そこに立っていたのは、今の今まで考えていたうさぎ、寝込んでいるはずの総司だったのだ。
 土方は慌てて駆け寄った。その愛らしい顔を覗き込む。
「おまえ……大丈夫なのか」
「あ、はい」
 こくりと頷いた総司は、ちょっと頬を赤くしながら言った。
「私、その……土方さんにお話があって」
「話……」
 まさか、またまた別れ話じゃないだろうな? と不安になりつつ、土方は問いかけた。
「何だ」
「あのね、あの」
 総司は言いにくそうに口ごもっていたが、意を決したのか、大きな瞳で彼を見上げた。
「私と土方さんって、こ、恋人……なんですよね?」
「あぁ!」
 思わず、きっぱりと力強く返事してしまった。内心、自信がないと思っていた処だから、尚更だ。
 土方の勢いに総司はびっくりしたようだが、それでも言葉をつづけた。
「でも、よくわからないのです」
「何が?」
「その、恋人って、恋している人ってことでしょ? それってどうやって判断するのかなぁ」
「判断……」
「だって、恋って目に見えないもの。なのに、どうやってわかるのかなぁと思うのです」
「何で、そんな事を考え始めたんだ」
 土方は頭痛を覚えながら、訊ねた。
 むろん、聞いたとたんに後悔した。さすが長年のつきあいだ、総司にだけは投げてはいけない問だと気づいたのだ。
 だが、慌てて遮ろうとした時にはもう遅かった。
 総司は可愛らしく小首をかしげると、バッサリ言い切ったのだ。
「だって、私、歳三さんに恋していない気がするのです。どう思います?」
「…………」


 鈍感、天然もここまでくれば、逆に小悪魔だ。


 それを俺に聞くか? この俺に聞くのかよっ? と叫びたい気持ちを抑え、総司を見下ろした。
 かなり顔が強張っていたのだろう。
 さすがに気づいた総司が、びくびく怯えた表情になった。
「土方さん、怒ってる?」
「……これが怒っていないように見えるのか」
 自然と地を這うような声が出た。
「おまえ、俺のことを何だと思っているんだ」
「だって……だって、本当にわかんないんだもの!」
 総司は桜色の唇を尖らせ、言い返した。
「何が恋で、何が恋じゃないのか、全然わかんない」
「そんなもの、頭で考えることじゃねぇよ。っていうか、頭であれこれ考えちまうのは俺の方なのに、感情で突っ走り型のおまえが、こういう事だけ何であれこれ考えちまうんだ」
「じゃあ、何?」
 突然、総司がキイイイッと目をつりあげた。それに、え?と驚いていると、きゃんきゃん言ってくる。
「私は考えちゃだめってこと? 考えるのが、おかしいのっ?」
「いや、そういう事じゃねぇよ」
「そういう事じゃない! 恋のこと、歳三さん、考えたことないの?」
「だからさー」
 土方は思わずため息をつきたくなった。


 恋について、まったり甘い睦言をかわすならともかく、何で、恋とは何か? なーんて論議に時を費やさなければならないのか。
 それも、この天然で初な総司相手に。


「考えるじゃなくて、心で感じるものだろ。おまえは人を好きになるのに、考えてから好きになるのかよ」
「そ、それは違うけど」
「なら、わかるだろう。俺に恋しているかどうかぐらい」
「……」
 堂々巡りの会話に、総司のなめらかな頬がぷうっとふくれた。拗ねきった顔で俯いてしまう。
 それに、何だか小さな動物を苛めた気になって、土方は慌てて手をのばした。そっと肩を抱いてやる。
「なぁ……あまり難しく考えるなよ。俺と一緒にいて楽しいと思ったら、それでいいじゃねぇか」
「だって、歳三さんとおつきあいするのでしょう?」
「あぁ」
「私と接吻したり、そのうち、ち、契りってものをするのでしょう?」
「まぁな、いつかはって期待しているよ」
 正直に答えた土方に、総司はうーんと唸ってしまった。きゅっと唇を噛んでいる。その様子にすぐさま言った。
「ほら、また難しく考えるなよ」
「考えて当然じゃないですか」
「当然かねぇ」
「だって、私、初めてなんですよ」
「初めてで結構じゃねぇか。そうじゃなかったら、むしろ怒るぞ」
「怒るの? どうして?」
 不思議そうに首をかしげてから、総司は、はっと話がずれかけている事に気づいたらしく慌てて引き戻した。
「とにかく、私、全部初めてだから考えて当然なのです。それに」
「それに?」
「恋するからおつきあいなんでしょ。なのに、私と歳三さんの場合、順序逆になっているんだもの」
「なら、今から俺に惚れりゃあいいじゃねぇか」
 あっさり言い切った土方に、総司はため息をつきたくなった。そんな簡単に出来るなら、誰も悩んだりしないのだ。


