総司はあるお願いをしてきた。
 それは別に山崎の身を危うくするものではなかったが、頭の中は「???」である。
 山崎は少し考えてから、おそるおそる訊ねた。
「そのう、聞いてよければですが……なぜ調べる必要があるのでしょう?」
「決まっています」
 総司はちらりと、少し離れて立っている土方の方を見て、ぽっと頬を染めた。
「土方さんと素敵な夜を過ごしたいからです」
「は、はぁ……?」
「昨夜も結局うまくいかなかったんですよね。私、酔っ払って寝ちゃったみたいで、で、今度こそって思っているのです。だから、そんな事になったら困るのです。いろいろと予定を変えなくちゃいけないし」
「……」
「土方さんと素敵な夜を過ごすためにも、頑張るのです! だから、山崎さん、お願いしますね」
 花のような笑顔で言い切る総司に、山崎は頷く他なかった。
 というか、ここで総司の願いを断れば、その場で例の必殺!三段突きをお見舞いされそうな予感がしたのだ。その点で言えば、土方よりも総司の方が恐ろしい。
 山崎はすぐさま、その場から駆け去っていった。善は急げである。
 それを満足そうに見送っている総司に、土方が歩み寄ってきた。不機嫌そうな顔で訊ねてくる。
「おまえ、何を山崎と話していたんだ」
「秘密です」
「何だよ、それ」
「土方さんも言ったじゃない。昨夜のこと、秘密って。だから同じです」
 総司は楽しそうに笑い、土方の腕に手を絡めた。ぴとっとくっついてくる。いきなりの総司からの接触に、土方の機嫌はたちまち良くなってしまった。


(まぁ、いいか)


 どんな事を山崎に話したにせよ、もう追っ払った以上、関係ないのだと土方は断じた。さっさと意識の外へ追いやってしまう。
 このあたり、あくまで前向きな男なのである。単純とも言えるが。
「とりあえず時をつぶしに行くか」
「なら、私、東福寺に行ってみたいです」
「紅葉の名所らしいが、今はまぁ緑が綺麗だろう」
「ですよね」
 総司は嬉しそうに微笑んだ。
「綺麗な緑の中を、土方さんと歩けたら幸せです」
「……」


 なんて可愛いことを言ってくれるのだ、この恋人は!
 あぁ、ここが往来じゃなかったら、ぎゅうぎゅう抱きしめて接吻しまくってやりてぇよ!


 そう心の中で叫びながらも、土方は平然とした顔で総司を見下ろした。そのあたり、さすが経験値が高い男なのである。
 内心どんなに萌え旋風が吹き荒れていようが何だろうが、平気の顔をすることが出来る。時々、ぽろっと剥がれてしまうこともあるが、総司が、「格好いい土方さんが好きなのです」と言っている以上、あまりみっともない所は見せられないと己に言い聞かせているのだ。
「じゃあ、行こうか」
 優しい声で言って促す土方に、総司は元気よく「はい!」と返事した。













 東福寺は評判どおり、とても綺麗な寺だった。
 思っていたよりも人が多いが、土方にとって総司が傍にいてくれるなら、そんなものどうでもよい。他の連中は全てカボチャやキュウリにしか見えないから同じ事なのだ。
 美しく鮮やかな緑の中を歩きながら、総司はにこにこと笑った。
「とっても綺麗ですね」
「そうだな」
「あ、紅葉、真っ赤もいいけど、こういう緑も綺麗だなぁと思うのです」
「俺もそう思うな」
 ちょっと生返事になってしまうのも仕方がない。
 土方の視線は確かに緑にもやられているが、ほとんど、総司に釘付け状態だったのだ。
 東福寺の境内は広い。しかも、夏だ。そのため、総司は淡い色あいの単の着物を纏っていた。それが涼しげで、とても艶かしく可憐だ。挙句、あちこち歩きまわったせいで、うっすらと頬が上気し、瞳がきらきらと輝いて、思わず見惚れてしまうぐらいの可愛さだった。
 二人はまったりと東福寺の境内を散策してから、その門近くにある店に入った。
 昼飯をとることにしたのだ。小さな店だが、とても繁盛している。惣菜やら何やらを手軽に食べさせる店らしかった。
 いわゆる、一膳飯屋だが、なかなか小奇麗でこじゃれた雰囲気の店であり、かきこみ飯という感じはしない。そのためか、店に入っている客も東福寺へ見物に来た客が多いらしく、賑わっていた。
「どれにする?」
「えーと、あ、卵焼きおいしそう」
 注文を終えると、総司は楽しそうに周囲を見回した。皆、色々と喋りながら食事をしている。
「なんか、皆、楽しそうですね」
「あぁ」
「私もとっても楽しいです。土方さんとこういうお店に入って、ご飯たべてみたかったから」
「? 江戸でも行っただろ」
「うん、でも、違うのです」
 総司は大きな瞳で土方を見つめた。きらきらと瞳が輝いている。
「だって、あの頃は兄弟もどきだったけど、今は、恋人だから。恋人の土方さんと一緒のご飯だから、全然違うのです」
「…………」


