さて、なんだかんだあっても結局は、はっぴーな恋人同士におさまった二人である。
新婚旅行も無事すませ、今ではもはや向かう処敵なし! のらぶらぶばかっぷるだった。いや、そうであるはずだった。
だが、しかし。
何事もすんなり進まないのがこの世の習い。
またまたまた、事が起こったのである……。
「はぁ? 浮気!?」
思わず斎藤は仰け反ってしまった。
それに、目の前でぱくぱくお饅頭を食べながら、総司はこっくりと頷いた。
場所は屯所の一角である。
新婚旅行の大坂行きから時はどんどん流れ、今彼がいる場所は西本願寺である。広い広い西本願寺に屯所を構えて、もう一月ぐらいだろうか。
今や新撰組は大所帯となり、土方も名実ともに新撰組副長として活躍していた。
というか、かなり、あの「土方副長」ぶりも板についてきたのだ。最初の頃は、やっぱり長年の習慣が抜けなくて、面倒くせぇとばかりに無精髭や髪を適当に結ったりもしていたのだが、そのたびに総司がきゃんきゃん煩く言い立て、強制修正してきた。
土方もいくら面倒でも、総司に「格好いい土方さんでなきゃ、別れますよ」と言われたら、どうしようもない。
そのため、毎日、癇症なぐらい身なりを整えられ、今や、どこからどう見ても、端正でいい男でありながら鬼のようだと恐れられる新撰組副長になっている(見た目は)。もっとも、今でも、総司と二人きりになると、すぐさま気が抜けてしまって、畳の上にごろごろ寝転んだり、面倒くせぇと拗ねたりしているのだが。
それでも、新撰組副長である。隊士たちの畏敬と恐れの的である彼は、総司の超ご自慢の恋人だった。
総司自身も今は、新撰組一番隊組長、筆頭師範代として活躍する日々なのである。
だが、しかし。
「浮気って、誰が」
「土方さんですよ」
「そんな事ありえるのか?」
思わず、斎藤は聞き返してしまった。
とてもではないが、あの男にそんな度胸があるとは思えない。
いや、仮にも新撰組、鬼の副長に対して、ちょー失礼な言い草だが、斎藤の立場、認識からすれば当然の事だった。
入隊した当初はよくわからなかった事もあり、斎藤にとって、土方は顔がめちゃめちゃ良くて、だが、どこか恐ろしい副長だった。
しかし、その後、いろいろな事を経験して、いろいろと見聞きして、土方自身とも関係が深く(別に、あやしい意味ではないッ、力説)なるにつれ、斎藤の認識は180度変わったのだ。いや、変わらざるを得なかった。
土方は見た目はやはりいいが、仕事も出来る男だが、その実、とんでもなく総司にべた惚れで、可愛い恋人のためなら何でもさせて頂きます!!の男であり、尚且つ、結構いい加減で超危ない男だった。
ある意味、檻の奥の方で可愛い仔猫ちゃんをベロベロ舐めるように可愛がりまくっている猛獣を、半目で眺めるような気持ちか?
とにもかくにも、斎藤にとって、土方は、顔だけはよくても性格はとんでもなく変で危ない男だった。
もちろん、総司への溺愛ぶりもわかっている。というか、新撰組内でも有名だ。
で、その鬼の副長よりも恐れられている存在が、今、目の前でぱくぱくお饅頭を食べている、見た目めちゃめちゃ可愛くて可憐でキュートな女の子のような、一番隊組長沖田総司だった。
何しろ、総司の逆鱗にふれれば道場へ引っ張り込まれ、最強凄技必殺三段突きだ。それを恋人である土方などは、よーく身にしみてわかっているはずなのだ。
なのに、その彼が浮気などという、大それた事をしでかすであろうか。
「ないだろう、それ」
斎藤はきっぱり言い切った。
「あの土方さんがそんな事するはずないよ」
「……」
すると、総司が大きな瞳でじーっと斎藤を見つめてきた。それに戸惑い、「な、何?」と聞き返すと、はぁーっとため息をつく。
やれやれと首をふりながら、のたまった。
「ほんっと、斎藤さんって土方さんに対して夢抱いていますよね」
「は?」
「やっぱり片思いしているからかなぁ。あまり理想を描きすぎると、後でがっくりきますよ」
「ちょっと待ってくれ。オレは別に」
「いいのです、いいのです。斎藤さんの気持ちはこの際何でも」
自分でふったくせにあっさり切り捨てて、総司は話をつづけた。