(それに……)


 今、突然気がついてしまったが、こう言っている彼自身、自分に恋をしているのだろうか?
 本当に恋している?
 彼ぐらい魅力のある格好いい男なら、幾らでも綺麗な女の人とつきあう事が出来るはず。
 なのに、自分とおつきあいするなんて。
 もしかして、からかっているとか、遊びだとか、冗談だとか、そういう事があったりは……


 突然、胸奥がズキズキと痛み始めた。
 このつきあいが彼にとって只のお遊びじゃないかと思ったとたん、息まで苦しくなってくる。
「……」
 総司は思わず、すーはーと呼吸をくり返した。それでも重苦しい感じはおさまらなくて、胸に手をあてて、ぎゅっと目を閉じる。
 その様子に、土方も気づいた。
「どうした」
「ちょっと……気分が」
「えっ、大丈夫かよ、おい」
「大丈夫、です。でも、ちょっと失礼させてもらいます」
 そう言うなり、総司はくるりと向きを変えた。小走りにぱたぱたと駆け去ってゆく。
 土方はそれを一瞬追いかけかけたが、すぐに諦めた。追いかけても、拒まれるだけだと思ったのだ。
 それに。
「俺に惚れろって言われたとたん、気分が悪くなるか?」
 なんかもう、目前にドドーンッと聳え立つ巨大な山を見た気がした……。















「……斎藤さん」
 突然、声をかけられた。
 ふり返ってみたが、そこに人影はない。
「?」
 気のせいなのかと思い、斎藤はまたスタスタと歩き出そうとした。だが、しかし、またも呼ばれる。
「斎藤さん」
「……」
 ふり返ってみたが、やはり姿形はない。さすがに、ぞわぞわーっと背筋が寒くなった。
 京は古い都だ。やはり、そういうのも沢山いる可能性が高かった。


(やばい。オレ、苦手)


 慌てて足早に歩きだそうとしたとたん、気がついた。廊下の角からぴょこんと顔を覗かせている総司に。
「……何しているんだ」
 呆気にとられて呟いた斎藤に、総司が手をさしだした。というより、ひらひらと手をふり、おいでおいでをしてくる。
 ある意味、ちょっと不気味な光景だったが、仕方なく歩み寄った。すると、総司は近くの部屋に入って下さいと誘ってくる。
 可愛い総司に片恋している斎藤は、どきどきしながら部屋に入った。総司はきっちり障子を閉めてから、斎藤と一緒に坐った。
「あのね」
 と、大きな瞳で見上げ、話しかけてくる。
「何?」
「斎藤さん、土方さんに恋しているんですよね?」
「げっ、またその話」
 思わず口に出してしまった。それに、総司が桜色の唇を尖らせる。
「そんな嫌な話? 恥ずかしいの?」
「じゃなくて、オレ、恋とかしてないから」
「えー、それじゃ困るんだけど」
「何でっ」
「だって、聞きたいんだもの。私、恋がわからなくて」
「はぁ?」
「土方さんとね」
 総司はあっけんからんとした調子で、つづけた。
「この間、一緒に道行きしたのです。その途中、小料理屋さんに寄って、そこで接吻されて、私、ひっくり返っちゃったのです」
「……」
「でもね、土方さん、その先のこともしたいって言うのです。おつきあいってのは、色々もっとするというのです。でも、私、おかしいなぁと思って」
 総司は小首をかしげた。
「恋をしているから、おつきあいするんでしょ。だけど、私、歳三さんに恋しているかどうか、わからないし、歳三さんも同じくだし」
「……ちょっ、ちょっと待ってくれ」
 斎藤は、あちこち抜けまくりの総司の話にかなり混乱しつつ、一生懸命理解しようと努力した。
「オレ、よくわからないんだけど、そもそもとして、何でつきあう事になった訳? 普通、好きあっているからつきあうんだろ」
「あ、違うのです。私たちの場合、歳三さんが元の無精髭の格好に戻るって言って、それが嫌って言ったら、格好いい歳三さんでいて欲しかったらつきあって欲しいって言われて、それでね、うんって頷いたからおつきあいすることになったのです」
「……」
 斎藤は一瞬、沈黙した。頭の回転が早い方である斎藤にしても、総司との会話は時々非常に難解になる。
 やがて、おそるおそる問いかけた。
「よくわからないけど……」
「はい?」
「つまりは、副長が格好いい方がいいから、つきあう事にしたってこと?」
「はい! だって、歳三さん、めちゃめちゃ格好いいでしょ? あんな格好いい人だなんて知らなくて、びっくりしちゃった」
 総司はなめらかな頬を染めて、うきうきと話した。大きな瞳がうるっとして、どこからどう見ても恋する乙女ちゃんだ。
「女の人に貰ったっていうのは許せないけど、でも、黒や濃紺の着物をすらりと着こなして、あぁして立っている姿、本当に武家そのもので格好いいんですよね。顔もすっごく綺麗で格好いいし、身体も背が高くて引き締まっていて、本当にいい着物が似合うし」
「……」
「あんな格好よくなったのに、元に戻しちゃうなんて許せると思います? そんなの絶対許せないですよね!」
「……あのさぁ」
 斎藤は内心、なんでオレが……と、うんざりした気分になりつつ、言った。
「総司、自覚ないの?」
「え? 何が?」
「だから、恋。おまえさ、副長というか……土方さんに、一目惚れしたんだよ。格好いいとこ見たとたん、惚れ込んじゃったんだ」
「一目……惚れ?」
 きょとんとした顔で、総司は聞き返した。それに、斎藤は頷いた。
「そういう恋の始まりもあるんだよ」
「一目で好きになっちゃうってこと?」
「うん。一目で好きになって、恋するってことだよな」
「え、でも、そんな……見た目だけで好きになっていいの?」
「恋ってさ」
 斎藤はしみじみとした口調で言った。
「きっかけとかは、何でもいいんじゃない。そこから、性格があえばどんどん好きになるし、あわなければ熱も冷めるし」
「……」
「けど、今も、総司は土方さんのこと、格好いい、好きって思っているんだろ。なら、恋しているんだよ。それが恋ってものだと思う」


