それから、である。
 土方は山崎も斎藤も原田も走らせ、街中を総司求めて探しまわった。もちろん、自ら、ぜぇぜぇ肩で息するぐらい走り回ったのだ。
 だが、しかし、どこにも総司の姿はなかった。手当たり次第、茶屋や料亭なども駆け込んでみたが、まったく見当たらなかったのである。
 そうこうするうちに、日も傾き、カラスがカァカァ鳴きながら帰る時刻になってしまう。
「……やばい」
 仕事も忘れて走り回ってしまったが、屯所に戻れば山積みの書類が彼を待ち受けているはずだった。それを考えただけで、尚更疲れがどっと増す。
 ため息をつきながら、土方は屯所の玄関口をくぐった。自室へ向かおうとすると、その前に誰かが立ちふさがった。
「……?」
 訝しく思って顔をあげると、そこに立っていたのは近藤だった。いかつい顔をより厳つくしている。
「何だ」
「何だではないぞ、歳」
「?」
「おまえ、総司をどう思っているのだ。というか、己の嗜好を押し付けるとは何事だッ」
「はぁあ?」
 呆気にとられた土方はその時になって、ようやく気づいた。
 近藤の後ろに隠れるようにして、総司がいるのだ。ぴょこんと髪や細い肩先が覗いている。
「総司ッ!」
 思わず足を踏み出した土方に、近藤は両手を広げて立ちふさがった。
「ダメだ。おまえを総司には近づけん」
「いったい何を言っているんだ」
「おまえ、総司がどれだけ悩んだと思うのだ。おれは総司の気持ちを思うと、切なくてッ切なくて……たまらんのだぞっ」
「何を言っているのか、さっぱりわからねぇよ」
 そう言ってから、土方はふと眉を顰めた。
「もしかして……あんたも、俺のことを、変態だとか何とか思っているのか」
「実際そうだろうが!」
「ちげぇよっ! 俺は変態じゃねぇって」
「歳」
 深々と、近藤はため息をついた。
「おまえ自身が己をそう思いたい気持ちはわかる。嗜好というものは、人それぞれだからな。おれもとやかくおまえの嗜好やら変態ぶりに、口だしをする気はない」
「……十分、口出しされている気がするが」
「だがな、歳」
 まったく土方の言葉など聞いていない近藤はカッと目を見開いた。
「己の嗜好を総司に押し付けるというのはいかんっ。ましてや、万人に受け入れがたいものを総司に押し付けるとは何事だ!」
「だから、そこに誤解があるんだよっ。俺はそんな変態じゃねぇ」
「おまえがそう思っていても、世間一般的には変態なのだ」
「違うって! そもそも話の根本から間違っ……」
 土方が言いかけた時だった。
 不意に、総司が小さな声で言った。
「近藤先生」
「何だ?」
 ころっと早変わりのように、にこやかな優しい笑顔で総司の方を振り返る近藤を、土方は思わず半目で眺めてしまった。その表情をちらちら見ながら、総司が言った。
「私、土方さんと話をしようと思います」
「総司」
「二人だけで話をした方がいいのです。でも、それは今じゃありません」
 総司はぺこりと近藤に頭を下げると、土方の方へ歩み寄ってきた。そして、大きな瞳でじっと見つめてくる。
 可愛い可愛い総司に、土方は思わず両手をさしのべそうになった。抱きしめたくてたまらなくなったのだ。
 だが、総司はその彼に対して、さっと一つの文をさし出した。
「? これは?」
「文です」
「それは見りゃわかるが」
「部屋で一人でご覧になって下さい」
「……」
 沈黙している土方にその文を手渡すと、総司はさっさと歩み去っていった。遠ざかる小さな後ろ姿を見送ってから、近藤が首をかしげた。
「おまえ、何をもらったのだ」
「わからん」
「見せてみろ」
「駄目だ、これは俺のものだからな」
「……」
 むうとした顔でいる近藤を残し、土方は大急ぎで部屋へ駈け戻った。言いつけどおり、部屋で一人で読もうと思ったのだ。
 いったい何が書いてあるのかと胸がどきどき……というか、びくびくしていたが、とりあえず気持ちを落ち着け文を開いた。だが、すぐに眉を顰めてしまう。
「……? これ何だ」
 そこにあったのは、一文だけだった。


 明日の日時と、場所。
 それも料亭だ。


 土方は行ったこともないし、当然、総司も行ったことがない料亭。割合こじんまりとして、だが、雰囲気もサービスも料理も良い料亭として有名だった。
 いつか総司と二人で行きたいなと思っていた処であるのは確かだったのだが、だが、しかし。
「総司が俺を誘ってきたのか? それとも……」
 悪い予想に行き当たったとたん、さーっと血の気が引くのを感じた。


 まさかまさかと思うが、離別を突きつけられるというか、別れましょう! と言われるとか……三行半を叩きつけられるとか!?
 いや、どれも同じだが。


「そんなの、理不尽すぎるだろー」
 土方は本気で泣きたくなってしまった。


 長年片思いしてようやく手にいれた恋人。
 初で箱入りなのを何とか色々頑張って、身も心も結ばれたのに、お褥もほとんどお預け状態にされた挙句、いきなり変態扱いでグッバイとは!


