とにもかくにも。
最愛の恋人と、愛人(?)の可能性がある女との遭遇は、百害あって一利なしだ。
今すぐクルリと背を向け、土方は、その場から猛ダッシュで逃亡したくなった。
男らしくないでも何でも言えばいい!
俺は心底、今の状況がこえぇんだよッ。
だが、それを察したのか、いきなり両側から腕をガシッと掴まれた。近藤と原田だ。
近藤は親心ゆえだろうが、原田は完全に面白がっている状態だった。
「……は、離せよっ」
小声で言ったが、原田はにやにや笑った。
「離したら逃げるだろー」
「逃げねぇよ」
「うそうそー、今逃げようとしたくせに」
「そうだぞ、歳、往生際が悪い。両手に花ではないか」
「気持ちの悪いこと言うなッ」
半ば引きずられるようにして、土方は屯所の門前まで辿りついた。ちなみに黒谷から一部始終を見てきた島田は、もはや触らぬ神に祟り無しでそそくさと門をくぐっていく。
それを恨めしげに見送りながら土方は、二人の手をふりほどいた。こほんと咳払いしてから、話しかける。
「こんな所でどうしたんだ」
比較的無難な言葉を投げかけたつもりだったが、とたん、総司と君菊から冷たい視線を浴びせられ、う、と詰まった。
総司が静かな笑顔で答える。
「お帰りなさい、副長。こんな処って、ここは屯所の門前ですが」
「そ、それはわかっているが、その」
土方は君菊の方へ視線を泳がせた。
「急に訪ねてきて驚くだろう」
「そうどすか? 先日、にきわてにお伺いする、ゆうたんどすけど」
「それは、そうなんだが」
「この子産むとなったら、お家こしらえてもらへんとあきまへんし」
「…………」
た・の・む・か・ら! その話題だけは出さんでくれ!!!
と、絶叫したい土方の気持ちなどお構い無しで、君菊は艶やかな笑みをうかべた。
「こうゆう事は早めに……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
土方は必死になって押しとどめた。
「一つ聞きたいが、君菊、おまえなら、幾らでも他に男がいるだろう。何で、俺なんだ」
「うちー、前から思うてましたんえ」
君菊はにっこり笑った。
「世話をしいやもらうんなら、性格はともかく、顔がよおて、お金がある男はんがよろしいなぁと」
「……それは、俺の性格が悪いと聞こえるが」
「そないでっしゃろ? 土方はん、顔はえぇけど、お金もありはるやけど、性格はえげつないどす」
「え、えげつない……」
今までさんざん性格が悪い、酷い、冷たいと罵られていたが、君菊のまったりとした京都弁で言われると、尚更、グサッとくるものがあった。
「それに、子が出来やはったのどすから、お世話しいやもらおうと思って、当然ほなあらしまへんか」
「君菊、それなんだが」
言いかけ、不意に、はっと気がついた。
何でまた俺はこんな目立つ所で、こんな話をしちまっているんだ!
しかも、総司の前で!
そおっと視線をやれば、総司は凍りついた笑顔をこちらに向けてきた。
口元は笑っているが、目は完全に笑っていない。可愛い顔だけに、その笑顔は非常に恐ろしかった。
ほとんど、ホラーの世界だ。
「ば、場所を変えようか」
そう言った土方に、君菊はあっさり「へぇ」と頷いた。今はとりあえずこの場を離れることだと、君菊を連れて歩きだす。
本当は後ろ髪ひかれる思いだった。今すぐ可愛い最愛の恋人もとへ駆け戻り、ぺこぺこ土下座して許してもらいたかったが、期限を切られている以上、この際四の五の言っていられない。
総司のためなら何でも出来ると思うが、それはそれ、これはこれなのである。
(俺も男だ、恋人のためなら例え火の中水の中! だけど……さ)
はぁ、とため息をついた。
(やっぱり、おかしくねぇか? 覚えのない浮気疑惑で、恋人自身に三段突きされるなんざ)
自分が三段突きされる様を思い浮かべた土方は、すぐさま、ぶるぶるっと首をふった。
冗談ではないのである!
ここはなんとしても疑惑を晴らし、総司との甘い甘い愛の日々を取り戻さなければならないのだ!