 実際に自分もそうだったのだ。
 初めて会った時、総司の可愛さ、可憐さに、どっきゅんと心臓を撃ち抜かれた。
 性格はちょっと我儘だが、素直で優しくて元気いっぱいのところに、ますます惚れてしまって。


 ああっ!
 なのに、何で、この自分が、総司の恋を手助けしなくてはならないのか!?
 心底、ああああと叫びながら頭をかきむしりたい気分だ。
 あの顔がいいだけの副長と結ばれるために、自分が何で手助けしなくちゃいけない訳!?
 オレって、報われないよなぁ……(自覚あり)。


 しみじみと自分の境遇に涙する斎藤をよそに、総司はうーんと考え込んでいたのだった。













 さて、翌日のことである。
 土方が副長としての仕事に励んでいると、総司が部屋にやってきた。
 今日はちゃんと起きて巡察やら稽古やらに励んでいたらしい。ちょっと頬が上気しているところが可愛らしかった。
「土方さん、あのですね」
 緊張しているせいか、ちょっと変な言葉づかいで話しかけた。
「私、いろいろと考えたのです」
「またかよ」
 土方はうんざりとした顔になってしまった。


 とにかく、この総司はとても利口なのだが、どこか天然で抜けている処があるため、いろいろと考え出すとろくな事にならない。
 考えすぎてどんどんおかしな方向に突進していってしまう傾向があるのだ。
 それを土方も長年のつきあいから察してはいたが、恋人になってからは、よりしみじみと思い知らされていた。振り回され続けていると言ってもよい。


「なんです、またって。私、一生懸命なんですよ」
「わかった、わかった」
 土方は書類をめくりながら答えた。
「とにかく、いろいろと考えたんだな。で? 結論は出たのか」
「出ました」
 総司はこくりと頷いた。
「接吻してみればいいんだって思いました」
「へぇ」
 思わず、まじまじと総司を見てしまった。
 まさか、そんな提案がなされるとは思ってもみなかったのだ。
「接吻してほしいのか」
 ところが、総司はきっぱりと首をふった。
「違います」
「?」
「だから、土方さん以外の人と接吻してみればいいのです」
 総司の言葉に、呆気にとられた。
 何か、言葉を聞き間違えたのだろうか。
「はぁぁ?」
 思わず、土方は聞き返してしまった。