「私、ですか?」
「そうどす」
「うーん、ごめんなさい。私、他の人と所帯をもつ予定なので」
「…………へ?」
小楽は目を瞬いた。
一瞬、何を言われたかわからなかったのだ。だが、少なくとも斎藤よりは、この手の事には巡りの早い小楽だ。
えぇっ? という顔になった。
「しょ、所帯って、総司はんがどすか?」
「はい」
にっこり可愛く笑って答える総司に、小楽は呆然となった。しかし、すぐに俄然やる気が出てくる。
所帯をもつってことは、相手はおなご。
おなご相手なら、この小楽が負けるはずあらしまへん!
なんとしても、総司はんを手にいれてみせますえ!
内心の燃え上がるような決意はともかく、小楽はにこにこしながら、総司の手に指を絡めた。きゅっと握りしめる。
「お相手は、どないなお方どすの?」
「え」
「こないな優しい総司はんと一緒にならはるなんて、けなるいどすわぁ」
「小楽さんもご存知の人ですよ」
きょとんとしたように、総司は目を瞬いた。それに小首をかしげる。
「うちの……?」
「えぇ」
「ま、まさか……」
思わず声が詰まってしまった。
一瞬にして、構図が頭の中で組み上がってしまったのだ。
所帯をもつという総司。
最近、身ごもった君菊。
相手は自分じゃないと言った土方。
(え、えぇーっ? そうゆうこと!? 総司はん、君菊姉はんの毒牙にかかってたのっ?)
自分の所業は棚に上げ、小楽は思いっきりショックを受けた。自分の知らない間に、ドロドロの三角関係がくり広げられていたなんて!
だいたい、総司は自分が狙っていた獲物なのだ。なのに、いつの間にか、あの君菊がゲットしていたとは。
(きぃぃぃっ、くやしーッ!!)
本当なら手ぬぐい噛みしめ、キリキリしたい処だが、総司の前ではそうもいかない。だいたい、ここは往来だ。いくら小楽でも、売れっ子芸妓としての体面というものがある。
「それは……おめでたいどすなぁ」
「? え、えぇ」
「けど、そないどしたら、君菊姉はん、何であないな事言うてやはるんやろ? 総司はんが口止めされたんどすか?」
念のため、小楽は訊ねてみることにした。
どうしてもどうしても、この可愛い可憐な総司をゲットすることが諦めきれないのだ。しかも、あの君菊に先を越されるなんて!
「君菊さん?」
きょとんとして聞き返した総司に、小楽は大きく頷いた。
「そうどす。君菊姉はん、お腹の子、土方はんの子やゆうてはりますえ」
「…………え」
「やっぱり、知っておられおへんどしたのどすか。総司はんのためかもしれまへんなぁ」
おそらくそうなのだ。
総司がまだ土方と別れることが出来ていないから、君菊は腹の子の父親が総司だと言えなかったのだろう。いや、もしかすると、土方と別れ話でもめている事を聞いて、土方への意趣返しに彼の名を出したのかもしれない。
(あの君菊姉はんやったら、十分ありえるわ)
おっとりと美しい芸妓でありながら、その実、かーなーりしたたかな君菊を思い出し、小楽は深く頷いた。
しかし、とにもかくにも作戦を練り直さなければならない。土方相手なら難しかったが、他の女相手に負ける訳にはいかないのだ。
(沽券に関わりますえ!)
ぐっと両手を握りしめて決意し、小楽は総司の方へ向き直った。それから、突然、うっと口元をおさえてみせる。
傍らでぼーっと突っ立っていた総司は、「え?」という顔になった。それに縋る。
「こ、小楽さん?」
「うち……急に気分が……」
「えぇっ? だ、大丈夫ですか」
「駕籠……呼んでくれますやろか……」
「は、はい。あ、ちょうどそこにっ、駕籠屋さーん! 駕籠屋さーん!」
総司は大急ぎで駕籠屋を呼んでくれた。それに謝る。
「食事……堪忍え、総司はん」
「そんなのいいですから。お大事になさって下さいね」
「おおきに……」
弱々しく笑いかけてみせて、小楽は駕籠の中の人となった。えっさほっさと小楽を乗せた駕籠が遠ざかっていくのを、総司は見送った。
そして、小さく呟いたのだった。
「……子供って、何?」
嵐の予感!!!なのである。
翌日、総司は予定どおりに原田の新居を訪れていた。
というか、急遽、原田が招待してくれたのだ。もちろん、原田の新居はお化け屋敷でもなんでもなく、こじんまりとしているが、明るい感じの家だった。掃除が隅々まで行き届き、とても清々しい。
原田の奥さんであるおまさは「ゆっくりしていっておくれやす」と、にっこり笑って茶を出すと、出かけていった。ちょうど実家に用事で行く日だったらしい。
「可愛らしい奥さんですね、原田さんにはもったいない」
と言ったのは、もちろん、総司ではなく斎藤である。
原田は茶を飲みながら、にんまり笑った。
「だろだろ? めっちゃ可愛いし気立てがいいんだ、これが」