よし、頑張るぞ! と決意もあらたに、土方は君菊の方へ向き直った。
すると、彼女はこちらに背をむけて肩を震わせている。それに、はっと我に返った。
君菊は身ごもっているのだ。しかも、彼の子供(かもしれない、認めたくはないが)を身ごもり、いつまでたっても音沙汰のない(いや、まだ数日しかたっていないが)彼のもとを訪ねてきた。その上、否定ばかりして冷たい対応をされれば、泣きたくもなるだろう。
「あー、その」
土方は言葉を探しつつ、視線をさまよわせた。幸いにして、周囲に人気はない。
そっと肩に手をおいた。
「すまなかったな。人前で、つい要らぬことを言っちまった」
「……」
「君菊、その……泣かないでもらえないか。俺が悪かったから」
「……泣いて、まへん」
君菊は小さな声で答えた。それを強がりかと思ったとたん、彼女が振り返った。その目には涙など全くない。それどころか、思いっきり満面の笑みだった。
思わず目を瞬いてしまう。
「君…菊?」
「笑ってしもて、堪忍しいやおくれやす」
「え」
「さいぜんから見させてもろておいやしたら、土方はん、百面相しいややはるから、おかしくて、おかしくて」
「……」
呆気にとられる土方の前で、君菊は、ぷぷぷと笑った。
「おもしろかったどすぅ」
「君菊、おまえなぁ」
「ほんま、総司はんが大事なんどすねぇ」
君菊はにこやかな笑顔で言った。
「かいらしい人やから、当たり前どすか。うちも、総司はん、可愛いて好きどす」
「おまえ!」
思わず、土方は足を踏み出した。
「小楽が言っていたことは、本当なのか! おまえ、総司にも手を出し……」
「まだどすけど? けど、こっから先はわからしまへん」
涼しい顔で言ってのけた君菊は、にっこり笑った。
「それよりも、うちが住むお家、見つかりました?」
「え」
「休息所、ゆうんどすか。とにかく、はよう見つけておくれやす」
「言っておくが、君菊。見つけても、その頃、俺、寝込んでいるぞ」
「?」
不思議そうに小首をかしげる君菊の前で、土方は、はぁっとため息をついた。
「おまえとのことが原因で、十日後に、俺は総司に三段突きくらわされる。あいつは天才剣士だからな、俺は絶対避けられねぇ」
誰のせいだと思っているんだとばかり、恨めしげに言ってやったが、君菊は平然としたものだった。
「そうどすかぁ」
深々と頷いた。お腹をなでながら、つぶやく。
「ほな、余計に早うお家こしらえしいやもらおりませんと」
「あっさり納得するなよ! っていうか、おまえ、ほんっと自分の事しか考えてねぇなッ」
「へぇ。あ、そないどしたら、総司はんと所帯もつのも、よろしいなぁ」
「それだけは絶対に駄目だッ!!!」
思わず叫んでしまった。ほとんど絶叫ものだ。
「うち、言いましたやろ?」
しかし、君菊は、土方の気持ちなど全く頓着しない。
「顔がよおて、お金もってやはる人が好きやて。総司はん、一番隊組長さんやから、お金もってやはるやろし、顔はお人形はんみたいに綺麗で、かいらしいて」
「だから! 絶対絶対絶対だめだッ!」
土方は地団駄踏まんばかりに主張した。だが、君菊は全く聞いていない。小唄を歌いながら、その辺りの花などを眺めている。
(人の話も、たまには聞けよーッ)
何でこう、俺の周りは人の話を聞かねぇ、ひたすら我が道を行く奴ばかりなんだ!?
と、まぁ、自分のことは思いっきり棚にあげて、思った。
「総司は俺のものだ。絶対おまえにはやらねぇ」
そう言った土方の前で、君菊はまったりと小首をかしげた。
「土方はんは、関係あらしまへんえ」
「関係おおありだろうが! とにかく、それだけは駄目だ」
「しょうあらしまへんなぁ」
君菊はわざとらしくため息をつくと、言った。
「ほな、取引として、はよう家用意してもらいまひょか」
「……」
「あ、ゆうときますけど、借家はいやどすえ。ちゃんとお金出して、買っておくれやす。うちらがあんじょう暮らしてゆけるよう」
「……」
無言のまま、君菊を見た。
何か言ってやろう! とは思う。だが、この一見嫋やかでその実、超頑丈剛鉄製である彼女に対して、これ以上言うべき言葉は思いつかなかった。というか、もはや何も言う気になれない。気力もない。
土方はため息をつくと、力なく頷いたのだった。
「え」
その話を聞いた時、総司は思わず固まってしまった。
というより、怒りで頭の中が真っ白になった。握っていた箸がピキッと音をたてた程だ。
ご飯の最中だった。
遅い昼ごはんになってしまったため、総司と数人の隊士しか広間にはいなかった。総司は広間に土方の姿ないことにがっかりしながら、膳を置いた前に坐った。いくら嫉妬で怒り狂っていても、愛しい男なのだ。逢いたいに決まっていた。会えばツンツンしてしまうし、怒ってしまうのだが、大好きな彼を会えることは総司の幸せだ。
「あ、山崎さん」
少し離れたところで食事をしている男に気づいた総司は、思わず声をかけた。
