さて、翌朝である。
ちゅんちゅんと雀の声で目が覚めた総司は、「?」と小首をかしげた。
いつの間に布団の中にいるのか、まったくわからなかったのだ。
「あれ? 私、お布団に入ったっけ?」
総司はごそごそと起き上がり、考え込んだ。見回してみるが、土方はもう起きてどこかに行ったらしく部屋にはいない。
彼の分の布団はきちんと畳まれてあった。
「お酒、飲んだよね。それから、えーと……どうしたんだっけ……」
そこから先の記憶がまったくないのだ。
しばらくの間、うーんと考えていたが、やがて覚えてないものは仕方がないと、総司は立ち上がった。枕元に置かれてあった着物を纏い、結局着なかった浴衣を手にとった。
「朝風呂に行こうかな」
お風呂も入っていないので、もったいないと思ったのだ。だが、その時になって、はたと気がついた。
「そうだ……契り!」
あれはいったいどうなったのか。眠ってしまったからわからないが、布団で寝ていたということは、そういう事を致したのだろうか。それとも何もなかったのか。
総司は思わず両手をあげて自分の身体をぐるりと見回してしまった。が、どこにも変わったところはない。
「……わかんないや」
またまた、わからない事を考えても仕方がないと結論づけ、総司は部屋を出た。なーんにも考えないで風呂場に向かい、戸をがらがらと開ける。
とたん、目を見開いた。
「!?」
宿なので当然だが、他に客もいる。誰がいても当然だった。
だが、しかし、そこにいたのは土方だったのだ。しかも、風呂から上がったばかりだったらしく、裸の状態で着替えようとしている処だった。
「○☓■&―ッ!!」
意味不明の悲鳴をあげ、総司は回れ右しようとした。すると、後ろから声をかけられる。
「おい、総司」
「は、はっははは、はいーっ」
裏返った声で返事をした総司に、土方は言った。
「戸、閉めろよ。それから、風呂へ入りに来たんだろ」
「それはそうなんですけどっ」
「もう大丈夫だから、こっち向けって」
「……」
そろそろと総司はふり返った。
すると、土方は手早く着物を纏ってくれたらしく、浴衣を身につけていた。帯を締めながら、大人の余裕で笑いかけてくる。
「おまえ、そんなのでよく俺に契ってくれって言うよな」
「え、えぇえっ!?」
総司は慌てて両手をふった。
「そんな事、私、言ってませんけどっ」
「言ったんだよ、昨夜」
「昨夜!?」
「あぁ、おまえ、俺に何度もねだったんだぜ。契ってほしいって」
「……」
もはや絶句状態だ。
だが、何も覚えてない以上、否定することが出来ない。
呆然と突っ立っている総司に歩みよってくると、土方は軽く身をかがめた。そして、ちゅっと小さな口づけを落としてくる。
「おはよう、総司」
「!? お…おはよう、ございます……」
突然の接吻に顔を真っ赤にしつつ、総司は挨拶した。それに、土方はにっこりと微笑んだ。
「すげぇ可愛いな。昨夜みたいに積極的なおまえもいいけど、やっぱり、こういう初なおまえも可愛い」
「あ、は…はぁ? あの……っ」
「風呂へ入りに来たんだろ? 俺は先に部屋へ戻るから、ゆっくりしてこいよ」
そう言うと、土方はさっさと脱衣所から出ていこうとした。それに、慌てて声をかける。
「あ、あの……!」
「?」
ふり返った土方に、躊躇ったが、思い切って訊ねた。
「私、あの、昨夜、何をしたんですか?」
「覚えてねぇのか」
「はい……」
「全然、全く、何も?」
念押ししてくる土方に戸惑いつつ、総司はこくりと頷いた。すると、土方はしばらく黙っていたが、やがて、悪戯っぽく笑った。
濡れたような黒い瞳で総司を見つめる。
「……秘密」
「え」
「俺だけの秘密だ」
そう言うと、土方は楽しそうに喉奥で笑い、脱衣所を出ていってしまった。呆気にとられてそれを見送る。
一人残された総司は頭を抱え、その場にしゃがみこんでしまった。
「私、いったい何したのー!?」
土方が妙に機嫌がよかったことから考えると、酷い事をしたという訳ではないようだ。だが、契りをねだったなんて。何度も契りたいなんて言ったなんて!
もしも、もしもだが、それが真実なら、顔から火が出そうだった。恥ずかしくて恥ずかしくて、穴があったら入りたい! である。
「……あ、でも」
総司はふと気がついた。
結局のところ、契りをしたのか。彼と無事一夜を過ごすことが出来たのか。
そのあたりは全くの不明だった。
いくら秘密と言われても、それだけは知りたいのである。
やはり、そこは譲ってはいけない重要事項だろう。
「よし、部屋に帰ったら絶対聞こうっと」
そう言い切り、総司は風呂に入るための準備を始めた。
ちなみに、風呂場には誰もいない。挙句、他の客に見せてたまるかと、土方が脱衣所を出る時に清掃中の札(そんなものがあるかどうかは謎だが)をちゃっかり掛けていったことなど、総司が知る由もないのだった。
「土方さん」
風呂から戻った総司は神妙な面持ちで呼びかけた。
朝ごはんの席である。
まだ浴衣姿の二人は向き合い、朝餉をとろうとしていた。というか、総司が風呂から戻ってみると支度がされてあって、慌てて席についたのだ。
「何だ」
味噌汁の椀をとりあげようとしていた土方は手をとめ、顔をあげた。訊ねてくる。
それに躊躇った。
何だか、朝餉の場で話すことではない気がしたのだ。というか、全然、話すことではないだろう!