 本当っに、この恋人は可愛すぎるよな!


 しかも、これが無意識なのだから、どこぞの遊び女のような手練手管ではないから、始末におけない。
 無邪気に甘く甘く、男を振り回してくるのだ。
 もう絶対、この恋人をものにするまでは、旅を終わらせられるはずがない! 初志貫徹! だ。
 何が何でも大坂の宿で、夢の一夜を叶えてみせるぞー。


 土方は固く決意し、箸を手にとった。
 ちょうど料理が運ばれてきたのだ。総司はいただきますと手をあわせてから、ぱくぱく食べ始めている。
 その艶やかな桜色の唇がものを食べるさまに、ぞくぞくするぐらい色っぽさを感じてしまったが、お楽しみはリベンジ今夜! という訳で。
 土方はさっさと食べて、さっさと船に乗って大坂へ向かってしまおうと、食事を始めた。
 ところが、である。
「……あ、山崎さん」
 食事も終わりかけた頃、一人の男が店に駆け込んできた。余程あちこち探し回ったらしく、ぜぇぜぇ肩で息をしている。
「お、お探ししました」
 息も荒く頭を下げる山崎に、総司は目を見開いた。
「いったい、どうしたのですか?」
「それが」
「あ、山崎さんもご飯食べられます?」
「それどころではありません!」
 山崎が叫んだ。きょとんとする総司と、仏頂面の土方に向かって言いつのる。
「局長ご一行が今朝屯所を出立されました。しかも駕籠をしたてられて、もの凄い勢いでこちらへ向かっておられます」
「はぁ?」
 土方は呆気にとられた。
「何だ、それ。明日出発のはずだっただろうが」
「それが沖田先生のことが心配だ、いてもたってもいられないと言われて、急遽予定変更されたみたいです」
「ということは、このままじゃ」
「同じ船にお乗りになることでしょう。いかがなさいますか? 副長」
「いかがも何も……」
 呆然としている土方の傍で、総司が物凄い勢いで立ち上がった。すぐさま置いていた両刀を取り上げて腰に差し、土方の腕を掴む(縋るではない、掴むだ)。
「行きましょう! 土方さん」
「は?」
「早く行くのです」
「行くって、どこへ」
「大坂に決まっているでしょう?」
「いや、けど、近藤さんたちがもうこっちに向かっているんだぞ。今更、どうしようも……」
「だから、一本でも早い船がないかどうか、確かめるのです。で、山崎さん」
 くるりと山崎をふり返った。
「近藤先生たちの船が出発できないよう、何とかして下さい」
「そ、そんなご無体な…っ」
「山崎さん」
 総司はにっこりと笑った。が、目は全然笑っていない。
「今すぐ、この場で稽古をつけてさし上げましょうか? もちろん、私の秘伝(必殺三段突き)もお見せしますよ」
「ご、ご尽力させて頂きますッ!!」
「土方さん、ほら、早く」
 総司は半ば土方を引きずるようにして船着き場に向かった。凄い勢いで走っていく。
 船着き場の男に、二人分の席は空いていないか、訊ねた。どこでもいいから乗せてくれと言うが、やはり、昼過ぎにならないと駄目だと言われる。
「……」
 総司は可愛い顔で考え込んでしまった。それに、もはや何も言う気になれず、というか、呆然としたまま土方は眺めている。
 すると、不意に、総司が「あ、そうだ!」と声をあげた。ぽんっと手を打ち、明るい顔になる。
「そうだ、逆を取ればいんですよ」
「は?」
「追いつかれるんじゃなくて、追い越してもらえばいいのです」
「? 意味がわからねぇよ」
「だから、近藤先生は伏見へ到着して、ここから船で大坂へ向かわれるんですよね。それが一番早いから」
「そうだな」
「で、私たちは逆を行くのです。遅く行く、つまり、船に乗らないで大坂街道を行けばいいのです」
「いや、ちょっと待てよ」
 土方は思わず押しとどめてしまった。副長という役職としての立場を、思い出したのだ。
「確か、俺たちは先発して手はずを整えておくって事になっていただろう。なのに、後から到着するってのはどうなんだ」
「そんなの、近藤先生がすればいいのです」
「……」
「だって、明日の予定だったのに、今日出立されたのでしょう? なら、ご自分で全部されたらいいのです。どうせ暇なんですから」
 師匠をバッサリ切り捨て、総司は傍でびくびくしながら様子を伺っていた、もはや巻き込まれた感が半端ない山崎へ視線をむけた。
「山崎さん、この事は内緒ですよ。近藤先生たちには、私たちが船で大坂へ向かったという事にしておいて下さい。間違っても、大坂街道へ向かったなんて言ってはいけませんから」
「は、はいッ」
 勢い良く返事した山崎は、ぺこぺこ頭を下げながら立ち去っていった。
 それを見送った総司は、土方の方へ向き直った。にっこり笑いかける。
「じゃあ、出発しましょうか」
「あ、あぁ」
「大坂街道を行くとしたら、えーと、こっちですよね」
「いや……総司」
 土方は思わず手をのばし、その細い手首を掴んだ。














