくれた。
 この様子なら、食べ終わってすぐに外へポイされることもないだろう。さっき連れていくと言ってくれていたし。
 総司は食べ終わると、あれこれ考えながら丸くなった。眠くなってくる。
 耳や頭を撫でてくれる男のしなやかな指を心地よく感じたところで、意識が途切れた。












 次に気がついた時は夜明け前だった。
 どうやら、あれからぐっすり熟睡してしまったらしい。いくら昼寝が好きな猫でも、ちょっと眠り過ぎかと思いつつ、目をこすった。


(……ん?)


 突然、気がついた。手が、手なのだ。つまり、前足ではなく見慣れた人の手!
「う、わっ」
 思わずあげた声も人の声だった。とたん、傍で掠れた声があがる。
「……ん…もう朝、か……?」
 ぎくりとして見れば、土方が寝返りをうつところだった。眠そうにしながらも起きようとしている気配がする。
 慌てて言ってしまった。
「ま、未だ朝じゃありません。もう少し眠ってて」
「そう…か……」
 寝ぼけているのか、土方は素直に答えると向こうへ寝返りをうった。すうっと寝息をたてて、眠りはじめる。
 それに、はぁーっと全身の力が抜けた。
 反射的に答えてしまったが、もしも彼が完全に起きたらとんでもない事になっている処だった。なぜなら、声からしてもたぶん。


(これ、私の体……だよね?)


 にしては、やけに体調がよくてすっきりしているのだが。
 とにもかくにも、傍らの鏡を覗き込んでみれば、やっぱり、見慣れた顔が映っていた。
 が、しかし、以前とはかなり違う。
 亡くなる前の自分はもう痩せてしまって、青白い顔で、いかにも病人ですって状態だった。それに比べて、鏡に映っている総司は頬も桜色で、唇もつやつや、瞳もきらきらして、健康そのもの!って感じだ。


(なーんか、私って……若返った? ううん、そうじゃなくて、つくり直されたって感じ?)


 総司はうーんと考え込んでしまった。
 仔猫に生まれ変わったと思っていたのだが、違ったのだろうか。いきなりの展開が多すぎて、ちょっとついてゆけない。息切れしそうだ。
 しかし、問題はそこではない。これからどうするかだ。
 江戸で療養しているはずの総司がいきなりここ(どこかわからないが、とにかく、北の方)に現れれば、誰だって驚くだろう。それも突然、土方が寝ている布団の中にだ。
 誰が見ても聞いても、びっくり仰天だろう。しかもどうやって身一つでここまで来たのかと聞かれたら、どうにも答えようがないのだ。


(やばいよね、絶対やばい……どうしよう、困ったなぁ)


 こんな事なら猫の方がまだよかった、猫に戻りたいと思った、次の瞬間だった。
 不意に視界がくにゃりと歪んだとたん、体が小さくなったのだ。え? え?と戸惑ううちに、猫の姿に戻ってしまう。


 私が望んだから?


 じゃあ、望めば人になれるのかと思って念じてみたが、一向に変化は訪れない。
 総司はしばらくあれこれ試してみてから、ふうっとため息をついた。そのまま布団の中にもぐりこむ。


 とりあえず寝よう、朝になってから考えればいいや。


 実にポジティブな結論を出した総司は、二度寝するために目を閉じたのだった。
 朝方の二度寝は極楽なのである。













「おい、朝だぞ」
 耳に心地いい声に起こされた。
 ぱちっと目を開ければ、土方が笑顔で見下ろしていた。また、そっと頭を撫でられる。
「よく寝ていたなぁ、まぁ子供だものな」
「みー」
「朝飯にしようぜ」
 彼はもう着替えを終えていた。今日は着物姿だ。黒い絣の着物をさらりと着流し、角帯をしめている様が艶やかだった。久々の着物姿に、どきどきした。
 昨夜のようにご飯を優しく食べさせてくれる。
 夢中で食べたため、口のまわりに食べかすがついていたようだ。それを指でぬぐい、くすっと笑う顔が格好いい。
「そのうち船に乗るからな、おとなしくしているんだぞ」


 船?


