「み! み! み!」
「おい、興奮するな。酔っちまうぞ」
「み?」
「わかった、船にびっくりしているんだな」
土方はくっくっと笑いながら、総司を優しく撫でた。
それに、みぃと鳴く。
数日後のことだった。二人は船に乗っていた。(訂正、一人と一匹)
海だ。船なのだ。
北へと言われたが、どこへ行くかはわからない。ただ、ここ仙台を離れて新撰組が移動することは確かだった。
びっくりするぐらい立派な船に乗せられて、総司はきょろきょろしていた。もちろん、土方の懐から顔をのぞかせて、だ。
「本当に連れていくんですね」
ちょっと呆れたように、島田が傍から言った。巨体を揺らして笑っている。
「当然だ、俺が言ったこと違えるはずねぇだろう」
「ですね。しかし、副長が猫とは」
「似合わねぇか」
「似合うというか似合わないというか、よくわかりません」
島田は京にいた頃と、彼への対応が変わっていた。
けっこう気やすい口調で土方と話している。
長く一緒に戦ってきたゆえだろう。それを土方もおおらかに許しているようだった。
否、他の隊士たちに対しても同じだ。京にいた頃は見せることがなかった笑顔で、穏やかに応じている。
江戸の頃に戻ったようだった。
これが本来の姿なんだものね、と、総司は思う。
京にいた頃の土方は完全に自分をつくっていた。冷徹で血も涙もない、鬼の副長。
あれはあれで格好よかったけど……やっぱり、こうして優しく笑う土方さんの方が好きと、うっとり見惚れた。目がハートになっていたのかもしれない。
「おお、この猫、とろーんとした顔で副長を見ていますよ」
意外と鋭く島田が指摘した。それに慌てて顔を引き締める。
島田さん、余計なことを云わないで!
きっと目をつりあげれば、島田は不思議そうな顔になった。
「……なんか、この猫、誰かを思い出させますね」
「誰か?」
「そうですよ。可愛くて、きれいな瞳で、気が強そうで……うーん……」
唸っている島田を、他の隊士が呼んだ。それに去ってゆくのを見送っていると、土方が肩をすくめた。
「誰かに似ているって……そりゃ、総司だろ。可愛くて綺麗な瞳なんて、他にいる訳ねぇよ」
「……」
また美化しまくっている!
なーんか、土方さんの中で私の位置づけってどうなんだろう。
元気で手をやく弟じゃなかったの?
そういう扱いしかしてこなかったのに、ここにきて、いきなり可愛いとか綺麗だとか言われて戸惑いまくりだ。
ぼんやりそんな事を考えていると、ゆるゆると船が動き出した。
初めはよかった。風が気持ちよかったし、景色も迫力満点だったし。
だが、しかし。
(やっぱり、きたー!)
前に大坂から戻る時もそうだったが、船はとにかく酔う! げろげろに酔いまくってしまうのだ。
それは総司だけに限ったことではなく、他の人々も同じくだった。その証に、あおーい顔をしている人がごろごろいる。
その中で、平然と立って海を眺めている彼は、ある意味、異常異端! 「さすが鬼の副長だ……」なーんて言われているし。
「う、ぅみー」
「あれ? 酔ったのか。猫でも酔うんだな」
土方は心配そうに総司を覗き込んできた。まったく平気の平左みたいで、のんびり喉下を撫でてくる。
その元気、こっちに下さい!
ってか、なんであなたは酔わない訳!?
「よしよし、こうして抱えてやっても駄目かな。固定した方がいいんだろうなぁ」
土方は総司の体を手のひらで包みこむようにして、少しでも揺れを感じないようにしてくれた。その気遣いに愛を感じる。
いや、猫で愛を感じても仕方ないんだけど。
なんだかんだで、土方は船に乗っている間も総司を手放そうとしなかった。世話をし続けたのだ。まわりが船酔いで撃沈していても完全スルーなのに、猫の世話だけは怠らない。
偏りまくった彼の愛(?)のおかげでか、かなり船酔いも軽減された。
そして、それはそんな夜の事だった。
船での泊まりだったが、それは別にいい。彼と一緒に個室で、しかも同じ布団で休んだが、それも別にいい。
問題は、彼の行動だった。
「おやすみ」
そう言って、土方は総司の口に、ちゅっと接吻したのだ。思わず目が点になる。というか、かぁぁぁっと耳まで真っ赤になった自覚があった。
接吻!
せっぷんっ。
ひ、ひひひひ土方さんと、接吻したの私!?