「……」
「で、総司、おれの新居ってどうよ?」
「素敵ですね」
総司はぐるりと部屋の中を見回し、頷いた。
「とても明るくて、素敵だと思います。私もこんな所で暮らしたいなぁ」
「土方さんと?」
「え、えぇ……まぁ」
彼の名を出したとたん、口ごもって俯いてしまった総司に、原田は小首をかしげた。だが、所帯をもつ云々を知っている斎藤は複雑な顔をしている。
「聞いてよけりゃだけど……何かあったのかい?」
「あったというか、その、聞いちゃったというか……」
「何を」
「原田さん!」
突然、総司がぱっと顔をあげた。そして、問いかけた。
「君菊さんって芸妓さん、知っています?」
それに一瞬目を丸くした原田は、なるほどと頷いた。
「あー、小楽の次は君菊かい? 土方さんも忙しいねぇ」
「な、ななな何で、土方さんのことだと……っ」
「そりゃ決まっているっしょ。総司が悩むのは、あの副長の事に決まっているんだから」
「……」
「で、君菊がどうしたの。すげぇ別嬪で芸達者の芸妓だよ。小楽とはまた違った感じで、小楽より年は上、おっとりとして品の良い芸妓かなぁ」
「品の良い人……」
「土方さんと噂でもたっているの、聞いた訳? そんなの気にする事ないのに」
「だって、子供が出来たって言うんですよ!」
思わず叫んだ総司に、原田は目をまん丸にした。傍らで斎藤も呆気にとられている。
「子供って……あの、子供?」
「君菊さん、土方さんの子をみごもったって」
「本当? それ、間違いじゃねーの?」
「小楽さんが言っていたんです。だから、信憑性は高いと思います」
「なるほどねぇ」
「感心している場合ですか!」
叫んだのは、斎藤である。思わず両拳を握りしめ、熱く語ってしまった。
「そんなのおかしいでしょう! 土方さんは、この総司の念兄なんですよ。この先はともかく今現時点では紛れもなく念兄! なのに、芸妓に子を身ごもらせるなんて……ッ」
「まぁまぁ、はじめちゃん、落ち着いて」
原田は手をヒラヒラさせてから、総司の方に向き直った。
「で、総司はどうするつもり?」
「うーん、わかりません」
「これからの手段は幾つかあるねぇ。まず、土方さん本人に聞く、次に君菊自身に聞く」
「どっちも必要ありません!」
きっぱり言い切ったのは、斎藤だった。手をのばして、総司の手をガシッと掴むと、その可愛らしい顔を覗き込んだ。
「オレが一緒にいるから! そんな、総司がいるのに芸妓と子をつくるような男、別れてしまえばいい。オレが、これからは、オレが……っ」
「はーいハイハイ、はじめちゃん」
超重要な事を言いかけた斎藤を、原田はあっさり遮った。ひらひらと手をふる。
「熱く先走らないのー。まずは事実をはっきりさせてから、行動した方がいいでしょ」
「……」
確かに原田の言うことにも一理あった。珍しく正論を言うなと、斎藤は黙ってしまう。
「本当に君菊が土方さんの子を身ごもっていたら、そのうち、土方さん、行動起こすと思うぜ? まぁ、総司には内緒で休息所を構えるとか、落籍すとか」
「休息所って……原田さんみたいに家を用意するってこと?」
「いや、休息所はお妾を置くとこで、うちとは違うから。うちはちゃんと祝言あげてるし」
「だけど、芸妓さんと祝言あげる人もいるでしょう? 土方さんって、とっても誠実で律儀な人だから……」
「誠実で律儀、ねぇ」
とてもそうは思えない副長の顔を思い浮かべ、原田は呟いた。傍で、斎藤も首をかしげている。だが、そんな彼らの反応に構うことなく、総司は言った。
「私、土方さんが君菊さんを選ぶの我慢できません」
「おう、そうだろうとも」
「もしも、土方さんが君菊さんを選ぶなら、三段突きッ! なのです」
「お、おう」
ちょっと引き攣りながら答える原田と、固まっている斎藤をよそに、総司は小さな両手を固く固く握りしめたのだった。
一方、今度は芸妓妊娠疑惑をかけられている男である。
まさか、その噂が速攻で総司の耳に入っているとも知らず、毎日、のほほんと過ごしていた。先日、小楽に言われた君菊のことなど、まったく頭にない。
土方はある意味、ものすっごぐポジティブで、というか、完璧に前しか見ていない男なので(たまには後ろを振り返った方がいいのかもしれない)、数日前の事など百年前の事と変わらないのだ。
そんな土方なので、君菊のことなど完全に忘れ去った状態で、事もあろうに先斗町を訪れた。まぁ、彼を責める謂れはない。何しろ接待というか、つきあいだったのだから仕方がないのだ。
「……え?」
酒を飲んでいた土方は、顔をあげた。
傍に、小楽がやってきて耳打ちしたのだ。
「君菊姉はんに会っていきはりますか?」
「? 何で、俺が」
