……自覚はあるのだ。切ないことに。
というか、それが恐ろしくて聞けないでいるのだから。
さんざん遊んできた土方だが、さすがに衆道というか、その手の方面は全く足を踏み入れたことがない。別に、その手のことに興味がある訳ではないのだ。
土方にとって、総司は総司であり、ただ一人総司だけが特別に可愛くて、恋愛対象となった。だから、色っぽいとか何とか評判の役者などを見ても、なーんとも思わない。
しかし、知識というものが今ひとつ薄かった。もちろん、総司を手にいれたいと思ったことで色々と勉強したが、実地での経験は皆無なのである。その状態で総司との閨事に入ったため、さすがの彼も自信がなかった。
俺、やばくないか? とか、上手くいっているのか? とか、閨事の最中も色々と考えてしまう。
あれこれ工夫したり様子を見たりしているのだが、総司の反応も今ひとつでよくわからなくなってしまうのだ。声をだしてくれる日もあれば、ほとんど声を出さない日もあり、積極的な感じがする時もあれば、ほとんどマグ……い、いや、反応が薄い日もあったりだった。
だから、不安になってしまう。
総司が閨事をあまり望まないのは、つまり、彼の行為自体が下手っぴで、しかし、優しい総司のことだから、そんなこと言ったら「土方さん傷つくよね」とかなんとか気遣ってくれて、で、曖昧にかわされつづけているのではないかと。
だとすれば、もう、男としてのプライドはズタボロッである!
可愛い初だと思っていた年下の(しかも九つも!)の恋人に、逆に気づかわれているのだ。本来は年上の攻め方である男がリードすべき、閨事で!
(それだけはイタイ。イタすぎる……)
小楽と別れ、ひとり屯所への道を辿りながら、土方はため息をついた。
なんともはや情けない話だが、もしもそれが真実なら二度と立ち直れないきがした。
むろん、小楽が別れ際に気楽に言ったように、お勉強すればよいのだが、そんなこと出来るものかと思っている。というか、総司以外の同性など、考えただけで身震いものだ。
「……どうしたものかなぁ」
「何がですか?」
深々とため息をついたところで、真正面から訊ねられた。?と顔をあげれば、目の前に総司が立っている。
「わ…うわッ!」
「……何です、その驚き方」
「い、いや……おまえ、どこから現れたんだ」
「何度も声をかけましたけど。それに、ここ、屯所の門前ですよ。どこも何もないでしょ」
「え?」
周囲を見回してみれば、いつの間にか屯所にたどり着いていた。副長である土方と一番隊組長の総司の組み合わせに、他の隊士たちがちょっとびびりながら、頭を下げて門へ入っていく。
「あぁ、もう着いていたのか」
「土方さんは帰ってきたところですか?」
「あぁ」
「どこから?」
「え」
土方は戸惑い、総司を見下ろした。それを総司は大きな瞳で見上げてくる。
つやつや桜色の唇や、ふっくらなめらかな白い頬は笑っているように見えるが、その実、目が全然笑っていないように見えるのは気のせいだろうか……。
「どこって、それはおまえ、色々だよ」
「ふうん」
「おまえは? どこかへ出かける処なのか?」
「甘味さんへ、斎藤さんと」
「はぁ? 斎藤と? 何で!」
「私が出かけたいからですよ。じゃあ、行ってきますね」
「ちょっと待て」
慌てて手をのばし、総司の手首を掴んだ。相変わらずだが、その華奢な身体つき、細い手首に、どきりとする。
「斎藤となんざ出かけるな」
「じゃあ、斎藤さんでなかったらいいのですか? 例えば、山崎さんとか? 島田さんとか?」
「全部駄目だ」
「土方さん、わがまますぎるでしょ。自分は綺麗な芸妓さんと仲良くしているのに」
「……」
思わず言葉に詰まってしまった。やばい、しまった! と思ったが、もう遅い。
にっこりと総司が笑ってみせた。
「例えばぁ、のお話ですよ」
「……」
「でも、そんな血の気ひきまくりの顔になっちゃうなんて、本当のことだったのかなぁ」
「お、俺、……そんな顔しているか?」
「していますねぇ」
総司はにこにこと笑いながら、答えた。が、やはり、目は笑っていない。
しなやかな髪をひと束とると、指にくるくる絡めた。
「自分は遊んでよくて、私は遊んじゃ駄目なんて。おかしいと思いません?」
「……」
「とにかく、行ってきますね。土方さんは屯所でしっかりお仕事してて下さい」
きっぱり言い切ると、総司はくるりと彼に背を向けた。さっさと歩きだしていく。
その遠ざかっていく背を見送り、土方は呆然と立ち尽くした。
いったい何が起こったのかわからない。いや、わかるが、頭がこの事実を拒否している。
綺麗な芸妓とは、恐らくだが、小楽のことだろう。あいつは、性格はともかく、顔はいい……顔だけは。
