まずは対決なのである。
 そう、総司は固く固く決意していた。
 浮気をされた場合、相手のところへ乗り込むというのは定法だが、前はそれでややこしくなった(小楽の時)。だから、今回は直接対決でいこうと思ったのだ。
 総司は道場で、ぶんぶん竹刀をふりまわして準備体操をした。それを遠く斎藤が怯えた顔で眺めていたが、知ったこっちゃない。というか、視界にない。


(本当に浮気なら、三段突きなんだから!)


 ぶんぶん振り回しながら、総司は可愛い顔で心の中叫んだ。
 何しろ、今回は浮気どころじゃない。芸妓さんに子供ができちゃったというのだから、もはや一刀両断ものなのである。そこを木刀の三段突きで勘弁してあげようと言うのだから、私って優しい? と、総司は思った。
 むろん、この場合、木刀でも菊一文字でも、総司相手ではたいした違いはない。
 総司は竹刀を戻し、神棚にむかって一礼すると、道場を出ていった。その一部始終を一番隊隊士たちがカタカタ震えながら遠目に見ていたが、これまた知ったこっちゃない。
 とことこ歩いていくと、ちょうど、土方が部屋から出てくるところだった。総司を見たとたん、はっと息を呑む。心なしか怯えられている?
 総司は半目で彼を眺めた。
「……お話があります」
「あ、あぁ」
 土方は頷いた。一瞬、助けを求めるように視線をめぐらせたが、あいにく人っ子一人いない。
「何の話だろうー?」
「仕事ではありません。私事です」
「私事……」
「ここで話しますか。部屋で話しますか」
 どちらかに決めろと迫れば、土方は慌てて閉めたばかりの障子を開いた。
「部屋で話そう」
「はい」
 部屋に入り坐ってから、気がついた。どうやら、土方は黒谷にでも出かける処だったらしい。正装姿だったのだ。
 黒い絹の小袖に袴の武家姿が、これほど似合う男も珍しいだろう。端正な顔だちに黒がよく映え、惚れ惚れするぐらいの男前ぶりだ。
 それに、総司は思わず見惚れてしまった。
 が、土方がどこかびくびくしながら、こちらを伺っている様子に気づいたとたん、怒りがめらっと再燃する。


(びくつくってことは、浮気、本当ってこと!?)


「あのね」
 総司は単刀直入にいこうと、口火を切った。
「子供できたって、本当ですか」
「……」
「それも、君菊さんって綺麗な芸妓さんと、子供つくっちゃったって」
「…………」
 土方は無言だった。というか、何も言えない状況だったのだ。
 今もはっきり言えることだが、まったくもって覚えがない。覚えはないが、事実である可能性はエベレストよりも高かった。
 あの夜、泊まったことも確かなら、記憶がないことも確かであるのなら、君菊の言うことが100パーセント嘘だとは、到底断言できないのだ。
 それどころか、土方に記憶がない以上、君菊の主張にバッチリ軍配があがってしまうだろう。
 つまりは、何がどう転んでも真実がどうであっても、土方は、君菊の子を自分の子として認めざるを得ないということなのだ。
 満足げな君菊の高笑いが聞こえるような気がしつつ、土方はようやく口を開いた。
「総司、あのな」
「……」
「俺、覚えがねぇんだ。そんな事した覚えもないし、君菊って全然好みじゃねぇし」
「じゃあ、どうして子供ができちゃうの?」
「う」
「覚えがないんなら、子供なんて出来ないでしょ。違うって断言出来るはずじゃありませんか」
「……」
 お説ごもっともなのであるが、事はそう簡単にいかないのだ。
 土方は、珍しく爆睡したあの夜の事を深く深く、それこそ地面へめりこむがごとく後悔していたが、今更どうしようもない。
 とにもかくにも、記憶がないため、肯とも否とも言えず、唸ってしまった。頭を抱え込む。
 それに、総司は畳み込むように追求した。その可愛らしい顔は相変わらずなのだが、完全に目が据わっている。ちょっと、いや、かなり怖い。
「断言できないってことは、そうなんですよね。やっぱり、子供つくっちゃったんですね」
「いや、俺、本当に覚えがないんだ。記憶がすっぽり抜けていて」
「都合の悪いから忘れたって訳?」
「そうじゃなくてっ」
 必死に弁明しようとする土方の前で、すくっと総司が立ち上がった。驚いて見上げれば、にっこりと笑いかけられる。が、目は笑っていない。
「土方さん」
「う、うん」
「道場行きましょう」
「え……」
「稽古の相手、してくれますよね」
「………………」
 さぁーっと血の気が引く思いがした。というか、本当に血の気が失せた顔で、土方は固まった。
 この状況で総司との稽古など、何を意味するかわかりきっている。土方はそこまで鈍くないし、それどころか、頭の回転が超早い男なのだ。すぐさま、何が己を待ち受けているか、察知した。
 やばいやばいやばいと、必死に頭をめぐらせた。
 なんとかこの状況を回避することが出来ないのか。というか、何で身に覚えもないことで、こんな状況に陥らなければならないのか。あまりに理不尽ではないか!
 土方は必死の覚悟で、総司を見上げた。
「す、少し時をくれ!」
「……」
「俺は本当に覚えていないんだ。確証もない。だから、その、時をくれないか」
「何をするつもりなのです」
「調べてみる。俺が本当に君菊を孕ませたのか、確かめてみる」
「それで、もし」
 総司は小首をかしげてみせた。
「やっぱり、あなたが君菊さんと子供をつくったという事になったら、どうするの?」
「その時は、俺も男だ。潔く諦める」
 きっぱり言い切った土方を、総司は大きな瞳でじーっと見つめた。それから、ようやく納得したらしく、こっくり頷いた。
「ただし、期限は切ります」
「期限……じゃあ、その、十日で、どうだろうか」
「わかりました。十日後ですね」
 総司は言うことだけ言うと、さっさと背を向けた。部屋を出ていく。
 それを見送り、土方はハァーッと大きく息をついた。体中の力が抜けた気がする。
 というか、(どれだけ緊張していたんだ、俺)と思いつつ、畳の上にごろんとひっくり返った。