「もっと北へ行く事になっちまったんだ」
 いったい何処を目指して行くのだろう。船に乗るということは、かなり離れているということか。
 が、総司にとっては何処でもよかった。彼の傍にいられるなら何でもいいのだ。
 朝餉の後、土方は総司を懐に入れると、視線をさまよわせた。しばらく黙った後、呟いた。
「夢……だったんだろうな」
「み?」
「なんか、あいつの声聞いた気がしたんだが……まぁ、夢を見ても当然かな」
「……」


 もしかして。
 もしかしなくても、私のことでしょうか。


 総司は目をぱちぱちとさせた。
 夢を見て当然という意味がわからないが、とにかく、あの声はしっかり聞かれていたという事だった。夢だと思われているのは幸いだろう。
 ……兄弟のように育った仲だった。
 幼くして預けられた試衛館で初めて逢った人。その両腕に抱きあげてくれた時の優しい笑顔は、今も忘れられない。


(あの時、恋しちゃったんだよね)


 そんな事をぼんやり考えていると、土方がまた呟いた。
「あいつ……総司、どうしているかな」


 死んじゃいました。
 で、猫に生まれ変わって、ここにいます。


 なーんて説明(説明というには、はしょりすぎ?)できたらいいのだが、生憎、みぃみぃという声しか出ない。
「別れた時のあいつ……」
 土方は目を細めた。どこか遠いところを見て、言葉をつづける。
「消えてしまいそうに儚くて、綺麗で……まるで花の化身のようだった」
「…………」


 はいぃぃ?
 あのー、それって、この私のことでしょうか?
 

 綺麗とか儚いとか花の化身だとか、およそ土方の口から出たとは思えぬ言葉に、総司は呆気にとられた。


 この人、私のこと美化してる?
 遠く離れているから?
 いやいやいや、美化しすぎでしょー。


 そりゃ、他の人には可愛いとか綺麗とか言われたこともあるけど、それなりの容姿だったかもしれないけど、でも、最後に逢ったのは病人真っ只中。もうお肌も荒れてやせ細って、綺麗だとかそういう言葉、お世辞にもなかったから。
 だいたい、彼からそんな言葉一度として掛けられたこともない。気さくで優しいお兄さんと気が強くて甘えたな弟という関係から、絶対に外さなかったのに。
 なんで急に、綺麗だとか言い出したんだか。まったくの謎。
 首をひねっていると、土方は、はぁっとため息をついた。
「逢いたくてたまらねぇが、仙台から江戸は遠すぎるからな」


 そうか!
 ここは仙台なんだ!


 ようやく得た新情報に、総司はふむふむと頷いた。


 京都守護職お預かりだったから、会津へ来ているのだと思い込んでいたが、その実、仙台だったとは。
 で、ここにも長居しないで、もっと北へのぼるんだ。まぁ、彼と一緒にいられるなら何処でもいいんだけど。
 もちろん、私も連れていってくれるよね?
「みぃ」
 不安になって、総司は思わず彼の手を舐めた。すると、土方がびっくりしたように見下ろしてから、笑顔になる。
「おまえ、慰めてくれているのか? 可愛いな」
「み」
「おまえ、白くて大きな目で可愛くて……あいつみたいだ。総司も猫みたいな性格だったし」
「……」
 そうでしたっけ。
 だいたい、猫みたいな性格ってどんなのなんだろう。
 気まぐれってこと? わがままってこと? それなら、まぁ……当たっているかもしれない。さんざん土方に我儘を言って困らせた覚えがある。
 江戸はもちろん、京にのぼってからもかなり手を焼かせた自覚ありだ。それで好き好きだったのだから、どうしようもない。好きだから我儘言いたくなるのか、なんなのか、よくわからなかったけれど。
 猫みたいにじゃれついていた記憶はある。


(でも、実際、今は猫なんだよね。どうしたらいいのかなぁ)


 何がどうなったかはわからないが、今、自分は仔猫だ。それも大好きな人の傍で。
 これじゃ何も話せないし、何も出来ない。もちろん、人になったらなったで、困りはするのだけれど。
 総司である姿を見られて、いったいどう説明したらいいのか。
 ずっと猫のままじゃ困るし、かといって「沖田総司」になっても困る。
 これから先、どうしたらいいのだろう。


 総司は土方に頭を撫でられながら、ちょっとだけ考え込んだ。