「とにかく、土方さんは浮気しているのです。それが私はもう絶対許せなくて」
「何でそう思った訳?」
訊ねる斎藤に、総司は少し考え込んだ。お饅頭を食べるのをやめて、遠い目になる。
「私、見ちゃったんですよね……」
「何を」
「土方さんが綺麗な女の人と料亭へ入っていくとこ」
「えぇっ!?」
「前でうろうろして、しばらく待っていたんだけど出てこなくて……その日、土方さん、屯所に帰ってこなかったし」
「……」
「決定的証拠でしょ? これで浮気じゃないなんて、言えませんよね」
「総司」
不意に、斎藤はがしっと総司の小さな手を掴んだ。その可愛い顔を覗き込む。
「悪かった、ごめん。ちゃんと話を信じてあげられなくて」
「斎藤さん」
「そんな事するような男、もうやめた方がいい! 総司なら、たくさんいい男が寄ってくるし、もっと幸せにしてくれるのがいるし。もし、もし、総司さえよければ、オ、オレが……っ」
「なーにやってんのっ?」
不意に、後ろから、斎藤と総司の肩に手がまわされた。二人ごと、ぎゅーっと抱き寄せられる。
心臓が跳ね上がるぐらい驚いて振り返れば、そこにあったのは、原田のにやにや顔だった。
「は、原田さんっ」
「面白い話していたじゃん。でもね、総司」
「え」
「近藤さんが呼んでいたよ、行った方がいいんじゃねーの?」
「あ、そうでした。忘れてました」
総司は慌てて立ち上がった。
「近藤先生とお茶する約束していたんです。何か、黒谷で美味しいお菓子が手に入るからって」
「いってらっしゃい~」
「はい」
にっこり笑い、総司はぱたぱたと軽やかな足取りで走り去っていった。それを見送ってから、原田がゆっくりとふり返る。
憮然とした顔の斎藤に、にんまり笑った。
「はじめちゃんも、危険顧みないねぇ」
「だから、誰がはじめちゃんですかっ」
「いやいや、それはともかく、土方さんから総司をとろうなんてやめた方がいいよ。はじめちゃんだって、命惜しいだろ?」
「そりゃ惜しいですけど、でも、土方さんが浮気したんですよ」
「へーえ」
原田も驚いたようだった。
「あの男にそんな度胸あったんだ」
「やっぱり、原田さんもそう思いますか」
「そりゃそうだろー? あれだけ総司べた惚れで、しかも、あの総司が相手だぜ? 浮気なんて知れた日には、道場中どころか屯所中を、菊一文字ふりかざして追い掛け回されそうじゃん」
「でも、今はまだ踏みとどまっているみたいですけど」
「たぶん、確証がないからじゃない? 様子を見ているというか」
「うーん」
「ということはさ、つまり」
原田は声をひそめた。
「近いうちに嵐がくるってことだよな。土方さんの命も明日をも知れぬって訳だ。くわばらくわばら」
「完全に面白がっていますね」
「そりゃもう、山あり谷ありの方が人生満喫できるし」
原田はげらげら笑うと、歩み去っていった。
それを見送り、斎藤はやれやれとため息をついたのだった。
一方、浮気疑惑をかけられている男である。
可愛い恋人を手にいれて、のほほーんと我が世の春を謳歌していると思いきや、彼の方は彼で、悩みまくっていた。
むろん、仕事のことなんかではない。新撰組副長として働くようになって色々とあったが、どうにかこうにか板についてきた(ように思う)。時々、総司に「土方さん、その格好ッ!」ときゃんきゃん怒られたりするが、それでも、何とかやってきたのだ。
ここ西本願寺に引っ越してからも、それは何とかなっている。
だが、仕事のこと以上に、土方は深く悩んでいた。当然のことながら、仕事以外となれば、悩みの種は彼の可愛い可愛い恋人である総司のことにほかならない。
大坂への新婚旅行で無事身も心も恋人同士になって、一件落着と思っていたのだが、あれからも色々とあったのだ。仕事と違い、こっちは正直な話、順調とは言いたがたかった。
一緒に道行きをしたりする、接吻も抱擁もする。
だが、しかし、肝心の夢の一夜は、ほとんど希少価値もの遠い夢になり果てていたのだ。
(前にしたのは、いつだったかなぁ……)
つい遠い目になってしまった。
というか、覚えていないぐらい大昔の出来事である気がするのだ。
そう……あれは冬のことだったか。
っていうか、今、春なんだが!?