「……後でいいです」
「? そうか」
訝しく思っただろうが、土方はあっさり納得した。それきり聞き返そうともせず、朝餉を食べていく。
それを、総司は大きな瞳でじーっと見つめた。
(変化は……ない)
初めてだし何も知識がないのでわかりづらいが、だが、しかし、土方に変化があるようには見えなかった。
いや、そもそもとして、攻めの方にたつ男の人に、契りをした後だからといって変化などあるのだろうか。
その上、彼はとっても経験豊富だ。
契りの後の朝など、千回ぐらい迎えた事であろう(幾らなんでも盛りすぎ)。
そんな彼にとって、契りなんて、この朝餉をちゃちゃっと食べる程度のものかもしれないのだ。
(そういえば、言っていたものね。何度も、食べる食べるって。それって、そういう意味だったのっ?)
どんどん思考がドツボに嵌っていく。というか、ごぉーっと渦巻きの中に吸い込まれていく。
それを止めたのは、やっぱり、土方だった。
「総司」
叱るような低い声に、はっと我に返った。慌てて顔をあげれば、土方がこちらを切れの長い目で見ている。
「食事の時ぐらい、考え事はやめろ」
「え」
「食うか、考えるか、どっちかにするんだ」
「……はい」
子供の頃に戻って叱られたような気分で、しゅんとなった。
そう言えば、土方は総司にとんでもなく甘甘だが、こと躾的なことになると結構厳しかった。叱るところは叱るけじめがあったのだ。
だから、余計に、総司はいつまでたっても、土方を男としてより兄としてしか見られなかったのだが。
(でも、今は恋人だもんね。恋人だから契りだってするの、当然だろうし……って、これ、土方さんが言ったことじゃない?)
総司はなんとなーく釈然としない気持ちのまま、朝餉を終えた。片付けをして身支度を整えてから、くるりと土方の方をふり返った。
「土方さん」
今度こそ! という思いで呼びかけた。
それに、土方は「?」という顔でふり返った。
「何だ」
「あのね、一つ聞きたいんですけど」
「……」
「昨夜、私はあなたと、ち、ち、ち……っ」
どうしても、契りとはっきり言えない総司に、土方は首をかしげた。だが、すぐに意味がわかったのだろう。
あぁ、と頷いた。
「契りのことか」
「ッ、そ、そんな……」
「え? 違うのか? 俺がおまえを抱いたかどうかってことだろう?」
「だーかーら、何でそう土方さんは直接的なのっ、気遣いってものがないのっ?」
昨夜と同じようにぷんすか怒る総司を前に、土方は肩をすくめた。軽い調子で言ってのける。
「気遣いしたから、何もなかったんだろうが」
「え」
「俺はおまえを抱いちゃいねぇよ。幾らなんでも、酔っ払っているおまえに手を出せる訳がねぇだろう」
「……」
「完全に酔いつぶれた挙句、さんざん俺にむかってくだを巻いたからなぁ」
「……」
もはや、何も言えません状態だ。こんな宿まで用意させて期待させまくった挙句、酔いつぶれたのだから弁明の余地なしだろう。
しゅんとなってしまった総司に、土方は視線をむけた。
「そう言えば、おまえ、二日酔いはねぇのかよ」
「二日酔い?」
「頭が痛かったり気分が悪かったりすることだ」
「うーん、そういうのありませんね。全然」
「弱いんだか強いんだか、よくわからねぇ体質だな」
やれやれとため息をつき、土方は立ち上がった。荷物を手にして、部屋を出ていこうとする。
それを慌てて追いかけながら、総司は言った。
「あ、あの、ごめんなさい……!」
「え」
訝しげに土方がふり返った。それに、やっぱり謝るべきだと思うので、一応謝っておく。
「昨夜は迷惑かけて、ごめんなさい。土方さんに悪いことしたなぁって思うのです」
「ふうん」
土方は総司を見下ろした。
「悪いと思っているんだ」
「え、あ、その……はい」
「本当の本当に、悪いと思っているか?」
「…………」
彼の言い方に何だか、いやーな予感を覚えた。だが、悪いことをしてしまったのは確かなのだから、しぶしぶ頷く。
すると、土方は悪戯っぽい笑みをうかべた。唇の片端をあげると、身をかがめ、総司の顔を覗き込んでくる。
「じゃあ、お詫びを貰おうかな」
「え」
「悪いと思っているんだろ? だったら、お詫びぐらいできるだろ?」
「う」
思わず詰まってしまった。土方のいうお詫びとは、いったい何なのか。彼のきれいな笑顔の後ろに、めちゃめちゃヤバイものを感じてしまうのだが、ここで首をふったら機嫌が急降下してしまいそうで、総司はまたまた仕方なく頷いた。