それに、山崎はぎくりと振り返った。そこに総司の姿を見つけたとたん、慌てて頭を下げ、そそくさと膳を持ち上げる。
明らかにまだ食べている最中だったのに出ていこうとする山崎の様子に、総司の目がほそーくなった。
「山崎さん、待って」
ぴしりとした口調で呼びかけられ、山崎の足が止まった。張り付いたように動かない。
それに、総司はにっこりと笑いかけた。
「こちらで食事ご一緒しませんか」
「い、いいいえ、私、もう済ませましたので」
「じゃあ、話相手にでも、つきあって下さい」
「……」
一番隊組長、筆頭師範代という大幹部の肩書だけでも恐ろしいのに、局長近藤の一番弟子であり、その上、なんと、あの鬼の副長土方の恋人である沖田総司の言葉に、逆らえるような勇気ある隊士がいるであろうか。いや、いない。
山崎はすっかり観念した様子で、総司の傍へ向かった。のろのろと膳を置き、正座する。
にこにこと笑いながら、総司は言った。
「山崎さん」
「はい……何でしょう」
「私の顔を見て逃げるということは、何かあるって事ですね」
さすが隊随一の剣士、単刀直入である。
山崎がピキリと固まってしまったのを見ると、総司の笑みはよりにこやかになった。それが怖い。
「浮気しているというのは、知っているんですよ。君菊さんという綺麗な芸妓さんのお腹、大きくしちゃったことも」
「は、はぁ」
「それで? また何かあったとか」
「いえ、何もございません」
「山崎さーん、そんな隠さなくても。何を聞いてもびっくりしないし、私、怒りませんよ?」
にこにこ笑いながらのたまう総司の言葉を信じるものは、この京に誰もいまい。
怒るに決まっているのだ。それも、とんでもなく怒り狂うことは目に見えている。
そのとばっちりを受けたくない山崎は、必死になって否定した。
「何もありません。土方副長に限って、何も」
「ふうん? 私、土方さんのことだなんて一言も言っていないのに」
「え」
「浮気とか、君菊さんとか言ったけど、私、土方さんがしたなんて言っていませんよ。なのに、山崎さん、何で土方さん関連だと思ったの?」
「…………」
山崎はたらたらと冷や汗をながした。とんでもない地雷を踏んだかもしれない。
それでも必死に頭を働かせ、弁明した。むろん、これは土方のためではない、己の保身のためだ。
「わ、私は監察方ですから、いろいろと噂が入ってくるのです。それで、あのっ」
「噂ですかー、じゃあ、これも山崎さんなら知っているかな」
総司は可愛らしく小首をかしげた。
「最近、土方さん、外出が多いですよね。というか、毎日、朝から晩まで出かけているでしょ」
「はぁ」
「あれの理由、知っている?」
「存じ上げ……」
「休息所探しじゃねーの?」
不意に、上から声が降ってきた。見上げれば、原田が膳を手にして立っている。彼も所用で昼飯が遅かったのだ。
どんっと膳を置きながら、原田は「あぁ、腹へったー」と飯をかきこみ始めた。とても今、爆弾発言を落としたとは思えぬ態度だ。
「原田さん!」
総司は勢い良く原田の方へ向き直った。
「今の、どういう意味ですか」
「だからさ」
原田はあっさりと答えた。
「君菊のための休息所探しじゃねーの? って」
「……」
「この間も、君菊が屯所に来ていただろ? あの時せっつかれたんじゃねーの。さっさと探せって」
「……」
総司は無言だった。だが、ぎりぎりと握りしめる箸は今にも折れそうだ。
やがて、目の前の膳を見つめたまま、低い声で呼びかけた。
「山崎さん……」
「は、はい」
「今の、本当ですか。山崎さんが隠しているのって、これですか」
「そ、それは、つまり、あの、なんですか、その」
まったく言葉になっていない山崎に、総司は、ふうっとため息をついた。そして、頷いた。
「わかりました。全部よーくわかりました」
「……」
「浮気しただけでも許せないのに、休息所なんて! 三段突きだけじゃ納得できない……」
恐ろしいことを呟いている総司を前に、怯えきった山崎は助けを求めるように原田を見た。が、原田は呑気に言葉を重ねた。
「だから、言っただろ? 浮気が本当なら行動起こすんじゃねーのって。けどさ」
「何でしょう」
「三段突き以上って、何があるの? おれ、ぜーんぜん思いつかないんだけど?」
「……」
総司は無言のまま、原田を見た。そして、にっこりと笑ってみせた。
「秘密、です」
「……」
「でもね、あるんですよ? 土方さんにお灸をすえる方法なんて、幾らでもね」
「…………」
一番隊組長、こえ――ッ!
原田と山崎だけではない。その場にたまたま居合わせてしまった隊士たち全員が思ったことであろう。
鬼だと恐れられるあの新撰組副長に、「お灸をすえる方法なんて幾らでもありますよ」と豪語する総司は、ある意味、新撰組一の猛者だ。可愛い顔して世にも恐ろしい女王様なのだ。
たらたら冷や汗をながす山崎の隣で、原田は飯をかきこみながら、土方の健闘を祈ったのだった。
次で最終話、このシリーズも完結です。ラストまでぜひぜひおつきあい下さいませね♪