おさわりさえ許されていない今の状況に、さすがの土方も「おかしくねぇ? なぁ、何かおかしくねぇ?」と、あちこち聞いて回りたい気分だった。
あんなにも可愛くて可憐で、しかも、最近とみに色っぽくなった、艶っぽくなったと噂のたっている恋人をもっていながら(しかも、それが、副長の所為のためであろうと推測されているのだ!)、ほとんどさわらせて貰えない今の状況はいったい何なのか。
もちろん、土方も総司に色々とアプローチはした。あまり直接的ではひくだろうと考え、さり気なく誘いをかけてみたのだが、ことごとく断られてしまっている。
きっぱり断ってくる訳ではないが、戸惑ったような顔で黙ったまま見つめられれば、おのずと察するところがあるのだ。
これは拒否られているな! と(認めたくないが)。
で、土方もあまり強引な事が出来る性格ではない。何と言っても、総司に嫌われたくない! という気持ちが先にたって、「……今日はやめておこうか」に辿りついてしまうのだ。
むろん、それでも幾度かはした事がある。道行きの途中でそれなりにいい雰囲気になって、上手くことを運べた事もあったのだが、そんな事は本当ッに稀だった。
普通なら酒でも飲ませていい気分にさせて事を運べばいいのだが、例の伏見での事実があるので、土方もさすがに酒を飲ませる気にはなれない。
そのため、もう土方も行き詰まってしまっていた。
「だったら、いっそ何もなしにすればえぇんよ」
そう言ったのは、小楽である。
馴染みの芸妓で総司と同じ年なのだが、とにかくもう元気が良くてぽんぽん毒舌を吐きまくることで、有名な娘だった。顔は可愛いし所作も洗練された芸達者なのだが、何でもかんでも上から目線であり、いわゆる女王様気質なのだ。
当然ながら、土方のような年上の攻め専の男は全く好みではなく(むろん、関係も全くない。ただの飲み友達である)、逆に総司の方がどうやら好みらしいので、土方も気をつけて二人を会わせないようにしている。
「おまえの毒牙にかかるなんて、冗談じゃねぇからな」
「かなん男やなぁ」
小楽は紅をさした唇を尖らせた。
「今までたんと男はん見てきたけど、あんさんぐらいかなん最低男は、初めてや。ほんま、総司はん、可哀想すぎるわ」
「何がかわいそーだ。おまえが今遊んでいるあの男の方が、可哀想だろうが」
「あれ? あれはえぇんよ。うちにすげなくされて、喜んでいるんやから」
「喜んでいる……のか?」
この間、運悪く、小楽が泣きつく男を足蹴にしている様を目撃してしまった事を思いだし、土方は呟いた。世にも恐ろしいものを見てしまったと心底思っている。
土方は年下で小柄で可愛いタイプが好みなのだが、それでも、性格が何よりも重要だった。いくら明るくて元気でも、小楽のように恐ろしい女王様気質だけは御免被りたいと思っている。
(まぁ、総司もちょっとだけ……そういう処あるが)
可愛い顔をして、とっても怖い一番隊組長の事を思い出し、土方は遠い目になった。だが、すぐに思い直した。
なんといっても総司は基本的に優しいし、素直だ。初で天然で可愛くて、間違っても土方に暴力を振るおうなどとは思わないであろう。……いや、土方が何かとんでもない事をしたら知らないが。
「とにかく、俺は総司といろいろしてぇんだよ」
「いろいろって、床入りのことどっしゃろ?」
小楽はパリパリと煎餅をかじりながら、小首をかしげた。その煎餅もめちゃめちゃ高い。男たちからの貢ものの一つである。
「そやけど、総司はんには断られてはる。あんさん、嫌われてはるんとちゃう?」
「嫌われていねぇよ!」
「本人がそない思っていても、相手ん気持ちはわからへんでっしゃろ。別れるんならはやめに言うてや。うち、すぐ行かはりますから」
「行くって、どこに」
「決まってますやろ、総司はんのとこや。可愛いらしおすからなぁ、総司はん」
嬉しそうに、ふっふっふっと笑う小楽に、土方はぞわぞわーっと悪寒を覚えたが、それは言わないことにした。
とにかく、この女王様の毒牙にかかる危険性はさておいても、総司と別れるなんてもっての他である。
というか、嫌われているなんて信じたくない言葉だ。
十年以上も片思いしつづけて、さり気なくアプローチしつづけて空振りに終わった挙句、ようやく恋人になれたとたん速攻でお別れなど、本当に救われない。
俺の苦労は努力は、いったい何だったんだ!
「別れねぇし嫌われていねぇし、それよりも、俺は床入りしてぇんだよ。総司と」
「ふうん」
「おまえ、腐っても京の芸妓だろう。何か方法思いつかねぇのかよ」
「さぁー」
全く気のない返事をしてから、小楽は大きな瞳で土方を眺めた。
「そんなあれこれ悩んでいるんやったら、総司はんに何で聞けへんの」
「聞くって、床入りを何で拒んでいるかってことか?」
「そや。聞いたらよろしおす。何で? って。簡単なことえ」
「……全然簡単な事じゃねぇよ」
聞けるものなら聞いている。だが、もしもそれで、嫌だからとか言われたらどうすればいいのか。
「あぁ、つまり、床での事が下手ってこと」
「下手じゃねぇし!」
「そうやろかぁ」
小楽はにんまり笑った。
「あんさんが思っているだけで、向こうは違うかもしれへんえ」
「……そんな噂あるのかよ」
「あらしまへんけど、あんさん、男はん相手は初めてでっしゃろ? 巧いかどないかなんて、どないやってわかるん?」
「う」
「詰まるちゅうことは、自覚あるんどすなぁ。ほんま、おかしおすわぁ」
おーほほほっと笑う小楽を横目でにらみながら、土方は最近しくしく痛む腹をさすった。