 何で、こんな事にならなければならないのか。
 そりゃ、わかってはいた。
 こっちの方がめちゃくちゃ積極的で、あの可愛い恋人は今ひとつ乗り気でなかったのだ。結局のところ、総司はこの顔に惚れただけだし、何度も別れる別れるというのをなだめすかし、どうにかこうにかやってきた。
 だが、やはり破綻が来るのは早かった、とういうか、早すぎた。
「破綻……やっぱり、別れ話か……」
 がっくりと項垂れた土方は、気をまぎらわせるため仕事をしようと、もそもそと文机に向かったのだった。


 ……土方が先に帰った事も知らず、町中を走り回っていた山崎、斎藤、原田が帰営したのは、その半刻後である。













 時は遡る。
 総司が文を土方に渡すことになった経緯として、まずは、お勉強をするために小楽の処へ向かったという事実があった。
 彼らが危惧したように乗り込んだ訳でもなんでもなく、純粋に、お勉強をさせてもらおうと思ったのだ。


 びしばし殴って男を喜ばせることがプロの小楽に、教えを乞えば、彼のことも満足させられるかもしれない!


 恋敵に教えてもらうのは忸怩たるものがあったが、ここは彼のためにぐっと堪らえようと小さな拳を固めた。
 だが、それでも、迷ってしまう。
 というか、小楽がいるらしいという店を訪ねてはいったのだが、なかなか中へ入れずに、外でうろうろしていたのだ。
 そこへ、お約束どおりに声がかかった。
「いやぁ、総司はんやおまへんのー?」
「え」
 ふり返ってみると、料亭に土方と二人で入っていった芸妓がにこにこしながら、歩み寄ってくるところだった。ということは、つまり、この芸妓が小楽だ。
 総司はちょっと戸惑った。
「あ…の、私のこと知って……」
「忘れはったん? 前に新撰組で宴開きはりましたやろ。その時にお会いしましたやん」
「えーと……」
 あまり宴が好きではないが、仕方なく出ることになることもある。
 だが、出席はしていても総司は土方のことばかり気にしているし、斎藤たちとご飯を食べることに夢中になったりしていて、つまり、芸妓などの女たちは皆、そこらの飾り物や置物と同じ状態になってしまっているのだ。
 めちゃめちゃ失礼な話なのだが、まさか、それを小楽に言うわけにはいかない。
「そ…うでしたね。はい、あの……小楽さん」
「名前まで覚えててくれはったんや! 嬉しおすえ」
 にっこりと笑う小楽に、総司は頼み事をしなければと、口ごもった。項まで赤くなりつつ、どうしようと迷っている。
 それを、小楽は楽しそうに、そう、心底楽しそうに、目をギラギラさせながら眺めた。まさに、獲物を前にした女王様の顔である。


(うふふっ、可愛いおすえ~)


 小楽は男を足蹴にできるぐらいの女王様なのだが、可愛いものも大好きだった。
 可愛いものを猫っかわいがりして、抱きしめたり頬に口づけたりするのが好きなのだ。そのため、小さな女の子も男の子も好きだったし、猫や犬も好きだ。
 そして、何よりもの大好物は、可愛いペットみたいな男の子だった!
 その点からいけば、総司はまさに理想そのものなのである。
 女の子のように可愛いし、しかも男の子だし、性格も優しくて素直で愛らしい。
 小楽は自分が気性が強くて我儘という自覚があるため、相手に癒し系を求めていた。もちろん、男たちを服従させることにも快楽を覚える女王様だが、一方で、癒やされたいと思ったりもするのである。
 そのため、小楽にとって一番好みから遠い存在なのは、土方のような男だった。
 土方はある意味、小楽とよく似ているのだ。相手を叩いたりしないが、俺様で傲慢で強引そのものだ。そんな癒し系とは真逆の存在など、御免被りたかった。
 ただ、友人としては気があう。同じような好みなので愚痴をいったり、酒を飲んでぐだったりすることが出来るのだ。
 その土方が夢中になって溺愛しまくっている総司を、小楽は前々から、「えぇわぁ」と思っていた。ぶっちゃけ狙っていたのだ。
 だから、今の状況は、小楽にとって、飛んで火に入る春の「ウサギちゃん」なのである。


「あの、小楽さん」
 総司はあらたまった様子で、切り出した。
 それに、小楽はにっこりと優しそうに笑いかけた。
「へぇ、何どすか?」
「私、教えて……もらいたいことがあるのです」
「?」
「ここでは、ちょっとその言いづらいんですけど」
 もごもごと口ごもってしまった総司に、小楽は微笑んだ。
「そうどすか。うち、えぇお店知ってますさかい、そこへ行きはりますか」
「え、えぇ。お時間をとらせて申し訳ないのですが」
「そんなん、かましまへんえ」
 柔らかな口調で言いながら、小楽は総司を連れて歩き出した。もちろん、この状況に、内心、ほくほく大喜びだ。


