京から伏見への道のりは、それ程ない。
 とは言っても、二人ゆっくりと観光をかねての旅なので、それなりに時がかかった。もはや、土方の中では完全に、上様警護の為とかいう建前は忘却の彼方へ追いやられ、二人きりの新婚旅行になりかわってしまっている。
 天気も良く、総司はにこにこと機嫌によくて、その笑顔を見ているだけで、土方は癒される思いだった。
 あぁ、俺って幸せだなぁと、しみじみ思う。


 こんな可愛い恋人をもつことが出来て、これ以上の幸せがあるだろうか! いや、ない。


 土方は予定どおり総司を連れて、てくてくと京の街を歩いた。伏見へむかって。
 途中、最近知った店や美しい庭園がある神社などにつれていっては、総司を喜ばせたりする。その一つ一つに、可愛い! きれい! と喜ぶ総司がたまらなく可愛かった。
 なめらかな頬は桜色の紅潮し、瞳はきらきらと輝き、蕾のような唇は艶めいている。小柄で華奢な身体に旅装束をつけた姿はけなげで、淡い色あいの着物がよく似合っていた。そこらの小町娘どころか、売れっ子花魁も顔負けの可憐さ、愛らしさだ。
 ところが、である。
 とっても楽しい旅の最中、明らかな不審物を見つけてしまったのだ。
「……」
 ぴたりと足をとめた土方を、総司は不思議そうに見上げた。愛らしく小首をかしげる。
「? 土方さん、どうしたの?」
「……」
 土方の眉間にぐぐっと皺が刻まれた。そのまま、まっすぐ、ある人物へとむかってゆく。
 総司は頭の中を「?」マークでいっぱいにしながらついていったが、土方が目指した相手に気づくと、いよいよ訳がわからなくなった。何しろ、相手は乞食だったのだ。筵を敷いて身を縮めている。
 これ以上ないぐらい、きゅうぅーっと身を縮めまくっているのだが。

(? あ…れ?)


 何かどこかで見たようなと思ったとたん、土方が言った。
「……山崎」
 地を這うような低い声に、乞食──いや、もとい、山崎がビクッと震え上がった。びくびくしながら彼を見上げる。
「は、ふ、副長」
「おまえ、こんな処で何をしている」
「え、いえ、あの、そのっ……」
 冷や汗をだらだら流しながら、山崎は声をつまらせてしまった。と思った次の瞬間、がばーっと地面にひれ伏した。
「申し訳ありませんッ!!」
 道行く人から胡乱げな視線の集中砲火を受けつつ、山崎は叫んだ。
「局長のご命令でして! あの、お二人のことを、さ、さぐ…見守っていくようにと。そのっ、ご、護衛がわりと申しますか何と申しますか」
「つまりは、つけていけ、探ってこいと言われた訳か」
 土方は不機嫌そのもので呟いた。両腕を組んで、冷ややかな表情で山崎を見下ろす。
「おまえ、俺と近藤さん、どっちがいい」
「え」
「この場で俺にバッサリやられるか、近藤さんにぐちぐち嫌味を言われるか、どっちがいいかって聞いているんだよ」
 凄みのある声音で言い切った土方に、山崎は反射的にスチャッと立ち上がった。筵の上で直立不動になると、勢い良く答える。
「それはもちろん、副長であります! 副長の命に従わせて頂きますッ!」
「なら、さっさとこの場を去れ。二度と、俺らのことを付け回すな」
「は、はいっッ」
 裏返った声で返事をした山崎は、筵を丸めて脇に抱えると、もの凄い勢いでその場から駆け去っていった。あっという間に見えなくなってしまう。
 それを呆気にとられて見送っていた総司は、傍に立ったままの土方を見上げた。
「よく意味がわからないんだけど……山崎さん、何をしていたの?」
「さぁな」
 土方はかるく肩をすくめた。
「京見物でもしていたんじゃねぇか」
「乞食姿で?」
「人それぞれ好みってのがあるだろ。それより、総司」
 土方は、先程の不機嫌さ傲慢さがウソのように、優しい微笑みをみせた。
「この先に、いい茶店があるんだ。行かねぇか」
「あ、嬉しい! 喉が乾いたなって思っていたんです」
「そうか。こっちだ」
 土方はさり気なく総司の細い肩を抱くと、歩き出した。
 内心は、あの場で山崎の頭をはたきたいぐらい腹がたっていたが、なんといっても彼は隊士だ。近藤の命令に逆らえなかったのだろう。それはそれで情状酌量の余地があると己を納得させ、すぐさま、怒りの矛先を、あの、のほほん黒幕である狸おやじへ向けた。


(……近藤さん、覚えてろよッ)


 この分だとまだまだ色々と手を使い妨害させられまくる可能性があるだろう。
 いかにそれをくぐり抜け、目的を達成するか。
 障害物レースみたいな旅になりそうな予感に、ため息がもれたが、それでも総司と一緒の旅ならば必ず達成してみせるぞと、決意を新たにした。