 とりあえず、頑張るべし! なのだった。
 幸い、調査などについては、お手のものだ。が、しかし。万一、それで本当に君菊の腹の子が土方の子だった場合、どうすればよいのか。
 その時はその時で考えようと、あくまでポジティブな土方は思った。きっと、何か方法があるはずだ。
 土方はすぐさま隊務など、うっちゃって、先斗町へ向かおうとした。が、すぐさま障害が現れるのがこの世の常というものである。
「……そうだ、黒谷だった」
 総司とのやりとりですっかり忘れていたが、今日は黒谷で打ち合わせの予定だったのだ。しかも、既に近藤は向かっているはずだった。
 一瞬、ばっくれてやろうかと、思ったりする。どうせ近藤が行っているのだからいいかな? と誘惑にぐらついたが、後で総司にばれれば怒られると思った。何しろ、総司は、土方の言動にうるさい。あくまで仕事が出来て格好いい副長であることを求めてくるのだ。そのため、ちょっとサボろうとしたり自堕落にしたりすると、どこからともなく現れ、きゃんきゃん叱りつけてくる。まるで妻のようだと思いつつ、まぁ、可愛い幼妻だからいいかと流してきたのだ。
 が、しかし、今や、その可愛い幼妻から三行半どころか、恐怖の三段突きを突きつけられている有様だ。それも十日という期限つきで。


(なんで、こんな事になっちまうんだ……)