 えっさほっさえっさほっさと駕籠が向こうからやってきた。
 結構なスピードで、ほとんど早駕籠状態だ。
 それが止まると、転がるようにして近藤が降りてきた。いててと腰を擦りつつ周囲を見回し、山崎を見つけると顔を輝かせる。
「おおっ、山崎君」
「局長、……お早いご到着で」
「うむ、かなり急いだからな。それで、総司たちは」
 近藤はきょろきょろと山崎の後ろの方を見た。それに、山崎は実直真面目そうな顔で答えた。
「船で朝のうちに出立されました」
「何!?」
 近藤が目をむいた。
「そんなに早く出てしまったのか!」
「はい」
「こうしてはおれんっ。おれも急いで船に乗るぞ」
「はぁ」
 あたふたと船着き場へ向かって走ってゆく近藤を、三人の目が見送った。生温かい目ではある。
「……近藤さん、本当に来ちまったんだな」
「土方さんは甘いのです」
「……」
 茶店の奥の方から様子を伺っていた土方は、深々とため息をついた。
 まさか、この可愛い可憐な恋人から、甘いなどと言われる日が来ようとは思いもしなかったのだ。だが、しかし、事ここになると総司の言うとおりだと思わざるを得ない。
 大坂街道をとった挙句、近藤たちが結局気をかえて屯所に逆戻りしていたらやばいと思ったので、念のため、様子を見ていたのだが。むろん、近藤はやっぱり来てしまった。
「まじで来るか? あの人、いったい何を考えているんだ」
「近藤先生が何を考えておられようと、この際、関係ありません」
 総司は水菓子を食べながら、きっぱりと言い切った。
「私たちは大坂街道を行きましょう。少し到着が遅くなりますが、楽しい旅になると思うのです」
「まぁ、そうだな」
「山崎さん、どこかいい宿を知っていますか? 他にも見どころとか」
「大坂街道沿いですか」
 山崎は少し考えてから、色々と教えてくれた。さすが、大坂に住んでいただけあって知識は豊富なのである。
 それに、にっこりと笑いかける。
「ありがとう、山崎さん」
「いえ……」
「じゃあ、くれぐれも近藤先生には内密に。行きましょう、土方さん」
「あぁ」
 二人は山崎と別れ、大坂街道をのんびり行くことになった。むろん、何も知らない近藤は超スピードで大坂へ直行している。
 近藤を乗せた船がどんどん遠ざかっていくのを見送ってから(念には念を入れた)、二人は歩きだした。
 相変わらず青空が頭上に広がり、とても清々しい。
 だが、土方はどこか釈然としない思いだった。
 なんというか、総司があまりに積極的すぎる気がするのだ。形勢逆転というか、攻守入れ替わりというか……。