 茶店に入ると、土方は葦簀の影になっている緋毛氈の上に総司を坐らせてくれた。
 それに、ありがとうとお礼を言って、ちょこんと坐る。
 隣に並んで茶や菓子などを注文してくれる土方の横顔を、うっとりと見つめた。


(格好いいなぁ……)


 旅装束に身を固めた土方は、もう感涙ものの格好よさだった。
 以前、江戸から京へ旅した時は、どこからどう見ても、かなりボロい浪人姿だったので何とも思わなかったのだが、今は全く違う。
 黒い編笠をかぶり、濃紺の着物に袴をつけた彼は、めちゃめちゃ格好よかった。艶やかに結い上げた黒髪に、切れの長い目、漆黒の瞳、凛々しく引き結ばれた口許から、引き締まった顎の線まで、本当に見惚れてしまうぐらい格好いいのだ。その証に、今も、茶店にいる女たちの視線を一身に集めている。
 それはちょーっと面白くないが、一方で、こんな格好いい彼と恋人同士なんだよー! という誇らしさもある。あちこち自慢したいぐらいの格好よさなのだ。
 しかも、その彼と念願の二人きりの旅だった。
 この茶店へ入る時、ちょっとだけ肩を抱いてくれたが、もっともっとさわってくれたらいいのになぁと、思う。


 あ、でも、向こうがさわってくれないなら、こっちからさわるべきなのかな。
 彼をびっくりさせないように、ちょっとずつにすれば、大丈夫なはず!


 総司は決心すると、少しだけ土方の方に身を寄せた。
 坐る位置を彼の方へずらしたのだ。だが、土方はまったく気づいていないらしく、ぼんやりと路上の光景を眺めている。
 それに、総司はもっともっと坐る位置をずらした。とうとう、ぴとっと彼の横にひっついてしまう。彼の腕に肩がふれた。とたん、さすがに気づいたのだろう。
 土方が驚いたように、総司を見下ろした。その目が見開かれている。


 あ、やばいかも。やりすぎた?


 そう思った瞬間だった。
「お待たせしましたー!」
 グッドタイミングで、お店の娘が茶と菓子を運んできた。だが、その皿に載っているものを見たとたん、総司の頬が熱くなってしまう。
「お、お団子っ」
「へぇ、お団子どす」
 不思議そうに小首をかしげながら、娘は茶と菓子を置いていった。
 土方が訝しげに総司を見る。
「どうした。団子、おまえ、嫌いだったか」
「き、嫌いじゃありません」
「よかった」
 安堵したように、土方は柔らかく微笑んだ。総司の方へ皿を押しやり、すすめてくれる。
「ほら、食べろ」
「は、はい」
 総司はこくこくと頷き、お団子に手をのばした。だが、ついつい考えてしまう。
 お団子、食べるという言葉に、異常なほど反応してしまう自分がおかしいと思うが、やっぱりやっぱり気にしてしまうのだ。
 先日、土方との契りのことを考えていた時の、自分自身の「お団子じゃないんだから」発言にどぎまぎしているのだから、どうしようもない。


(あ、なんか、すっごく実感されるというか、なんというか……)


 総司はお団子をもぐもぐ食べながら、そっと傍の土方を見上げた。
 傍に坐り、今、湯呑みを口許に運んでいる武家姿の彼を。その逞しい身体つき、男らしい大きな手、しっかりと鍛えられた腕や足腰。
 その男らしい身体が今夜、もしかすると、自分と契りを結ぶかもしれないなーんて、考え出すと、もう頭が沸騰しそうになったのだ。


(この人と契りを結ぶ、んだよね。男の人と女の人がすること、歳三さんとやっちゃう……やっちゃうって…………ぎゃー!!!)


 思わず突っ伏してしまった。両手で顔をおおう。
 そのまま頭をぶんぶん振る総司に、土方は驚いた。いきなりな行動に呆気にとられたのだ。
「ど、どうした。総司」
「……っ」
「気分でも悪いのか。団子、喉に詰まらせたかっ」
 慌てて湯呑みを取り上げ飲ませようとしてくる土方に、総司は顔を両手でおおったまま言った。
「……な、なんでもないです。ちょっと考え事しただけで」
「? 団子食いながらか」
「え、えぇ。すみません、大丈夫です」
 顔が真っ赤になっているという自覚はある。そのため、なかなか顔をあげられなかった。
 すーはーすーはーと呼吸を繰り返してから、総司はそろそろと顔をあげた。だが、とたん、こちらを心配そうに覗き込んでいる土方と目があい、心の臓がどきんっと跳ね上がる。
 黒曜石のような瞳が、心配そうに総司を見つめていた。そのまなざしは慈しみと愛情にあふれていて、もうめちゃめちゃ格好よくて、ますます頬がかぁぁっと熱くなってしまう。
 総司はもそもそと坐り直し、ぺこりと頭を下げた。
「もう大丈夫、です。ご心配おかけしました」
「けど、まだ顔が赤いぞ。本当に大丈夫なのか」
「大丈夫です。お団子だって美味しいし」
 総司はにっこり笑ってみせると、団子を再び食べ始めた。
 それをしばらくの間、土方は疑わしそうに眺めていたが、あれこれ追求するのも何だと思ったのだろう、黙って茶を飲み始めた。
 総司はその傍で団子を食べたが、正直な話、ほとんど味がわからなかった。茶店の人、ごめんなさいなのだった。