気絶しなかっただけ偉いと褒めて欲しい。
何しろ、大好きで、ずーっと恋しつづけてきた愛する人との初めての接吻が、こんな簡単に愛もない状態で行われてしまったのだから。
呆然としていると、土方が首を傾げた。
「なんか、おまえ、照れてないか? 赤くなってる気がする」
「……み」
「可愛いなぁ、初な小娘みたいだな」
くくっと喉奥で笑ってから、土方は総司をゆるく抱いた状態で布団に入った。そのまま、もう一度、ちゅっと口づけられる。
あ、だめだ。
今度こそ、歓喜と少しのショックのために、気を失った。
夜中、である。
ふと目が覚めた総司は喉が乾いたなぁと思った。
水を飲みにいこうとベッドから降りかける。とたん、気がついた。
足が、足なのである。つまり人の足、なのだ。
「!?」
慌てて見回せば、総司は白い小袖を身に纏っていた。
裸足だ。このあいだの夜明けと同じように、人に戻ったらしい。というか、いったいどっちが本物の自分なのか謎なのだが。
おそるおそる様子を見ると、土方はぐっすり眠っているようだった。考えてみれば、一見神経質のようで、意外と豪胆な彼はどこでも寝られるのだ。
よくこんな揺れの中で眠れるなぁと思った。海が荒れているらしく、ぐらぐら揺れている。
それを認識した瞬間、気持ちが悪くなった。
「うわー、気持ち悪いっ」
思わず両手で唇をおおった。意外と声が大きかったらしい。土方の目が開いた。
がばっと起き上がり、総司を覗き込んでくる。
「どうした!?」
「き、気持ち悪……っ」
「船酔いか! 外に出よう」
大きな手で腕と腰を掴まれたと思った次の瞬間、ひょいと抱きあげられていた。物凄い勢いで甲板に走り出ていく。
ぐらぐら揺れてかえって吐きそうになったが、必死に我慢した。外へ出たとたん、夜空が広がる。
冷たい風を吸い込んで、少し気分がましになった。
「お、おろして下さい。ここの方がいいです」
そう懇願すれば、甲板の上に壊れ物を扱うように優しく降ろされる。うずくまると、傍らに土方が跪いた。
「大丈夫か? 寒くねぇか?」
心配して、総司の体に自分の上着を着せて包みこんでくれた。
いつの間に持ってきたのか、まめな人だ。
でも、なんでこの人平然としているの?
ずっと一緒にいたみたいに、当たり前に行動しているの?
総司は気持ち悪いやら、混乱するやらで、涙目になりながら、傍らの彼を見上げた。それに、土方が目を見開く。
「……可愛すぎだ、おまえ」
「土方、さん」
「本当に可愛い。めちゃめちゃ可愛くてたまらねぇよ」
大きな瞳を潤ませて、桜色の唇を震わせる様は、男の庇護欲をそそりまくった。それと同時に、雄特有の欲も。
細い小柄な体を思わず両腕で引き寄せてしまう。びくりと竦むのが尚更可愛くて、きつく抱きしめた。
「……」
その土方の腕の中で、総司はしばらく呆然としていたが、はっと我に返った。
このままじゃまずい。っていうか、何なのこの状況!
慌てて身を捩って、彼を見上げた。それを、土方は濡れたような黒い瞳で見つめ返す。
(……格好いい……っ)
月明かりの下、黒髪が柔らかく乱れ、寝着に使っているらしい紺色の着物が少し肌けていた。そこからのぞく褐色の肌に、どきどきする。
切れの長い眦がつりあがり、黒曜石のような瞳は、総司だけを見つめている。微かに開かれた唇が少し濡れて、息を呑むぐらい色っぽかった。
ぼうっと見惚れかけた総司は、またまた気がついた。
見惚れている場合ではないのだ。
こんな処に突然、「沖田総司」がいる事をどう説明すればいいのか。
「あのっ、あのですね……っ」
口ごもりつつ何とか説明しようとしたとたん、傍らから別の声がした。島田だ。
「どうしたのですか、副長。こんなところで」
「あぁ」
土方がふりかえって、立ち上がる。それに総司は息を呑んだ。
やばい、無理。私、説明できる自信ありません!
猫に戻りたい!