 思わず遠い目になってしまった。
 そんな事をあれこれ考えている間に、さっさと黒谷なり先斗町なりに行けばいいのだが、ポジティブなくせに考え始めると長くなってしまう土方は、ため息をついた。
 可愛い総司を恋人にするまでも忍耐だったのに、その上、今度は身に覚えのない浮気疑惑までかけられているのだ。何かもう絶対おかしくねぇーっ!? と天にむかって叫びたい気分だった。
 が、ここで考えても仕方がないと、土方はようやく重い腰をあげた。身なりを整え、黒谷屋敷へ向かっていく。もっともその足取りは超重いため、なんだかんだ言って、約束の時刻より半刻も遅れてしまった。当然のことながら、もう打ち合わせは終わっていたようで、近藤が厳つい顔をより厳つくして待っていた。
「歳、遅いぞっ」
 いきなり怒鳴られ、土方は仕方なく謝った。
「すまん。所用で遅れた」
「どうせ総司とあれこれ話しておったのだろうが」
「…………」
 あんた、千里眼かよ!という的中率で言い切った近藤に、土方は素直に頷いた。
「まぁ、な」
「色恋沙汰で仕事を疎かにするなど、いかんだろう。男としてなっとらんとは思わんのか」
「……人のことが言えるのかよ」
 むっとして思わず言ってしまった。
「あんただって島原の女だっけか、最近いれこんでいるだろう」
「おれは入れ込んでも仕事を疎かになどせん」
「嘘つけっ、三日前、接待すっぽかして俺に押し付けたじゃねぇか」
「あ、あれは体調を崩したのだっ」
「何が体調だ、あんたが体調を崩すようなたまか、しおらしい事を言うんじゃねぇよッ」
「歳! おまえにだけは言われたくないぞ!」
「……局長、副長」
 傍ら、ひかえめな声がかけられた。
 振り返れば、島田が申し訳なさそうな表情で二人を伺っていた。それに、はっと我に返る。
 ここは屯所でも、はたまた局長室でも副長室でもないのだ。会津藩がいる金光寺、通称黒谷屋敷。二人の口喧嘩はバッチリ聞かれていたらしく、会津藩士らしい男がこちらに背を向け肩を震わせていた。
「……」
「……」
 二人は顔を見合わせると、気まずげに視線をそらした。そして、黙々と歩き出していく。
 影が長く長くのびる夕暮れ時、それで事が終わった訳ではなかった。
 黒谷屋敷を出てしばらくしてから、運悪く(?)十番隊の巡察と行き会ってしまったのだ。いや、巡察中に行き会うなら別に構わなかった。問題なのは巡察が終わった後であり、組長の原田がにやにやしながら「よう!」と手をあげたことだ。
 それに、いやーな予感を覚えたとたん、原田が言った。
「総司と会ってねぇ? 土方さん」
「……」
 思わず半目になった。それに、つらつらと言葉が続けられる。
「いやぁ、とっくの昔に三段突き食らってるかと思っていたんだけど」
「三段突き……」
 そう呟いて、ようやく土方も気がついた。またまたなのだが、この原田もあの騒動に一枚噛んでいるのだ。
「おまえ、また余計な事を総司に吹き込んだのかよッ」
 思わず声音が地を這った。が、原田はあっけんからんとしたものだ。
「余計なことってぇ? おれ、正直者だから本当のことしか喋らねーし」
「なんでも正直に喋りゃあいいってもんじゃねぇんだよッ。遠慮や気遣いとか、知らねぇのか!」
「おお! 土方さんが、遠慮、気遣い! 新鮮だねぇ」
 けけけっと笑いながら答える原田に、もはや処置なしと断じた。こいつ、いっそ切腹命じてやろうかッと思うが、さしあたって理由が見つからない。非常に残念なのである。
「おれ、君菊がいい女だって事ぐらいしか、言ってねーぜ?」
 原田はにやにや笑いながら言った。
「けど、土方さん、あんた、あの話本当なのかい?」
「何が」
「君菊を身ごもらせたってことだよ」
「な、何だとーッ!?」
 傍で叫んだのは、土方ではない。二人の会話をタンボ耳で聞いていた近藤である。
 往来であることも忘れ、土方の襟元を掴んでゆさゆさ揺さぶった。
「おっまえッ、総司という者がありながら浮気とは! それも子供つくってしまうとは!」
「近藤さん……落ち着いてくれ」
「これが落ち着けるかッ! 可愛い総司がっ、可愛い総司がどんな気持ちでいるかと思うと、哀れで不憫でたまらんぞーッ」
 もはや、ほとんど、娘可愛さに暴走するお父さん状態である。
「今この時も総司は泣いているのであろう! なのに、歳、おまえという奴は呑気に黒谷なんぞへ来おって」
「あんたが来いって言ったんだろうが」
「時と場合がある! おまえは総司が可愛くないのかっ」
「可愛いさ。すっげぇ可愛い。けど、今、俺の方が崖っぷち状態なんだ」
「どういう事だ」
「十日と期限を切られた上で、事を明らかにするよう言われている」
「君菊とのことか」
「あぁ」
「で、期限が来たら?」
「道場への呼び出しだ」
「…………」
 長い沈黙が流れた。やがて、近藤は憐憫の目で長年の友を眺めながら、静かに言った。
「歳、おまえ、終わったな」
「うるっせぇーよ! まだ全然終わってねぇし」
「それで三段突きなのか、ようやく話が見えた。うむ」
「そこ、納得するところか? 俺、全く納得してねぇ」
「納得も何も、自業自得なのだから仕方がなかろう」
「身に覚えがないんだよ。というか、あの晩のことは全く覚えてなくて」
 ため息をつきながら言った土方に、原田が「へーえ」と呟いた。
「やっぱり、その可能性があるってことなんだ」
「……」
「まさかねぇと思ったけど、土方さん、あんたもやるねぇ」
「嫌味か」
「いや、本気だよ」
 しみじみと原田は言った。
「あれだけ小楽の時にもめたのに、懲りずに浮気するあんたも勇気あるなぁと」
「だから、前も今回も全然浮気じゃねぇからッ」
「けど、可能性はあるんだろ?」
「う」
「じゃあ、仕方ねーよなぁ。潔く三段突き受けたら?」
「他人事だと思って簡単に言うな!」
「副長が一番隊組長の三段突きでふっ飛ばされる! か。めっちゃ笑えるよなぁ、わははは」
「おーまーえー」
 さすがに怒りの焔を背負った土方に、原田はやばいと思ったようだった。それきり何も言わず歩く。が、あれこれ喋っているうちに、屯所である西本願寺が見えてきていた。
 だが、しかし。
 その門前に佇む姿に、土方は思わず立ち止まってしまった。呆気にとられ、何度も見直してみたが、事実は変わらなかった。
 確かに、先日近いうちに来ると言っていたが。
 伺わせてもらいますえと、笑っていたが。
 まさか、ここまで電光石火の早業で出現するとは、土方も想像だにしていなかったのだ。思わず喉に声がからむ。
「き、君菊……」
 しかも、世にも恐ろしいことに、君菊の傍には、総司が佇んでいたのだった。
 にこやかな笑顔で。