「……はい」
「よし、これで話は決まりだ」
土方はにっこりと笑ってみせた。総司の細い身体を引き寄せ、ぎゅっと抱きしめる。
「取引成立だな」
「せ、成立って」
「さぁ、何をしてもらおうか。めちゃめちゃ楽しみだな」
嬉しそうに言いながら部屋を出ていく土方に、総司は、ぞわぞわーっと背筋が寒くなった。
何しろ、彼はあの土方歳三である。経験値も高いし遊んでいるし、甘くて優しいが、一方でめちゃめちゃ意地悪なところもあるし。
(何をさせられるんだろ。奢るぐらいじゃすまないよね)
総司は不安に思いつつ、のろのろと部屋を出た。愛想よく笑いながら、仲居に支払いをすませている土方の背を、じーっと見つめる。
とりあえずヤバくなったら逃げればいいのだが、それはそれで後が問題になってくる。何しろ、彼とは同じ屯所に住んでいるし、何よりも恋人だ。逃げて済まされる問題ではないだろう。
(こういう時、恋する相手が同じ仕事場っての、困るよね。違う所なら別れても、はい、終わりで済ませられるけど、その後もずーっと顔をあわせなきゃいけないんだし)
現代にも共通するオフィスラブの問題点を考えながら、総司は宿を出たのだった。
清々しく晴れた空だった。
伏見はとても賑やかな街なので、朝から沢山の人が忙しく行き交っていた。活気にあふれている。
二人は船で大坂へ行く予定だったので、船着き場へ向かった。そこから船に乗ろうとしたのだ。
だが、しかし。
「……え?」
土方は目を瞬いた。
それに、船着き場の男がぺこぺこと頭を下げる。
「えろうすんまへん、今日はもういっぱいどして」
「はぁ? まだ朝だろ?」
「それが、何や仰山お客はんがいらはりまして、朝から船が全部出てしもたんどす。申し訳あらしまへん」
「じゃあ、いつなら船が出せるんだ」
「昼過ぎになります。大坂へは夜遅くの到着になりますけど。それでよろしおすか」
「仕方ねぇな……」
そう土方は呟き、くるりと踵を返した。それまで伏見見物でもして時をすごそうと思ったのだ。
だが、そこであるものを見つけ、眉を顰めてしまった。
「……山崎」
どう見ても、山崎である。例の乞食姿でこそこそ隠れているつもりなのか、角からこちらを見ている。が、視線があったとたん、固まってしまった。
物凄い勢いで向かってくる土方に恐れをなしたのか、山崎は慌てて逃げ出そうとした。くるりと背を向け、走り出しかける。
しかし。
「待てよ、山崎。逃げるな」
副長の鋭い声音に、まるで足元に矢を射掛けられた如く、動きがストップしてしまった。完全に、よーいどん! の格好のまま固まっている。
それに歩み寄った土方は両腕を組み、威圧感ばりばりの態度で見下ろした。
「山崎、俺は言ったよな?」
「……っ」
「俺たちをつけ回すなと。あれで、理解できなかったのかよ。あぁ?」
もはや完全に、新撰組副長というより、極道である。
薄く嗤いながら言う土方の前で、山崎は膝を折ったかと思うと、ガバッとひれ伏した。
「り、りり理解できておりますっ」
「なら、何でここにいるんだよ」
「こ、これは偶然でして。浪士を追ってきた仕事の一環なのです、別に他意は全く……」
「本当か?」
「誓って! 副長に嘘偽りを申しませんっ」
裏返った声で叫んだ山崎を、土方は疑わしそうに眺めたが、やがて、深く嘆息した。
「わかった」
「は、はい」
「行け」
顎をしゃくる土方に、長居は無用とばかりに山崎はバネ仕掛けのように立ち上がった。そのまま駆け出そうとする。
だが、そこに声をかけた者がいた。
「山崎さん」
後ろで一部始終を見ていた総司である。おそるおそるふり返ると、総司はにっこり微笑んでみせた。
「ちょっと宜しいですか?」
「は、はい……何でしょう」
「ちょっと」
ひらひらと手をふって手招きする総司に、とてつもない嫌な予感を覚えたが、山崎はのろのろと近寄っていった。それに、総司が顔を寄せてくる。
土方の視線が恐ろしくて思わず身を引いてしまったが、総司が「もう、山崎さん」と腕を引くので、仕方なく動きをとめた。それに、総司がこっそりと小さな声で言った。
「あのね、お願いがあるのです」
「な、何でしょう」
「面倒な事だと思うけど、山崎さんにしか頼めないから」
にこにこと可愛く笑いながら、総司はあるお願いをした。