「いややわー、この間、話したやおまへんか」
小楽は笑った。
「君菊姉はんがみごもりはったって」
「あー、そんな事聞いたな。けど、確か、俺、違うって言っただろ?」
「そらわかっています。やて、総司はんの事もあるからお会いにならはった方がよおあらしまへんか?」
「??? 何でここに総司が出てくるんだ」
「総司はん、君菊姉はんと所帯もちはるつもりどすえ?」
「……は、はぁあああああっ!?」
思わず大声で叫んでしまった。
いつも寡黙な土方の叫びに、周囲がしーんと静まり返り視線が集中する。それに二人は慌てて部屋から出た。まさに、授業中の内緒話を見咎められた生徒二人の図である。
廊下の片隅で、土方は小楽に食ってかかった。あくまで小声で。
「それ、どういうことだよ! 総司が何で!」
「この間聞いたんどす。総司はんの口から直接、所帯をもつて」
「嘘だろ! それも何で君菊と」
「そないなこと知りまへん。たいがい、土方はんも気づかれおへんどしたのどすか? 総司はんが君菊姉はんと関係おしたこと」
「知るかよ。知る訳ねぇだろうが」
「鈍すぎるわー、そないやから逃げられるんどすえ」
「悪かったな! っていうか、まだ逃げられてねぇし!」
「ふううん」
小楽は奇妙な目つきで、土方を眺めた。紅い唇がにいっと笑う。
「そやけどー、うちは総司はんの口から聞いたんどすえ。所帯もつて」
「……信じられねぇ」
「気持ちはわかりますえ。可愛い恋人に逃げられた男どすからなぁ」
「だから、まだ逃げられていねぇって」
「まだ、どすなぁ」
嫌味ったらしく、ホホホと笑う小楽をひと睨みしてから(むろん、小楽には全く無効果)、くるりと踵を返した。それに、小楽が声をかける。
「もうお帰りどすか?」
「こんな所で呑気に酒飲んでいられるかっ」
「で? 屯所に駆け戻って、総司はん問い詰めはるん? そないなことしたら、火に油注ぐだけになりまへんか?」
「じゃあ、どうしろって言うんだよ」
「そないなこと知りまへんなぁ」
あくまで他人事とばかりの小楽に、これ以上話しても無駄だと、土方は今度こそ背を向けた。だが、正面を見たとたん、うっと詰まってしまう。
「……き、君菊」
「もうお帰りどすか?」
そこに現れたのは、噂の張本人(というか片側)である君菊だった。相変わらず艶やかで美しい。小悪魔で女王様である小楽とはまた違った美しさがある君菊は、この先斗町でも有名な売れっ子芸妓だった。で、この君菊を妊娠させたと疑いをかけられているのが、土方である。
しかし、これはもう彼にとって全くの濡れ衣だった。妊娠も何も、床入りさえしたことがないのだ。なのに、何をどうすれば子供が出来るというのか。
土方の好みは、自分より小柄で華奢で愛らしくて、優しくて甘くて、砂糖菓子みたいなタイプなのだ。つまりは、上から下まで、総司だけなのである。だから、君菊のようなタイプになびくはずがない。が、世間は違う。世間はそう思ってくれない。
「きょうび、お見限りどしたなぁ」
意味深に笑う君菊に、土方は思わず切れの長い目を向けた。
「おまえ、何であんな事を言ったんだ」
「何どすか」
「とぼけるなよ。俺の子を孕んでいるって、嘘吐いただろ」
「へぇ? ほんまの事どすえ」
「おまえなぁ、床入りもした事ねぇのに、何で子が出来るんだよ」
「床入りならしてますえ」
あっさり答えた君菊に、土方はふざけるなと言いかけた。だが、その前に君菊が艶然と笑う。
「先々月ん事どす。ここに泊まられたんやでっしゃろ?」
「……そんなこともあったな」
「そん時どす。床入りしたんやけど、覚えておられまへんのどすか?」
「…………」
土方は、さぁぁぁーっと血の気が引くのを覚えた。
覚えて……などいるわけがない。っていうか、まったく全然何も覚えていない。
そんな大事な事なのに、いくら頭をポカポカ叩きまくって考えても、思い出せないのだ。
だが、しかし。
(泊まったのは確かだ。あの日は疲れていて帰営するのが面倒になって、使いを出して布団に入って……で、で…………全然ッ覚えてねぇーッ!)
一気に青ざめてしまった土方に、君菊は、ふふっと笑った。
「覚えておられへんのどすか。やて、ほんまの事どすえ」
「……」
「そんわて、挨拶に行かせてもらいます。うちの家んこととか、いろいろと話どしたいさかい」
にっこり笑いかけてから、君菊はさっさと歩み去っていった。
それを呆然と見送っている土方を、小楽はさすがに気の毒そうな顔で見やった。
「一本とられはったなぁ」
「……」
「出る言葉もなしって、とこやろか」
「……」
もはや何も言う気力さえなく、土方はがっくりと肩を落としたまま、接待が行われている広間へ戻っていったのだった。