次の瞬間、ぐにゃりと視界が歪んだ。
あっという間に猫に戻り、それを感じたとたん、大急ぎで身をひるがえした。そのまま部屋へ駆け戻る。
物凄い勢いで布団にもぐりこみ寝たふりをしていると、しばらくたって土方が戻ってきた。
おもむろに手をのばして布団をベロンとめくり、まじまじと総司を凝視している気配がする。
かなり長い沈黙の後、はぁっとため息が聞こえた。
「……俺、疲れているのかな」
「……」
「幻覚みるって、やばすぎだろ」
ぶつぶつ言いながら、土方はベッドにあがった。そのまま総司を手のひらで包みこむようにすると、目を閉じる。
その様子を伺っていた総司は、彼の寝息が聞こえてきたところで、そろりと目を開けた。
どうやら幻覚だと思ってくれたらしい。それは当然だろう。
江戸にいるはずの総司が突然、北へ向かう船の上に現れたのだ。幻だ、夢だと思って当然だった。
むしろ、現だと断言された方が怖い。
(でも、どうして人の姿になったのだろう)
夜が鍵という訳でもなさそうだった。生まれ変わってから何度も夜を過ごしているが、人に戻ったのは二度だけだ。
もちろん、総司もこのまま猫でいることには抵抗がある。なんと言っても、彼と意思疎通ができない事が辛かった。
にゃあにゃあ言っても、好きも愛してるも伝わらないのだ。
(そりゃ、人だった時も言えなかったけど)
だからこそ、なのだ。
今度こそしっかり告白したい。自分の気持ちを伝えて、踏ん切りつけたいのだ。
が、いきなり人になるのも困る。もう少しなんというか、上手く運ぶ術はないのだろうか。
総司は彼の手のひらに包まれながら、うーんと考え込んだ。
朝、である。
清々しい……いや、船のガタグラ揺れのせいであまり清々しくない朝だ。
ご飯なんて当然食べられるものではない。
総司は、与えられたご飯をいらないと前脚で押しやったが、上から降ってくる鋭い視線にピシリと固まった。
「…………」
いつもなら周囲の状況などガン無視で、優雅に朝餉をとっている男。なのに、何故か、土方は食事をとることもせず、総司だけを真っ直ぐ見つめていたのだ。
な、ななな何でしょう?
口がきけたなら、そう訊ねていたに違いない。
が、猫である以上、黙って下をむいて寝たふりをした。ぐー。
「……やっぱりそんな事あるはずねぇよな」
土方は、はぁっとため息をついた。机に頬杖をつき、総司の頭をくりくりと指で撫でる。
「おまえが総司みたいに可愛いから、いや、総司が猫みたいに可愛いから……どっちでも同じか。可愛いものは一緒に見えてしまうんだな。いや、もしかして、おまえが総司だったらと思っているから、あんな幻を見ちまったのか……」
「……」
「なぁ、どう思う?」
間近で覗き込まれ、ますます寝たふりするしかなくなった。
総司だったらって……総司です、はい、ここにいるのは沖田総司です。って言ったら、どうなるだろう?
やっぱり怖い。生まれ変わりだとか、猫だとか人だとか、いろいろと信じてくれるのか、不安なのだ。
ひたすら寝たふりしていると、諦めたのか、土方は総司をそっと手のひらに抱きあげてくれた。いつものように懐に入れてくれる。
ぬくもりを感じながら、ずっと傍にいたいと願った。
その数日後、北へついた。
やっと船から降りられると思った総司は、喜んで甲板に出た。とたん、ぶるぶるーっと震えた。
……さむっ!
何これこの寒さ信じられないんですけど何でこんな寒いのやってられない凍りそうあたためてよねぇねぇあたためてぇぇ――ッ!
声にならない心の叫びを聞き取ったのか、土方がすぐさま懐の中にいれてくれた。
それも柔らかなあたたかい布で包み込んだ状態で入れてくれる。おかげで、ふかふかだ。
ほっと息をついた総司に微笑み、土方は船から降り立った。すぐさま新撰組の隊士たちが後につづく。
季節は完全に冬! だった。それも真冬だ。
彼の艶やかな黒髪が風に吹き乱された。それを片手で煩わしげにかき上げながら、隊士たちの報告を聞く彼の格好よさに、総司は思わず見惚れた。
黒い洋装の上に黒のコートを纏っていた。編み上げの革靴をはいて、すらりと長い足を包む黒いボトム。ふわりと風をはらむ黒いコートが逞しく引き締まった長身に似合っている。
その懐に仔猫をいれているが。
ちょこんと顔をのぞかせている仔猫に、何も知らなかったらしい男たちが唖然とした顔になった。
あ、ごめんなさい。
土方さんの評判やばくしちゃった?
慌てて中へもぐりこもうとしたが、その動きに土方が気がついた。優しく耳を撫でられる。
「どうした、眠いのか」
「……み」
「そうか、少し眠っていろ」
くすっと笑う声が心地よい。
土方のしなやかな指がくすぐるように耳を撫でるのも、気持ちいい。ふうっと体の力が抜けて、反対にちょっと体の芯が熱くなってくる。
なんだろ、これ。
めちゃめちゃ気持ちいいんですけど。
昔も頬や首筋を撫でてもらったことを、ふと思い出した。
子供のころだけではなく、京にのぼってからも、二人身をよせあった時など、撫でられたことがあったのだ。その時と同じような感覚だった。
土方さんの手って、魔法がかかってるみたいだ。
そう思いながら、総司はそっと目を閉じた。