だが、いったいそれをどこで知られたのか。誰かから聞いたということなのか。
弁解させてもらうのならば、小楽と仲良くなど全くしていない。酒好きが飲んだくれてクダまきまくっているのが、仲良くと定義されるのなら、もはや仕方がないが。だが、しかし、あれは完全な酒飲み友達なのだ。日本酒友の会と言ってもよい。
なのに、どうして、総司の怒りを買うような事態になってしまったのか。
「そうだ! 斎藤」
土方はくるりと踵を返し、もの凄い勢いで屯所の中へ駆け込んだ。と言っても、西本願寺は広い。かなりの距離を全速力で走らなければならなかったが、今の土方には構っていられない。
屯所へ駆け込むと、運が味方したのか、そこに斎藤が突っ立っていた。むろん、斎藤にとっては「げっ」である。
だが、しかし、副長は副長。仕事上の上司に礼は尽くさなければならないと、頭を下げた。
「……どうも」
仮にも鬼の副長に対して「どうも」はないだろうと思われるが、斎藤にとって彼への認識はその程度だ。
そのまま出ていこうとする斎藤を、土方は呼び止めた。
「おい、待て」
「何ですか」
「話がある」
「後じゃ駄目ですか。今から用事があるんですが」
「総司との道行きだろ。冗談じゃねぇよ」
「話って、その事ですか」
斎藤はやれやれという表情で、土方を見た。
「総司にだって自由ってものがあるでしょう。甘味屋ぐらい誰と行ってもいいじゃありませんか」
「違う」
「自由がないと?」
「そうじゃなくて、話が違うんだ。おまえ、総司から何か聞いてねぇか」
「……」
とたん、斎藤の目がほそーくなった。
「成程……ばれたってこと、知ったんですか」
「? ばれたって、芸妓と逢っていたことか」
「そうですよ」
「けど、それぐらいで何で総司は怒っているんだ」
「はあ? 本気で言っています?」
斎藤が呆気にとられて聞き返すと、心底不思議そうに土方は首をかしげた。
「あぁ、本気だ。今までだって逢ってきたし、接待もあったし。なのに、何で今回だけあんなに怒るんだ」
「そんなもの自分の胸に手をあてて考えてみれば、わかることでしょう!」
「全然わからねぇよ」
眉を顰める土方に処置なしと思ったのか、斎藤はくるりと背を向けた。さっさと歩きだしてゆく。
それを仕方なく見送りつつ、土方は言われたとおり己の胸に手をあててみた。意外と素直なのである。
だが、しかし。
(……わからねぇ)
土方は、どんどん拗れていきそうな総司との関係に、また深いため息をついた。
「え、そんな事言ったんですか」
総司はところてんを食べていた手をとめた。
場所は、約束どおり待ち合わせたところてん屋である。江戸と違い、京のそれは甘いものなので、総司は京に来てからすっかりファンになっていた。
「あぁ」
斎藤はちょっとびくつきながら、頷いた。
「おまえが知っているってこと、言ってしまったんだ。ごめん」
「それは別にいいですけど、でも」
総司は桜色の唇を尖らせた。
「全然わからないなんて、どこまでとぼけているんでしょうね」
「でもさ、土方さんって、昔から結構遊んできたんだろ?」
「えぇ」
こっくりと頷いた。
「江戸の頃から、かなりもてていましたよ。あんな無精髭で身なりもよくなくて、だらしない格好していたのに、何故かやたらもてていたという。でも、京に来てから聞いてみると、あれでもかなり収まっていたんですって。もともと姿形はいい人だから、身なりを整えていた頃はもう追い掛け回されて大変で、それに嫌気がさしてだらしない格好になったとか。それでも、私の目から見たらもてていましたけどね」
「……なんか、妙にむかつく話だな」
「ですよね。斎藤さんにしたら、土方さんが女の人にもてまくるの面白くないですよね。なにせ片恋だから」
「だから違っ」
「でもね」
総司は、斎藤の抗議をさらっと聞き流し、頬杖をついた。
「京に来てからのもてっぷりに比べれば、それでもたいした事ないんですよ。京に来てから、土方さん、あの通り格好よくなっちゃったでしょ。ものすっごいもてっぷりで、私、悋気やく気にもなれないぐらいで」
「へぇ、悋気やかないんだ」
「やいてたらこっちの身がもちません。見てみぬふりをする事も大事なのです」
「妻の鏡だなぁ」
「そんなぁ、照れちゃいます」
あっさり妻という言葉を受け入れて恥じらう総司に、がっくりきながら斎藤は訊ねた。
「じゃあ、どうして今回は駄目なんだ」
「今回は別でしょう!」
突然、にこにこ笑顔から豹変し、目を吊り上げた総司はバシッと卓を叩いた。さすが新撰組一番隊組長、並の気合ではない。
「接待とか会うぐらいならともかく、色ごとなんて、完全な浮気ですよ! それもあんな可愛くて綺麗な芸妓さんと」