(総司、そんなに俺との旅を望んでいたのか? いや、拒否ってはいなかったが、それでもさ……)


 何しろ、恋人になるまでもさんざん口説きまくり、挙句、恋人になってからも何度もやめるやめると言われ、接吻だけでひっくり返ってしまった総司だ。
 いきなり積極的になってしまった総司に、土方は少し戸惑っていた。
 もちろん、彼のことを本気で好きになって「身も心も、あなたのものになりたいのです」なーんて、美味しい食べ頃状態だったら両手上げて大歓迎だが、今までが今までだけに、つい後でどーんと反動がくるのではないかと考えてしまう。
 総司は、いつもいつも、土方の予測より遥か上というか、全然違う方向にすっ飛んでいってしまう性格なのだ。
「……なぁ、総司」
 街道を歩きながら、土方はさんざん悩んだ末に問いかけた。これで総司の機嫌を損なったら全部おじゃん! という恐怖があるから、口調もめちゃめちゃ気弱になる。
「一つ、聞きたいんだが」
「何ですか?」
 軽やかな足取りで歩いていく総司は、可愛らしく小首をかしげてみせた。
 それを見下ろし、訊ねる。
「おまえ、俺と二人だけの旅……そんなに望んでいるのか?」
「え」
「前に言っていただろ? 大勢で出かけた方が楽しいって。なのに、俺と二人きりの方がいいのかなぁと……」
「だって」
 総司は大きな瞳で彼を見上げた。
「あの時はまだ恋人じゃなかったし、でも、今は恋人じゃないですか」
「まぁ、そうなんだが」
「誰だって、大好きな人と二人きりの旅の方が楽しいに決まっているでしょう?」
「……」
 にっこり笑った総司は、不意に手をのばした。そのまま土方の腕に抱きついてくる。
「大好き! 土方さん」
「……っ」
「これからも、仲良くしましょうね」
 その瞬間。
 土方は、接吻された時に総司が味わった気持ちを実感した。というか、ちょっと気が遠くなってしまった。
 むろん、意味は違う。こっちは幸せ絶頂のあまりである。可愛い可愛い総司に、大好き!なんて、それも戸外で人前で言われて、もう完全に舞い上がってしまったのだ。そのまま危うく昇天しそうになったが、慌てて気を引き締める。
「そ、そうだな」
 さすが百戦錬磨の男、負けてはいない。にっこりと微笑みかけた。
「仲良くしような、総司」
「はい。いっぱい仲良くしましょう」
「あぁ」
 二人の「仲良く」が同じ意味なのかどうかは、さておいて、とにもかくにも、沢山の旅人が行き交う街道の真ん中でいちゃつきまくった恋人たちは、仲良く歩き出していったのだった。
 はぴはぴ新婚旅行! なのだ。
 ……さて、二人が無事大坂へ辿りつけるのは、いつの事なのか。
 その頃にはもう上様も帰還されてるんじゃないの? 仕事なんか終わっちゃっているんじゃないの? なんて事も、どこか遠い彼方にポーンと放り投げて。
 二人の甘い甘い新婚旅行は、どこまでも続いていくのだ。



 色々ありそうだけど。
 ふたり一緒にいられるなら。



 はぴはぴハッピーエンド!なのである。