 夕方前には伏見に到着した。
 あちこち寄り道はしたが、それでも然程の距離ではないのだ。
 土方は原田から聞いておいた宿へ入った。幸いにして、それほど混んでいない。そのため、なかなかいい部屋をとることが出来た。
 離れとまではいかないが、奥まった静かな部屋だ。
 それに、原田から聞いていたとおり、趣のあるいい宿だ。女将や仲居も丁寧で、とても寛げた。
「土方さん、いい宿を知っているんですね」
 部屋に入ると、総司はにこにこしながら言った。それに、土方はあっさり白状する。
「原田に聞いたのさ。あいつは色々と知っているからな」
「そうなんだ。私、土方さんの方が遊んでいると思っていたから」
「遊んでなんかいねぇよ」
「嘘ばっかり」
 桜色の唇をつんと尖らせた。
「京にきてから、女の人といっぱい遊んでいるでしょ」
「遊んでいねぇって。おまえが俺の恋人になってくれたんだ、他に目が移るはずもねぇよ」
「本当に?」
 総司は彼のすぐ傍まで来ると、そっと小首をかしげてみせた。細い首筋にさらりと柔らかな髪がかかり、潤んだ瞳で見つめてくるさまが愛らしくてたまらない。
「本当だ」
 思わず手をのばし、土方は総司を引き寄せた。抱きすくめる。
「俺にはおまえだけだよ、総司」
「土方さん……」
 そっと唇を重ねてみたが、総司は抵抗一つしなかった。むろん、以前のように気絶したりもしない。
 だが、相変わらず、ばっちり目を開いている。
「……言ったろ? 目、閉じろって」
「え、あっ、そうでした! ごめんなさい」
 慌てて目を閉じる総司に、もう一度、口づけた。柔らかな唇を堪能し、今回は舌も入れてみたいなぁと思ったが、ここは堪えておくかと思う。


 伏見まで来て宿にまで無事連れ込んで、お楽しみはまさにこれから! なのだ。
 であるのに、接吻ぐらいで全部をおじゃんにしたくなかった。
 ここでちょっと強引な事をして、たちまち総司が「やだ! もう帰るー!」なんて言い出したら、元も子もないのだ。大事の前の小事なのである。


 土方は一人うむと頷いてから、総司の細い身体を抱きしめるだけにとどめた。
 そうこうしているうちに、少し早いが、夕飯が運ばれてきた。夜を楽しみたかったので、早めに頼んでおいたのだ。
「わぁ、おいしそう!」
 総司はたちまち目を輝かせた。席に坐り、嬉しそうに料理を眺めている。土方は、さっさと仲居を追い払うと、二人きりの食事を楽しむことにした。
 昔は二人だけで食事をすることもあったのだが、京に来てからは広間で皆と一緒だ。わぁわぁ騒々しく、楽しむどころではなかった。だが、ここなら二人きりで静かに、まったりと食事をすることが出来る。


(いや、何も食事が目的って訳じゃねぇが、もっとイイものを食いたいが、それはまぁ……後のお楽しみということで)


 などと考え、土方は箸を取り上げた。
 いつものように総司の世話をしてやろうとする。そのとたん、だった。
「あ、だめ」
「え?」
「土方さんは、そのまま坐っていて下さい」
「?」
 何が何だかわからず固まっている土方を前に、総司は座布団から滑り降りた。そして、お櫃を開き、飯を茶碗に盛り始める。
 これぐらいでいいかな? と小首をかしげてから、それを両手で土方にむかって差し出した。
「はい、どうぞ」
「あ、あぁ」
「おかわりする時は言って下さいね」
「……」
 にこにこと嬉しそうに笑っている総司を見るうちに、土方はある事を思い出した。


 そういえば、恋人になってくれと迫った時、言っていたのだ。
 所帯をもって、あれこれ世話をするのが夢なのだと。
 総司は今、それを実行しようとしているに違いなかった。
 ならば、それに乗らない手はなかった。
 土方も総司の世話をするのが好きだが、別に世話されるのが嫌って訳ではない。それどころか、総司が可愛い笑顔で給仕したり着物を着せてくれたりするのなら、バンザイ三唱ものの大歓迎! だった。


「醤油入れますね。あ、お魚ほぐした方がいいですか?」
 いそいそと傍に寄って世話を焼こうとする総司が、本当の幼妻みたいでめちゃめちゃ可愛かった。思わず愛情のこもった目で見つめてしまう。
 それに総司も気づいたようで、彼と視線があったとたん、ぱっと顔を赤くした。耳朶まで赤くなり、もじもじとする。
「な、なんか……おかしいですか?」
「可愛いなぁと思ったんだよ」
「可愛い? 本当に?」
「あぁ、今すぐ喰っちまいたいぐらい可愛い」
 彼の台詞に、総司はますます赤くなってしまった。