「そんなに綺麗な芸妓だった訳」
「私が今まで見た中では一番かなぁ」
はぁっと、総司はため息をついた。ところてんを食べながら、言葉を続ける。
「でも、芸妓さんが綺麗だから落ち込んでいるというより、土方さんが、あっさり私との約束破ったことがきているんですよね」
「約束?」
「恋人になった時、約束したんです。私が恋人やめるって言わないかわりに、土方さんは他の女の人と遊ばないという約束」
「そんな約束したんだ」
「えぇ」
「じゃあ、今回の違反じゃーん」
「ですよね……って、あれ、原田さん」
突然、現れた原田に、総司は目を丸くした。斎藤も呆気にとられている。
その間に、どっかりと腰を下ろしながら、原田はにんまり笑った。
「この店の前を歩いていたら、なーんか面白そうな話が聞こえてきたから。あ、お姉さん、こっちもところてん一つね」
「どこから聞いていたんですか!?」
思わず目をつりあげてしまった斎藤に、原田はにやにや笑いながら目を向けた。
「ほほー、はじめちゃん、オレに聞かれちゃまずいこと話していたんだぁ」
「そうじゃなくてッ」
「ま、安心して大丈夫だから。おれ、口固いし」
「全然安心出来ないのですが」
おそらく大半を聞いていたのだろう原田に、斎藤がやれやれと首をふった。
それらのやり取りを眺めていた総司が、にこやかに言った。
「でも、原田さん、だいたいの事わかっているのでしょ。情報通ですものね」
「おうよ、新撰組のことでこの原田左之助さまが知らねーって事はないぜ?」
「山崎さんも真っ青の言葉ですね。じゃあ、原田さん、質問です」
「何?」
「土方さんが逢っていた芸妓さん、誰かわかります?」
「どんな芸妓だった?」
「えーと、年頃は私ぐらいかな。で、小柄で可愛い感じの人で、でも、とっても勝ち気そうで……」
「ふうん」
原田はちょっと小首をかしげた。しばらく、あれこれ考えていたが、やがて顔をあげた。
「たぶんだけど、それ、小楽じゃないかなぁ」
「小楽…さん?」
「先斗町の売れっ子芸妓だよ。芸達者だし美人だしで人気だけど、でもなぁ」
「でも、何かあるのですか」
「それが大アリ。けど、土方さん、そっちの趣味だったのか」
「?」
不思議そうな顔をする総司に、原田はある事を教えてくれたのだった。小楽という芸妓の客になる男たちのことを。
それはもう、総司にとっては青天の霹靂、とんでもない話で……
「……総司?」
翌日のことだった。
巡察の報告を終えた後、総司はじいっと大きな瞳で土方を見つめていた。
見つめるというか、凝視だ。
そのあまりに強く長い視線に、土方は戸惑ってしまった。思わず、慌てて弁明してしまう。
「あのな、総司」
「……」
「昨日の話なんだが、俺が芸妓と逢っていたからと言って、あれは別に色っぽい話じゃねぇんだ。接待と対して変わらねぇんだよ」
「……」
「今までは良かったのに、何で、今回だけ駄目なのかよくわからねぇんだが、その、総司? 聞いているか?」
「……小楽さん」
ぽつりと言われた名に、土方はぎょっとなった。どこからその名が漏れたのかと青くなってしまう。
「な、何で、その名をっ」
「……」
その反応をつぶさに眺めつつ、総司はゆっくりと言った。
「やっぱり、そうなんですね。お相手の芸妓さんは、小楽さんで間違いないんですね?」
「そうだが、確かにそうなんだが、けど、お相手って間柄じゃねぇんだよ。おまえが思っているかもしれない、その色っぽい事は全くねぇし、だから」
「それはわかっています」
静かに頷いた総司に、土方は「え?」と目を見開いた。色っぽい事がないとわかっているのなら、どうしてこんなに怒っているのか。いったい何が総司の逆鱗にふれてしまったのか、ますますわからなくなってしまったのだ。
「じゃあ、何で……その、怒っているんだ?」
おそるおそる問いかけた土方に、総司はにっこりと笑ってみせた。
「さぁ、どうしてでしょう?」
「……」
「ご自分の胸に手をおいてみれば、わかるのではないですか」
「いや、それって斎藤にも言われたが、俺は全然……」
言い募ろうとする土方の前で、総司は突然、すっくと立ち上がった。思わず見上げてしまった彼を見下ろした総司は、すうーっと息を吸い込んだ。
そして、叫んだ。
「変態ッ!!」
「…………は?」
「個人的な嗜好にまで口出しする気はないけど、でも、私に黙って我慢していたのが許せないッ。言ってくれたら、私がしてあげたのにッ!」
「は、はぁ……?」
呆気にとられている土方の前で、総司はくるりと背を向けた。ばたばたと副長室から走り去っていく。
そして、後には、呆然と座り込む男が一人残されたのだった……。