 二人きりで店に入ってしまえば、こっちのもの。
 抱っこしたり頬に口づけたりできるかも、いやいや、ここはおとなしくまずは仲良くなることが一番……。


 などと、どこかの副長のような事を考えつつ、小楽はある小料理屋に入った。その二階にある部屋へ落ち着き、あらためてにっこりと笑いかける。
「お食事はとらはったんどすか?」
「えぇ」
「ほな、お茶だけにしときまひょ」
 小楽は馴染みである店のものに、茶と茶菓子を用意するように言ってから、総司の方へ向き直った。
「で? お話とは何どすか」
「話というか、頼みがあるのです」
 総司はそっと訊ねた。
「小楽さんは、土方さんと仲が良いんですよね」
「へぇ、まぁ……そこそこは」
「お客になっていると聞きました。以前、料亭に二人で入られるところもお見かけしましたし」
「……ほんまどすか。それは……」
「私はそれを別に責めにきたのではありません。そうじゃなくて、あの、お勉強させてもらいたいのです」
「???」
 さすがに意味がわからない小楽を、総司は大きな瞳で、まっすぐ見つめた。そして、言った。
「土方さんが喜ぶ殴り方、教えてもらえませんか?」
「……へ?」
「男の人が喜ぶ殴り方、です。いくら喜ぶと言っても、いろいろ加減と頃合いとかあると思うのです。小楽さんはその道の達人とお聞きましました。それで、私、ご教授頂きたくて伺ったんですけど」
「……」
 小楽の顔が盛大に引き攣った。
 いくら、そのコアな世界で女王様として崇め奉られていると言えど、男を殴る達人などと言われて喜ぶ芸妓はいない。
 が、そのピクピク引きつる顔を片手で隠しつつ、小楽は訊ねた。
「それ……どなたはんに聞きはったんどすか? もしかして、土方はんどすか」
「え? 違います。ご存知かどうかわかりませんけど、うちの十番隊組長の原田さんです」


(……殺すッ)


 一言、心中で凄んでから、小楽はにこやかな笑顔を総司にむけた。さすが京の先斗町でも売れっ子芸妓なのである。
「そんなん、全部違いますえ」
「え?」
「うちは男のお人、殴ったことなんかあらしまへんし、もちろん、土方はんもとんでもない事どす」
「え、え……そ、そうなんですか!」
 総司は目を丸くした。それから、にこにこと菩薩のように微笑む小楽を前に、かぁっと耳朶まで赤くなってしまう。
「だとしたら、私はなんて失礼なことを! ご、ごめんなさいっ」
「えぇんどすえ。うち、総司はんとお話できたことが嬉しおすから」
「小楽さんって、優しいんですね」
 ほっとしたように笑う総司に、小楽もにっこり笑い返した。もちろん、内心、ほんま可愛いおす、帰しとうないわ~と思っている。
「でも、そうしたら、土方さんは小楽さんと……」
 総司はふと或る事に気づいて、長い睫毛を瞬かせた。
「その、色ごとで逢っていたということですか」
「それも違いますえ」
 小楽はあっさりと答えた。これは真実だから、さばさばと答えられる。
「うちと土方はんは、いわゆる飲み友達ってとこどす。美味しいお酒を飲んで、いろいろお喋りしたりする仲どすわ。いろごとなんて、まったくあらしまへん」
「え、でも……小楽さん、こんなにお綺麗なのに」
「おおきに。嬉しおすえ」
 ダメ押しのように笑いかけてから、小楽は言った。
「ほんま言うと、うち、土方はんみたいなお人、好み違うて、総司はんみたいな人がえぇなぁと思うんどす」
「わ、私ですか?」
「優しくて素直で可愛い感じの人が、好きなんどす」
「私……そんな、優しくも素直でもないですよ」
 耳朶まで赤くしながら否定する総司を、小楽はじっと見つめた。そっとさり気なく総司の手をとり、撫でる。
「そんな事あらしまへんえ? 土方はんのために頑張ろうと思いはったんやろ? 十分優しくて素直やおまへんか」
「そ、そうでしょうか」
「けど、土方はんやったら、殴られるより殴る方どすやろなぁ」
「え」
 くすくすと笑いながら言われた言葉に、総司は目を見開いた。それに、小楽は楽しそうに言った。
「あのお人が殴られて喜ぶ姿なんて、想像もつきまへん。けど、逆やったらわかりますやろ?」
「……」
「あ、お茶とお菓子が来ましたえ。美味しそうどすなぁ」
 にこにこしながら、小楽は茶と菓子をすすめてくれた。それに、総司は慌ててぺこりと頭を下げ、食べ始める。
 だが、しかし。


(土方さんは人を殴ることで喜ぶ方……)


 衝撃の事実が総司の頭の中をぐるぐるぐる回っていたのだった。